ALONE TOGETHER 2010

横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No23. 善意の和(輪)

文・齋藤廣一


平成22年12月25日、群馬県前橋市の中央児童相談所の前に、“伊達直人”
を名乗る贈り物で、新品のランドセル10個が寄贈されていた。この報道がなさ
れるや、瞬く間に全国各地でランドセルを寄付する“伊達直人”がたくさん現
われ47都道府県で300件にも及ぶ広がりを見せた。
 日本人は昔から暮になると、せわしく一年の終わりに区切りをつけて、新た
な新年を迎える準備に入り忙しい時期を迎える。その間は誰しも自分の事で手
一杯の状況でありながら、暮を越せない弱い人に対しては、いたわりの助け合
う心を何処かで持っていた。歳末助け合い運動もその表れである。
 
 いま日本は、不景気のどん底にあえいでいる。沈み行く日本は深刻であり、
日本人が思っている以上に、海外では日本離れが進んでいる。一時は世界の何
処へ行っても、そこには日本人が溢れていた。今はシンガポールでさえ、目に
入ってくるのは、ハングルであり、中国人であり、日本人を探してもなかなか
見当たらない。居並ぶ建物は韓国の建設であり、通りを走る車は“現代自動車”
である。日本は何処へ行ってしまったのか。

 混迷が続く政権争いばかりで、日本の方向性はいっこうに見えて来ない。そ
んな世相であるが故に、市民もすっかり元気を無くしてしまっている。
“伊達直人”の出現は、日本の善意を目覚めさせてくれた。長野県では「伊達
直人の名でプレゼントをする人が各地でいて、感動し心が熱くなりました。
北アルプスの伊達直人」や山形県では「ちょく(強く)なってね。田舎伊達直人」、
熊本県の“伊達直人”は「感謝感謝で90歳まで生かされております」と言葉を
残し、果ては「あしたのジョー」の主人公「矢吹丈」(兵庫県)、TVドラマ
の「肝っ玉かあさん」(埼玉県)、「龍馬」(堺市)、「桃太郎」(岡山市)
まで、日本人の大好きな“正義の身方”が、堰を切ったように現われたのであ
る。愛知県小牧市役所には少年から「お年玉で買いました。中学生の伊達直人」
との手紙と一緒に文具が届けられた。

 何故に、中学生の心は動いたのだろうか。中学生と言えば遊びたい盛りであ
る、まだ世の中の事など、関心を持てるような年頃ではない。お正月のお年玉
で、新しい携帯電話かゲーム機でも買いたいところではないだろうか。そんな
子供の心まで動かした“伊達直人”は、何処までも熱く温かいではないか。
たとえ一過性の現象になったとしても、この温かさは、多くの人々の心に、善
意の温もりを目覚めさせたに違いない。
 人々の魂はこの世に生まれ出でた時から、様々な試練を経て、魂を磨く大い
なる目的を持った旅路を歩んでいる。人々を思い遣る善意は“愛の波動”とな
って、魂が抱えている目的を癒し、そしてさらなる高みへと魂を誘う。
子供の伊達直人から90歳の伊達直人まで、“愛の波動”は広がった。

 不肖ながら私も、何年も前にネット販売のための商品として買い込んだラン
ドセルが20個ほど、倉庫に眠っているのを思い出した。自腹を切って買いこん
だ商品であったが、売れ残って何年も経過していているので、磨いて幾つかの
児童施設に送らせていただいた。いつか処分しようと思っていたものであるが、
今回の“伊達直人”には、気づきをいただいた、“感謝!”である。
 今年は何かよい事になりそうな気がする。そんな想いをいただけて、“伊達直人”ありがとう。
 
ALONE TOGETHER...
善意の目覚めは、愛の結束を高めて...
(齋藤廣一)












