横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER INTERVIEW

21世紀のキーワードになれるか

NPO法人地球友の会 理事長 宮内 淳

【プロフィール】

1950年愛媛県生まれ。文学座演劇研究所卒業。NTV「太陽にほえろ!」で俳優デビュー。その後、テレビ番組で世界80数カ国をまわり、人間本来の生き方にふれて歩いた経験から、地球環境問題と子どもの情操教育にも力を注ぐ。現在「影絵劇団かしの樹」主宰。影絵劇団かしの樹では、1992年に明石康・国連特別代表の協力のもと、カンボジアにて民間P.K.O.第1号公演を敢行、また国連表彰を受けた坪田愛華作「地球の秘密」を影絵ミュージカルとして全国公演。1995年には <世界子ども環境会議> 準備委員長として、英国サッチャー首相を埼玉県に招聘。 その後、日本におけるUNEPの普及活動を展開中。



聞き手:ALОNE TОGETHER編集部

(第一回・・BE☆SEE10号掲載分)


【編集部】・・ALОNE TОGETHERという言葉がなんなのかですが、確かですね、1983年に、ジョージブロウンという人がはじめに横山東洋夫氏に語った事ですよね。で、いつ頃だったか、今世紀初めに、「神は死んだ」という言葉を残して死んだ有名な哲学者がいたんですが、それは私流の解釈でこじつけますと、この市場社会というのが、爆発的に拡大して人間共同体を破壊して行くと、そういう現状を見てですね「神は死んだ」と、そういう言葉を残したのではないか。で、ジョージさんという青年はこの市場社会の最先端であるアメリカで、こつこつ一生懸命働いていた人で、だからこそ「一人だけれど一人じゃ無いんだ」と、こういった台詞が出てきたのではないかと、こういうふうに私は感じました。これを最初に耳にした時、どの様な感想を持たれたか、ちょっと語って戴きたいのですが。「一人だけれど一人じゃ無いんだ」と、そういうふうに叫んだ様な状況ですよね、ジョージさんが。

【宮内】・・私は立派な事だと思いますよ。そういう考えを皆さんが、地球上の一人一人が思ってですね、そういうふうに生きていく事は非常に素晴らしい事だし、立派な事だというふうに思いますけどね。

【編集部】・・非常にアメリカ的な発想だという事を、感じられたと聞いておりますが。

【宮内】・・アメリカ的とか、日本的とか、ヨーロッパ的とかいろんな言い方をするんですけれど、人間というのは皆同じだというふうに考える人が多いのですが、私は世界中ずうっと廻って来て、人間というのは皆同じでは無いな、という風に僕自身は考えているんですね。

【編集部】・・ほう…

【宮内】・・つまり人種差別というのは、これをしてはいけないのですけど、区別はしなくてはいけないと思ってますので。僕は人間というのは夫々、種類があるとすれば、種類毎に区別をしなくてはならないというふうに考えている方なので、一人一人が、自分達が自覚を持ってきちんと区別をして、皆と一緒にしていくというのが必要なんだろうなあと思いますよ。

【編集部】・・テレビ界で成功されていて、どんどんそっちの世界に行った人も大勢いらっしゃいますよね。「太陽にほえろ」は絶頂期にはすごい視聴率でしたから。私も土曜日になると学校で刑事ごっこを良くやっていましたからね。そこから環境政策に軸を大分移されて、自分のエネルギーを投入する様になった。世界中をまわったということですが、どの様なきっかけで世界中をまわったのですか?

【宮内】・・それはやっぱり芸能界のテレビの番組で、世界の秘境を中心に、世界中をまわらせていただいたんですね。

【編集部】・・世界中というと、どの位の地域をまわったのでしょうか。

【宮内】・・国で言ったほうが今の人には分かり易いから、86カ国をまわらせていただいて、地球の北から南から、東から西からと隅々まで自分で見て体験してきたというところですかね。

【編集部】・・それをみて環境問題に関わりたいという意識になったのですか。

【宮内】・・環境問題にかかわりたいというよりも、それをみて、我々の生活というものが、市場の問題も含めて、幸せになる為に人生を歩んでいるはずなのに何で不幸になるんだろう。根本的な問題は何処にあるんだろうと疑問を思いますよね。そこから段々と自分が人間らしく生きていきたいなあと思ってきて、歩んで行くと、自然に環境の方に足が向いてきたと言う事が正確だと思います。

【編集部】・・それが、国連等とリンクした環境政策に行くという周囲のきっかけがあったんですか?

【宮内】・・きっかけはめぐり合わせの様なもの。知らないうちに国連と、いろいろと関係ができてしまった。じゃあこのまま行ってしまおうかと、普通に歩いていると、誰かと会って、気が合って、じゃあこっちに行ってみようかみたいなことって、よくあると思うんですよ。なんかその様な事の連続があると、だんだん自分だけで歩いているのでは無いので、色んな人と交わりながら歩いているので、自然とそういった科学反応を起こしていく。そして動いてゆくというようなことだと思います。

【編集部】・・ALОNE TОGETHERは個人が発した言葉ですが、一種の人間の社会、共同体は利害調整が究極の目的ですね。生物というのは出来るだけ一杯セックスをして、子供を一杯作って繁栄したいという、個人の欲求をものすごく持っている。だけど一人では生きていけないので共同体で生きていく。その為に利害調整をやらなくてはならないわけですよね。市町村・国連もみなその為にある。この言葉に潜んでいる無形の価値にはそういった行為の哲学があるのではないかと、私は思うんですね。
環境政策に関わっていて、その前にまず環境というのは、宮内さんの個人の中でどういう概念なのか?ちょっと理屈っぽい質問なんですが。

【宮内】・・そんなに難しい事では無い。人間というのは動物的に言うと、どうかなあ、動物には単体で生きていく動物もいる、「トラ」とか。後は「シマウマ」や「ライオン」とか群れをなしている生き物がいる。単体で生きるものと群れをなすものがある。人間は群れをなしていく、「さる」なんかもそうだ。群れをなすとはどういうことかと言うと、動物は皆、利害関係でくっついている。ライオンなんかは「百獣の王」と言われ、オスが一匹いて、そこにメスが数頭いるという形で、メスが獲物を捕まえて、一番最初に食わせるのはオスに食わせる。
オスは何もせず、セックスしているだけ。そこに何の利害関係があるのかというと、メスや自分の子供も含めて、自分達の家族を守るという大きな役目がある。オスが年を取ってくるとメスは、若いオスを見つけて喧嘩をふっかけさせる。年老いたオスは逃げていき、新しい王が出来るという仕組みになっているわけです。これは今迄の人間が生きてきた歴史そのものなんですよ。

【編集部】・・全くそのとおりですね。

【宮内】・・しかし何故、人間にはそこに言葉があり、意思の疎通があり、そういった事を多くの動物の種類の中で、唯一それがあるんだろう?と言った時に、それを超える何かがあるんだろうと思うんですね。ですから人間というのは、いわゆる市場と言うかその一言で片付ける事ができない大きな使命を持っているんだろうなあと思っていますね。

【編集部】・・人間が大きな使命を持っているという事は、他の動物とは明確に違う所を持っている?

【宮内】・・それが何なのかという事を、実は人類がいろんな科学とか哲学とか、いろんな事を駆使して、発見しようとやってきた。



【編集部】・・環境全体から見ると、例えば地球全体からすれば、人間とは、ほんの表面に存在する塵の様な存在ですよね。地球全体からみれば。例えばどこか、火星人とか木星人とかやってきて、面白い球体だなあと雑談したとすると、人間の存在なんかに気づかないと思うんですね、おそらく外から見ているから。天体の運動というのは、クライマックス・サクセスションと崩壊を繰り返しながら、地上の生物共同体も、クライマックス・サクセスションを繰り返しながら、ずうっと続いている。ほんの僅かな1ページと言うか、もう泡の様なはかない存在という表現も出来る。にもかかわらず一種の特異な他の生物とは違う特別な使命があるとしたら、それは永遠の中のコンマ何秒が、他の時間よりも違うことになりますよね。

【宮内】・・もちろんそうですよ。

【編集部】・・そういう考えに到達したのはどういったきっかけなのか?根拠は何でしようか?

【宮内】・・根拠は自分のお袋ですね。お母さんですね。それでほとんどの人類が忘れているというのは、お母さんの力ですよね。

【編集部】・・ん〜〜ん、お母さんの力ね、意外な話ですね。

【宮内】・・お母さんの力というのは、やっぱり軽視している所があって。私は本当に不思議なんですが、孔子とか孟子とか、みんな偉い先生達の意見を聞きたがるんですね。孔子とか孟子とかの本が最近ベストセラーになりましたね。それから後哲学者ですね。ソクラテスも含めて、とにかく偉いと言われている先生の話や意見を聞きたがる、という癖があってですね。お母さんの意見を聞くという事をしない。

【編集部】・・それは日本で接した人がそうですか?

【宮内】・・いや世界中がそうだ。そうでなきゃ哲学者の本は売れませんよ。
聖書がベストセラーには絶対になりませんよ。つまりキリストの意見は聞きたい、宗教もそうですよね。荘子の意見は聞きたい、もうそれが人類に救いなんだと。でも自分のお母さんの意見を聞きたいという人は殆どいないですね。お母さんの意見を何で聞かないのだろう?

【編集部】・・お母さんの意見ですか?

【宮内】・・私はお母さんの意見を聞いて、それがきっかけでそういう発想に段々なってきたと言う事です。

【編集部】・・それは相当豊かな情操を持っている方なのではないでしょうか。

【宮内】・・いやそうじゃない。うちのお袋がですね、どうでしょう、家のお袋のところに、今迄年賀状が届いた事が無いですね。ということは友達が一人もいない。

【編集部】・・ほう、私と一緒ですね。

【宮内】・・近所付き合いもほとんどしていないですね。

【編集部】・・どういったライフスタイルの方なのですか?

【宮内】・・良家のお嬢さんで生まれて、内の親父が金持ちだったので何不自由無く生きて、非常に潔癖症で殆ど友達もいず、僕のことが大好きで、それで去年の10月に亡くなりました。そういう女性ですね。

【編集部】・・どういったコミニケーションだったのですか?

【宮内】・・きっかはね、お袋が死んだのが92歳でしたが、死ぬ少し前に僕がお袋に一つお願いをした。僕はお袋に一度も何かをねだった事が無いんですよ。

【編集部】・・それは珍しいですね。

【宮内】・・一度もないですね。例えば何かを買ってあげようか?と言っても「いやいい」と言う、そういうタイプだったんですね。僕の方から何かを買ってくれとか、こうしてくれとか、一度もないんですよ。

【編集部】・・一度も?小学生のときから一度もないんですか?

【宮内】・・ねだった事は一生の内、一度も無い。小さいときの事は自分は記憶に無いが、そういうふうにお袋からきいている。
紙の飛行機を買ってくれとかも無い、小さい頃から物に対する執着が無かった。お袋が死ぬ少し前に最初で最後のお願いをしたんですね。

【編集部】・・ほう、どんな?

【宮内】・・死んだ後はどうなるか教えて欲しいと言うお願いをしたんですよ。でお袋から、何でそんな事を聞くのと言われ、死んだ後がどうなっているかが分ったら、人間は人生が全く違うんだ、死んだ後がどうなっているかが分からないから、人間は人生を迷うんだ。死んだ後はどうなっているのか、死んだ後に必ず教えて欲しい。真剣に頼んだらお袋が暫くして「よし分った」と言って、それから死んでいった。

【編集部】・・「よし分った」と言うまでどの位の時間があったのですか?

【宮内】・・ほんのちょっとの間です、電話を取るぐらいの。即断です。それで死んでいったのですね。その後色々な事がおきて、「あっ、こういう世界なんだなあ」というのが僕は分った。

【編集部】・・どんな事がおきたのですか?

【宮内】・・色んな事が起きましたよ。物が消えたり又出てきたり、それから壊れた物が直ったり、色んな事がありましたけれど。



【編集部】・・それは言葉ではなかったわけですか。

【宮内】・・言葉じゃないですね。それを分析すると死んだ後というのは、一つは時間と空間を越えるという事があって、物質的なのもがね、いわゆるいま考えられているクオークという一番小さな素粒子よりも、もっと小さな素粒子の世界だっていうのが良く分かった。それがいわゆる光よりも早い素粒子より、今現在発見されている素粒子よりも、もっと小さな物が、人間でいうと可視光線というのが紫から赤まで、この狭い範囲、人間はこれしか見えないんですね。所がそれ以外の部分というのは広大に在る訳です。その部分が死んだ後に広がっている。
それが、うちのお袋が色々とやってくれた結果を総合すると、そういう世界なんだなあと思える。

【編集部】・・何かしら記号化して解読したという...

【宮内】・・記号というか、実際に現象が起きている事を、どうしてそういう現象が起きるのかという事を、物理的に突き詰めて考えていくと、もうそれしか考えようがない。なるほど、ああなってこうなっているのかと。じゃあ死んだ後はこうなるんだなと。その中で僕が一番感じたのは、小さなクオークよりももっと小さな素粒子で、まだ人類が発見していないですね、その素粒子が質量が無いから光よりも早い。その素粒子が動く時の原動力は何かと思った時に、それは人間の思いだったのですね。

【編集部】・・クオークよりも小さい。それは永遠にというか、どんどん小さくなっていくわけですよね。でもゼロには成らない訳ですから...

【宮内】・・いや、ところがマイナスになるんですよ。つまり人間から考えたゼロというのは、光の速度というものがありますね、光の速度はこれを超えられるものはないんだと。つまり光の速度に近づけば近づくほど、質量はどんどん大きくなるから光より早くなる事は無いんだという前提からきているんですね。

【編集部】・・クオークよりもさらに小さいものに到達しても、更に小さい物はまた別の物からできているから...

【宮内】・・いやそれはもう、人間の非常に浅い知恵です。

【編集部】・・ああ、これは非常に浅いんですか...

【宮内】・・例えば物凄く好きな人がいるとしますよね、親子でもいいですよ。お父さんお母さんが地球の裏側にいるとしますね。その時に自分の子供が死刑になるとか、殺されるとか、「もうだめだ」といった時の瞬間がありますね。その時地球の裏にいたお母さんに、分ったという事があったとしますよね。

【編集部】・・そういう例が、どこかであったと...

【宮内】・・いや、例えばの話。ありそうな話ですよ。つまり自分の子供が「あっ、殺されるのではないか」という不吉な予感を感じたとしますよ。そこがね、これは科学では証明できないのです。あなたがおっしゃったみたいに、どんどんどんどん小さくしていったって、それは物でしょうという。宇宙もそうだけど宇宙の果てってあるのですか。ずうっと先まで行っても、まだその先はあるはずだという話になってくると、それは堂々巡りの話になってしまうわけ。

【編集部】・・じゃあ途中から全く違う世界、時空という人間がいつも目にしている、そして理論化している世界から、違うエネルギーの世界みたいなものに、クオークよりも小さい素粒子を超えると、変化しているというのでしょうかね。

【宮内】・・結局、光というのが何で限度があるかというと、光と言ったってスピードがあるわけですよ。秒速30万キロメーターを行くわけですね。光というのが、人間が生きてる中の一番早いスピードですよね。それ以上の物はいまのところ無いわけで、理論的に言っても、アインシュタインが言った「光を超えてるものは無い」という、人間の考える思考限度が一秒間に30万キロメーターなんですよ。ところが死んだ後というのは、それ以上のものだから、そこをどんな世界なのかと言う事を哲学者も宗教も皆が研究しているわけですね。でも、それをお母さんがパッと教えてくれたら、それでOKなわけですよ。と言う話だったのです。

【編集部】・・う〜〜ん、そういう素晴らしい力を持ったお母さんは、なかなか居ないんでは...

