ALONE TOGETHER 2010

横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No11. 信じられない美談

文・齋藤廣一


 世界的な不況で世の中は、冬の寒さが身に沁みることが多く、どちらを向いても生きることに精一杯の姿が目に飛び込んでくる。

年を越してもまだ新卒の就職先が決まらない。50社100社と面接に臨む学生達の切実な姿が世相を象徴している。異様な状態と言わざるを得ない。

年末ギリギリまで悪戦苦闘の末、正月を祝い気分で迎えられなかった人々も多いことと思う。


 そんな中、先頃ある一つの出来事がAP電で伝えられた。主人公はニューヨークのタクシードライバーである。

何でも、ニューヨーク市のタクシー運転手が、イタリアの旅行客が落とした2万1000ドル(約190万円)を拾って返却し、賞賛の声で話題になったというニュースである。

あのニューヨークでそんな事があるのだろうか。ニューヨークのタクーでさえ一人で乗るのはちょっと怖い世界である。

ましてやニューヨークは世界不況の引き金を引いた激震地である。失業者は溢れ必然的に治安も良くないはずだ。


 クリスマスイブの12月24日、フェリシア・レッティエリさん(72)という老女がイタリアからニューヨークに観光でやってきて、マンハッタンでタクシーに乗り、

財布を車内に落としてしまったそうである。財布には彼女と家族・親戚の旅費が入っていた。大金である。

 警察に届け出るも、財布が見つかる可能性はほとんどないと諭され返されたそうな。


財布の中にあった住所をたよりに、タクシー運転手のムクル・アサドゥザマンさんは、ロングアイランドの家まで、

80キロかけて財布を届けに行ったというから驚きである。しかし家には誰もいなかったため、自分の電話番号を書いたメモを残し、

後から財布を返すことになったのである。


 このことをレッティエリさんの娘さんが地元紙『Newsday』に語ったことが伝えられている。タクシードライバーのメモには

「フェリシア、心配しなくていいからね……財布は大事に預かっているから」と書かれていたと語っている。

その上、アサドゥザマンさんは、お礼も受け取らなかったというではないか。

・・・・・!(^^;

当たり前と言えば当たり前、しかしこのような当たり前は今や奇跡の時代である。遠く古き良き時代の日本人の心が想い起こされる出来事ではないか。

どこまでも温かく、人間愛に溢れ、こちらまで幸せになってしまうニュースではなかったか。

 

新年早々、天からの心温まる贈り物と捉えたい。


ALONE TOGETHER...

自らを見失わず、愛をふり撒く自分に目覚めて...


(齋藤廣一)






横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No12. “夢”みる少女の物語

文・齋藤廣一

前話の“ニューヨークの美談”で心が癒されたばかりのところに、日本でも雪深い能登から心温まる物語が届いた。


 それは、1月17日の出来事である。正月も明けて人々が仕事始めに動き出した頃、受験生は正月を返上して人生の試練に臨んでいた。埼玉県川越市の中学3年である川口瑠美子さん(15)は、将来自衛隊の航空パイロットになることを夢見る少女だった。女の子が夢見る職業としては誰も想像がつかない。勿論、母親は大反対である。
 最近では夢や目標を持たない若者が増えた中にあって、瑠美子さんの決心は固かった。こんな時はどこの家庭でも親が負けるものである。川口さん宅もご多聞に漏れなかった。


 川口さんは埼玉県川越市に住んでいた。目指した先はなんと日本列島の反対側、石川県輪島市にある日本航空石川高校である。試験当日前夜、母と娘は埼玉県から能登輪島の試験会場を目指していた。ルートは新潟を回り、日本海沿岸を富山を目指して能登半島を登って行くコースである。 この時、折りしも日本海沿岸は寒波に見舞われていた。14日に引き続き15日もそれは厳しかった。豪雪地帯では新潟妙高市で氷点下4.1度、富山魚津市で氷点下2.0度、岐阜高山市で氷点下7.8度を軒並み記録していた、その日85センチに及ぶ積雪に、列車の運休や遅れが出ていたのである。


 そんな豪雪も川越育ちでは想像もできない。油断がなかったといえば嘘になるであろう。おかげで二人はJR長岡駅で乗り換え列車が運休になり足止めされてしまった、試験日の17日に入った深夜の事である。試験場の輪島までは約300キロ、試験までの残り時間9時間あまり。朝まで列車が無い事を考えると、もう受験には間に合わない... それを悟った瑠美子さんは深夜の長岡駅で両手で顔を覆って泣きじゃくったという。そんな娘の姿を見る母親の思いはさぞかしせつなかったであろう、他人にはとうてい想像することはできない。


しかし思いもよらぬ出来事が起きた、“母は強かった!”のである。人間も動物と同じだった、子を守りに入った母親は想像できない力を発揮したのである。泣きじゃくる娘に母は、「最後まで絶対あきらめてはいけない」と一言残すと、娘を連れて1メートル50センチにもなろうかという積雪の上を歩きながら、深夜の路上で決死のヒッチハイクを敢行したのである。男であったらあり得ない行動だ、深夜氷点下の雪の中を300キロも先に向かって歩けるはずも無い。一歩間違えば母娘共々、朝には凍りづけになり兼ねない死のヒッチハイクである。途中ほとんど行き交う車も無く、何台か車が通り過ぎ、2時間余りでやっとガソリンスタンドにたどり着いた。そこには1台だけ大型トラックが止まっていた。


大柄でゴツイ体の運転手が一人いた。二人は必死で運転手に事情を話し頼み込んだ。やっとの思いで「金沢までなら」と引き受けてくれたトラックは、寒さに凍える母娘を乗せて、一路金沢へと向かうことになった。寒さと疲れで、瑠美子さんは30分ほど後部座席で仮眠をとった。若いときの30分の眠りは、一日を頑張れるほどに休息がとれるものだ。ハプニングの中にあっても、瑠美子さんは幸運であった。


 夜明け前、あたりが白々となりだした頃、トラックは約束の金沢に近づいていた。夜通し走りながら、金沢が近づくにつれて大きな身体の運転手は迷っていた。自分も同じ年頃の娘を抱えていた。ここから道をそれて能登を登って行くにはとんでもない遠回りである、仕事にもさしつかえる。隣を見れば人生を賭けた、自分の娘にも似た少女と母親が必死の思いで、厳寒の地を目指していた、外は大寒波である。このまま金沢で放り出したら、少女の運命は考える必要も無く明白であった。 思い余った運転手が大きな声で叫んだ、「よし、輪島まで行っちゃる」。そして、トラックのハンドルは大きく能登方面へと切られた。時間との戦いになったトラックは、次々と車を追い抜いて、雪の能登半島を駆け上がって行った。