横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No24. ネット社会がもたらす未来

文・齋藤廣一


 2月11日、エジプトのムバラク大統領が辞任して、29年間の長期に及ぶ政権
に幕が降りた。辞任のメッセージが国営テレビを通じて放送されると、全土で
100万人以上が参加したデモの群集から一斉に歓喜が沸きあがった。権力は一時
軍部が掌握することになったが、その軍部も多くの利権を抱えており、批判を
交わしながらの政権民主化は、難しい舵取りを迫られている。
チュニジアもイラクもエジプトも、政権の腐敗体質、貧富の差、異常な失業
率に対する不満を募らせた結果、反政府デモの形となって噴出した。チュニジ
アから点火した民主化の波は1月25日にエジプトへ飛び火して以来、世界はわ
ずか15日足らずで、よもやのエジプト長期政権崩壊劇を見せられてしまったの
である。
親米派のエジプトは中東に於ける重要な役割を担っていた。中東の安定はエ
ジプト、サウジの安定によって保たれていたといえる。デモが飛び火するなり、
米国はアッサリとムバラク大統領の辞任を促したのである。
いろいろな見方はあると思うが、冷静に見れば不自然ともいえる。もちろん

中東の民主化は、歓迎されるべきことかもしれない。しかし一方では、米国は
いままでベトナム、アフガン、イラクと自国の兵士の血を流してきたため、国
内ではその戦争責任を問われる声も決して小さなものではなく、戦争への直接
介入は避けたいが、戦争で武器輸出をしなければ、いまの米国経済を支えられ
ない苦しい台所事情もある。米国はそうやって、戦争を起こしては経済の浮揚
と覇権を握ってきた国なのである。
中東の不安定化はオイルマネーを溜め込んだ、アラブ諸国にマネーを吐き出
させることになる代わりに、核拡散、テロなどを助長する諸刃の剣も抱えてい
る。オイル供給に影響すれば、世界経済への影響も計り知れない。米国の指導
力が落ちたいま、その舵取りは難しい。

 このような急激な世界情勢の変化が起きた要因の裏には、インターネットの
普及があった。アラブ諸国にもインターネットによるツイッター、フェイスブ
ックなどのSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)ネット・コミュニティ
が大きな役割を演じていた。フェイスブックは2006年に一般公開されてから、
たちまち5億人のユーザーをもつ世界最大のSNSに発展した。そこにはイスラ
ムも中国も国境はなく、一度、反政府デモへの呼びかけが起きれば、即時に何
万人もの人へと広がる危うさを抱えている。
人々はインターネットを通じて、手軽に世界を知り、自国の状況を知り、自
分達の生活レベルをタイムリーに知る事ができるようになったのである。当然
の帰結として、不平等、不条理に対する不満はコミュニティ上を飛び交い、同
様な意見を持つ人々から、大いなる反応が帰ってくることも知ってしまったの
である。知ることも知らせることも自由になり、ネット上ではドミノ倒しのよ
うに雪崩を打って連鎖反応が起き、大きなウェーブを引き起こしたのである。
一度起きた津波は止めようも無く、エジプト政府は携帯の停止やネット遮断
などの介入をおこなったが、Googleとツイッターはネットを利用できなくても、
電話による音声ツイッター・サービスを投入して、エジプトの人々のつながり
を支援すると称して、崩壊劇を手伝ったのである。

 以前に、社会のピラミッド構造は崩れて、フラットな世界になっていく話を
したが、皮肉にもエジプトは文字通りピラミッドが崩壊した形となった。これ
らの出来事はさらに加速度を増して、今後の世界に大きな変革をもたらすこと
になるであろう。支配層は崩壊し、フラットになっていくのである。米国・ロ
シアの核軍縮もその現われであり、日本の政党崩壊も同じなのである。二大政
党制など、もうあり得ないのである。社会の全てのものに少数分裂、フラット
構造へ帰着する力が働いているのである。

人類も近い将来、ネットに頼らずともテレパシーのごとく、一瞬で意思が伝
わり、相互理解できる日がやってくるのであろう。その時にこそ真の平和が訪
れるのである。

ALONE TOGETHER...
世界は一つ。
(齋藤廣一)












横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No25. 揺れる日本列島

文・齋藤廣一


2011年3月11日14時46分、三陸沖を震源とする巨大地震が東日本太平洋沿
岸を襲った。その地震エネルギーはM8.8という阪神大震災の180倍のエネルギ
ーといわれ、いまだかつて経験の無い未曽有の大災害となった。そして直後に
10メートルを超す津波が北陸太平洋岸一帯を襲った。
巨大津波によって多数の沿岸の町々が、一瞬にして飲み込まれ、壊滅的打撃
を受けた。家も車も船も、そして人々も押し流されて海の藻屑と消えた。ただ
ただ衝撃的な映像を見せられるばかりで手の施しようも無い。大自然の前に、
人間はこんなにも無力であったのかと思い知らされてしまった。