【宮内】・・いや、いないんじゃなくて、僕は聞けばいいと思うんです、死ぬ前に。とにかく教えて欲しいと。そうしたら、僕はほとんどのお母さんはやってくれると思うんですよ。だけど、聞かないでしょう皆さん。死ぬ前に、死んだら必ず教えてくれと、「死なないで」とは言いますよね。死んだ後の事は言わないじゃないですか。

【編集部】・・そうですねえ...「死なないで、と...それで、ああ死んじゃったか」と。

【宮内】・・それで、ほとんど例がないと思うんですけど、僕は聞いたんですよ。死んだら必ず教えてくれと。それでいままで一度も御願いしなかったでしょ、と。「だから最初で最後の御願いを言うんだけど、死んだら必ず教えてよ」と言ったら、ほんとに教えてくれたわけですね。だから、それで僕はさっき言った、お母さんが一番力を持ち、一番自分が信用できる。例えば孟子、孔子にしたってね、それはやっぱり他人だしね、自分を生んだわけではないので、キリストだって生んだわけではないので、自分が信用できる人、物、全ての中で一番信用できるものは何かというと、やっぱりお母さんだろうと、それ以外に無い。そうすると、お母さんが哲学者であり、お母さんが神であり、お母さんが全てであるということは、もうこれは明白だなと思っています。じゃあ何故、お母さんに聞かないの、ということですね。

【編集部】・・それがきっかけで、人間が特殊な存在であるというふうに、お思いになると...


 

(第二回・・BE☆SEE11号掲載分)

【編集部】−−宇宙って無限だと言うけれど、物凄く小さな存在で、こんな宇宙は無数にあって...

【宮内】−−それはそう言う人がいるんですよ、宇宙は無数にあるという学説があるんですけど。だから宇宙というのは無限にあって、一人の人間の死というのは物凄く大きいもので、死んだ後の世界は凄く大きくて広いと感じたわけですね。だから自分の、死んだお袋が教えてくれた、そこから見ると、宇宙なんてこんな豆粒みたいにみえるわけですね。丁度2次元から3次元に移る様なもので、3次元から見たら、2次元の世界なんて本当に豆粒みたいなものでしょう。

【編集部】−−扁平で情報量が非常に少ない。

【宮内】−−そういうものなんですよ。ところが次元が一個変わると、つまり2次元から3次元を見ると膨大な世界が広がっている。それと同じ様な事で、今の我々が生活している次元からみると、宇宙は物凄く膨大だけど先の次元からみれば、宇宙なんて本当に小さなものだと言う事が良くわかる。

【編集部】−−ただ原理としては光よりも早い素粒子を使った世界が一個あると。

【宮内】−−だから僕は不思議だと思うのはね、人間は何で動いているものだけが生きていると思うのか?例えば、石は生きてますか、死んでますかと言ったら生きていると言う人は殆どいない。

【編集部】−−勿論それは生きているという定義から外れている。

【宮内】−−これ(机の上の皮財布を指して)がどういうことになれば生きているという定義になるのですか?

【編集部】−−それは二つあると思います。非常に狭い範囲の生物学的発想から言うと、意志を持って自己運動をして、自己再生産をすると、ここらへんが生き物だという、非常に狭い生物科学の考えで言うとそうなる。だけどももう一つ、大雑把な広い定義として、自分で動いたら生き物だと、そういう考えもあるわけですよね。

【宮内】−−僕が考える、生きてるだの生きてないだのの大きな違いはね、僕はやっぱりこれが何でできているかということですよね。人間もそうですけど、いわゆる分子の集まりですよね。分子って何かっていうと、原子の集まりですよね。原子は何かというと原子核と電子ですよね。原子核の周りを電子がぐるぐる廻っていると、そこまでは科学でも証明されていますね。ところがいつもみんな共通しているのが常に原子核の周りを回っている電子が、他の原子の電子と交換をやっているんですね。常にやっているんですよ。つまり情報交換やっているんですよ。

【編集部】――なるほど。

【宮内】――で、これは物質全部そうなんですね。だから物質ってじっとしていないんですよ。つまり、原子核の周りを電子がぐるぐる回っているわけ。常に回ってて常に近所の電子を一個か二個を交換し合っているわけですよ。そういう状態がずうっとやってて、ここにあるんだけど、いまでもこれやっているんですよ、こん中で、電子の交換を。人間の身体もそうなんですね。で、僕はこれを生きているというふうに言ってもいいと思いますね。で、これには意志が無いわけですね。人間には意志がありますよね。でそれは何であるかというとですね、脳がありますね。私はうちのおふくろから教えてもらって感じてくるんだけど、いまだに進化するんですが、一番人間が最悪なのは、脳でものを考えると思っているんですね。

【編集部】−−脳で考えるというよりは全身で考えるんじゃないですか?

【宮内】−−そう、つまり脳で考えるのではなく、脳はサーバーなんですよ。これが単なるサーバーであって、全身の電子が交換しますね。この交換をする交換の仕方によって、どんどんどんどんいろんな事を考えて行くんですね。だから細胞一個一個が物を考えているんですよ。細胞で考えたものがサーバーに来て、サーバーはただ命令するだけなんですよ。右手を動かせとか、左手を動かせとか、命令をするだけなんですよ。実際に考えているのは、実は細胞なんですよ。

【編集部】−−それはあり得る話ですね。

【宮内】−−で、その細胞というのは何から作られているかというと、原子核と電子からできているわけですね。そうすると原子核と電子のやり取り、それが激しいときとゆっくりの時と、数が多い時と少ない時と、それによって考え方がずいぶん違ってくる。

そうすると、これ(皮財布)だって考えているわけですよ。ただサーバーがないから自分で動こうとしないだけですよ。

【編集部】−−なるほど。

【宮内】−−それだけの違いだけなんですよ。だからこっちも生きてる。これも生きてる。こちらは脳がないから動かないだけ。脳はだだサーバーで右手を上げろとか左手を上げろとか言っているだけで、その人は脳がないから上げようがないだけ。ただ生きていることは事実。物は考えてますね、きっと。

【編集部】−−自己組織化ということはできないわけですよね。

【宮内】−−自分で何かをする行動はできない。だから石なんかそうですよね。よく、石を置いておくと、ものすごくいいことが起きるなんてことがありますよね。石を御神体とかにしたりしますよね。それはこの証明ですよ。つまりこの石は死んではいない、生きているものだと、だから人間も何となく感じているだけですよ。ほんとの生命というのはね、どこにあるのかということを何となく感じるわけですよ。ただ、ほんとの生命というのはどこにあるのかっていうことを、証明できないんですね。それで哲学者とか科学者とか、神とか宗教とかと言って、いろんな方向に手探りするんだけど、結局答えをもっているのは自分のお母さんということだと思うんですね。

【編集部】−−はぁ〜なるほど。

【宮内】−−で、僕は自分のお母さんに聞いたら一番早いだろうと思って聞いたら、ほんとに答えを教えてくれた。

【編集部】−−それは非常にいい人間関係だったわけですね。親子の関係として非常に安定していて。

【宮内】−−ただ、誰も聞かないから始まらないのであって...

【編集部】−−聞けば始まる。例えば父親は無理かもしれないけど、例えば非常に仲のよい女の兄弟がいて、先に死ぬとしたら、聞けば教えてくれるのかもしれないですよね。

【宮内】−−そうかもしれないけど、僕はお母さんが一番いいと思う。何でか、というと自分が苦労して生んだから、“思い”が全然違うから。

【編集部】−−母親というものは、子供と会うだけで無条件に大喜びするところがありますよね。

【宮内】−−とにかく、その子の存在だけで自分の存在を認めるというところがあるのでね。これほど強い“思い”というものを持っている者は、この世には存在しないと思っているんですよ。そうするとその“思い”というのがいわゆる、来世というか次の次元に行くキーだと思うんですね。

【編集部】−−なるほど。

【宮内】−−だから、僕の予想では“思い”というのが、さっき言った小さな素粒子、光よりも速い、つまり質量のない素粒子、それを操作する一番の原動力だと思うんです。

【編集部】−−ということは、他の生物にはそういうものがないような、推測をされている?だからこそ、人間は特殊なんだということですね。

【宮内】−−そこまでは他の生物もあると思うんですよ。ところが他の生物にないものは言葉なんですね。つまり一番大事なことは“思い”というものと、言葉という技術ですね。この両方が揃っているというのが動物にはないと思う。動物には“思い”はあるんですよ。それは子供に対する“思い”というのは、人間と同じように持っていますよね。でも、そこに道具がない、さっき言ったサーバーがないと。これもサーバーがないから、自分で動けない。だからそこに、道具、技術がないから行動できない。人間は言葉という技術をもっているから、どんどん行動できるんですね。そこの大きな違いがある。だから人間ていうのは行動するじゃないですか。自然に逆らったり、色々なことをするじゃないですか。

【編集部】−−なるほど。とすると、体験上いまのところ考えている環境というものは、人間主体環境系である...?

【宮内】−−人間主体というか“思い”主体と言ったほうがいいかもしれません。

【編集部】−−“思い”というエネルギー自体なんでしょうかね。それが主体とした環境系だと。

【宮内】−−人間と動物を別ける、これが生命じゃなくてね、人間が生命だという、そういう考え方は捨てちゃって、“思い”というのが必ずあるはずだと、その“思い”を人間というのは脳があって、脳と言葉を持ってて、サーバーが行動をどんどん起こしてゆくんだと、だからサーバーが無ければ行動は起きない、でも“思い”はあるんですよ。だから何もしない石がですね、いろんな効力を持っているというのも同じです。石だってなんだって、“思い”はもっているはず、だけど行動ができないだけですね。

【編集部】−−すると今の次元のこの世界ですね。これは違う次元で生きている人間のごく一部、ほんの一部?

【宮内】−−ほんの爪の先ぐらいのものじゃないですか。

【編集部】−−でも、現実に生きている次元でとりあえず、我々は幸せになるために何かしなければいけないと。

市場経済が中心となってね、資本主義システムというのが西欧ではじまって広まったのは、人類史上の失敗だったのではないかというふうに言われているわけですよね。でそれが今例えばですね、中学生ぐらいの女の子が、お金が欲しい時にですね、服を脱いで、パシャッと写真を撮って、インターネットにアップする。買い手がついてそれで三千円とか五千円とかお金になってしまう。それぐらい子供の生活は破壊されてしまっている。

環境とは今お話された内容だと思うのですが、子供の情操教育に非常に力を入れている。今(三次元)の話になりますけれど、どういったことをこれからやっていきたいというか、戦略みたいなものがありますか?

【宮内】−−まず子供というのが生れてきて、大人になっていくのだけれど、さっきおっしゃったその、自分の裸を見せてお金をもらうという子供と、そんなことはいけないんだという子供と、じゃどっちのほうが幸せになれるかというとね、これはなかなか難しいことでね。

例えば僕の知り合いでね、ある有名なお店の主人がいるんですね、で彼は料理人で、フグの刺身を食わせるすごい料理人なんですよ。彼が一代で築いた有名なお店があって、五十半ばですかね、ですからもうバリバリでしょ、五十半ばのバリバリの男が、フィリピン・クラブのある女の子に恋をしちゃったんですね。

【編集部】−−よくありますよね。

【宮内】−−で、その旦那は店を捨て、妻子を捨てフィリピン女性と一緒に、六畳一間のアパートに引越しちゃったんですよ。

【編集部】−−それはめずらしい方ですね。

【宮内】−−で、その後、その旦那はフィリピン女性に捨てられて、一人で暮らしている訳ですね。元の家に戻ろうとしても、家族全員が拒否なわけですよ。

この人を幸せと言えるかどうか、難しいんですよ。つまりね、一度も恋もせず一生懸命、真面目に働いて、さっき言った破廉恥な恋もしないで、一生を終えた人間を幸せと言えるかどうかなんですよ。

僕はね、幸せという視点がどこにあるかという問題なんだけれども、その人が一生恋もしなかったと、しかしフグをつくることに関してはものすごい“思い”を持っているというんであれば、いいんですよ。つまり人間というのは幸せかどうかというのは、“思い”が強いか弱いかだけなんですね。“思い”が強ければ強いほど、その人の人生は幸せなはずなんですよ。

【編集部】−−じゃあ生殖していっぱい子供をつくるという、いままでの幸せの概念とは違うんですね。

【宮内】−−そう、まるで違いますね。人類というのはいずれ滅んでゆきますからね。いずれ無くなるわけですよ。いくら生殖したって、そのものは長い歴史から見たらほんの一瞬で、人類は無くなってしまうんですよ。

絶対に無くならない物ってあるんですよ。それは“思い”なんですよ。それだけは永遠に続くんですね。だから、“思い”というものをいかに強く、自分の人生の中で、ちゃんと持てたか、これを幸せの一つというのであって、持てなかったらいくら華々しい人生を歩んでも、その人はやっぱり不幸せなんですよ。その違いだけなんですね。だからみんな幸せになりたいという気持ちを、どういう事に向けるかだけなんですよ。だから、先ほどの質問ですが、僕は子供の教育はそうしようと思うんですよ。そこが一番大事なんだよ、と思っているんです。大学が嫌な人は、行かないほうがいい思いを持てる訳ですね。自分の違う興味、音楽とか何でもいいんですけどね。その小さな子供の“思い”が何処にあるかというのを見極めてあげるのが親の役目であって、それができない親はいい親ではないなと思うし、子供がどんなに不良でも、自分の身体を売っても、いつか違う方向に、それがきっかけで行ってくれれば、つまり人間というのはジャンプする時に一回沈むんですよ。だからその沈むのはいいんだと、それはジャンプする前だから、沈みっぱなしじゃダメで、一回沈んでジャンプすればいいのであって、何もしないでスーッと行くよりは、沈んでジャンプするほうがまだいいと、僕は思っている。別に今の若い子達が裸になっても、一回沈んでいるんだなあと思ってやれば、次のジャンプがもっと大きいよと、思ってあげればいいんであって、要は“思い”だから、自分がこうしなきゃいけないんだという“思い”ね、それが分かればいいわけで、それは一個でもいいんですよ。一個でもしっかりとした強い“思い”というものを掴んで次に行けば、そのためには言葉があり、立派な行動をするようになっている。

【編集部】−−じゃあ、言葉が生れる以前というのはどうだったのか?