その頃会場では豪雪の影響で、川口母娘が試験に間に合わないかも知れない連絡が入っていた。後の報道で試験官もこの雪の影響では、無理であろうと思っていたそうである。試験開始10分前、“夢”みる少女と人情を乗せた大型トラックが、猛スピードで会場に飛び込んできた。間一髪のセーフであった。無事二人を会場まで送り届けた運転手は名前を尋ねられると、「がんばれ」と一言残し「ヨコヤマ」と名乗っただけで連絡先も告げずに立ち去って行った。


思いもよらぬ豪雪に合い、一度はあきらめかけていた試験に臨むことができた瑠美子さんは、目の前に出題された試験を見て目を丸くした。出題された作文のテーマは、なんと「私が感動したこと」であった。 パイロットの夢に反対しながらも懸命に励ましてくれた母のことや、善意で会場まで送ってくれた運転手のことなど「人の優しさにふれることができ、感動、感謝、他にもいろいろと感じることができ、良かった」と、瑠美子さんは一気に書き綴ったのである。 試験はみごと合格となった。そして瑠美子さんの感動の作文は、後に全校生徒に紹介され、TVでも全文がとりあげられた。感動の派動はこうして伝わっていった。TVが探し出したヨコヤマさんは「あの娘どうなりました?」と真っ先に尋ね、合格を知ると自分の事のように喜びをあらわしたという。「私にも同じぐらいの娘がいるからね」と。未来のある少女は、これから学校で夢を実現するために有益な知識をたくさん学ぶことであろう。しかし彼女は人生で一番大切な事を母から、そしてヨコヤマさんから身をもって学び取ったのである。


ALONE TOGETHER...
TOGETHERは仲良しにあらず、奉仕のTOGETHERなり。






横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No13. それぞれのオリンピック

文・齋藤廣一

 バンクーバーの幕が閉じた。17日間にわたる華麗なるアスリート達の祭典は、
2月28日夜に余韻冷めやらぬフィナーレで締めくくった。6万人の観衆と共に
全世界の人々がたくさんの感動に、感謝の気持ちを贈ったことだろう。
国旗を背負って戦い終えたアスリート達の顔には充実した笑顔が溢れていた。
民族の祭典にふさわしく、オリンピックの舞台ではそれぞれの人生のドラマが、
映画のシーンのように多彩な姿を見せた。

 オリンピックの戦いは開幕前からすでに始まっていた。右膝の負傷から立ち
直ったフィギュア銅メダルの橋大輔選手、摂食障害で低迷していた鈴木明子
選手、オリンピック直前にスケート仲間を事故死で失った銀メダリストの小平
奈緒選手、本番2日前に母が急死したカナダの銅メダリスト・ロシェット選手、
リュージュの練習中に事故死したグルジアのクマリタシビリ選手、それぞれの
運命的なドラマは、刹那に生きる人間の儚さと美しさを演じながらオリンピッ
クという舞台を完結した。国というもの、民族というもの、人間というもの、
生きているという事の素晴らしさを深く感じさせてくれたのではないだろうか。

バンクーバーの話題はスノーボードの國母和宏選手の服装の乱れ問題から始
まった。成田に到着した國母選手は腰パンにネクタイを緩めたルーズな格好で
ブレザー、シャツを乱し、鼻ピアスにドレッドヘア、サングラスという姿にひ
んしゅくを買い、全日本スキー連盟に抗議が殺到する事態に発展した。
現地入りすると日本代表選手団の橋本聖子団長がスノーボードの萩原文和監
督に厳重注意を行った。國母選手は自分のスタイルを貫く意思を語っているが
、少なくとも彼に関わる周りの人が傷ついた。
スノーボード陣の記者会見では、「自分の滑りをすることしか考えていない」
と語り迷惑をかけた謝罪の言葉は無かった。そればかりか服装の乱れについて
も「チッ、うっせーな」「反省してま〜す。」と舌打ちしながらの気の無い返事
に、騒然とした報道が乱れ飛ぶハメにもなってしまった。
國母選手を批判する人もいれば擁護する人も現われ、TVでも意見が分かれ
た。ここでは事の是非を論じるつもりもないが、國母選手は、これまで長い年
月を経て多くの先人達が陰で努力して築きあげてきた、日本の社会的地位や尊
敬される日本人像をちょっとでも考えられたなら、自ずととるべき態度は変わ
っていたであろう。
若かりし頃のツッパリ人生では、ちょっと出だしを間違えると、自分の思
いとは違う方向に周りの事態が変わっていっても、素直になれない自分を見つ
めながら、本心とは違う思いをつい口走ってしまうことがある。きっと人生で
苦労しながら遠回りをして、いつの日か丸くなっている自分を発見する時が来
るかもしれない。それまで刺激的な人生を味わうことにおいては、個人の選択
としか言いようが無いか...

勝って嬉しいにつけ負けて悔しいにつけ、今回ほど選手達の印象深い涙を見
たことはない。自身の闘争欲だけで感情的に涙した人は、ほとんど見なかった
ように感じる。どの選手もこれまで自分を支えてくれた、或いは応援してくれ
た人々の苦労の重みを共有しているが故に、「勝ててよかった」「負けて申し訳
ないという」責任感が感動の涙を誘っていたように思う。
若干十代、二十歳そこそこの若者達のしっかりしたスピリットを見せてもら
った。次なる時代を担う若いエネルギーが確実に育っていることを、確信させ
てもらえて、“オリンピックほんとうにありがとう!”

ALONE TOGETHER...
人を思い遣る自分の中に、支えられている自分を見つけて...

 






横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No14. 一人の野球人の死が残したもの...