12日の時点で確認されている死者・不明者は1600人超であるが、仙台市若林
区荒浜では200〜300人の遺体が打ち上げられ、宮城県南三陸町においては約1
万人におよぶ行方不明者がでている。1万人規模の行方不明者がわかるまで、翌
日にならないと分らないという情報の遅れは、情報収集経路すらも絶たれてい
ることを示している。太平洋沿岸一帯でどれほどの被害がでているのか、それ
は甚大の度を越しているようにも思われる。一刻も早く救援の手が届くことを
祈るばかりである。

 幸いにもビルの屋上や裏手の高台へ、難を逃れることができた人々も、眼下
に自分の故郷が、家が、家族が、津波にのみこまれていく瞬間を見つめながら
胸が張り裂ける思であったに違いない。津波の爪後は残る者の心にも、深い傷
跡を残した。家族と子供を失って泣き叫ぶ女性、雪が舞うほどに寒い中を幼児
を抱いて、泥をかぶった素足で逃げてきた母子。生き延びることの厳しさを、
嫌というほど見せつけられた。

 東京も激しく揺れ、交通は一日中停止状態、停電した地域も広域に及んだ。
混乱で家に帰れない人達もいたが、総じて温かい食事に、温かいお風呂、そし
て暖かい布団に寝られることの幸せは、今回ほど尊いと思ったことはない。被
災されている人々に申し訳ないとしか言い様がない。
 日頃、高度文明だの、高級車だの、グルメだの、ブランドだの、投資だの、
と物質文明を謳歌してきた我々は、本当の幸せというものを忘れていたかも知
れない。今回の災難は『物質に捕われ過ぎた生活を、悔い改めよ!』と言われ
ているような気もする。福島原発も地震・津波の被害で、余談を許さない状況
になってきた。原子炉を冷却する機能を失ってしまったのである。そして、い
まだかつて経験したことのない対応を迫られることになった。すでに被爆者も
出た。世の中は混沌に向かって突き進んでいる背景を考えると、大事故に至ら
ないことだけを祈るばかりである。

 政府も最大限の自衛隊派遣を決めた。そして海外からも50カ国以上に及ぶ支
援の申し入れが届いている。米軍の空母も近海に派遣されることが決まった。
国境問題でギクシャクした中国もロシアも韓国も支援の手を差し伸べてくれて
いる。政治的立場と人道的立場と、まだかけ離れている国際社会であるが、間
違いなく世界人類は融和の方向へと向かっていることがわかる。いつの日か、
そう遠くない将来に、人類は高い次元で共鳴し合うことだろう。

 平和な生活は有難い。住む家があり、家族も居て、食べるものにも不自由せ
ず、当たり前と思っている生活に、改めて深い感謝の念を捧げたい。
 国難とも言うべき災害に、離れて見ている我々も、難を逃れていることに感
謝して、被災者のために何か行動をしなければならないと強く感じ入るのである。

ALONE TOGETHER...
感謝は愛の向こう側に...

(齋藤廣一)












横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No26. 揺れる日本列島 (2)

文・齋藤廣一


 東北大震災から1ヶ月が過ぎた。懸命の捜索活動、懸命の原発復旧作業、そ
して懸命に生きる被災者達。津波が全てを押し流し、ガレキの山一面に雪が降
り積もって、寒さに震えていたあの日から、桜の花開く季節になってしまった。
避難生活を余儀なくされている方々は、まだ心の整理もつかない。失った
家族、失った思い出を探して、野原となった街あとに重い心の荷物を背負って
、 今日もさ迷い歩いている。何故に神々はこのような試練を与えたもうたのか。
永い魂の旅路を、この世に生まれて、学びの一時にある私達であると思って
いても、おおぜいの善良な人々が海にのまれて行った現実を、どのように受け
止めたらよいのか、傍観者である我々すら迷いが生じる。