【宮内】−−言葉が生れたことによって、人間はもっと複雑なものを造れるようになった。複雑であればあるほど人間って面白いんですよ、感動するんですよ。そういう意味で我々が現世でこうやって、お話ししているのもそうだし、やはり自分の“思い”というものを深めるための、そういう訓練をしているだけの話をしているだけであって、その“思い”をしっかり自分で持つと、いうことが次のステップであってね。

【編集部】−−そういう言葉を、メッセージを受け取って、成長して行ける子供というのが段々減ってきているというか。

【宮内】−−それは、親が教育しないからね。昔はそうはしていませんよ。お父さんのことを考えなさいとかね、お父さんを大事にしなさいとかいう、つまり“思い”の教育をしていましたよね。物を大切にしろとかね。だからこれだって生命があるんだぞ、という、そういう教育はしていませんよね。これ、死んでるもんだと、こんなもの使い捨てだと、でも昔はもったいないとかね、それは有難いとかね、そういう教育をしていましたよ、それは全部“思い”ですから。

【編集部】−−そういう教育をする、恵まれた環境が無くなってきたということは言えるんではないでしょうかね。つまり1980年代ぐらいからですね、中曽根内閣の頃からですよ、ものすごい税金を投入して、太平洋ベルトを中心とした都市開発をやった訳ですよね。で、その中で土地投機というのが起きて、庶民の暮らしというのが、不安定になって行った。そこで親の生活というのが、厳しいものになってきた。その結果、子供が安心して成長できる環境が、いま無くなっているのではないかと、そういうふうに考えられるのですけれども。そうなると親にも責任はないし、誰がどうやってもネジを撒きなおすことができないような状態になっているのではないかと、こういう推察もできるのですけれども、その中でどういうふうに子供を守っていくか、情操教育をして、いい方向へ幸せにしてゆくかという、なかなか難しい。戦略が必要になると思うんですね。そこらへんはどういうふうに感じられていますか?

【宮内】−−例えば北朝鮮に家族がいますよね、非常に悲惨な思いをしている家族がいたとして、その時に政治犯がいたとして、お母さん、お父さんが捕まって、収容所に入れられてしまったと、そうするとその子が一人で生きていかなければならないといったときに、ものすごく苦労すると思うんですね。乞食のような状況になって、非常に厳しい生活をする。厳しい生活の中から、一筋の光というか、それはお父さん、お母さんに会いたいというか、自分が生きてれば必ず会えるんだという、そういう“思い”が生じますよね。それが僕は素晴らしいことだと思う。素晴らしい“思い”なんですね。裕福な家庭に育って、お父さんお母さん嫌いだなんて言って、一生過ごした人間と、北朝鮮で過ごした人と、どっちが幸せかと言うと、そりゃあ北朝鮮のが幸せですよ。

だから今、日本が悲惨な状況になっていますね、だんだんだんだん貧乏人が増えて悲惨になる。悲惨になるということは逆に、そういうチャンスもあるわけですよ。つまり、沈んでゆくということは上がるチャンスもあることでしょう。つまり反発をするわけで、人間っていうのは力強いんですよ。そのために脳が発達し、言葉があるわけですから、すごく力強くて、いろんなことに対応できるんですね。だから、氷河期が来たって、ちゃんと人間は生き延びるんですよ。それは脳と言葉があるから。だから、悲惨になればなるほど人間っていうのは、力強くなるはずなんですよ。つまり打たれ強いんですよ人間っていうのは、だから、悲惨だからどんどん沈んでゆくというのは人間じゃない、それは動物ですよ、実は絶滅種ですよ、環境変わればすぐ絶滅ですよ。でも人間ってのは、言葉と脳があってね、唯一言葉という非常にいい道具を持っている訳ですよ。そこで創意工夫する訳でしょう、いろんなことを。その反発力が思いに繋がってゆくから、僕はいいことだと思っていますよ、日本がこんな悲惨なことになっているということは。

【編集部】−−親の世代がどうしようもなくなっているわけですね。

【宮内】――これは、もう落ちるところまで落ちるわけですから。ここから這い上がってくる、この“思い”がね、これがいい人間を育てて行く。だから、これをやらないと、それこそバブルの頃みたいにね、みんな金持ちで、やれロレックスの時計を買ったり、ベンツ買ったりしてね、やってる時代がずうっと続くんだったら、こんな悲惨なことはないと思いますよ、そこには何の思いも無いわけだから。だからローマ帝国が無くなったというのもね、つまりそれと同じ現象ですよ。だから、僕はいま沈んでていいねと、これから大ジャンプする前だねということですよ。

【編集部】−−すると、いまアメリカは日本よりも沈んでしまっている?いや、どっちかわからないですけど、アメリカの場合はインフラが安いので、貧乏人が生活し易いという人もいるんで、どっちが沈んでいるか分からないけれど、大ジャンプするかもしれない。

【宮内】−−人間というのは必ず反発するから。

【編集部】−− するとフィンランドとかスウェーデンみたいに、社会資本政策がうまくいって、家族政策がうまくいってる国というのは、しばらくはいいけれど

【宮内】−−非常に生ぬるい社会だから、ダイナミックな社会じゃないですよね。だからアメリカとか日本のほうのが、エネルギーが強いと思いますよね。

【編集部】−−リナックスのようなものすごいクリエーターが生まれているわけですよね、フィンランドなんか。それでもやっぱり静かな社会で、日本よりもダイナミズムがないというような感じですか、私は行ったことがないので分からないのですが。

【宮内】−−北欧に行ったらすぐ分かりますよ、まず着いた瞬間にね、空港で何て静かな空港だろうと思いますよ。喋ってないんですよ人が、喋ってても小さな声で喋っているんですよ、で、北欧からこんどは南の南欧のほうですよ、例えばローマでもいいですよ、飛行機が飛びますね、空港に着いて御覧なさい、うるさくてしょうがないですよ、みんな喋ってますから、ワイワイ言ってますよ。それで人間っていうのはね、僕は思うけど、やっぱり集団で生活する動物だから、コミュニケーションをいつもとっていなければ、いけないんですよ。

【編集部】−−ほお、じゃ一人で書斎にこもって本読んで賢くなったというのは…

【宮内】−−ダメなんですよ、そういうのは北欧に多いんですよ。つまりガンガンやってね、喧嘩しながらこういう方向に行くというのが一番いい方向、やり方というか。だから時々天才が現れるかもしれないけれど、それは単なる天才であってね、全体から見たら沈んでますよ。

【編集部】−−まあ、要はいいとこまで行って、少しゆっくりと落ち着いているということですかね。ソフトランディングがうまいと言えばうまいんですね。確か社会学者のヴェーバーの紀行文で読んだんですが、イギリスの町でドイツ人の旅行客が居るとたちまち大声が響きわたって騒々しくてイギリス人はみんな眉をひそめると、でドイツ人と同じレストランに入って食事をすると、イギリス人はもうチョコッとしか食べないと、ドイツ人はその3倍ぐらい食べて大騒ぎをして、大ひんしゅくを買うと、わりとドイツもエネルギーに満ちているような、そういう面があるのではないでしょうかね。

【宮内】−−僕は一番、そういう意味でコミュニケーションがうまいのは、ラテン系だと思いますね。アングロサクソン系というのは、どうも個人主義というのが強いような気がしていて、だから、個室があるでしょう、だいたい一人一部屋という、個室文化というのが、あれやっぱりアングロサクソン系ですよ、北欧系ですよね。で、我々アジア系というのは、大部屋系ですから、一つの部屋にみんなで寝るという文化なので、ラテン系と非常に近いところがあるんですね。だからそういう意味では、北欧系とはつきあうのが苦手だけれど、ラテン系と付き合うのはすごくいいなという、ま、日本人が一番いいんだけれどね。つきあうなら、ラテン系ならいいという感じはしますよね。

【編集部】−−時間の観念がいい加減で耐えられないという日本人もいますよね。

【宮内】−−それよりか、無視されることのほうのが辛いですよ。そりゃあ日本人同士のほうが一番いいんですよ、だけどどうしても付き合わなければならないのだったら北欧系の女性よりも、ラテン系のほうがいいという話であって、だから僕は民族同士は付き合わないほうがいいと思ってるんですから、もともと。まあ、ラテン系が今のところ一番近いかなというところがありますよ。

【編集部】−−なるほど。

(第三回・・BE☆SEE12号掲載分)

【宮内】――やはりアジア系にかなうものはない、というふうに思っていますからね。

【編集部】−−アジア系、そうすると西アジアあたりまで

【宮内】−−そこまで行くとちょっと違うけどね、まあ、せいぜいタイ、ネパール、インドくらいが日本人にあっている。

【編集部】−−エネルギーもある?

【宮内】−−エネルギーはどうかな。長い歴史を見ると、アフリカで人類が生まれましたよね。DNAを調べてね、証明されている。アフリカで生まれた事は事実だと、そこから人類は広がっていくわけですね、あれは人類が広がったのではなく、人類が逃げたんですよ。

生まれた所から移動するって事はね、必ず理由がある。自分が生まれた所が一番いいに決まっている、そこから移動するっていう事は何か理由がある。残ったヤツと移動したヤツがいる。残ったヤツが勝利者で、移動したヤツは敗戦者なんですよ。

【編集部】――イラク人は敗者でイエメン人は勝利者ですか?イラク人はイエメンからの移民がメインですよね!

【宮内】−−だから、僕の言った長い歴史というのは、政治的なことではなく、人類発祥の歴史を言っているわけで、アフリカで生まれた事は事実だから、そこから移動するということは逃げることなんですね、弾き飛ばされるわけですね。で、どんどん逃げるんだけど、北の方で言うとヨーロッパの方へ逃げるという、ところがヨーロッパはそこから先は海ですからないわけで、あとはもう東しかないんですよ、どんどん逃げて一番最後が環太平洋なんですよ。逃げて、一番最後の最後はそこへ来るわけですね。だから人類の歴史から言うと、東が一番弱い人種なんですよ。

【編集部】――一番弱いにしてはやけに成功している。

【宮内】−−暴力的に一番弱いわけ、つまり腕力が弱いと言う事ですよ、喧嘩が弱い。喧嘩が弱いと逃げるわけ。

【編集部】――喧嘩が弱いという意見と、ヨーロッパ、北欧に行く事で、だんだん体格が良くなって腕力が強くなったと、そう言う二つの考え方があるのでは?

【宮内】――いや、どう考えたって黒人にはかなわないですよ、それが証拠にスポーツをやらせたら黒人が一番ですから。ボクシングだって一番強いのはやっぱり黒人ですよ、アフリカ人ですよ。

【編集部】――なるほど。腕力的に?

【宮内】――喧嘩が強い。喧嘩が強いのはね、やっぱり残っちゃうんですよ。

ところが、喧嘩が弱いヤツは逃げるんだけど、違う力をつけるわけね。弱いヤツと言うのは自分を防御しなくてはいけないので知恵とかいろんなものを身につける。だから東に行けば行くほど、言葉の数が増えるんですよ、日本語なんて凄いでしょう、言葉の数が。

【編集部】――東に行けば行くほど、言葉の数が増える?

【宮内】――一つの事を言うのにものすごい言葉を使うわけですね。

【編集部】――それは例えば、関心のある事に関してはそうだけれども、関心の少ない事には関してはあまり複雑にはならないのでは。

【宮内】――それは、だってライオンなんか日本にいないから言葉は少ないですよ。

【編集部】――ライオンは獅子とライオンぐらいしかないですよね。

【宮内】――しかし僕の言っているのは物じゃなくて、気持ちを表す言葉ですよ、人間に伝える言葉ですよ。そういう言葉の数がものすごく多いのは東の方が多いわけ、西よりもね。

【編集部】――例えば、ハウサ語とか、マンリケ語とか、一杯アフリカにも言葉があるわけですね。

【宮内】――その種類じゃなくて、一つの言語の中に、一個の事を表現する言葉の数が。例えばジャンボという言葉がありますよね。

【編集部】――それ、スワヒリ語ですよね。

【宮内】――そうスワヒリ語で、ジャンボ。あれはいろんな意味がありますね。一個でほとんどの事がジャンボで済んでしまう。そういうことを、日本は許さないんですよ。一つの事を細かく分けて、この時にはこの言葉を使うとか、例えば“あなた”という言葉でもそうですけれど、日本語は“貴様”という場合もあるし、それから“貴殿”という言葉もあるかも知れないし、“あなた様”と言う言葉もあるかもしれないし、つまり一つの言葉を表すときに、いろんな言葉の言い表し方をもっている。それは何でかと言うと喧嘩に弱いからですよ。喧嘩に弱いからいろんな言葉を使って逃げなくてはいけない。

【編集部】――それは例えば、ベトナム・タイ・カンボジア、ミャンマーというかビルマ、インドネシア、こう言ったところの言葉も、そういう心を表現するのに一杯言葉をもっている?

【宮内】――それは、僕は調べたんですけど、大小あるんですね。総体的に世界地図でみると東の方が言葉が多い、種類というか言葉の数が圧倒的に多い。

【編集部】――気持ちを表す言葉、気持ちを相手に伝える言葉?

【宮内】――長い歴史の中に、中国でやった文化大革命みたいに、ああいう事があるわけですよ。ある言葉を使っちゃいかんとかね。政治的にいろんな事があるんだけれど、総体的にみると、東の方が多くて、アフリカの方が少ないと言うのはね、そこから段々段々多くなっていっている。つまりアジア人というのは、喧嘩が弱くて、言い訳が上手くて、ともかく頭の回転が良いという、そういう人種でしょう。それで気が合うのじゃないか、弱い者同士。

【編集部】――なるほど。アジア人はアジア人同士でつきあっていると上手くいく?

【宮内】――だから、北欧とかアメリカとは付き合わない方がいい。

【編集部】――要は必要最低限、個人的には良いかも知れない、個々の人で付き合う人がいるのは。

【宮内】――例えば、イエスとノーしかない国というのはね、日本人みたいに、イエスとノーの間の言葉がものすごくあると言うのは、それは全然文化が違うわけだから。

【編集部】――総体的にみると、英語に比べるとベトナム語の方が気持ちを表す言葉というのが多いわけですか?

【宮内】――つまり英語というのは、気持ちを表さない。できるだけはっきりと物を伝えて、自分の気持ちを単純にしか表現できないような仕組みになっているわけですよ。で、そういう言葉で育つと、そういう人間が生れるわけでしょう。ところが、その中間ばっかり多いというのは、優柔不断な人間が当然生れますよ。優柔不断な人間と明確な人間との違いであって、どっちのほうが人間として、いいか悪いかとは言えないですよ。ただ、どこに視点を置いて、こっちの民族の方が優秀である、ということは言えますよ。悪いとかいいとかは言えないけれど、こういう面から見れば優秀だとか、優秀じゃないとかいう言い方はできる。だけどこれはもう好き嫌いの問題なんですよ。そういう人間が好きだと言うのと、いや俺はね、イエス、ノーとはっきり言ってくれる人間が好きなんだと、これは好き嫌いの問題なんですよ。

【編集部】――例えば英語圏に行った時にですね、なんかイエスのときにリトルイエスとか言ったら、相手は何て思うんでしょうかね。

【宮内】――わからない。それはその人によるよね。まあ、英語なんかでも、こっちは日本的な発想で英訳するでしょう。例えば「そうそう」という言葉がありますけれど、「そうそう」って言うと、中途半端だ、はっきりしてくれって思う人が多いよね、でも日本人はその中間的な事が好きで、その裏にある事をちょっと感じてよ、ていう言い方が好きなわけだから、これは好き嫌いの問題だよね。

【編集部】――東アジア、東に行けば行くほど、日本人が付き合うにはいいけれど、全体としてこれから幸せになって行く可能性がある、ということでしょうかね。

【宮内】――だから、やっぱりチンパンジーはゴリラと付き合わないでしょ。

【編集部】――ああ、そうですねえ。

【宮内】――一緒には住まないでしょう。同じ事だと思いますよ。

【編集部】――環境としては、人間の生活する環境としての東アジアというのは結構いい面を持っている?