文・齋藤廣一


 4月7日、一人の野球人が若くしてこの世を去った。巨人軍コーチの木村拓也
さん37歳である。昨年まで現役選手として巨人軍の日本一を支えた陰の名選手
の一人である。
 今年、巨人軍の一軍野守備走塁コーチとして就任し、公式戦開幕後の4月2
日に、広島戦試合前のシートノック練習中にクモ膜下出血で倒れ、帰らぬ人と
なってしまった。あまりにも若すぎる突然の死に、関係者やファンのショック
は大きく、何よりも残された家族の悲しみは心が痛いばかりである。ご冥福を
祈りたい。
 昨年の引退セレモニーではファンの前で自分を支えてくれた人々への感謝と
共に、最愛なる妻や3人の子供達に対して「パパ頑張ったよ!」と、家族思い
の一面を覗かせていたばかりであった。

 身長173cm、体重75kgの野球人としては小柄なハンデを背負いながら、いつ
も出番となるチャンスがあれば、どんな仕事でも意欲的にこなした苦労人であ
る。ピッチャー以外は全てのポジションをこなし、左右どちらでも打てるスイ
ッチ・ヒッター、捕手上がりの強肩を生かして球界では貴重な存在とも言える
足跡を残した。
決して大物スター選手ではなかったけれど、球界で生き残るため、常に手薄と
なるポジションを探しては、そこに自らの活路を見出していた。巨人・清武球
団代表は、通夜の席で声を詰まらせながら、在りし日の彼の言葉を引用して、
「彼は『上原くん(元巨人軍投手)が雑草魂なら、僕は岩にへばりついた苔
(こけ)です』と言っていた」と語り、その死を惜しんだ。自らをよく知ってい
たが故に仕事ができるところなら何処にでもへばりついて、必死に生き残ってき
た生き様が伺える言葉である。

 いつも明るく屈託のない姿に、いつしか彼を支えるファンは大勢いた。3日間
で捧げられた献花は1万6千本を越え、受け取られることのない綺麗な花々は
帰らぬヒーローの前に寂しくその姿を横たえて、訪れる人の悲しみを誘ってい
た。

 彼の人生はドラマであった。高校時代は35本塁打を放ち、捕手として甲子園
にも出場した経験をもつ。遠投120mという強肩ぶりが非凡な才能を示している。

1990年に日本ハムファイターズにドラフトで指名されず、心ならずもドラフト
外で入団を果たした。最初からエリートコースを外れた人生街道を歩くことに
なり、そのことがバネとなって、今日の木村拓也を成長させたのである。
その時のことを新人選手達を前にした講演で語っている。「野球はエースや4
番だけではない」と。雑草の脇で岩にへばり付いている苔でも、前向きに努
力すれば、必ず周りの理解と支援を得られ、何とか一人前になれることを、
気負いも無く熱く語ったのである。
 彼が残した仕事の中で、後世に語り草として残る名場面があった。2009年9
月4日のヤクルト戦での出来事である。試合は延長戦に入り、捕手の阿部慎之
助と鶴岡一成がすでにベンチにさがっていた、さらに最後の捕手加藤健が負傷
退場したため捕手がいなくなってしまうという珍事が起きた。

 急遽12回表からマスクをかぶった木村は、ほとんど広島以来と言えるほど、
何と10年ぶりの捕手ポジションを守ることになった。短期間欠場しただけでも、
試合感がずれるほどプロの世界は極限に近いレベルで試合をしている。高額な
ファイトマネーが飛び交う世界では、真剣勝負の結果で明日の人生が決まって
しまう、それだけに自分の得意なフィールドで勝負するのが当たり前であった。
木村はプロで5試合しかマスクをかぶっていなかった。延長12回、最後の打
者に内角をえぐる150kmのスピードボールを配給して、見事にピンチを切り
抜けた。一度もミスすることなく切り抜け、帰ってくる木村を原監督はベン
チを飛び出して絶賛で出迎えた。この時のシーンは何度もTVで放映され、
ファンの胸に永遠に刻まれたに違いない。

この時のことを原監督はふり返る、「木村に捕手を告げようとしたら、彼は
すでにブルペンでマスクをかぶり、捕球練習に入っていた」と...

自らを知り尽くした仕事人、周りの人達と思いが通じ合っていればこそ、為せ
る行動ではなかっただろうか。この場面には現代人が失いかけている「ア、ウ
ン」の呼吸がある、大きな学びがあるような気がする。

 木村拓也には愛する妻と3人の子供がいた。まだ何もわからない小さな娘は
二度と起きることのない父の姿に「パパ、よく眠むるね...」と、周囲の涙を誘
っていたことが伝えられている。

 喪主を勤めた妻由美子さんは3人の子供と共に気丈にも「いつまでも宝物の3
人の子どもたちを心配していると思うが、夫は家族の永遠のヒーローです」と
挨拶をされた。涙を誘われると同時に、改めて家族というものを考えさせられた。
妻を愛し、子供達を愛し、そして夫を愛する...
人間は愛していなければ、生きられない生き物なのである。

ALONE TOGETHER...
人を愛し...愛に支えられて...






横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No15. 万博で起きた、もう一つの贈り物

文・齋藤廣一

 上海万博が開幕した。2010年5月1日-10月31日まで、世界の文化の競演が催される。
我が日本館は開幕前から、中国市民たちのお目当で超人気を博しているようだ。
これを機会に日本と中国の、文化に根付いた国交が進むことを希望して止まない。
ビジネスの現場などでは、まだまだ多くの障壁があり、決してスムーズな交流が行われているとは言い難い。

 上海万博は隆盛極まりない中国の台頭を象徴しているとも言える。
その見せ付けるような力は正直脅威でもあり、日本人は中国人とうまく付き合っていくために、
大いなる智慧を搾らなければならないだろう。

 万博開幕の直前に一つの事件が起きた。
上海万博PRソング「2010年はあなたを待っている」で盗作疑惑が持ち上がったのだ。
その曲が日本のシンガーソングライターである岡本真夜が作曲した1997年のヒット曲「そのままの君でいて」
にそっくりなのである。

 このPRソングにのって、日本でもお馴染みのジャキー・チェンなどが歌ったプロモーションビデオが世界に流れた。
ところが万博気分が盛り上がってきた頃、中国のネット上では、盗作疑惑の書き込みが多数寄せられていった。
万博実行委員会も無視することができなくなり、開幕直前の4月17日に、
ついに楽曲の使用を一時停止することを決定した。
そのニュースは瞬く間に、驚きをもって世界を駆け巡ったのである。

 楽曲使用停止を決めると、それからの中国の動きは早かった。
4月19日には、岡本真夜側に楽曲使用の申し入れを行い、岡本側はそれを快諾して使用を認めたのである。

 こうしてPRソングの元になった楽曲として、岡本真夜の「そのままの君でいて」は、
万博の公式PRソングとして使用されることが決定した。
盗作疑惑が持ち上がったこの間、中国のネット上では

