横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No16. 南アフリカに咲いたALONE TOGETHER

文・齋藤廣一


 アフリカ大陸の最南端に南アフリカ共和国がある。人口4932万人、黒人が
79.3%、白人が9.1%で多くの民族が混ざり合い、社会的にも不安定な国である。
このたびアフリカの地で初めてとなるサッカー・ワールドカップが行われた。

 南アフリカ共和国といえば、金やダイヤモンドをはじめとする鉱物資源の
産地であることはよく知られている。特に金は世界の半分を占めるほどで、
多くの女性が身に着けている金の大半は、南アフリカからやって来ているのである、
まさに遠くて近い国なのだ。また、この国には世界遺産も多い、南アフリカ
は豊かな自然の贈り物に恵まれている国なのだ。
しかし豊かな資源のあるところには、必ず人間の醜い争いが生じる。
南アフリカの歴史は人間の醜さを象徴してきた。
17世紀にオランダ人が移植して植民地が形成された。その後18世紀末になると
金やダイヤモンドの鉱脈が発見され、それを狙ってイギリス人が押し寄せた、
そしてケープタウンは奪い取られるようにして占領されてしまった。
その時奴隷制度、英語、イギリスの司法が持ち込まれることによって、
もともとその地で暮らす原住民の自由な生活はしだいに奪われ、そして差別が残った。
多くの人々に苦しみを与えたあの忌まわしいアパルトヘイト(人種隔離政策:1948-1994)
が近年まで横行したのである。横暴な白人と虐げられる黒人。
そこには人間の強欲が生んだ悲劇の歴史が横たわっている。
 
 金とダイヤモンドは、妖しい輝きを放つ。時には人の心を癒し、時には欲望の輝きを
放って人を狂わせる。危うい輝きは知らず知らずのうちに、人々の心を欲望で染めていった。
1960年代の高度経済成長時代に、日本は金とダイヤを買いあさり、南アフリカ最大の
貿易国になっていった。1980年代に入ると国際社会もアパルトヘイトを非難し、
国連でも経済制裁が採択された。国際社会が制裁へと動く中で、日本の動きは遅かった。
最大の貿易国である日本は、とうとう国連総会で非難決議を受けるハメになってしまった。

 歴史を振り返れば、南アフリカの豊かな資源を我が物にし、黒人やカラード人種を差別し、
経済の都合により日本人を「名誉白人」とし、よく考えれば人種差別の屈辱を味わいなが
らも金とダイヤのために、日本人は差別を黙認しながら取引をしていた。そして国際社会
の非難が高まるとサッサと制裁し、いつまでもシコシコと金目のものを買いあさっている
日本を非難して止めさせた。
これらの事は、もともと原住していた黒人達の存在を忘れている出来事で、白人主導の国
際社会も日本人も、どちらも恥ずかしい歴史を作ってしまったと言える。そんな歴史は、
我々の生きている間には、ぬぐい去ることができないであろう、よそ者に富を奪われた原
住の黒人達の恨みは想像を超えるものがあるに違いない。  
白人主導の国際社会における根幹的な問題は、強欲のために世界の富の分配がうまくいか
ないということである。そこに争いが生じる。豊かさの裏側には踏みつけられる弱者が必
ず存在するのである。
 
人種差別に翻弄される社会にあって、やがて一人の英雄が立ち上がった、ネルソンマンデラ
その人である。彼は反アパルトヘイト運動の首謀者として、白人達から迫害され44歳で逮捕
された。その2年後に国家反逆罪で終身刑となり、他の政治犯と共に脱獄不可能なロベン島
に収監されるに至った。

 国際社会によるアパルトヘイト非難が高まると、1990年に釈放され1993年にノーベル
平和賞を受賞、1994年に南ア史上初の全人種参加の選挙で大統領に選出された。
そして彼が最初に行ったことは、「赦しこそ恐れを取り除く最強の武器なのだ」と言って、
自分を殺そうとした白人達を赦すことから始めたのである。
かくして彼は“全民族融和の象徴”となったのである。
 
豊かな恵みの中で争う人間達。自由を取り戻した南アフリカは、長い差別の後遺症による傷が深く、
今も治安の悪い状態が続いている。そんな状況にあって、何故ワールドカップは南アフリカにやっ
てきたのか。本来であれば、開催できる条件に、著しく値しないと言っても過言ではないが、
そこには新しい世界へと向かう人間世界を引っ張りあげるために、ポジティブな目に見えな
い大きな力が働いたとしか思えないのである。
南アフリカのワールドカップは、世界の目を引き付けた。そして少なからず不幸な過去を乗り越えて、
新しい融和へと向かう人間世界があることを、世界の人々の胸に残したのである。

ALONE TOGETHER...
一人のもつ光の波動は、民族を動かし世界を変える力がある。




(齋藤廣一)


著者プロフィール

齋藤廣一、1949年10月生まれ、60歳

1971-2000年、外資系コンピューター会社勤務。

ハードウェア・エンジニア、コンサルタント等を歴任。

2000年に退職後、株式会社さくらまねきを設立。

WEBシステム制作業に従事するかたわら、占星術を研究。

占術研究家として、全国に多くの教え子がいる。

最近は、人材育成に心血を注いでいる。


 

 
               
   

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