【宮内】――日本人としてはね。例えば西洋人が来た時には、あまりいいとは思わないと思いますよ。

【編集部】――大部屋文化というのは、もしかしたら気に入るかも知れない。

【宮内】――だけど大体、みなプライベートいうか、個人のプライバシーを守っているという、そういう思考だから、なかなかやっぱり開けっぴろげにやるというのは確かに少数派ではいますよ。いるけど少ないでしょうね。   

【編集部】――そうすると日本は今、ジャンプの前だけど、非常にジャンプする為のいい材料を持っている。

【宮内】――段々マイナスのエネルギーが溜まってきているんじゃないですか。

【編集部】――しかもそれは東アジア的な、大部屋文化みたいなものがプラスに働いていると言えるのか。

【宮内】――だからそれは大部屋文化が段々崩れてきて、皆個人、一人一部屋みたいな。だから今は自分の子供が自分の部屋で何やっているかわからないという文化ですから、それがマイナスの要因とかを一杯溜めてきて、そのうちバーンと爆発するんだろうという感じがしていますけれど。

【編集部】――それはどういう爆発の仕方かというのはわからない?

【宮内】――革命的な、ボーンとした爆発は日本人は絶対しないので、静かな爆発と言ったらいいでしょうかね。

【編集部】――アクション俳優、劇団活動しているから体について関心を持っておられると思うのですが、今医者は病気だとは言わないのだけど、未病の状態、絶対俺は病気だと思っている人が、ホワイトカラーで7割に達している。それが急増した原因が都市化とIT化で、20年位で急増した訳ですね。大人の世代がそういうふうになっていくと。物凄くマイナスで、社会崩壊の要因にすらなる。これはやはりマイナス要因が溜まってジャンプする前で、悪い事ではないということになりますかね。

【宮内】――人間は健康というものを知る為に、病気にならないとだめなんですよ。病気になって初めて健康の素晴らしさがわかるわけです。今、健康というのは、いかに素晴らしいかということを感じるのではないですか、病気になることによって。未病というのは駄目ですよ、病気にならなきゃ。

【編集部】――もっとどんどん病気になって追い詰められていかねばということですか。

【宮内】――未病というのは中途半端だからね。僕も一回死にかけた事がある。病気で入院して半年くらい、もう死ぬかもしれない。あの時は初めて健康の有難さと言うものをつくづく感じましたから。やっぱり病気にならないと、一生わからないんじゃないですかね。

【編集部】――全くその通りですね。

じゃ、ちょっとガラッと変わって、国連環境計画に関わるようになったというお話、いろんな人とめぐり会って。今国連は非常に大きくお金を動かして環境政策を実行しているという状況だと思うのですが、今の国連の環境政策についてなんかこう、いやこれは良い、これはだめだとか、あるいはもっとこういう風にとか、そういった何か意見がありますか?

【宮内】――国連と言うのは先ほど言ったみたいに、ゴリラとかチンパンジーとか手長ザルとか、皆が集まって決める事だから、妥協案なんですよ。だからいわゆる正解ではない、絶対に正解と言うのはないんですよ。正解と言うのは自分達の民族の中にあって、日本人の考える環境政策っていうのを実践するしかないんですよね。世界共通の解決方法なんて言うのは絶対にないんですよ。ありえないですよ。

【編集部】――今、ヨーロッパのエリート階層の人達が、環境政策をダイナミックに提案して推し進めている。日本の外交はずっと敗退して、協議していても全く日本の望む方向にならなかったと、そして不利な排出権取引を強いられている。負けているわけですよね。そのヨーロッパのエリート層が作ってくる環境政策と言うのは宮内さんから見てどういう風に思われますか?

【宮内】――あれはヨーロッパが作ったものであって、アメリカはアメリカで自分達のやり方で作っていますし、で日本人は日本人のやり方を作ればいいのであって、先ほども言いましたけれど、種類が違うんですよ。種類が違うもののやり方をする、だから国連も中途半端な妥協案しか作れない。だから悪いに決まっているんで、いいわけがないんですよ。だから日本人は日本人の環境政策と言うものを作らなければいけない。そのキーワードは「もったいない」ですよ。

【編集部】――「もったいない」?

【宮内】――それは西洋意識ではないですから。

【編集部】――ケニアの女性の「もったいない」運動というのがありましたが。

【宮内】――あまり「もったいない」と言う言葉は世界中には広がっていませんけどね。

【編集部】――アフリカの一部と日本にはなんとなく受け入れられ、あとは広がっていない。

【宮内】――それは広がっていませんよ。「もったいない」という言葉は日本の言葉ですから、その精神はまずわかりませんよ、世界には。カラオケと寿司が広がったというのは、あれは単なる品物だから広がるけれど、精神は絶対に伝わらない。種類が違うわけですから。

【編集部】――環境外交の敗戦と言うのは、日本の官僚機構というのが全く機能しなくなっている、そう言う所から来ていると言われていますよね。

【宮内】――いや、それは民族的なもので、喧嘩に弱いんですよ。弱いから日本人と言うのは貧乏くじを引くのが運命みたいな物で、だから常に負けているわけです。その代わりその反動が大きいから、それをバネにして日本人と言うのはどんどん強くなるんです。貧乏くじを引けば引くほど日本人は強くなるんですよ。つまり何と言うかたたかれ強いというか。

【編集部】――じゃあ、今貧乏くじを引いていい。

【宮内】――だから逆に宝くじを引いちゃうとろくな事はない。だからバブル、とこうなってくるでしょう。

【編集部】――バブルはやはりアメリカの方からやれやれ言われて、しかも破裂する所まで計算されていたという。

【宮内】――まあ、それはどうかわからないけれど、そんな事言ったら、じゃあ今のアメリカのバブルはどうなんだと言う話になる。経済学者は明日の株価がわからないから、経済とかそういったものを予測すると言うのは不可能だしわからない。それよりも日本人はバブルと言う世界じゃなくて、貧しい世界が向いている。

【編集部】――もったいないと言うのがキーワード?

【宮内】――もったいないというのは、日本人の精神にぴったり合っているんです。バブルみたいにお金を持ってどんどん使ったから、あれをやっちゃったもんだから、あれは日本人には向いていないんですよ。あれをやると家計の崩壊とかになるわけで、だから貧乏なほど日本人というのは強いわけ。だから負けている方がいい。負けるが勝ちってあるでしょう。負けている方が日本人にとって幸せなんですよ。だってずうっと負けている歴史なのだから、負けて負けて最後に日本にたどり着いているわけですから。そういう遺伝子を持っているわけだから、負けないと日本人らしさを発揮出来ない。

【編集部】――じゃあ税金をアメリカの金融資本やヨーロッパに貢いでしまっているような現象は、ぜんぜんかまわない?

【宮内】――全然かまわない、その方が日本人らしい。

【編集部】――必死で働いて労働強化で、家庭を顧みる余裕がなくなってきている。それもかまわない?

【宮内】――それが日本人らしい。さっき言ったみたいに反発する力は日本人はもの凄く持っているから、その反発力をどうやって作っていくかという事は大事ですよ。

【編集部】――それはつまりそういう状態から、苦しい状態から苦しくない状態に転換する時が来ると言うことでしょうかね?

【宮内】――本来で言うとどんどん転換していく人間が増えていかなくてはいけないのだけれど、今はそういう人間が増えてこないのはね、まだまだその辺のことに、日本人の自信と言うか、日本文化の力というのがちょっと弱い、日本人の意識が弱い。自分が日本人だという事の再確認というか、それがまだ出来ていない、そこらへんの力がまだ弱いというように僕は思う。

【編集部】――もったいないに象徴されるような日本文化のエトスみたいなものに気づいていない?

【宮内】――日本人というのは質素な家に住んでね、一つの部屋でね、そこが食堂にもなり、寝室にもなり、リビングにもなる、というような文化をもっているでしょ。それから衝立文化という、一個の衝立を置くだけで部屋が増えるという、そういう文化をもっているわけですよ。その意識をもう一回再確認する、これは教育なんですよ。教育。そういう教育をもう一回きちっとやる、ということが瞬発力を強める、瞬発力を発揮する時期を早めると、そういうきっかけになるんですよ。


【編集部】――教育をするための力がないですよね、今は。

【宮内】――今の教育は、個人主義の教育をやっているからね。つまり個人として、個人の能力を非常に大事にしようと、集団の能力というところまでいっていないから、個人の能力を大事にしよう、ということしか言ってないから、それはアメリカ主義っていうか。

【編集部】――かつてはつまり明治以前は、そう言う良い教育があったのかも知れないけど、どうでしょうかね。

【宮内】――いや僕は学校の事ではなくて、家庭の事を言っているんですよ。

【編集部】――家庭の面であっても同じ傾向では。

【宮内】――学校なんかは勉強を教えるだけで、江戸時代は寺子屋と言って読み書きそろばん、僕はそれで十分だと思っていましたよ。家庭内で個人主義というか、お父さんはお父さん、子供は子供だよという、そういう教え方というのがいけない、と言っているだけですよ。

【編集部】――そういう風潮になってきたのは、近代になって以降ですよね。

【宮内】――我々の世代が悪いんですけどね。つまり「一緒に飯を食って一緒に寝るんだよ」っていう教育を、ずうっとやってきたんだけれども、それをやらなくなったということですよ。一緒に飯を食って、一緒に寝れば良い教育になるのだけれど、それをしなくなったというだけの事です。

【編集部】――なるほどそれはシンプルですね。

ところでウェブサイトを拝見していると良い野菜は枯れて行くけど、本物じゃない野菜は腐ってしまうというコメントがありましたが。

【宮内】――そうですね、だから有機が一番腐りやすいですよね。お金を使って育てると、大体野菜は悪くなる。

【編集部】――今、先進的農家の方はウンチとか一生懸命入れて有機野菜を作っている。

【宮内】――ああ、だめですね、あれは。

【編集部】――これこそ私の汗の結晶だと、堂々と誇りを持って毎日必死でやっているわけですよね、これはあかんわけですか?

【宮内】――人間の一番の欠点は、自分が一番偉いと思っているから生命も作れるんじゃないかと思っている事ですよね。例えば犬なんかそうだけど、犬の鼻、臭覚、耳の力は人間の数千倍の力を持っているわけでしょ。犬から見たら人間なんていうのは能力が低いなと、走ったって負けるわけでしょう、犬には。

【編集部】――負けますね。

【宮内】――それだけ能力の違いがある。動物なんかと比べたら、人間は全然ダメなわけですよ。ただ単に言葉を喋れるという能力を一個持っているだけで、それだけ能力には違いがある、だから偉くも何ともなくて、現に植物なんて何千年も生きるわけでしょう。

【編集部】――4千年位生きているようなのがありますよね。

【宮内】――記録でね。人間はせいぜい百年位で死んじゃうわけですから、能力的には非常に低いですよ。でそれを凄い能力を持っているんだと思っているから、ああやって栄養をやればいいんだという発想になるわけで。

【編集部】――栄養をやると確かに大きくなる、収量がアップしますよ。

【宮内】――そういう時にはね、しかし人間もそうですけど飯をガンガン食えば、相撲取りもそうだけど太りますよ、いい体になりますよ。でもみんな病気になっちゃいますよ。だいたい糖尿病とかね。健康な人というのはあんまり太っていませんよ。だから、どんどんやって大きくなればいいんだと言うのは大きな間違いで、適正というのがあってですね、それは植物は適正というのを自分でよく知っているんだけれど、無理やり飯を食わされるものだから、病気になっちゃっているんですよね。

【編集部】――今八百屋に並んでいる野菜は病気野菜だと?

【宮内】――病気野菜が多いですね。

【編集部】――それを食べて毎日一生懸命、少しでも安い所を探して、みなさん苦労して買い物をして食事に使っているわけですけれども、そういう生活というのは...

【宮内】――私は自然耕の野菜を食べていますから。

【編集部】――自然耕?有機を全然入れない?

【宮内】――入れない。

【編集部】――窒素を入れない?

【宮内】――何にも入れない。

【編集部】――それは、美味いものなんですか?

【宮内】――美味いですよそりゃあ、全然違いますよ。

【編集部】――相当高いものなんですか?

【宮内】――高いですよ、有機の倍はしますよ、だから普通の野菜の6倍位。でも今はもう少し安く手に入るようになりましたね。

【編集部】――普通の野菜の6倍?ハァー、そういうのを作っている農家というのは結構ある?

【宮内】――まあ、少ないけれどありますよ。

【編集部】――う〜ん、自然耕か。関東でも結構?

【宮内】――千葉でもやっていますよ。

【編集部】――千葉?今の日本人の生活では、ちょっと受け入れ難い価格ですよね。

【宮内】――だけど、どこかクラブヘ飲みに行ったり、高い車を買うんだったら、健康や野菜を買ったほうがいいと思いますがね。

【編集部】――無理やり飯を食わさないで上手く収穫して、収量を上げて、それで出荷できるという方法はあるのですか?

【宮内】――ありませんよ。

【編集部】――ないわけですか?