「99%同じだ」「間違いなく盗作だ」「恥ずかしい」「これではメンツが台無しだ」「作曲した繆森は死ね」

といった書き込みが乱れ飛んだ。
中には「中国では盗作は珍しいことではない」と居直った向きも少なからずいたりして、
挙句の果てには
「あれは岡本真夜が曲を作る時に、現在にタイムスリップして上海万博のテーマをパクったのだ。」
という書き込みまで出るに至り、正直ここが中国の一番怖いところかもしれないと一瞬感じた。

 この騒動の間、日本人の一人として岡本真夜がどのような対応に出るのか、とても関心をもって見ていた。
作曲家、芸術家は自身の作品を盗作されることほど嫌な事はない。心中穏やかではなったであろうと思うのである。
日本人として腹立たしい中国を感じている者も少なくあるまい。
このPRソングは、日本でもお馴染みのジャッキーチェンが歌っていた。
恐らく日本人は、そんなジャッキーに恥をかかせたくないであろうし、また中国の万博にも、
必用以上に傷をつけることも本意ではあるまい。
願わくは大人の対応で事を荒立てずにうまく納めて欲しいと、一人かってにそんなことを思っていた。
果たして岡本真夜はみごとな対応をしたのであった。

 盗作論争の間、沈黙を守っていた岡本真夜と事務所側は、中国から正式に使用申請の申し入れを受けて、
インタビューに応じた。
岡本は「上海万博に協力させて頂ける機会を頂き、とても素敵なお話で光栄です」とコメントを発表したのである。
その言葉は一瞬にして中国の人々の心を捉えたのである。これ以上の優等生としての回答はなかったであろう。
正直、外野で観戦する我々ですら、「一本やられたな...」と思わせる、そこはかとない心地良さをいただいた。

 団塊の世代である小生にとって岡本真夜の名前は知っていたが、どんな楽曲があるかは知らない、顔も知らなかったのである。
しかし、その記事がニュースに掲載されると、そこに彼女の笑顔の写真があるではないか。
その笑顔はどこまでも貴賓に満ち、人々の心を溶かす(いや、オジサンの心を溶かす)何とも癒される素敵な輝きを放っていたのである。

 すかさず、その写真は小生のマイパソコンのスクリーンセーバーへと取り込まれたのだった。
私だけのパクリ、ゴメン!(^^;。

 以来、私はパソコンに向かうたびに、何となくHighなのである。
仕事の合間にフッと一息、ボーッと脱力感に浸って手を休めると、間もなくスクリーンセーバーが動き出し、
あの岡本真夜のそこはかとない笑顔が、右に左に、上から下から、画面上を行ったり来たり。
天使の笑顔を投げキッスしていくのである。

「あぁ〜、癒される...」

彼女の感謝の言葉は、自然に体の中から湧き出たものであった。
それは彼女のシングル「同窓会 〜Dear My Friends〜」に寄せた自身の言葉からも伺える。
『いくつになっても学生時代の友達には励まされるし、支えてもらっている。
30代。成功と挫折の繰り返しで、疲れる心、夢、情熱。友達に会うと、あの時の自分を思い出す。
友達に会うと、あの時の気持ちを取り戻す。信じ続けた夢のカケラがひとつひとつ叶えられますように。
友の温もり、友の言葉を力にして。』

岡本真夜は、一人で生きているのではないことをよく知っているのである。

ALONE TOGETHER...
どこまでも、笑顔をたたえて...






横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No16. マラウイの光り

文・齋藤廣一


 先頃、東アフリカのマラウイという貧しい国で、一人の少年の物語が伝えられた。 マラウイはアフリカ大陸南東部に位置している内陸の国で、干ばつや飢餓に苦しむ不毛の大地が続き、 風だけが吹き抜けて行くという。
首都のリロングウェ近郊の村で育ったウィリアム・カムクワンバ君は、14歳の時(2002年)に干ばつで農業を失い、
一家は収入の道を絶たれてしまったという。
学費が払えなくなって退学したウィリアム君は、唯一、街の図書館が、学びの場となり、
彼はそこで風力発電について書かれた本と出合うことになる。
そして、それは彼の運命を変える出来事へと発展して行くのであった。
「本に写真が載っているのだから、だれかがこの機械を作ったということ。
それならぼくにも出来るはずだ」と思ったそうである。
何と彼は、本を頼りに見よう見真似で風力発電機を、自力で作ってしまった。

 材料は全て、ゴミ捨て場から拾われた。
自転車の部品、車のバッテリー、プロペラ、プラスチック・パイプ、
タービンを支えるポールには森で採ったユーカリの木だそうである。
彼が風車をつくる話をすると誰もが笑い「あいつは頭がおかしいという噂が村中に広がった」と、彼は振り返る。
『一念岩をも通す』
彼は三ヶ月後にみごと最初の風車を完成させたのである。タービンが回り、取り付けた電球に明かりがついた時、
「これでもう頭がおかしいなんて言われない」と、ほっとしたという。
 

 彼は、7年間の間に5機の風車をつくった。一番大きいものは11メートルの高さに及び、
今では風車作りまで教えているという。
やがて、彼の挑戦は世界中が知るところとなった。
アル・ゴア元米副大統領や、世界中の環境団体などから称賛されるに至った。
AP通信の元アフリカ特派員ブライアン・ミーラー氏は、ウィリアム君を取材し
「The Boy Who Harnessed the Wind」というタイトルを出版し、
その中で同氏は「紛争の取材ばかりが続くなか、かれとの出会いは新鮮だった。
アフリカには、政府や支援団体に頼らずに自分の力でチャンスをつかみ、
問題解決の道を切り開く新たな世代が育っている。
ウィリアム君はその1人だ」と絶賛したことが、ニュースで伝えられている。

 一方、日本において風車の話題がもちあがった。
今や、風力発電は自然エネルギーとして期待されており2009年時点で日本全国に1517基の風車が設置されているそうである。
しかし、風力発電は低周波障害により、各地で近隣住民の不眠や頭痛などの健康被害が最近問題にもなってきている。
2010年1月20日には、「つくば風車裁判」で、つくば市と指導をしてきた早稲田大学に対して有罪の判決が出た。
東京高裁の一審判決は早稲田大に約2億円の支払いを命じたが、二審では賠償額を約8960万円に減額した判決が下されている。
 

 マラウイのウィリアム君は、貧困のゴミの中から一筋の文明の明かりを照らした。
人々はたった一つの電球の明かりを取り囲み、暗闇の中に浮かぶお互いの笑顔を見ては、歓喜したに違いない。

