中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム5
−『老婆からの飴』−
文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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やぁ諸君、明けましておめでとう。
年末・年始は有意義な時間を過ごすことができたかね?
私はバッチリ充電完了!
2009年も日常を緻密に観察し、
果敢に妄想しまくるとしようじゃないか!!
フッ、フッ、フッ・・・
ところで、前回の妄想話は如何だったかね?
せわしい年の瀬ということもあって、
普段の真面目な私の妄想回路が壊れてしまった感がある。
もうちょっとで、紳士的な私のイメージが崩れてしまう
危ないところであった。
だが、意外と私の妄想に同調してくれた貴兄も多かったようだ。
つまり、口にこそ出さないが、
同じような妄想を描いている隠れ妄想者が沢山いるということだ。
そういえば、最近テレビやラジオ等でも
「妄想」という言葉をよく耳にする。
非常に悦ばしいことだ!!
妄想はいかがわしいものではない。
むしろ、心を豊かにする特効薬といっても良い。
もしかしたら、妄想が世の中の閉塞感を払拭し、
今の金融危機を救うかも知れない。
だ・か・ら・・・
諸君、今年も大いに妄想しようじゃないか!
妄想族の同士よ、高らかに声を上げ叫ぼうじゃないか
『妄想は自由だ〜〜〜!』
フッ、フッ、フッ・・・
さて、前置きが長くなってしまったが、
新年最初は、お正月の不思議な話をしよう。
勿論、真面目な話だ。
つい先日、東京のとある神社へ初詣に行った。
この神社は、千三百年近くの歴史をもつといい、
きっと、諸君の中にも多くの方が、ご参拝に行ったことがあると思う。
この歴史ある神社で参拝をした帰りのこと、
私は、大鳥居の柱の台石に腰掛けている一人の老婆を見かけた。
私がこの老婆の近くを通り過ぎるとき、
何と言っているのか不明だったが、老婆の微かな声が聞こえた。
んっ?
一瞬気になったが、この老婆と面識のない私は、
足を止めることもなく、そのまま老婆の横を通り過ぎた。
だが、私の心に何かが引っ掛かる。
もしかして、老婆は何か困っていて、
私に助けを求めたのではないだろうか?
たとえば、
参拝に来たが人ごみに押され、転んで怪我をしてしまったとか、
一緒に来た家族とはぐれてしまったとか・・・
う〜ん、何か気になる。
でも、私はすでに数m進んでいた。
ところが、不思議なことにふと気が付くと、
『どうされましたか?』と、私はその老婆に声を掛けていた。
すると、老婆は『ほぉ〜、お前さんには私が見えるのかね?』と
私に向かって訳の分からないことを言った。
さらに続けて、『皆の幸せを願っているのさ』と老婆は答える。
あ〜なるほど、さっきの老婆の微かな声は、
きっと何らかのお経か呪文でも唱えていたのだろう・・・
私は、そう察してその場から立ち去ろうとした。
その時、老婆は急に、
『あそこの門の脇に白い袋を持った小さい子どもがいるから、
あんたその子をここへ連れて来ておくれ。』と、
御神殿の方を指差しながら、私にお願いをしてきた。
内心、参ったなぁと思ったが、
自分から声を掛けてしまったのだから仕方なく、
子どもを迎えに行くことにした。
その門の近くへ行き、私があたりを見回していると、
急に、上着の袖口辺りが引っ張られた。
見ると、『おじさん、お婆さんから頼まれてきたの?』と
小さい子どもが私に声を掛けてきた。
子どもの手元を見ると、確かに小さな白い袋を持っている。
あっ、この子があの老婆の言っていた子供かぁと思い、
私は『そうだよ、お婆さんの処まで連れて行ってあげるから、
一緒についておいで。』と答えた。
私は、子どもの手を引いて老婆のもとへ戻り、
『連れて来ましたよ。この子でいいですか?』と
老婆へ問う。
すると、老婆は嬉しそうにうなずきながら、
『そう、そう、それじゃあ・・・』と言って、
子どもから白い袋を受け取り、
その中から何かを取り出して、私に手渡した。
見ると、私の手の平には一つの透明な飴があった。
老婆からのお礼であろう。
私は、『ありがとう』と老婆に言って、
その飴を口に含み微笑んだ。
ところが、
老婆は淋しそうな顔で人ごみの方を見つめながら、
『皆、知らぬ間に見えなくなってしまうんだ・・・』と
とつぶやくように言った。
そして、突然私の方を向いて、
『お前さんは見失っちゃダメだよ!』と
やさしい口調ながら力強く言った。
えっ?何が見えなくなってしまうのか?
何を見失っちゃダメなのか?
私は何のことか全く訳が分からなかった。
だが、だんだんと目頭が熱くなり、
自然と私の目に涙が滲んできた。
でも、ここには多くの人がいる。
我に返った私は、周りの人に悟られないように、
目にゴミでも入ったかのような素振りで人差し指で目を擦り、
その涙を拭った。
ほんの一瞬のことだが、
目を開けると、目の前に居たはずの老婆がいない。
しかも、私は電車の中にいた。
んっ? 何だ、私は夢を見ていたのか・・・
そして、電車はちょうど私が降りる駅へ着いた。
不思議な感覚のまま私は改札へ向かい、
定期を出そうと、上着のポケットの中に手を入れた。
すると、不思議なことに、
そのポケットの中に何か入っている。
定期の感触ではない。
取り出してみると、
一点の曇りもない透明な飴だった。
あれっ? 私があの老婆からもらった飴と同じだ。
えっ? それじゃあ、あの老婆のことは夢じゃなかったのか??
でも、あの飴は私の口に含んだはずだ。
えっ? えっ、えっ〜〜〜
あの老婆はいったい何者なんだ?