 日にちが経つにつれ、津波の瞬間に行動した、東北の人々の勇気ある姿が伝
えられるようになった。大きな津波の被害に遭った南三陸町では、役場の防災
対策課に勤める遠藤未希さん25歳が、津波にのまれる瞬間まで、防災放送で非
難勧告を叫び続けて殉職した。彼女の叫ぶ声を背中に聞きながら、津波から逃
れて命を繋いだ人々が大勢いた。人々は彼女の最後の声を「天使の声」と呼ん
でいる。そのご両親がTVでも悲しい胸の内を語っていた。取り乱すでもなく、
最後まで人々の命を救うために職務を全うした娘さんの高貴な姿に、行き場の
ない切ない思いを巡らせていた。

 岩手県大槌町で元消防団員だった越田冨士夫さん57歳は、停電でサイレンが
鳴らないため、半鐘によじ登り力の限り鐘を鳴らし続けた。津波の急を告げる
鐘の音は街中に響き渡り、避難して助かった人々がいる。引き換えに越田冨士
夫さんの命は、海にのまれていった。同僚の消防団員達を追いたてるように避
難を促し、自分は半鐘に登っていったのである。遠藤未希さんも、越田冨士夫
さんも、目の前に迫り狂う津波を見ながら、命の限りを尽したのである。
 津波が去った後には、累々としたガレキの山と命を落とした人々の屍が残っ
た。荒れ野と化した街跡は、物音一つしない恐怖の静寂だけが支配していた。
明けて翌日には、福島第一原発が大変な事態になっていた。津波によって非
常電源まで含めた制御機能が壊滅状態になったのだ。そして、原子炉を制御す
る全てのコントロール機能は失われ3号機は水素爆発を起し、建屋の屋根が吹
き飛んだ。放射性物質が漏れ出すという最悪の事態になってしまった。
現場では、高濃度放射線と格闘しながら、懸命の復旧作業が続いた。食事も
無い、寝るところも満足に無い、強い放射線の恐怖に囲まれて作業に当る人々
は、きっと死も覚悟しているに違いない。

 未曽有の原発事故である。誰も経験がなく、その恐怖は一気に広がった。そ
んな中にあって、震災後の支援に10万人からの自衛官が動員された。余震と言
えども、通常であれば大地震に匹敵するマグニチュード6以上の地震が続いて
いた、そして原発の爆発。支援に向かう自衛官の困難は、極限を極める。
そんな被災地へ夫を送り出す妻の心境がネット上を飛び交った。「大丈夫?
無理しないで。」と夫の身を案じる妻へ「自衛隊なめんなよ。今無理しないで
いつ無理するんだ?」という返事。また、原発の注水活動に向かった東京消防
庁緊急援助隊の佐藤康雄総隊長は「これから福島原発に出動する」と妻へメー
ルで伝えた。そして妻からの返事は「日本の救世主になってください」。最愛の
夫を死地へと送り出すこれ以上の言葉があるだろうか。
仙台市の交差点で渡辺武彦警部58歳は、警棒を振り回しながら避難誘導にあ
たり殉職した。

 それぞれの命のドラマ。死が迫ってもなお、同胞に救いの手を差しのべる正
義感が、東北にはたくさんあった。人が人たる所以の本質というものを、慈愛
のかけらとして、痛いほどに見せてくれている。

ALONE TOGETHER...
絆は慈愛の中に...

(齋藤廣一)












横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No27. 双極の真理

文・齋藤廣一



 近年、科学技術の進歩は目覚しい。オーストラリアの物理学者チームが未来
の通信技術を開くかもしれない、全く新しい考え方による通信実験に成功した。
それは量子通信と呼ばれ、“もつれ合い光子対”を144キロ先まで送信するこ
とに成功したのである。そしてそれは、情報の送受信を第三者に傍受されたと
しても、犯人を特定することができるようになるというのである。我々素人に
は何のことかさっぱり分からない。

 “もつれあい”とは量子の世界では、重要かつ特有な性質を表わしており、
近代の科学者達が、まるで科学の世界にオカルトを持ち込まれたような悩まし
い現象のことである。量子力学があの世の見えない世界をつきとめてしまった、
引き金となった現象であり、その結果アインシュタインの相対性理論を葬り去
った物理現象である。