 一方、その地球の裏側では、人間の飽くなき欲望が溢れる文明を支えるために、生活環境さえ歪めてしまうほど、
自然の流れに抗っている人々がいる

昔、人間は生きることに必要なだけの収穫を得ていた。
今でも南の美しい島々に暮らす人々は、一日の必用な食料だけしか漁をしない。

 何も、文明のど真ん中でそのような生活をしろ、というわけではないが、マラウイのウィリアム君の話は、
人間が忘れかけている“生きるという事の原点”を我々に教えてくれている。
過ぎたるは及ばざるが如し、である。

ALONE TOGETHER...
貧しさも豊かさも、心の光りの中に。




(齋藤廣一)






横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No17. 南アフリカに咲いたALONE TOGETHER

文・齋藤廣一


 アフリカ大陸の最南端に南アフリカ共和国がある。人口4932万人、黒人が
79.3%、白人が9.1%で多くの民族が混ざり合い、社会的にも不安定な国である。
このたびアフリカの地で初めてとなるサッカー・ワールドカップが行われた。

 南アフリカ共和国といえば、金やダイヤモンドをはじめとする鉱物資源の
産地であることはよく知られている。特に金は世界の半分を占めるほどで、
多くの女性が身に着けている金の大半は、南アフリカからやって来ているのである、
まさに遠くて近い国なのだ。また、この国には世界遺産も多い、南アフリカ
は豊かな自然の贈り物に恵まれている国なのだ。
しかし豊かな資源のあるところには、必ず人間の醜い争いが生じる。
南アフリカの歴史は人間の醜さを象徴してきた。
17世紀にオランダ人が移植して植民地が形成された。その後18世紀末になると
金やダイヤモンドの鉱脈が発見され、それを狙ってイギリス人が押し寄せた、
そしてケープタウンは奪い取られるようにして占領されてしまった。
その時奴隷制度、英語、イギリスの司法が持ち込まれることによって、
もともとその地で暮らす原住民の自由な生活はしだいに奪われ、そして差別が残った。
多くの人々に苦しみを与えたあの忌まわしいアパルトヘイト(人種隔離政策:1948-1994)
が近年まで横行したのである。横暴な白人と虐げられる黒人。
そこには人間の強欲が生んだ悲劇の歴史が横たわっている。
 
 金とダイヤモンドは、妖しい輝きを放つ。時には人の心を癒し、時には欲望の輝きを
放って人を狂わせる。危うい輝きは知らず知らずのうちに、人々の心を欲望で染めていった。
1960年代の高度経済成長時代に、日本は金とダイヤを買いあさり、南アフリカ最大の
貿易国になっていった。1980年代に入ると国際社会もアパルトヘイトを非難し、
国連でも経済制裁が採択された。国際社会が制裁へと動く中で、日本の動きは遅かった。
最大の貿易国である日本は、とうとう国連総会で非難決議を受けるハメになってしまった。

 歴史を振り返れば、南アフリカの豊かな資源を我が物にし、黒人やカラード人種を差別し、
経済の都合により日本人を「名誉白人」とし、よく考えれば人種差別の屈辱を味わいなが
らも金とダイヤのために、日本人は差別を黙認しながら取引をしていた。そして国際社会
の非難が高まるとサッサと制裁し、いつまでもシコシコと金目のものを買いあさっている
日本を非難して止めさせた。
これらの事は、もともと原住していた黒人達の存在を忘れている出来事で、白人主導の国
際社会も日本人も、どちらも恥ずかしい歴史を作ってしまったと言える。そんな歴史は、
我々の生きている間には、ぬぐい去ることができないであろう、よそ者に富を奪われた原
住の黒人達の恨みは想像を超えるものがあるに違いない。  
白人主導の国際社会における根幹的な問題は、強欲のために世界の富の分配がうまくいか
ないということである。そこに争いが生じる。豊かさの裏側には踏みつけられる弱者が必
ず存在するのである。
 
人種差別に翻弄される社会にあって、やがて一人の英雄が立ち上がった、ネルソンマンデラ
その人である。彼は反アパルトヘイト運動の首謀者として、白人達から迫害され44歳で逮捕
された。その2年後に国家反逆罪で終身刑となり、他の政治犯と共に脱獄不可能なロベン島
に収監されるに至った。

 国際社会によるアパルトヘイト非難が高まると、1990年に釈放され1993年にノーベル
平和賞を受賞、1994年に南ア史上初の全人種参加の選挙で大統領に選出された。
そして彼が最初に行ったことは、「赦しこそ恐れを取り除く最強の武器なのだ」と言って、
自分を殺そうとした白人達を赦すことから始めたのである。
かくして彼は“全民族融和の象徴”となったのである。
 
豊かな恵みの中で争う人間達。自由を取り戻した南アフリカは、長い差別の後遺症による傷が深く、
今も治安の悪い状態が続いている。そんな状況にあって、何故ワールドカップは南アフリカにやっ
てきたのか。本来であれば、開催できる条件に、著しく値しないと言っても過言ではないが、
そこには新しい世界へと向かう人間世界を引っ張りあげるために、ポジティブな目に見えな
い大きな力が働いたとしか思えないのである。
南アフリカのワールドカップは、世界の目を引き付けた。そして少なからず不幸な過去を乗り越えて、
新しい融和へと向かう人間世界があることを、世界の人々の胸に残したのである。

ALONE TOGETHER...
一人のもつ光の波動は、民族を動かし世界を変える力がある。




(齋藤廣一)






横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No18. 天災と人間

文・齋藤廣一


 天災が相次いでいる。それは2010年に入って一段と厳しさを増しているように思える。
今年お正月早々中国、インド、バングラデッシュを寒波が襲った。続いてハイチの大地震。

 2月はポルトガルの洪水にチリの大地震、800人ほどが亡くなった。

 3月トルコ地震、ケニヤ、カザフスタンの洪水。

 4月メキシコ、インドネシア、中国、アフガニスタンで地震、アイスランドの火山噴火で欧州の空港が閉鎖された。

 5月には中国、アフガニスタン、インドと洪水が続く、パプアニューギニアの洪水では20,000人が被災した。

 さらに6月〜7月にかけて洪水の範囲は中・南米アメリカから中国、東南アジア、インド、アフリカ
と全地球規模で起きている。

 8月はロシアの猛暑で森林火災となり、その影響でロシアは穀物の輸出を停止した。自然災害に加えて、
メキシコ湾の石油流出被害ではその損害額が200〜300兆円に達すると見られている。それだけではなく石
油処理剤として使われた科学薬品は毒性が強いと言われており、大西洋汚染にまで懸念が広がっている。

 異常気象により我々の周辺も、野菜をはじめとして食料の値上がりで、ジワリとその影響が出始めている。
そして世界経済では不良債権が600兆ドルにも達したと言われ、海にも陸にも人間世界にも、混沌の渦はブレ
ーキが効かなくなり始めているようだ。

 “混沌が招く未来を解決する力は何か?”と考えると、そら恐ろしい事が想像されても、おかしくない状況
と言えまいか。

 飢えに苦しみながら生活する人々もいれば、投資先を失った富を抱えている人々もいる。我々が住む日本は
どうだろう。TVはどのチャンネルを回しても、お笑いとグルメの料理番組である、恥ずかしいほどに飽食を満たし、
世界の出来事など知らぬ顔でお笑いを貪る...