【宮内】――そりゃそうですよ。つまり作られたまんまで頂くという方法論しかなくてですね、無理するという事は、どこかに無理が、しわ寄せが来るわけだから、決まった面積からは決まった物しか獲れないのに、それ以上を採ろうとすると必ずしわ寄せがくるんですよ。それが自然の法則なんですよね。それを人間はやろうとしているわけ、すると必ずどこかにしわ寄せがくる。何かやると土が汚れてしまうんですよ。だから一番良い例がね。川に全部コンクリートを張ったでしょう。そのお陰で洪水がなくなったですよね。

【編集部】――洪水が無くなったというよりは少なくなった。

【宮内】――そう、少なくなったでしょう。

【編集部】――コンクリートを張ったからではないですよね。水路の整備をしたからでしょう。

【宮内】――だから、水路の整備ですね。

【編集部】――それはコンクリートを張らなくても出来たわけですよね。

【宮内】――ところが防波堤といって作っているんですよ。防波堤と言うのは、スーパー堤防です。ここから水の被害が起きないようにしてということでスーパー堤防というのを作るんですよ。そうすると水は100年に一回位しか、まず溢れないんですよ。ところが溢れる事によってね、土が凄くよくなるんですよ。そうするとその土でまたいいものが出来るんです。で、それを止めちゃっているんですよ、人間っていうのは。だから自然の許容量以上の事をすると必ず失敗が起きると言うのはその事で、自然に手を加えるという事は必ずしっぺ返しが来るという事ですよ。

【編集部】――そうするとイラクの河岸みたいに護岸工事とかしないで、ほっらかしにしておく…

【宮内】――それが一番いい。それでそこには住まない方がいいんですよ。

【編集部】――住まない方がいいんですか?住むんだったら何か水上住宅みたいに工夫して。

【宮内】――それでもいいですしね。つまり、川の近くに何故住むかと言うと水が近いというのと、交通網として川は非常に便利である、だからそこに住むんだけど。そうじゃなくてね、そこは住んではいけない所なんですよ。あそこに家を建てたら洪水にやられちゃうんだから。だから住むのはもっと陸の方、山の方に住んで、川に働きに行くんですよ。

【編集部】――なるほど。

【宮内】――だから「昔、お爺さんとお婆さんがいました。お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に」と、そういう事なんですよ。

【編集部】――じゃあ堤防なんか止めちゃって、水辺に住みたけりゃ舟を浮かべて住むと、そういうふうに住居のありかたを全部変えると、何か住宅政策とかひっくり返る。

【宮内】――自然の中に生活させて貰っているわけだから、自分達が自然を管理しているわけではないので、だからそれは大きな本末転倒みたいな話ですよね。

【編集部】――そうすると、居住できる場所が結構限られてきますよね。

【宮内】――限られてくるでしょう、それは当然。

【編集部】――たいてい東京なんかもなくなってね、いま収容能力が一千万人ありますけれど…。

【宮内】――十分の一でしょう。100万人とか200万人とか。江戸時代が100万人でしょう。あの時が一番リサイクル社会で何の環境の問題もなかったわけですから、100万人位がちょうどいいんじゃないですかね。

【編集部】――カイロは訪問された事がありますか?

【宮内】――ありますよ、人一杯ですけれどね。

【編集部】――人一杯だけど街の中で農業をやっている、都市農業が盛んで物凄く効率がいい、ともかくそういう面で住み易い。

【宮内】――いや、あのどっちにしろ今の農業だと、土地に負担が来るので、いずれ破綻はしますよ。作れなくなりますよいずれ。消耗品だから土地がね。土地も生きているって事を知らないんですよね。これも生きているって事は新陳代謝をやっているわけですよ。そこに無理やりいろいろなものに手を加えるって事は死んじゃうんですよ。

【編集部】――アスワンハイダムなんてのは、とんでもない間違いだと。

【宮内】――ダムは、せき止めちゃいけないんだから。川は流れる為にあるんで、せき止めちゃいけない。

【編集部】――もう全然駄目だと。

【宮内】――本末転倒。

【編集部】――昔のような農業をずうっとやっていれば、エジプトも幸せだったかも知れないわけですね。

【宮内】――だから江戸時代が一番進んでいますよね。日本の中で2600年の歴史を見ると、江戸時代が一番、文化と自然がマッチしている頂点と言うかね。それからずうっと下がっていっているでしょう。だからちゃんとした自然保護とか、それからもったいない精神とか、日本人の環境対策というのはちゃんと、日本人らしい物を作っていかなくてはいけないですよね。

【編集部】――何か具体的に、こういうふうにやるんだと言う青写真というのは?

【宮内】――皆さんで考えてもらうより他ないですよ。

【編集部】――宮内さん自身は?

【宮内】――私は、日本列島というこの素晴らしいものをいただいたわけですから、日本列島というものとどうやって生きて行けばいいか、よく考える事だと思います。

【編集部】――まだ具体的に、これをこうやってという具体的な、もったいない精神を頂点とした、日本文化のあり方を進める方法みたいなものは特には?

【宮内】――特にというより「もったいない」という言葉一つだけあれば、あとはわかるでしょう。もったいないという言葉は3つ意味があって、物が無くなって「もったいない」と、それから「いや、もったいないです」という、ありがたいという感謝の気持ち。最後は「おそれ多い」という気持ち、この3つがあるわけですよ。この3つがあればわかるでしょう、どう生きていけばよいかというのが。

【編集部】――なるほど。

【宮内】――そういう事が世界中にないんですよ。一つの言葉でそれだけの事を全部表現できる言葉というのは。

【編集部】――まさに「もったいない」一言で十分だと...。

【宮内】――十分ですよ。その精神さえわかっていれば、自分はどういう生活をすればいいかというのが、すぐわかるでしょう。

【編集部】――わかってない人には、どういうふうにそれを伝えていく?

【宮内】――僕だって十分実践が出来ていないからね。だからそれを伝える、人に、どうしろこうしろって言うのは、まだ言えないけれど、その「もったいない」という言葉の意味さえわかれば、どういう生活をすればいいのかというのはわかるでしょう、という二言ですよね。

【編集部】――勿論身近に具体的に子供と接したり、講演したり、それが一番のメインテーマになるんでしょうか。

【宮内】――いやいやその時によって違う、いろいろな講演があるから、

【編集部】――環境問題の宮内だという事で、呼ばれる場合がある訳ですよね?

【宮内】――だから環境問題だと、向こうが望んでいる事が何なのかによって僕はテーマを変えますけど、テーマというかしゃべる内容を変えますけど、僕から押し付けると言う事はしませんよ。

【編集部】――その中でいろいろとテーマがあると言う事でしょうかね?

【宮内】――環境問題と一言でいっても、物凄く広いものですからね、貧困問題までいっちゃいますからね。そこは、どんな事を望んでいるのか、人によって内容が変わってきますよね。だから環境問題と言われても、環境問題の中のどういったところですか?と僕は聞いて、その部分を話しましょうという事になる。

【編集部】――日本のこれからと言う事になれば、「もったいない」と言う事になる?

【宮内】――「もったいない」一つあれば十分でしょう。あれは本当にマータイさんが言ってくれたんだけど、日本人が気づいていなかったんだけど、非常にいい指摘をしてくれたというか、日本人が環境問題を表現する時に一番適した言葉だなと思っているので、「もったいない」という言葉を一つ言えば、日本人だったら、日本人の頭があれば全員わかるでしょうというような話ですよね。

【編集部】――日本人の頭がなくなっている人が大勢居るのかもしれませんが。

【宮内】――そういう人はわからないでしょうね、そういう人はもう一回、日本人に成る為にもう一度勉強すればいいんじゃないか(笑)。

【編集部】――そこまでは面倒見切れないですよね。

【宮内】――それは出来ない、面倒をみる義務もないし、責任もない。

【編集部】――とりあえず環境問題として行動するということは日本の為にやっている?

【宮内】――日本の為と言うか、やっぱり自分の為でしょうね。自分と家族と、まずそこがしっかりするという事。人類の為といったって一杯いますからね。サルもいればチンパンジーもいる、ゴリラも一杯いるんで全員を救うなんて事は難しいし、救う事も出来ませんからね。やっぱり救うのは自分しかいないから、一番信頼できる人というと、最初の話に戻るけれど、お母さんを大事にするというのが一番大事な事なんで、それは一人の人間が人類を救うなんて事はあり得ないしね。お母さん以外自分を救ってくれる人はいない、と僕は信じていますよ。それで十分じゃないですかね。自分が救われれば。

【編集部】――国連に関わっているけれども、それを根元的にいうと、自分と周りのコミュニティーの為みたいなことになるのですか。

【宮内】――コミュニティーと言うより、基本的には自分ですよ。まず自分を救わなければいけない。

【編集部】――それは日本列島をよくしようという事になる。

【宮内】――結果、自分を救う為に行動している事が、いろいろな方々にいい影響を与えられるのであれば、それに越した事はないと思うけど。皆を救う為にやっているわけではなくて、自分をまず救う事を一生懸命やっていますよ、というふうな、それが波及して、よくなってくれればいいなと思っています。

【編集部】――いいなと思っているけど、特に意識して、こうするんだというようなことを活動してやっていない?

【宮内】――そういうことは必要ないですよね。人間が生まれてきて、死んでいくこの短い間に、まず自分を確立するという事が最低限の責任ですから、それは、お母さんが苦労して生んで育ててくれた恩返しだから、恩返しをするっていう事を、まずきちっとやる事ですよ。それ以上の事はやる必要もないし、それ以上の事は、言ってみれば「おまけ」。

【編集部】――「おまけ」?

【宮内】――「おまけ」ですよ。自分の人生をしっかりやるという事が、一番大事でしょう。あんまり僕は、人にこうあるべきだとかいう事は言わない。皆でこうやろうよという事はあんまり言わない。

【編集部】――子供の情操教育でいろいろと活動するのもそんなに、こう言うふうにした方がいいんだとか言わない?

【宮内】――言わない。

【編集部】――どんなふうな感じで...。

【宮内】――僕はこう思うよと言うだけで、こうするべきだとか、ああしなさいとは言わない。

【編集部】――どんな反応ですか?

【宮内】――いろんな話をするからね、どの話にどんなふうに反応するか。全部反応はしてくれますよ、僕の言うことは。反応はしてくれるけど、それは子供の特技でね、吸収するという特技を持っていて、大人の話は一生懸命聞いてくれますよ。その子供達に何を伝えるかは大人の責任だから。何をしゃべっても感動しますよ、子供というのは。

【編集部】――何をしゃべっても感動する?

【宮内】――感動しますよ。それが仕事なんだ。それでだんだん大人になっていくわけだから。いま吸収だから、どんなものでも吸収しますよね、悪い事も良い事も全て。

【編集部】――特にこの宮内さんの心の中で、これは悪い事だという事はない?

【宮内】――唯一悪い事だというと、お母さんに感謝しない事でしょうね。それしかない。あとあるかな。

【編集部】――たとえば自分をしっかりさせるのが使命だとすれば、自傷行為であるとか自殺行為だとか、自分が薬漬けになって病気になっていくような、生活とか、そういうのは別に悪い事ではない?

【宮内】――それは別に、そんなに悪い事ではない。お母さんに感謝しない事から比べれば、そんなに悪くないんじゃないかと思う。

【編集部】――そんなには悪くない?何か物の数にも入らないような?

【宮内】――まずお母さんに感謝する気持ちさえ持っていれば、思いというか、それをもっていれば、私はそこから出発する事が一番大事で、それを持ってなくて出発するって事は、エゴとか物質欲とか、そういうどうでもいいような事に走ってしまう。自分があるのはお母さんのお陰だという、何かそういったしっかりとした根本を持っていれば、まず走ったりしないでしょうね、そういった事には。自殺する事もないだろうし。あるいは、自殺するにはそれなりの理由があるので、それは自分の力はこれまでだった、ごめんねと言えば済んじゃう話だけど。お母さんに感謝しないというのは、ごめんねでは済まない話だから、これは。つまり自分を創った神に対して冒とくみたいな話だから。それは済まないでしょう。

【編集部】――ALONE TOGETHERというのも、結構な話だけども、もっと大事なものが、宮内さんの心の中にはある?

【宮内】――だから、ALONE TOGETHERというのは、立派なことでいいのだけれども、あまり日本人的な発想ではないように思う。

【編集部】――グローバルな事は日本人は、あまり得意ではないか。

【宮内】――グローバルな事は、人類が全体で考えなければいけない事であって、まず、自分という事と、家族という事と、これをしっかりやってゆくというのが一番大事な事だというのが、私の信条というか。だから、世界を救う前に、まず自分と家族を救えというふうなことかな。

【編集部】――自分と家族を大事に守るためには、やはり世界がどうなるのか関係してくるのでは。

【宮内】――世界がどうなろうと自分と家族がしっかりしていればいい。そりゃあ、北朝鮮みたいなところだって家族はしっかりしていますよ。北朝鮮という国だからこそ家族がしっかりするんであって、だからやっぱり家族愛というか、家族がしっかり信頼を持って生きてゆくということが一番大事な事で、日本みたいにこんなに物がたくさんあってもね、家族が崩壊しちゃうと、それは幸せとは言えないわけです。

【編集部】――なるほど。例えば、自分と家族を守ろうとしてもですね、戦争に巻き込まれる場合もあるわけですよね。

【宮内】――いや、そんなもの、だって家族愛がしっかりしていれば、戦争が起きようが、爆弾が落ちてこようが、それでいつかは死んでしまうかも知れないけれど、家族愛は死にませんよ。

【編集部】――ほお、死ぬ事は問題ではない。

【宮内】――だって、お袋だって死んだけど、僕に対して凄く愛情あるもの。現在もありますからね。それは死なないですよ、絶対に。そういう永遠のものというのを自分で手に入れればね、これ成功だけれど。そういう永遠のものが手に入らなくて、一生永く百何十歳まで生きたってね、意味ないじゃないですか。

【編集部】――じゃあ、グローバルなパワーポリティックなんていうのは、あんまり関心はない。

【宮内】――いや、グローバル?私そんな、自分と家族ぐらいしか愛せませんよ。そんな、じゃあ同じように愛せますか世界中の人を。

【編集部】――たとえば、日本が戦争に巻き込まれたのは、世界の覇権争いに引きずり込まれていったという面があるわけですよね。

【宮内】――それは理由がよくわからない。それは歴史は結果ですからね、その時の理由というのは、それぞれやっぱりありますよ。それを、こうだああだと言ったってやっぱり始まらない。日本がいいんだとか、悪いんだとかね。戦争に負けたからこういう結果なったんだとか、いろんな意見があるけれど、こっちだけが正しいなんて事は絶対ないので、もう100%こうだから、あの戦争は起きたんだという事はないんですよ。いろんな要素がからまって起きるわけだからね。いろんな人たちが、利害関係があってやっているわけだからね、戦争っていうのは別に好きでやっているわけではないですから。しかし利害関係なんかより、もっと大事な話があるでしょうと。それはやっぱり自分が生れてきて死んでゆく、それから自分の家族が生れたとかね、自分の家族はどういうふうにして一生を終えるとかね。一番大事なテーマというのが、それがどっかに行っちゃって、国と国とが戦争するとか何とかという話にすり替えられちゃうとね、それはもう本末転倒で、大事なのは自分と自分の家族をしっかりとすることで、それだけでも膨大なんですよ、することが。

【編集部】――自分と自分の家族をしっかりさせるためにはですね、街とかその周りの国とかが住みやすくなってという。

【宮内】――いや、愛情でしょう。

【編集部】――国をしっかりさせないと、自分の家族も幸せにはならない。

【宮内】――いや、そんなことないです、北朝鮮のようなフラフラしている国だって、あのフラフラしている国こそ、家族愛は凄く強いわけですよ。これだけしっかりした資本主義の日本が、一番家族愛が薄いわけでしょ。だって子供殺したり、親殺したりするわけだから、そんなこと北朝鮮は絶対ないんですから。だからまず家族愛をしっかりつくってゆくというね、人間愛よりもやっぱり家族愛だと思いますよ。自分が生んだ子供を愛する力よりも、私は人類を愛する力が強いんだなんて人間がいたら、私はあんた間違っていると言いたい。

【編集部】――なるほど。自分を大事にして家族を大事にする。その延長線上に、民族みたいなものがあってとなりますか。

【宮内】――ついでに、民族があればいいけど、まず自分と家族をしっかり、生きた思いをつくってゆく、それができれば、次の次元に行った時にもね、一緒に幸せな人生をつくれるというような事だから。

【編集部】――いまの日本の財界が、庶民をいじめているような現状ですよね。

【宮内】――それは財界がしているんで、その財界に住んでいるような人達が、家族愛を持っていないかというとそうでもなくて、ちゃんと持っている人達もいる。

【編集部】――自分の家族は大事にしますよね。その延長線上にある日本の労働階層というのを酷使して同じ人としてみていない。

【宮内】――それは、制度が悪いんでしょうね。それは作った制度が悪いので、その人達のせいじゃなくてですね。

【編集部】――財界はその制度を作る上で深く関わっているわけですよね。そういった国内政治というものに関しては、特段の思い入れというのはない?