 例えば原子には原子核と電子があることぐらいは、年配者でも知っている。
いま、2個の電子が原子核のある軌道を回っているとしよう。2つの電子はそれ
ぞれ、自転(スピン)をしており、それは回転軸に対して右向き回転と左向き
回転の2値性を持っている。また、この2つの電子対は“もつれあい”の状態
にあるといい、片方の電子に磁場を与えてスピンの方向性を変えたとすると、
もう一方の電子スピンも瞬時にその方向性を変える。まるでもつれあっている
ように見えることから“もつれあい”関係にあるという。

 また、この2個の電子は仮に、宇宙の果てまでお互いを引き離すことができ
たとしても、その現象は変わらず、片方の変化を瞬時に感知して、宇宙の果て
にある他方はその向きを変える事ができる。その感知するスピードは光速より
も速く、まるで物質世界の裏側で、誰かが謀議をして、操作をしているとしか
考えられないことから、量子力学はあの世の科学と言われるのである。アイン
シュタインがこの宇宙には光速より早いものは存在しないとした、高速度不変
の法則は量子の“もつれあい現象”によって、崩れ去ったのである。
 “もつれ合い光子対”はもつれあった2個の光子を、量子現象として応用す
ることにより、片側の状態を測定すれば、もう片側の状態は測定しなくても、
正確に知る事が出来、量子コンピューターなどへの応用が広がっている。


 2010年8月、“物質の存在”の謎を解くかも知れない新素材が開発された。
ユーロピウムチタン酸バリウムというセラミック素材で電子の電気双極子モー
メントを検出するために開発されたものである。これは磁気特性と電気特性の
組み合わせが他のセラミックスとはまったく異なるもので、電場を与えて新素
材の磁場の変化を観測すれば、電子の電気双極子モーメントが存在するかどう
かがわかるそうで、それによって両者のわずかに異なる特性(非対象性)を知
ることができ、この世になぜ物質が存在しているのかが分かるそうである。


 “量子通信”も“物質の存在”も全て量子の“もつれあい”関係で構成され
ており、この世は全て対称性と非対称性で成り立っているといえる。正極(+)・
負極(-)、右・左、物質・反物質、陰・陽、男・女、善・悪、心・体など、対称
性は科学的なものから非科学的なものまで、人間の存在に欠かせない要素を構
成しており、それらは広義における“もつれあい”ともいえる。


 人間は魂の生き物である。魂は不滅であり、今生を生き抜いて死んだあかつ
きには、また来世生まれ変って、魂の修行の旅路を歩むという輪廻転生を繰り
返す。最近では退行催眠などにより、魂の記録を辿って過去世に戻り、過去か
ら現在に至るまで、どのような人生を経験してきたのか、明らかにすることが
できるようになった。その中で人間はいつの時代も、自分を取り巻く人間関係
を乗り越えることによって、魂の修行が行われていることが次第に分かってき
ている。特に自分にとって深くかかわった人との人間関係を超越するまで、そ
の転生は続くようである。今抱えている人間関係の問題は、過去世でもお互い
に関わっており、転生ごとに学びを得て、お互いの関係を少しずつ超越して行
く。例えば、今生の妻は過去世では親子の関係であったり、兄妹であったり、
恋人であったり、様々な愛の形を経験させられて(いや、自らが選択している
というのが正しいかも)、魂の向上を図っていることが分かってきている。

 退行催眠で未来世まで覗き見れば、その愛の形の終着点まで知る事もできる。
ソウルメイトが様々な人間関係として、自分の前に現われ、その人間関係を通じ
て、魂の向上を図っているのが人間のこの世に生まれた目的のようだ。

 つまり、この人生で生まれてきた自分の役割は、まわりへ愛を注ぐことによ
って、自分も愛を受けて癒される、その形が超越されるまで魂の学びと転生が
繰り返されているのであり、自分の対極には必ずソウルメイトがいるのである。


ALONE TOGETHER...
ALONEは一人にあらず、対極のソウルメイトによって自我は高められている。

(齋藤廣一)












横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No28. 震災の奇跡

文・齋藤廣一



 震災から三ヶ月が過ぎた。家族や友人、家や職場、船や農地を失った人々も、
失意の底から這い上がろうとしている。傷ついた生活が少しずつ動き始めよう
としている。放射能汚染は、嫌でも生まれ育った故郷を離れなければならない
状況を強いている。