 ちょっと言い過ぎか?(^^;    

 きっと、こんなことで良いのだろうかと危惧している人々も多いことだろう。戦争という大きな代償を払って、
手に入れた平和である、その恩恵に与かる

 ことは素直な喜びで表現したいものであるが、地球の片隅で我ら人間の同胞達が、苦しみを背負っているならば、
そういう人々のことも忘れずに、心を砕きたいものである。

 自己の欲求を満たすだけの生活をしていたら、きっと混沌に飲み込まれてしまうような気がするのは、思い過ごしか。

 グルメが、お笑いが、悪いとは言わないが、個人個人が魂の救済をするような想いで行動をしていれば、きっともう
少し違った形の世界になって行くのではないだろうか。その意味でメディアの責任は大きいが、メディアはそれを支え
る一人一人の心によって形成されるものなので、結局個人の想いに帰着するのである。ALONE TOGETHERはそうした、
個人の想いのあり方に、一つの道標を投じている。

 この混沌の時代にあって、日本の役割が求められている。政治も権力争いをしている場合ではない。結局は国家の乱
れも我々個人の想いに帰結を見る。

 我々も、“自分ひとりがかってに生きていても、何も言われる筋合いは無い!”という想いが、気がついてみると周
りに迷惑をかけていたり、知らないところで他人に負担を強いているケースがよく見受けられる。

 ALONE とは何か、TOGETHERとは何か、その根底に横たわる慈愛の力で人間らしい環境を形成し、それらの集合意識が
博愛に満ちた国家を形成して行くことがいま求められているのではないだろうか。

 混沌が招く未来への解決策を“戦争”にもって行くのか、それとも“博愛世界”にもって行くのか、ALONE TOGETHER
の広がりにかかっていると行っても過言ではない。

ALONE TOGETHER...
人間の存在が問われるとき、闇から光りへ導く救世主!




(齋藤廣一)






横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No19. 種を超えて

文・齋藤廣一


鹿児島県屋久島で、樹齢2000年の「翁杉(おきなすぎ)」が倒れた。高さ23.7M、
幹周り12.6Mの巨木で、屋久島では縄文杉に次ぐ古代木と目されていた。縄文
杉は幹周り16.4Mでその樹齢は7000年に及ぶとも言われている。遥か太古の時
代より、地球の歴史を見てきた生き証人でもあるのだ。
 「翁杉」は高さ3Mの部分で折れて倒れた。折りしも、まだ連日30℃を越える
猛暑が続いている。倒れたその日は9月9日から10日の未明にかけて、新月の
真夜中であった。樹木の水分代謝は月のリズムによって営まれている。満月に
は水分を満々と湛え、新月には体外に水分を放出してその量を減らしている。
その代謝を繰り返すことにより、大地の生命エネルギーをその身に取り入れて
いるのだ。「翁杉」は幹の内部が空洞化していたために、新月の晩に水分を放出
し切って体を支えられず、朽ち果てたのである。

 今年は猛暑で多くの人々が熱中症で倒れた。2000年-2009年までの10年間で
熱中症による死者の合計は181人であった。今年の熱中症による搬送は、すで
に3万人を超え死者は132人に達し現在も増え続けている。まさに異常な事態
に直面している。生き残るもの、朽ち果てるもの、それぞれの未来の選択は容
赦なく、粛々と進行しているかのようである。


 2010年4月、ニュージーランド政府観光局が、ニュージーランドに生息する
巨木「タネ・マフタ(カウリの木:樹齢2000年、先住民マオリ族の『森の神』
の意)」と鹿児島県屋久島町の「縄文杉」が『姉妹木』関係を締結したと発表し
た。これは世界中の古代木が『姉妹木』関係を結ぶことにより、自然環境保護
の意識を高めて、子々孫々まで伝統や文化の交流をも深めていくことを目指し
ている。

 人間は森林を伐採し木材を使って文化を築き上げて来た歴史がある。一方、
森林を保護して環境を守ってきた歴史もまたあるのである。時として人間はそ
のバランスを見失い、大切なものを失ってしまってから反省して自然回帰へと
また戻ってくる。


 植物は生きているのである。生きているという意味は呼吸をしているだけで
なく、立派に意識を持って生きているという意味である。農業栽培の現場では、
良い音楽を流して気持ち好く栽培した作物は生長がよいこともわかっている。
愛情をもって育成しなければ、よい作物もできない。栽培に携わる人の気持ち
を感じ取っているかのようである。昔から人々は、生命の恵を与えてくれる植
物に精霊を見出し、生命の営みに対する感謝の念を捧げてきた。

 数千年もの間、大地のエネルギーを受け地上の生あるものたちを育んできた
古代木には、環境の変化も力強く乗り越えて行く立派な精霊が宿っているに違
いない。今日の環境の激変に対しても、精霊達は人間に対して警笛を鳴らして
いるのである。「翁杉」の倒壊は、そのメッセージと受け取りたい。


 きっと世界の古代木に宿る精霊達は、地球規模の環境危機を感知して互いに
共鳴しあい、人間達と協力して危機を乗り越えるべく動き出したように思えて
ならない。悠久の時を凛として生きてきた古代木たちは、共鳴しあう人間達を
も巻き込んで、一つの集合体になりつつある。

今回、ニュージーランドの北島・ノースランド地方にある「ワイボウア森林
保護区」のタネ・マフタの古代木の前で、日高十七郎屋久島町長とティム・
グローサー自然保護大臣が調印書をとり交わした。
まるで古代木が立会人であるかのように。