【宮内】――いやあ、全然ない。日本の政治とかには興味がない。

【編集部】――全く無い?

【宮内】――日本の政治に何か救ってもらおうとも、思ってもいないし。

【編集部】――日本の政治を良くしようとか、そういうことも?

【宮内】――思ってない。

【編集部】――それよりも、もったいない精神で?

【宮内】――その精神で、自分の体の中に築くという事のほうが大事。自分の問題であって、政治の問題じゃない。政治のせいにするのは、あまり良くない、と僕は思いますよ。

【編集部】――ま、“せい”というよりは一つの要素として、マイナス要因があるということですよね。

【宮内】――つまり、政治に期待するという事はそういう事でね、自分の生活を何とか政治で救ってもらいたいというふうに思うから、政治に期待するのであって、“自分の幸せは自分でつくります”という人は政治は関係ないわけでしょう。だから、政治に興味を持つということは、どこかに救ってもらいたいというのがある。で、救ってもらいたいというのは何だろうと思ったら、経済でしょ、ほとんどが、もっといい生活をしたいという。だから献金をするわけですよ。そういうのには僕はあまり興味がない。

【編集部】――なるほど。もっと大事なものがあるから。

【宮内】――そりゃあ、あるでしょう、もっと大事なものが。政治がどうなるなんてそんなの...

【編集部】――そういう似たような考えの方って、知り合いでいらっしゃいますか?

【宮内】――まあ、似たような考え方というか、僕の考え方に賛同して付いて来てくれる人というのは、自分のところの会員120人ぐらいいますけれどもね。

【編集部】――皆さん、政治なんて全然重要じゃないと?

【宮内】――いや、そんな事ないですよ、皆それぞれやっぱり生活もありますから。なかなか、そりゃ実行するのは難しいですよ、自分のお母さんを大事にしてね、家族を大事にしようと言ったって、そりゃあなかなか難しいですよ。出来ないですよ簡単には。時間がないんだからね、100年ぐらいしかないんだから、その間にそれをきちっと作り上げるというだけでも、大変な事だから。

【編集部】――自分のお母さんを大事にするというのを、まとめにしたいのですけれども。自分のお母さんを大事にする、方法論みたいなものはありますか?

【宮内】――ないです、そんな方法論はないです。そんな方法あったら、教えて欲しい。

【編集部】――“もったいない”と“お母さんを大事にする”というのが、もう最大のissueだと...で、そのお母さんを大事にするのは、どういう行動があるかというのは、その人次第?

【宮内】――方法論はないですよ。例えば、この人を好きになれ、と言ったときに方法論あります?恋する方法論なんてあったら教えて欲しい。絶対それはないんだから、人間の気持ちを作る方法なんか。

【編集部】――恋をする方法論?まあ、恋をする方法論というのはあるかも知れないですけどね。

【宮内】――そうですか?知らないです、聞いたことない。

【編集部】――お母さんを愛する方法論、大事にするっていう事は、こういう行為なんだというのは別にない。

【宮内】――いや、行為ではなくて、気持ちの問題でしょ。その気持ちを作るなんて方法は、まずないですよ。

【編集部】――あっ、気持ちを...。

【宮内】――いや、大事にするというのは気持ちじゃないですか。大事というのは、肩もんだりとかそうじゃなくて、自分のお母さんのことを思うという気持ちですよね。思う気持ちというのは、そりゃあ方法論はない。

【編集部】――非常に長い人生の中で、少しずつ出来ていく?

【宮内】――そうでしょうねえ。

【編集部】――それをつくれたら他には何もなくともいい。

【宮内】――それをつくれたら、それでその人の人生はもうOK。それがつくれなかったら、もう一回生れ変って来て、もう一回やんなさいという事じゃないですか。

【編集部】――じゃあ、そういう気持ちになれば、自分大事にする事もできる?

【宮内】――できます。そうすれば世界中が幸せになれますよ。人を思う気持ちがつくれたら、世界中から戦争もなくなるし、全てが幸せになれるから。

【編集部】――じゃあ世界中、自然農法、例えば洪水でダーッと広がった土の上でつくった作物と、それをちょっと食べてやせた貧弱な豚とか牛を食べて、お母さんを大事にするという事ですか。

【宮内】――やせて、貧弱な豚かどうかわからないですよ、健康な豚を食べるという事ですね。太って糖尿病の病気の豚を食うのではなくて、健康な豚を食うと。それが普通だったんです昔はね。それを無理やりしちゃったん

だから、みんな病気を振り撒いたわけでしょ。だから、昔に戻りましょう、というだけの話で、昔はみんな100年ぐらい前までは、それをやっていたわけですから。

【編集部】――100年ぐらい前がピークだったのかも?

【宮内】――それをずうっとやっていたんだから、何でたったこの100年間の間に、方法論を変えちゃったの、というふうなことでね、みんなほんとうに自然農法でやっていたわけですからね。何でそんなことをしたの、というところですよ。

【編集部】――なるほど。

【宮内】――だから私のやっている生活が、特別な習慣じゃないわけですよ。そういう、野菜を食いに行くっていうことはね。非常に歴史は長いから。

【編集部】――相当に美味しいものですか?

【宮内】――例えば、一つ例を言うと、ダイコンおろしなんかは、醤油かけないほうが美味しいから。

【編集部】――あっ、ダイコンの味だけで。

【宮内】――ダイコンがもの凄く甘いから、醤油かける必要がないんですよ。そのまんま食べているから。何にもかけないで、それでも甘くて甘くて美味しい、自然農耕はね。キャベツだって何だってその物本来の味がする。

【編集部】――料理をするとき、甘味が出すぎると、何かまずくなることがある。

【宮内】――全然それは、砂糖の甘味は嫌味なの。

【編集部】――砂糖じゃなくて、野菜の甘味でもですね、野菜を入れすぎたりすると、甘くなりすぎることがあったりとかですね...

【宮内】――それは料理方法の問題で、野菜自体は美味いですよ。だから料理をしなくても、生でもいいし、そのままでも食べられるし。

【編集部】――するともったいない精神で、日本列島を大事にする。それとお母さんを大事にするという日本文明のエトスを守っていく。

【宮内】――そのとおりです。その二つのテーマさえあれば、もう環境問題は全部解決するでしょう。世界の政治の混迷とか何かも自然自然に解決するという。

【編集部】――なるほど、ALONE TOGETHERというのも、誰かが言ってもいいけど。

【宮内】――ALONE TOGETHERという事の前に、やはり自分と家族、まず自分の問題、自分はお袋から生れたんだという事をきちっと確信するという作業を一生の間にできるかどうかです。だって生れたところを知らないわけだから僕は。お母さんは知っていますけどね。だから、お母さんの方が愛情は大きいんですよ自分よりも。その大きな愛情を知らないわけでしょ、自分はね。だからその愛情がどれぐらい大きいのかということを、一生かけて知ることが一番大事ですよ。それを確信する事。男は特に、お産が出来ないから。女は出来ますよ、女は自分で産むんだから。男は出来ない、だから男っていうのはその部分が寂しいものだから、穴埋めをしようと思って、経済に行ったり何かに行ったり、ALONE TOGETHERを考えたり、いろんなことをするわけですよ。でも、そこさえきちっとやれば、何もする必要はなくなるわけ。

【編集部】――兄弟が一杯いる大家族のほうが幸せになり得る?

【宮内】――それはわからない。一番近道は北朝鮮でしょ。あれは、家族愛が凄いから。ほんとに、自分が死んでもお母さん助けたいと思いますよ。

【編集部】――まあ、自分が死ぬのは、親不孝だということもありますよね。

【宮内】――お母さんを思う気持ちは、きっと北朝鮮が世界で一番じゃないかというぐらい強いですよ。

【編集部】――じゃあおそらく、他の国でも経済的に沈んでいるところでは、そういうことが多いですよね?。

【宮内】――だから、開発途上国のほうがそういう意味では、幸せになるには近いよね。そういう気持ちを持てるという意味では。

【編集部】――アメリカでも下層階級のほうが...。

【宮内】――近いかも知れないし、僕もはっきりとは言えないけれども、基本的には、お母さんと同じ気持ちを自分が持てるかと。そこだけですよ、それが人類の最大のテーマですよ。

 

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横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

No1. 心の時代へ向かうキーワード


“ALONE TOGETHER”

この言葉を横山東洋夫氏から初めて聴いたのが、かれこれ三年ほど前だったと記憶しています。その言葉は、格別な響きをもって、今も私の心の片隅に存在し続けており、三年経過した今日、それはこれからの人間世界のありようを言い表していることが分ってきたのです。


最近、静かではありますが、世の中は混沌に向かっていることを、人間は何処となく感じ取るようになってきました。それは加速を増しながら、崩壊と創造の始まりを予感させています。

2012年問題がカウントダウンでも始めたかのように、あちらこちらで我々の住む世界の大変化が叫ばれています。書店には世の中の大変化をテーマにした書籍が増え、誰の目にも無言の問いかけを投じ、存在感のある主張すら放ちながら、警笛を鳴らしています。

人間は物質文明の発展とともに、生きる目的を物質に求めるようになったことが、自然との調和を乱す結果を招きました。今日、人間の傲慢さと自然破壊は頂点に達した感があり、その破壊のエネルギーは、すでに暴走をし始めたと、誰もが感じ始めているのです。


“陰きわまり、陽へ転じ”のごとく、自然と調和できない文明は、次なる文明に転じて行く時が迫ってきたのです。その過程で、人間は二極化して別れ、それぞれ異なる世界に行くと言われています。

周りを見渡せば、政治の混乱をはじめ、株式市場の暴落、金融・大企業の崩壊、失業の増加、社会システムの混乱、犯罪の増加、世界同時不況、環境破壊、自然災害等その破壊のエネルギーは止まるところを知りません。光の波動よりも、闇の意識に由来して構築されたものは全て、崩壊へと進んでいるのです。

しかし一方では、“心の時代”と言って、不思議なほど心の静寂を保ちながら、日々の暮らしを全うしている人々も多いのです。彼らは、むしろ明るく、むしろ楽しく、輝きさえも放ちながら物質にとらわれない精神の充実と意識の向上に、価値観を見出す生き方をする人々が増えました。

どちらのTV番組を見ても、“これでもか!”というほどに、世の中の裏に隠れている不条理は、全て白日の下にさらされ正されて、人々と調和するべく、どんどんその姿を変えています。ここに浄化の力が働いていることを、感じ取らなければなりません。


世の中の混乱や崩壊の原因には、浄化という神の為せる業と、もう一つ人間の魂における霊性の向上がかかわっています。政治の崩壊、官僚体制の行詰り、リーマンブラザースに象徴される金融の崩壊、大企業の崩壊等は組織のトップから底辺まで、命令・指令系統で構築されたピラミッド構造が成り立たなくなってきているのです。その原因の背景には、人間の霊性(魂)の向上があるからなのです。

霊性(魂)の向上とは、見えない世界の知的生命体(宇宙意識であり、ハイヤーセルフであり、またの別名を“神”と呼ぶ)に、人間の魂のレベルが近づいていることを意味しています。最近話題の“アセンション”や“フォトンベルト”に登場する、人間を含めた次元上昇とか、五次元へのアセンションなどは、魂のレベルが向上することであり、それは人間が神の領域に近づくことを意味しているのです。こんなことを言ったら、宗教家に怒られそうですが、残念ながら宗教もまた崩壊を免れないのです。

2012年問題は、これまでの物質と我欲に由来した全ての価値観は消滅し、宇宙意識に由来した価値観へと変わって行く、そういう変化の区切りを示しているのです。その意味で、人間が創った神の演出は終わりを告げ、本当の意味での宇宙の神の知恵が、人間の魂と繋がる時がきているのです。

仏教もキリスト教もイスラム教も、もし残るとするならば、人間の演出部分は消え去り、宇宙意識の悟りだけが残って行くでしょう。それらの変化は2012年〜2020年の間にピークを迎えると思われます。


さて、人間はどのように変わるのでしょうか。霊性(魂)の高まりによって、全てのことを直感的に感じ取り、理解できるようになって行きます。人から命令を受けることも無くなれば、逆に命令したり束縛したりすることも無くなります。従って縦の指令系統が無くなって行きます。また良いも悪いも直感的に判断が効くようになるので、嘘やごまかしも効かなくなります。無理に頑張ることもなくなり、光の波動に満ちた環境におおわれて、いつも癒される人間関係になって行きます。迷った時はいつも、自らの魂に自問自答することにより、宇宙意識の知恵を授かります。従って自立性が高まり、それでいて周りの人々と、光の波動に満ちた付き合いになって行きます。

つまり、人間は一人であって一人ではなく、光の波動に満ちた人間関係に囲まれるのです。これは即ち、人間世界で言うところの“ALONE TOGETHER”なのです。

(齋藤廣一)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

No.2 宇宙の中の人間


“ALONE TOGETHER”

宇宙の創世は137億年前と言われています。地球の誕生が45億年前。そして人類が地上に出現したのが200万年前。よく取り上げられる比較に、地球の歴史を1年間という時間に例えてみると、人類が出現した時期は12月31日の20時過ぎ頃に当たることになります。これは大晦日もあと少しで1年が明けようかというタイミングになります。地球の歴史から見れば、人類の歴史など、ほんの一瞬にしか過ぎません。ましてや日本の歴史を縄文時代から始まったとするならば、その時代は12月31日、23時58分52秒からとなり、その期間は1分8秒にしか過ぎません。人類が石油を使い出してから、様々な産業が興り、あっという間に地球環境を破壊してしまった時間は、地球の歴史から見れば、ほんの瞬きの一瞬でしかないのです。

石油の時代に生きて来た我々は、遠大な時をかけて育まれてきた自然環境を破壊してきた行為に、一人々々が罪の意識を感じなければ、自然と共生することはもはや困難と言わざるを得ません。かけがえのないクリーンな地球環境を取り戻すことは不可能なところに来てしまったのです。いま世の中のいたるところで環境への意識が高まっています。少なくともこれ以上悪くしないように、悪化を食い止めることぐらいしか人類にはできません。こうした人類の犯した罪に、目を伏せずに直視して向き合うことが必要なのです。


これから地上で生活して行く上で最も大事なことは、“人類が生き残るため”とか、“自然破壊を食い止める”とかいうことではなく、自然を育んでいる“命”を感じるところから発しないと、人間の自己中心的な行動は、自然と共鳴することはできません。光の波動とは程遠いということになります。

自然と人類が共鳴してこそ健全な生命エネルギーの胎動が生まれるのです。万物に宿る精霊に感謝し、命を刻む鼓動を感じ、宇宙と自然のリズムに生活を戻して行く。人類はあまりにも、自然を見失った文化を追求し過ぎました。

人間一人々々がそのような意識に目覚め、多くの人々の思いが一つにまとまれば、やがて地球生命体(宇宙は生命体であり、地球もまた生命体と言われている)へ、人類の愛が届くことによって、人類の未来は変わるやもしれません。集団としての意識を、一つの方向に向かわせることが求められているのです。


太古の昔から、人間は自然の中で生かされ、必用なだけの食料を得て生活をしてきました。しかしこの100年、近代文明の発展と共に、必用以上の物を産み出して来たのです。欲望を満たす快適な生活を享受した裏には、自然破壊の代償を突きつけられています。

高度成長時代に巨大化した組織の中に取り込まれた人々は、組織の営利目的が最優先する仕組みに、人間の本質を惑わされてしまったと言えるでしょう。今こそ自然回帰、人間回帰によりその過ちを軌道修正しなければなりません。それらは待った無しで、最優先すべきは、個人の人間的本性の目覚にあるのです。個人の目覚めこそ、自らの周囲を変えていく原動力になり、集団の力を形成してゆき、地球生命体と共鳴する力となります。


“ALONE TOGETHER”、個々の人間的本性に内在する光を放ち、個々の力をよりどころとして行動し、周囲と共に共生し合う。

今、この時代に贈られた“天空からの贈り物...”