 東北の人々は忍耐強かった。

 日本の隅々から、多くの人々から、そして世界の国々から心温かい支援が寄
せられた。人はこんなにも温かったのか。被災者への悲しみが晴れない一方で、
たくさんの人の温もりも知った。変な話、被災によって人間の本性に気づいた
と言えないだろうか。


 三ヶ月経った今、死者15,405人、行方不明者8,095人、避難者12万4594人
に達している。被害が大きかった三陸一帯は、津波の被害による歴史を繰り返
して来た。記録に残るところでは869年の貞観大地震(M8.3規模)で死者1000
人、1611年の慶長大津波(M8.1規模)で死者3000人、1896年の明治三陸地震
津波(M8.5規模)で死者22000人、1960年のチリ地震津波(M9.5規模)で死者・
不明者142人が記録されている。

 地震・津波の被害に一番痛い目に遭わされてきた地域である。本来なら災害
に対して最も敏感なはずである。しかし亡くなられた人々の多くは顕著な行動
パターンに分かれた。消防、警察など人々を誘導しようとして殉職されて方達
が数百人規模と大勢いた。日本の美しき魂に誇りを持ちたい。

 そして逃げながらも津波に呑み込まれた人々がいる。最も多かったのが「大
きな津波は来ないだろう。まさかここまでは来ないだろう。」という、判断の
誤りが逃げ遅れの犠牲者を多く出した。過去の津波の教訓は多くの場合、活き
ていなかったのである。


 今回の津波被害で多くの反省が語られた。その中で「自分の命は自分で守
れ!」という教訓が目に付いた。大事なものを取りに家に戻ったり、家族を探
しに戻ったり、子供を向かえに行ったり、そのような行動が犠牲者を増やした
からである。そして「地震の時には自分で山へ逃げろ!」と申し合わせていた
家族達は、被災を免れた人が多い。

 しかし、自分で命を守れない人々がいた。介護老人と園児達である。残念な
がら多くの介護施設が被災に遭って犠牲者が出た。心からご冥福を祈りたい。

 未曽有の東北大震災にあって、一筋の明るい奇跡があった。それは逃げるこ
ともままならない園児達の避難劇である。

 今回の被災地区には1045ヶ所の保育園施設がある。内475ヶ所が津波に呑ま
れ全半倒壊の被害に遭った。あの津波の下にそれだけの保育園施設が呑みこま
れたのである。いったい何人の園児が犠牲になったのかと、心穏やかではいら
れないのが人情であろう。

 ところが奇跡が起きたのである。死者ゼロなのである。なんと嬉しい不幸中
の幸いではないか。信じられない奇跡である。その報道の模様はTVで特集さ
れた。

 ほとんどのケースが普段から避難ルートを決めておき、避難訓練を綿密に行っ
ていた。そして逃げることもままならない園児をカートに乗せ、手を引き、
一団となって、ただひたすら避難場所を目指したのである。

 後で津波が来なくて、笑われてもよい、かっこ悪くてもよい、とにかく地震
がきたら逃げる、という教訓をどの保育園も徹底していた。

 岩手県野田村保育所では通常の避難ルートは決めていたが、万が一逃げ遅れ
ると判断した場合には、畑の中を突っ切る最短ルートを、普段から地主の許可
をもらっていた、というからその徹底ぶりには、考えさせられるものがある。

 そして、まさにその事態が的中してしまったのである。通常のルートで逃げ
ていたら、今回の津波に呑まれていたであろうと、廣内裕子主任保育士は回顧
していた。彼らは躊躇することなく畑の中を突っ切ったのである。

 奇跡は、普段のたゆまない努力と、小さな命への慈しみ上に起きたのであっ
た。

ALONE TOGETHER...
小さな命...愛が試されるとき、神の欠片が降りて来る。

(齋藤廣一)












著者プロフィール

齋藤廣一、1949年10月生まれ、60歳

1971-2000年、外資系コンピューター会社勤務。

ハードウェア・エンジニア、コンサルタント等を歴任。

2000年に退職後、株式会社さくらまねきを設立。

WEBシステム制作業に従事するかたわら、占星術を研究。

占術研究家として、全国に多くの教え子がいる。

最近は、人材育成に心血を注いでいる。


 

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