ALONE TOGETHER...
種を超えて、魂の連鎖が始まるとき...
(齋藤廣一)






横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No20. ノーベル化学賞が与えるもの

文・齋藤廣一


 また、快挙の知らせが届いた!
10月6日、2010年度のノーベル化学賞が発表された。二人の日本人科学者がダ
ブル受賞に輝いたのである。米パデュー大の根岸英一さんと北海道大の鈴木章
名誉教授の二人である。
昨年のノーベル賞四名の受賞に続き日本人の受賞が相次いでいる。不景気で沈
滞気味の日本にとっては久々の痛快な出来事ではあるまいか。
一昔前までは猿まね日本と揶揄され、独自性のある理論や研究に欠ける部分
を欧米諸国から、冷ややかな目で見られていたのであるが、近年は世界の注目
を一心に集め、尊敬されるべき成果に絶大なる評価を得るようになって嬉しい
かぎりである。
60年代、70年代の高度経済成長時代にもまれて生き抜いてきた先輩諸氏の頑
張りには、敬服するばかりである。

ノーベル化学賞はそれぞれ「パラジウムを触媒として炭素同士を効率よくつ
なげる画期的な合成方法であるクロスカップリング技術」を編み出したことで、
液晶や医薬品、化学繊維に使う素材を生産するのに不可欠な技術として役立っ
ている。その結果人類の文化的生活の向上に大きな貢献をしたことが評価され
て受賞となった。このクロスカップリング技術がなければ今の液晶は事業化さ
れていないとさえ言われている。また、癌やエイズの特効薬の製造にも一役か
っている。幅広い分野で人類は恩恵を受けていることがわかる。
実は、それらの貢献の陰には、何とも日本人らしい清清しい精神が宿ってい
ることが今回の受賞で明らかになった。根岸さんも、鈴木さんも共に自らの大
発見に特許を取っていなかったのである。何と“もったいない”と考えるのが
普通であろう、しかし両氏はあえて特許を取得しなかったのである。それは人
類に広く使ってもらいたいという想いから、それらの技術をオープンにしたと
いうのである。何とも見上げた精神ではないであろうか。そんな評論をするこ
とすら失礼であり、我々凡人はとても足元にも及ばない、ただただ脱帽するば
かりである。二人は国のお金で研究させてもらったので、その感謝から特許を
とらずにオープンにしたのであった、日本の良心は綿々と流れていたのである。
鈴木氏が研究した「鈴木・宮浦カップリング」に関連する特許と論文だけで
も6000件におよぶと言われ、その分野の重要性が象徴される数字を残している。

いま何故、日本なのであろうか?
大いなる時代の変わり目にあって、混沌の中にも日本の潮流を感じる。これほ
どまでに日本が期待されているのを見ると、ふっ...と“ホピ族の予言”が頭
をよぎる。これまで全ての予言が的中している“ホピ族の予言”には、現在の
第四世界は人類に邪心が蔓延するとき、その滅亡がやってくる、と記されてい
る。ホピの予言が無視できないことは周知の通りである。
 滅亡を伴うような“大いなる清めの日”を迎えるかどうかは、日本の行動に
かかっていることがホピの予言から伺える。
“大いなる清めの日”に向かう兆候はすでに成就しており、それを回避する
べく、ホピ族の活動も行われた。1976年にホピの長老バニヤッカ師が国連総会
で演説し世界に向けて警笛を鳴らしている。
 世界に蔓延する邪心をいさめ、人心を本来あるべき姿に戻す役割を担ってい
るのが日本なのである。
ノーベル賞に於ける日本人の受賞はそうした人類の運命を背負った中で起き
ているのであり、特許をとらず人類愛に満ちた両氏の行動は、世界の隅々まで
人々の心に愛の波動を届けたのである。

 ニュースの記事に今回の研究成果に対する説明が簡単にわかり易く紹介され
ていた。「簡単に手をつないでくれない炭素同士のカップルの、仲人の役割を
するのが触媒」この触媒のパラジウムの働きを発見したことが偉大な研究成果
となった。
まさに原子の世界もALONE TOGETHERのエネルギーで満たされているのである。

ALONE TOGETHER...
個々のエネルギーが手を繋ぐ時、新たな恵が生まれる。
(齋藤廣一)






横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No21. ハンカチ王子、卒業の季節

文・齋藤廣一


 11月3日、東京六大学野球秋季リーグ優勝決定戦が神宮球場で行われた。実
に50年ぶりとなる早慶戦による優勝決定戦は36000人の観衆が見守る中、斎藤
佑樹投手の先発で始まった。それまでの不調を覆し8回1死までノーヒットに
抑える好投で、最後に崩れるものの大石が締めくくって10-5で早稲田大学が劇
的な優勝を飾ったのである。

 青いハンカチで一世を風靡した斎藤佑樹投手。想い起こせば2006年の夏の高
校野球甲子園大会で、三連覇を目指す駒大苫小牧高の、田中将大投手と優勝を
争って激投した。今や伝説の試合と化している、あの夏の甲子園、早稲田実業
Vs駒大苫小牧高の優勝決定戦は、延長15回でも決着がつかず、翌日の再試合に
持ち越されたのだった。その時先発を志願した斎藤は翌日にも関わらず完投で
投げぬき、最後の打者である田中将大を三振に討ち取って、4-3でドラマチック
な優勝を飾ったのであった。

 あれから4年、田中投手は楽天でマー君の愛称で活躍し、4年間で46勝、最
速155Kmの速球を引っさげて、年俸1億8000万円をたたき出している。
 一方、大学へ進学した斎藤投手は、入部1年目にして全日本大学野球選手権
大会で、準決勝、決勝と連投してチームを33年ぶりの優勝に導き、最高殊勲選
手や不敗神話に輝くなど華々しいデビューを飾った。そして最後の学園時代を
50年ぶりの早慶戦で憂愁の美を飾ったのである。斎藤投手は大学野球のTV中継
や観客動員数も3倍に増やすなど、明らかに破格の実績を残したのである。
 二人の甲子園のヒーローはそれぞれの道で、比べようも無い活躍を見せたの
であった。