(齋藤廣一)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

No3.  極限の果てに...

 人形町の甘酒横丁を入ると、すぐ右側に「ダイニング&バー Sloppy」という店がある。通りから、ちょっと奥まった入り口を地下へと降りてゆくと、Youngな雰囲気の店内は、広々とした空間が、好感をもって迎え入れてくれる。
 店内の80インチの大画面からはスポーツが流れ、健全な明るさと落ち着いた安心感が、どこか新しい人形町の雰囲気を漂わせている。

この店は、料理が美味い。小さく切ったパンを串に刺し、火であぶりながら、融けたチーズをからめて食べるチーズフォンデュは絶品だ。
料理もさることながら、歳の頃は三十ちょっと、スキンヘッドに清閑な顔立ち、歯切れの良い好愛想のマスターが、常連達の支持を受けていることもよくわかる。ここのお客は、マスターとの呼吸もよい。

 平成21年の春もたけなわ、近くの会社に勤務している昔の同僚と店を訪れていた。思い出話しに花が咲いていると、突然マスターが割って入ってきた。おもむろにカウンターの内側から、一つの色紙をとりだして見せた。
 そこに書かれていたものは『ヒトは 人の中に 在りて人』であった。少し線の細い字は、どことなく素朴さを感じさせるが、しっかりとした芯の強さもっている。
そこには“小野田寛郎”と名前が書かれていた。そう、フィリピン、ルバング島で日本軍の最後の生き残りと言われた、あの小野田寛郎氏である。

 マスターが語り始めた、なんでもつい先日初めて来られたのだそうで、今は白髪のいいご老人のようである。現在もかくしゃくとして、講演などをしてまわって活動しているとのこと。
(小野田氏は1974年に日本へ帰国後、すぐブラジルへ移住し、10年をかけて牧場経営を成功させている)。
マスターの話では、小野田氏は陸軍中野学校にいたことも、話されていたそうである。陸軍中野学校と言えば日本軍のスパイ養成学校として、歴史上その名は轟いている。現代人には想像も及ばない世界の話である。
マスターは戦争など知らない、ミュージック好きの、若干三十ちょっとの今風男子だが、色紙を書く小野田氏前では、いやでも背筋が硬直したと語っている。

小野田氏は、二人の部下と三人でジャングルを舞台に最後まで戦った。二人を亡くして以降、一人孤独にさいなまれながらのジャングル生活を振り返り、その時の自分をまるで地を這う動物であったと、語っていたそうである。
 『ヒトは 人の中に 在りて人』。“ヒト”とは動物としてのヒトの意味だそうである。動物としてのヒトは、互いに支えあう“人”の中にあってこそ、“人”らしく存在できるという意味である。
小野田氏は終戦後も戦闘を繰り返した、命は自分の命であって、自分の命ではなく、1974年にかつての上司であった谷口元少佐からの命令解除が出るまでは、投降しなかったのである。

 周りのちょっとした環境変化で命を失う極限状態を、30年も潜ってきた人の言葉である。
『ヒトは 人の中に 在りて人』。
一種悟りともとれる言葉の重みが、短い言葉に人間の真理を物語っているような気がする。
 
 まさに“ALONE TOGETHER”は、そうした人間の魂の、深遠なあるべき姿を語っているのではないか...

(齋藤廣一)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No4.  一芸を極めた、女の旅路...

■ 齋藤廣一


 先頃、森光子の国民栄誉賞が話題になった。

2009年5月9日、東京・芸術劇場では、89歳の誕生日を迎えた女優の森光

子が、世界に例のない前人未踏の大記録の舞台を踏んでいた。「放浪記」の2000回公演達成の瞬間であった。1961年の初演以来、単独主演の舞台は、とうとう2000回という金字塔を打ち立てたのである。

 

 舞台を終えてカーテンコールでは、観客が総立ちで拍手が鳴り止まない。礼をつくす森は、「これからはまじめで、表現の豊かな女優になりたい」と、現役であり続けることをファンに宣言をした。


当日、歴史的な一幕を祝福しようと、王貞治や中村勘三郎、ジャニーズ事務所のタレントが駆け付けて、中でも和田アキ子は、観客席で号泣しながらの観劇となったことが報じられている。


2009年5月11日、河村官房長官は「2000回の金字塔はほかの人ではまねができない前人未到の業績だ」と語り、現役女優としては初の、国民栄誉賞を授与することを明らかにしたのである。そして29日に、それは正式決定となった。


 森光子は舞台一筋、どれほど多くのファンを魅了したのであろうか。華やかな舞台の裏には、決して順風とばかりはいかない、影が見え隠れする。

京都三条木屋町で旅館を経営する家に育ち、幼少の頃は裕福な育ち方をしたようである。若くして芸能界入りをしており、昔、鞍馬天狗で有名な大物俳優で従兄の嵐寛寿郎プロダクションに、所属していたことが記録されている。


戦後間もなく肺結核を患い、生死の境をさ迷うことになる。その後、菊田一夫との出会いで、1961年に「放浪記」と出会い、歴史はそこから始まった。その間、演出家の岡本愛彦と結婚、後に離婚も経験し、人生のほろ苦い経験も味わっている。

1970年代、80年代は数々のドラマにも出演、確固たる地位を築き上げることができた。


大御所となった森光子の周囲には、華やかな人の出入りも多い。しかし何処となく、女一人、気丈な生き様の中に、一抹の寂しい影を見るのは、私だけであろうか。あの、明るい笑顔の瞳の奥には、辿りつくところを知らない、女の旅路が巡っているかのようである。


 森光子はいい仲間達に囲まれた。号泣して感動を分かち合える和田アキ子、「東京のお母さん」と呼ぶ西城秀樹、森光子が大ファンとして追いかける東山紀之、そして何よりも彼女を支えるファンの声援がある。彼らからもらうエネルギーが、彼女の生命のエネルギーになっているのではないだろうか。


ALONE TOGETHER...

人間は、一人では生きられない生き物なのである。

2009/6/15 BE☆SEE16号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No5.  マイケルジャクソンが死んだ...

文・齋藤廣一


あまりにも、早すぎる旅立ちである。ロンドン公演に向けたリハーサルで元気な姿を見せていた”King of pop”は、体調悪化による心不全で、50歳の生涯を閉じた。

死後2週間たっても、彼の死を惜しんで、世界中の熱狂が鳴り止まない。ヒット・チャート、アルバム売上げ、どれをとっても上位を席巻している。死後10日で、ネットによるダウロード曲数は230万曲を超え、その記録をあっさり塗り替えた。

1982年発売のアルバム“スリラー”は全世界で1億400万枚のセールスを記録し、ギネスにも記録されている。また総売上げ枚数も7億5000万枚、史上最高所得のエンターテイナーとして数々の記録を刻んできた。

 革命的な音楽・ダンス・映像で、“史上最も成功したエンターテイナー”として、ギネスに紹介されている。マイケル・ジャクソンの急死が、世界に与えた衝撃はあまりにも大きい。


 少年期における父親の虐待、極端な少食、性的虐待罪による裁判、家族との訴訟問題、2000回にも及ぶ金銭目的訴訟、薬物の乱用、レコード会社訴訟(ソニーウォーズ)、側近による資産着服等、心労が絶えない波瀾に満ちた数奇な人生は、命を削り続けて50歳でその役目を終えた。


大成功の裏側には巨額なお金に群がる人間達でトラブルが絶えず、彼は「自分は一杯のスパゲティのようだった」と語った事が伝えられている。これは、周りの人達がフォークで刺して自分というスパゲティを食べてゆく、という比喩を語ったもので、家族を含め、自分に対して訴訟を起こした人々など、自分のお金目当てに群がった人々に、食い物にされたことを表現している。

マイケルはお金をむしり取られる悲しさよりも、さもしい人間の心を悲しく思っていたに違いない。


少年期に親との確執でいい思い出が無く、家族思いであるが故に、裏切られる悲しさがあり、2000回もの訴訟を受けて、人間不信に陥った悲しい物語がある。普段は内気で恥ずかしがり屋の殻に閉じこもるマイケルが、唯一、自分の殻を破って、精悍で勇猛果敢な自分らしさを表現できたのは、ステージの上だけだったのかも知れない。ネバーランドは少年期に満たされなかった心の、反動の現われであろう。


我が子に仮面をかぶせて連れ歩いた姿は、外から見ると異様と見る向きもあるが、悲しく辛い少年時代を経験したトラウマが、子供達を守る行動として現われていたと、素直に思いたい。


マイケルの大成功は、それ自体人種差別の壁を破る、エネルギーともなった。その意味でマイケルが後世に残したメッセージは、偉大なものがあると言える。

 物質にとらわれた人間の渦に巻き込まれながら、自分を見失わず、最後まで子供達を愛し、人類平和を願った稀代のエンターテイナー、マイケル・ジャクソン。多くの感動に感謝したい。


ALONE TOGETHER...

我々は、どんな境遇におかれても、自分を見失わず、人を愛することができるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No6. 最近の若い者は...

文・齋藤廣一


ALONE TOGETHER

 最近、若い人達の活躍が目覚しい。ゴルフの宮里藍・石川遼、フィギュア・スケートの浅田真央、野球の斎藤佑樹・田中将大・イチロー、モーグル・スキーの上村愛子、水泳の北島康介、大阪府の橋下徹知事、全盲のピアニスト辻井伸行、女子レスリングに至っては枚挙にいとまがない。彼らは恵まれた環境から巣立って、周りの応援をエネルギーに変えて、頂点という次元の高いレベルで、自らのパワーを極限まで発揮している。一種、周囲からもらったエネルギーをまとめて増幅する、エネルギー増幅器のようにも思える。

 彼らにたった一つだけ、共通するものがある。それは『周りへの感謝』である。インタビューの言葉の中に、それはよく表れている。高い次元に身を置いている人達は、周りのパワーをもらって、成長していくことをよく知っているのである。性能のよいエネルギー増幅器は、感謝という効率の良い潤滑油をうまく使っているかのようである。

『最近の若い者は...』と言っている、我々の世代も、このような高い次元の若者達に対しては、尊敬すら覚える。

一方では正反対に、若者達が引き起こす様々な社会問題も、目に余るものがあるのは事実である。その激しさは益々加速度を増しているようであり、人間世界は二極化へ向かって、そのスピードを増しているのかも知れない。

とりわけ、若者の負の部分を捉えて、『最近の若い者は...』と嘆く大人が多い。

 団塊の世代を生きてきた者にとって、『最近の若い者は...』という言葉は、心の中で妙な位地を占めているのではないだろうか。我々の少年期には、親の世代からは、よく『最近の若い者は...』という言葉を聞いたものである。

勿論、その言葉の鉾先は我々世代に向けられたものであり、ほとんどが“否定的な嘆き”の意味を表わしていた。

 団塊の世代の親達と言えば、戦争体験と青春時代を軍国主義に奪われてしまった、不幸な時代を生き抜いてきた人々である。戦争へと突き進んだ、国家の歯車の中に身動きできないほど取り込まれていた。生きるだけで精一杯の人生でしかなかった。我々が心に刻んでいる、『最近の若い者は...』という言葉は、親達の苦労を聞かされ知っているが故の、言葉の重みをどこかで感じている。

人生を六十年もやっていると、いつしか人間世界の道理を、少しは分ったような錯覚もあるものだ。ついつい若い人達の理解できない行動に『最近の若い者は...』と、言いたくなるのも、何か分るような気がする。

しかし、ここでちょっと立ち止まって見よう!

若者達からは大人はどのように映っているのであろうか。『人の話を聞かない。古い自分の意見を押し付ける。ゴミはポイ捨て。ルールは守らない。政治家・官僚は腐敗しきっている。』決して、威張れたものではない大人達も多いことは確かなようだ。ここのギャップが、なかなか埋まらないために、断絶の時代はミゾを深くしている。ニワ鳥が先か卵が先か、その原因を、お互いが相手のせいにしたがるものだ。

 

 古代ギリシャの哲学者プラトンは、「最近の若者は、何だ。目上の者を尊敬せず、親に反抗、法律は無視、妄想にふけって、道徳心のかけらもない。このままだと、どうなる?」と、言ったそうで、大人が先か若者が先か、どちらにしても、人間世界の永遠のテーマのような気がする。

 さて、嘆いてばかりはいられない。大人も若者も同時に解決する方法はただ一つ、それはいつどのような時にも、相手を認め、周りへの感謝に気付くことである。

人間は一人では生きられないのである。

(齋藤廣一)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No7. 日本人の目覚め...

文・齋藤廣一


日本が変わった...。8月30日に第45回衆院選が行われ、民主党は307議

席を獲得する圧勝で大躍進を果たした。自民党は結党以来初めて、第2党に転落、衆議院、参議院ともに政権の座を失い完敗を喫した。国民は歴史的な日を新たな未来への期待と不安が交錯しながら、複雑な思いで迎える始めた。


長い間権力の中にいると、人間は私利私欲が渦巻き、腐敗がはびこる。世界

中どこでも人間のいるところには、必ずそのような問題がついてまわる。日本人とて、その本質は何ら変わらないのである。民主党も長いこと権力を握れば、同じ事の繰り返しになる。それが人間というものだ。


 選挙後に自民党の大物議員でさえ、マスコミにやられたと、悔し紛れのひとくさりをコメントしていた。これこそ権力ボケを象徴してはいまいか。なぜマスコミが政治批判を繰り返すのか、根本の原因を本当に分っていないとしか思えない。二世・三世議員の問題が取りざたされているが、そのような弊害も、この末期的症状に現れているとしか言いようが無く、そんな姿勢による政治に国民は“No!”を突きつけたのである。因果応報、全ては自らに帰結するのである。


 選挙前にメディアでは、いろいろな意見や考え方が噴出していた。民主党の圧勝には、いろいろな要素が考えられる。その中でも時代の流れとも言える要素に、民主党の“国民目線”のアピールがあった。勿論、小沢氏の選挙戦略もあるであろうが、国民目線、庶民感覚というのは時代の流れの本流なのである。


 世の中では“浄化の時代”が叫ばれている。一般的に、宇宙の創造主が不敗した人間社会を大掃除するかのようにも、例えられたりしているが、本質は人間一人一人の魂が、大きく成長する次期に来ていることが背景としてある。米国型資本主義の崩壊、日本政治の崩壊は個人の変化が大勢力に影響を及ぼすようになってきた現われなのである。


 魂の自立性が進行することによって、人間一人一人が自ら、宇宙の理に適う方向で物事を考え、周りの人間や自然、環境と共鳴し合って生きて行くように、方向が向けられて行く。そして、それは直感的に判断され選択されて行くのである。一人一人の自立性が高まるが故に、ピラミッド型の支配構造は崩壊してゆき、支配の無い平面的な人間組織に向かう方向で、力がはたらいて行くのである。


 特権階級や官僚政治のやりたい放だいを、自浄作用で変えられない自民党は、必然的に崩壊の帰結を見たのである。新人の、それこそ孫にでもあたりそうな女性立候補者に、現職閣僚、派閥の領主までが落選の憂き目を見た。この力をマスコミの姿勢批判でしか捉えられない人は、きっと自然淘汰されるのであろう。


 魂の進化は、一人一人の自立性を生み、周りとも無理の無い共存が図られて行く。個の時代であり、民の時代なのである。権力者達はそこを見誤った。


ALONE TOGETHER...

自らに目覚め、共鳴の和音を奏でる時...


(齋藤廣一)


ALONE TOGETHER

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No8. ノーベル平和賞が意味するもの...

文・齋藤廣一

ALONE TOGETHER


みなさんの中には、人類が二極化するという話を聞いたことがある人は多いと思う。2012年を境に人類は二極化して別れて行くというもので、一方は高次の次元へと移行し、もう一方は低次の世界へ向かうとされるものである。

 このような話は、ちょっと以前までは、オカルトじみた話として、うがった目でみられたものだが、いまやそれは当たり前であると信じている人は、周りに増えた。あなたも、そう信じている一人かも知れない。書店にはそうした本も溢れるようになった。


2012年まで、すでに三年を切った。ちょっと目と耳を研ぎ澄ませてみよう。何か気が付くだろうか?日々、いろいろな出来事が起きている。経済の混乱、戦争、殺人事件、事故、自然災害などネガティブな事象が先鋭化する中で、愛と平和を根底とする人々もまたポジティブに先鋭化しているのである。

ポジティブな世界へ向かう人々は、愛と共鳴しあい、ネガティブな因子を消し去りながら、自らの生活スタイルを変化させつつある。


二極化とはポジティブ・サイドの世界とネガティブ・サイドの世界に象徴される。ポジティブは愛であり、光であり、喜びと平和である。ネガティブは否定であり、闇であり、怖れと争いである。愛と歓喜に溢れた集団が出現していく一方で、怖れや否定に統率された集団も増えてゆく。2012年に近づくにつれ、それは顕著となり、両側から引っ張られる力は益々その強さを増している。

我々の周りの人々、家族すらもこれから両極に向かって、別れて行くことになる。


2009年1月、戦争の泥沼へと引きずり込んだブッシュ政権から、平和を主導するオバマ政権へと世界の指導者が入れ替わった。4月の『プラハ演説』では核を使用した同義的責任を認め、核無き世界を提唱し、世界を“アッ!”と言わせた。


ブッシュ政権の8年間、国連を軽視し続けた米国は、オバマ政権で単独行動主義からの決別を宣言し、国連重視に舵を切った。「米国が重要な課題について、他国のことを考えずに単独行動をとってきたことにも原因がある」と認め、「いまや世界の国々と人々の利益は共有されている。相互利益と尊敬に基づく、新しい関与の時代を求めて(私たちは)いますぐ行動しなければならない。」と続けた。オバマ大統領が自ら議長を務め、核廃絶への決議を全会一致で採択した。人類が大きくポジティブ・サイドへと舵を切った瞬間である。2、3年前では考えられないことが、国連の場で起きた、その変化のスピードは益々速度を高めている。


核の脅威は人類に怖れを強要するものであり、それはネガティブ・サイドの力によって存在してきた。それが核廃絶へと向かうことによって、ポジティブ・サイドとネガティブ・サイドが両極に離れ始めたことを証明しているのである。

2012年以降は、それぞれが完全に分離して行くであろう。


10月9日、オバマ大統領のノーベル平和賞受賞が決定した。多国間の協調を主導し、「核なき世界」、気候変動問題でオバマ氏は国際政治の新しい状況を生み出したと評価されたのである。地球規模でポジティブ・サイドへの共鳴が鳴り始めた。これら一連の協調の動きを目の当たりにして、肯定の気持ちをもって眺めている人々は、明らかにポジティブ・サイドへ向かっていると言える。

TVのニュースインタビューでも様々な評価が飛び出している。否定的、懐疑的な気持ちが支配している人がいるとすれば、それはネガティブ・サイドの引力が働いている表れである。良いとか悪いとかいうことではない。粛々と両極に向かって別れて行くだけであり、どちらに行くか、それを選択するのは我々自身なのである。


4月の核廃絶へ向けたプラハ宣言を受け、8月の広島平和記念式典で秋葉忠利広島市長は平和宣言の中で、「Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.(我らはともに核を廃絶できる。できるとも)」と英語でスピーチをした。オバマ大統領も、ノーベル平和賞受賞の会見で、「21世紀の課題は、一人のリーダーや一つの国が成し遂げられることではない。」と協調を強くにじませた。


愛と平和と協調。


ALONE TOGETHER...

ポジティブ・サイドへの道標(みちしるべ)。



(齋藤廣一)

 

著者プロフィール
齋藤廣一、1949年10月生まれ、59歳
1971-2000年、外資系コンピューター会社勤務。
ハードウェア・エンジニア、コンサルタント等を歴任。
2000年に退職後、株式会社さくらまねきを設立。
WEBシステム制作業に従事するかたわら、占星術を研究。
占術研究家として、全国に多くの教え子がいる。
最近は、人材育成に心血を注いでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No9. ALONE TOGETHER 2009

文・齋藤廣一


 2009年も暮れようとしている。ALONE TOGETHERが目覚め、加速した一年であった。世相を見れば民衆の力が大きなうねりとなって表れ、政治も一変してしまった。世界を見れば核なき世界、平和主導の動きへと大きく舵が切られた。新たな体制が台頭して、これまでの覇者は倒れ、栄華盛衰のごとく消え去った。

ALONE TOGETHERに芽生えた人々の力は、国民目線という視点を社会に投じるようになった。新しい社会システムを築き始めたのである。“嘘”と“ごまかし”に統制されていた世の中で、自己を犠牲にしながら積上げられてきた社会の仕組みは、音を立てて終焉を迎えている。

自民党主体の官僚政治から民主党主体の連立政権へと変わった。事業仕分けで見られるように市民の参加、市民の意見が重みを増して、社会の不合理を正している。まさに孤の自立は躍動を始め、これからは自律と協調がしっかりした国民目線を生んでいくことになるであろう。即ちALONEでありTOGETHERであり、そうしたパワーが益々広がって行く。

国民目線で勝利した民主党だが、ALONE TOGETHERの真理から外れる行為があれば、それはたちまち本流から外れてゆくことになる。政治資金問題はどんなに主義主張を展開しても、ALONE TOGETHERの真理からはかけ離れるであろう。そしてそれは崩壊の憂き目を見ることになって行く。

今、時代は新しい創世の時を迎えている。悠久の年月を経て築かれてきた人間社会に、その進むべき方向性と明かりを灯すべく、ALONE TOGETHERが鳴動を始めた。


 昔、人間社会を導く思想に資本主義と共産主義があった。資本主義はカトリックを中心とした精神主義的思想をかかげ、共産主義はマルクス=レーニンに代表される物質主義的思想を基にした。両者を支えた哲学は観念論であり唯物論であった。観念論は物質よりも精神に優位性を見出し、唯物論は森羅万象を物質により構成されるとし、精神より物質に優位性を見出していた。

 遠く過ぎ去った日々の想い出に、中学も高学年になり、大人の仲間入りを自負しだした頃、自らの心の中では唯物論に軍配を揚げていた時期がある。若かりし頃は“物質があっての精神だろう”と、何のためらいも無くそう思っていた。科学を夢見る少年は物質優位の考え方が、ごく自然に受け入れやすかっただけなのである。

世の中の酸いも甘いも知り、歳も人生も経て、今日に及んでみると自らの心もいつしか変わっていた。今では、“意識あっての物質だろう”と。

 

 いつのまにか精神世界に飛び込んでいる自分がいた。それぞれ周りの人々の魂の存在を、自らの魂が捉えて認識している、そんな自分がいる。自己への奉仕の時代というトンネルを潜り抜けて、他者への奉仕を少し考えられるようになった、そんな自分が明らかに存在している。

 魂の壮大な輪廻と、永い旅路を考えるようになった。魂はどこから来てどこへ向かって旅をしているのか?2012年を迎え、もうすぐその答えが解るかもしれない。

今、自己を認識する我々の魂は、善悪二元性をもった世界を経験しながら、その統合へと向かうことだろう。現在はポジティブとネガティブは分かれる運命にあると言われているが、それらは両方を経験しながら、いつしか遠い未来に一つのものへと統合して行く時がくるだろう。


 宇宙創世の前に、“一なるもの”が存在し、この宇宙が創造されたと言われている。“一なるもの”は自分自身の投影(分身)を造り、この宇宙を探索している。我々の魂は“一なるもの”の分身の欠片であると言える。魂は物質宇宙の探索が終えると、輪廻転生を繰り返しながら、いつしかその情報をもって“一なるもの”へと帰還してゆく。ただただ慈愛に満ちた“一なるもの”への帰還には、そのレベルへと魂の上昇が必要になってくる。


ALONE TOGETHER...

他者への思い遣りは、“一なるもの”の慈愛の欠片である。


(齋藤廣一)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No10. ALONE TOGETHER 2009

文・齋藤廣一


 2009年も暮れようとしている。ALONE TOGETHERが目覚め、加速した一年であった。世相を見れば民衆の力が大きなうねりとなって表れ、政治も一変してしまった。世界を見れば核なき世界、平和主導の動きへと大きく舵が切られた。新たな体制が台頭して、これまでの覇者は倒れ、栄華盛衰のごとく消え去った。

ALONE TOGETHERに芽生えた人々の力は、国民目線という視点を社会に投じるようになった。新しい社会システムを築き始めたのである。“嘘”と“ごまかし”に統制されていた世の中で、自己を犠牲にしながら積上げられてきた社会の仕組みは、音を立てて終焉を迎えている。

自民党主体の官僚政治から民主党主体の連立政権へと変わった。事業仕分けで見られるように市民の参加、市民の意見が重みを増して、社会の不合理を正している。まさに孤の自立は躍動を始め、これからは自律と協調がしっかりした国民目線を生んでいくことになるであろう。即ちALONEでありTOGETHERであり、そうしたパワーが益々広がって行く。

国民目線で勝利した民主党だが、ALONE TOGETHERの真理から外れる行為があれば、それはたちまち本流から外れてゆくことになる。政治資金問題はどんなに主義主張を展開しても、ALONE TOGETHERの真理からはかけ離れるであろう。そしてそれは崩壊の憂き目を見ることになって行く。

今、時代は新しい創世の時を迎えている。悠久の年月を経て築かれてきた人間社会に、その進むべき方向性と明かりを灯すべく、ALONE TOGETHERが鳴動を始めた。


 昔、人間社会を導く思想に資本主義と共産主義があった。資本主義はカトリックを中心とした精神主義的思想をかかげ、共産主義はマルクス=レーニンに代表される物質主義的思想を基にした。両者を支えた哲学は観念論であり唯物論であった。観念論は物質よりも精神に優位性を見出し、唯物論は森羅万象を物質により構成されるとし、精神より物質に優位性を見出していた。

 遠く過ぎ去った日々の想い出に、中学も高学年になり、大人の仲間入りを自負しだした頃、自らの心の中では唯物論に軍配を揚げていた時期がある。若かりし頃は“物質があっての精神だろう”と、何のためらいも無くそう思っていた。科学を夢見る少年は物質優位の考え方が、ごく自然に受け入れやすかっただけなのである。

世の中の酸いも甘いも知り、歳も人生も経て、今日に及んでみると自らの心もいつしか変わっていた。今では、“意識あっての物質だろう”と。

 

 いつのまにか精神世界に飛び込んでいる自分がいた。それぞれ周りの人々の魂の存在を、自らの魂が捉えて認識している、そんな自分がいる。自己への奉仕の時代というトンネルを潜り抜けて、他者への奉仕を少し考えられるようになった、そんな自分が明らかに存在している。

 魂の壮大な輪廻と、永い旅路を考えるようになった。魂はどこから来てどこへ向かって旅をしているのか?2012年を迎え、もうすぐその答えが解るかもしれない。

今、自己を認識する我々の魂は、善悪二元性をもった世界を経験しながら、その統合へと向かうことだろう。現在はポジティブとネガティブは分かれる運命にあると言われているが、それらは両方を経験しながら、いつしか遠い未来に一つのものへと統合して行く時がくるだろう。


 宇宙創世の前に、“一なるもの”が存在し、この宇宙が創造されたと言われている。“一なるもの”は自分自身の投影(分身)を造り、この宇宙を探索している。我々の魂は“一なるもの”の分身の欠片であると言える。魂は物質宇宙の探索が終えると、輪廻転生を繰り返しながら、いつしかその情報をもって“一なるもの”へと帰還してゆく。ただただ慈愛に満ちた“一なるもの”への帰還には、そのレベルへと魂の上昇が必要になってくる。


ALONE TOGETHER...

他者への思い遣りは、“一なるもの”の慈愛の欠片である。


(齋藤廣一)

 


著者プロフィール

齋藤廣一、1949年10月生まれ、60歳

1971-2000年、外資系コンピューター会社勤務。

ハードウェア・エンジニア、コンサルタント等を歴任。

2000年に退職後、株式会社さくらまねきを設立。

WEBシステム制作業に従事するかたわら、占星術を研究。

占術研究家として、全国に多くの教え子がいる。

最近は、人材育成に心血を注いでいる。


 

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