 球界を代表する選手に成長した田中投手、ハンカチ王子の面影は消え去って
一段とたくましさを増した斎藤投手。一見甘い学園生活と思われがちだが、斎
藤投手の華々しい活躍の裏にも、決して順風漫歩とは言えない、本人の苦悩も
隠れていた。大学3年、4年の時代はスランプにも陥った。一人孤立して苦悩す
る時期もあったのである、そしてその原因は自身の中にあった。強すぎる自我
と周りへ気を配る自分と、大きく成長する過程でバランスを欠いた時期があっ
た。斎藤投手を救ったのは結局のところ、自信の立ち直りであり、それを支え
た仲間達であった。
 憂愁の美を飾った試合後のインタビューで、斎藤選手は「いろいろな人から
『斎藤はなにかを持っている』と言われ続けてきました。きょう、その、なに
を持っているのかが確信できました。それは『仲間』です。応援してくれる仲
間がいて、素晴らしいライバルがいて、ここまで成長できたと思います」と、
仲間をライバルを称えたのである。その曇りのない笑顔に、何かを悟って一回
り大きく成長した斎藤選手の姿が、強いオーラを放っていた。

 ピッチャーは相手を喰ってしまうほどの図太さと、周りを味方に付ける繊細
さが要求される。強いALONEを持ち、周りを包み込むTOGETHERを持ち合わせた
者だけが、大投手への道を歩むのではないか!

ALONE TOGETHER...
栄光の果てにあるもの、それは強い自我と他者への思い遣り。
(齋藤廣一)






横山東洋夫プロデュース / ALONE TOGETHER

 
No22. ALONEとTOGETHER

文・齋藤廣一


ノルウェーのノーベル賞委員会は10月8日、中国の民主活動家、劉暁波(り
ゅうぎょうは)氏に2010年度のノーベル平和賞を授与することを発表した。劉
氏は中国の一党独裁体制を批判したため、現在投獄の身となっている。
ノーベル平和賞の授与に対して、中国政府は激しく反発しており、各国に対
して授賞式典に出席しないように圧力をかけ、その結果、19カ国に及ぶ国々が
式典への出席を見合わせた。
劉氏は1989年の天安門事件の際に、ハワイ大で中国現代文学を講義していた
が、帰国して天安門広場でハンストを行い逮捕されてしまった。1991年に釈放
されて以降も、民主化の指導者として活動し2008年には中国の有識者303名の
署名とともに、言論や宗教、集会の自由を訴え、共産党の一党独裁廃止や民主
化された選挙を唱えた「08憲章」を発表したのである。その結果、劉氏は国家
政権転覆扇動罪で懲役11年の刑を受けて、いまも投獄されている。
授賞式への出席に対して、世界中へあからさまに圧力をかけた中国は、逆に
世界から非難の集中砲火を浴びる結果となった。ノーベル平和賞に対抗して孔
子平和賞までにわかづくりをして、何の関係もない少女にトロフィーを与える
など、世界から嘲笑を買う始末になってしまった。その迷走ぶりは目を覆うば
かりである。ますます中国崩壊の予感は近いと感じざるをえない。
12月10日のオスロでの授賞式には、劉氏不在の椅子が象徴的に映し出され、
無言の主張をする映像は全世界に届けられた。オバマ大統領は「劉氏の価値観
は普遍的であり、劉氏は平和的に闘っている。劉氏は早期に釈放されるべきだ」
とする声明を発表した。一人の人間のもつ志が、中国の奥深く収監されている
ところにあってさえも、世界を動かしたのである。いまや個人の意識の波動は
人類全体の意識へと瞬時に伝わる時代を迎えている。

 そしてもう一つ、世界を震撼させた出来事があった。内部告発サイト、ウィ
キリークスによる極秘文書の暴露事件である。ウィキリークスは反中国政府、
欧米、南アフリカ、オーストラリア、台湾などにまたがる多くのジャーナリス
ト、学者などで構成されており、2007年1月に世に知られる存在となった。創
設者ジュリアン・アサンジ氏は「圧制を強いている政権を白日のもとに晒すこ
とであり、また世界の全ての地域で政府や企業によって行われている非倫理的
な行為を暴露したいと考えている人たちを支援していきたい」と語っている。
ウィキリークスに集められた、大量の暴露文書は120万件にも及ぶと言われている。
 中にはTVのニュースでも話題になったが、イラク駐留アメリカ軍ヘリから民
間人やジャーナリストを殺傷した映像が放映された。これを見た世界中の人々
に戦慄が走った。米軍諜報アナリストの軍人が26万件に及ぶ、外交機密文書を
ウィキリークスへリークしたのである。すでに25万件におよぶ情報が公開され、
米国、中国などの外交機密文書も公開されつつある。
 米国の外交公電には、笑いを誘うような各国首脳のゴシップ記事がある。
ドイツのメルケル首相には「リスクを嫌い想像力が乏しい」、イタリアのベルル
スコーニ首相は「無責任でうぬぼれが強く、近代ヨーロッパのリーダーとして
影響力はない」し、ロシアのプーチン大統領と異常な蜜月ぶりで、ベルルスコ
ーニはヨーロッパにおける「プーチンのスポークスマン」的な存在とか、フラ
ンスのサルコジ大統領を「気難しい権威主義的なスタイル」、ロシアのメドベー
ジェフ大統領については、「『バットマン』であるプーチン大統領に仕える『ロ
ビン』」といった内容で、このためクリントン国務長官はイギリス、フランス、
ドイツ、カナダ、中国と遺憾の意を表して火消しに躍起の状態である。
 
 こうしたノーベル平和賞やウィキリークスなどに象徴されるように、今や個
人の意識が人類全体へと同じ波長の人々へ伝わっていく状態は、これから益々
広がっていく。即ち、傲慢で支配的階層はエネルギーを失っていく方向に力が
働いているのである。日本の政治に照らしてみても同じである。民主党という
大政党になっても、政権争いが優先するうちは、市民目線を失ったことにより
崩壊の方向へと力が働くのである。
人々は自立した自己の意思(ALONE)と共に、共鳴体(TOGETHER)の中に同化
して存在を強くしている、それは益々加速度を増している。自分は自分であり、
共同体もまた自分自身であるという時代へ向かっているのである。
 
ALONE TOGETHER...
人間社会のピラミッド構造は崩壊しフラット構造へ。
(齋藤廣一)












著者プロフィール

齋藤廣一、1949年10月生まれ、60歳

1971-2000年、外資系コンピューター会社勤務。

ハードウェア・エンジニア、コンサルタント等を歴任。

2000年に退職後、株式会社さくらまねきを設立。

WEBシステム制作業に従事するかたわら、占星術を研究。

占術研究家として、全国に多くの教え子がいる。

最近は、人材育成に心血を注いでいる。


 

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