何が見えなくなってしまうんだ?
何を見失っちゃダメなんだ?
わからない・・・
その時
邪心を捨てろ。
廓清(かくせい)しろ。
飾らない等身大の自分で正々堂々と生きろ。
そんな声が天から聞こえてくる。
確かに・・・
今回、オチが無くてガッカリしている諸君。
これも妄想だ!!
今年も真面目に妄想しようじゃないか。
(日常評論家 中場満)
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■Heiz新価値度92(ナ度100・TQ度100・BQ度100・銀座度10・EDGE度100)
・いや〜新年にふさわしい含蓄のある作品でした。。今年も中場満はぶっとんでます!(^^;)
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム6
−『気になるCG』−
文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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やあ諸君、元気かね?
2009年が始まって早くもひと月半近くが過ぎ、
残すところあと十ヶ月余りとなった。
もう、2009年の終わりに向けての準備は万端かね?
「えっ?何言っているんだ、未だ十ヶ月以上もあるじゃないか!」と
嘲笑っている君。
よ〜く考えて見たまえ。
来月になったら、残りの月数は一桁になる。
年度末でバタバタし、
ふと気付いて暖かい春が来たな、と思ったら、
既に一年の4分の1以上が過ぎ去っていることになる。
爽やかな新緑の季節が過ぎ、
ジメジメした梅雨が明けて暑い夏が来た、と思ったら、
既に一年の半分以上が過ぎ去ってしまっている。
やっと、気分的に落ち着く過ごし易い秋が来た、と思ったら、
2009年も残すところあと数ヶ月。
そして、あっという間に慌しい年末になり、
2010年を迎えることになる。
一年間が過ぎ去るのは早い。
始まりがあるということは、必ず終わりがある。
つまり、時間は止まること無く常に流れているということは、
始まりと同時に、確実に終わりに向けて歩んでいることだ。
そう、だから何かが始まったら、
必ず終わりを意識していなくてはいけないのだ。
そうしないと、「始まり」のときと「今」を比べたときに、
「心」・「行動」・「言葉」がぶれてしまう。
本人はぶれていないつもりでも、
客観視すればぶれてしまっている。
その結果、不本意ながら志半ばにして、
強制的に終わりを迎えさせられてしまうことがある。
どうだい? 諸君は後悔無く、
無事に2010年を迎えられそうかね?
そう考えると、
私が最初に言った、2009年の終わりが気になることであろう。
フッ、フッ、フッ・・・
さて、「気になる」といえば、
突然ではあるが、私がよく行くオフィスに不思議な男がいる。
彼は、「車」と「ギター」をこよなく愛している。
彼の実名を無断で公表する訳には行かない。
だから、車(Car)の「C」と、ギター(Guitar)の「G」をとって、
彼のことを『CG』と呼ぶことにしよう。
『CG』なんて、何だかコンピュータで創られた仮想上の人物のようだ。
でも、半分当たっているのかも知れない。
とにかく、CGは不思議な存在なのだ。
なぜ、CGのことが気になるのか?
それは、私が知る限り、CGはいつもギターを弾いている。
仕事の打ち合わせをしている様子もない。
誰かと談笑している訳でもない。
気が付くと、いつもオフィスの片隅でギターを弾いている。
まるで、「俺はお前らとは違うんだ!!」といったオーラを輝かせて、
CGワールドを展開しているようだ。
だが、意味無くツッパって世間に背を向けている、
身勝手人間でもないようだ。
数回だが、私もCGと言葉を交わしたことがあるが、
ちゃんと常識をわきまえている感がある。
また、CGの人間性を現すエピソードの一つに、
CGは、車の運転が荒くなっていると感じたら、峠を攻めに行く、
というのがある。
CGいわく、峠では車の運転が荒いと事故を起こし易く、
すぐに命取りなるらしい。
だから、CGは峠を攻めることで、
命がけのギリギリのところに自分の身を置き、
自らの運転の荒さを矯正しているとのこと。
つまり、CGは「心」と「行動」を矯正する、
独自の方法をもっているのだ。
このようなエピソードを聞くと、
なんだかCGの生き様がかっこ良く見える。
確かに、矯正するという意識を持って命がけで取り組んだ後なら、
気持ちに「感謝」と「ゆとり」が生まれるであろう。
だから、CGは相手に礼儀をわきまえた印象を与えることが
できるのかも知れない。
でも、時としてギターの音が騒がしく、
恰も「お前たち、俺に注目しろ!!」と無言で不器用に訴えている
自己中心的野郎のようにも感じられる。
どうだい?
CGって、不思議だろ? 気になるだろ?
だが、私がCGのことが気になる理由は、それだけではない。
オフィスの片隅でギターを弾いているCGを見ていると、
何だか、もやっとした影が見える。
もしかして、仕事が上手くいっていないのだろうか?
挑戦した事業に失敗し、
多額の借金を背負って頼るあても無く
行き詰ってしまっているのかも・・・
その気持ちが、
ギターを弾く無防備状態のCGに現れているのかも知れない。
それとも、家族との関係がギクシャクしているのだろうか?
親の反対を押し切って自分の夢を叶えるために上京したが、
その夢が破れてしまったということも考えられる。
そして、故郷に帰るにも帰れずにいる淋しい気持ちが、
CGに現れているのかも知れない。
いや、きっと人には話せない辛く悲しい過去があるのであろう。
たとえば、結婚をしていて可愛い子どもがいたが、
家庭をかえりみずに車とギターに熱中したために離婚されてしまい、
それ以来子どもに会うことができないでいるのかも知れない。
考えたくは無いが、
取り返しのつかない過ちを犯してしまったということもある。
たとえば、不良に絡まれていた友人を救うために、
誤って相手を○○してしまった過去があるのかも知れない。
勿論、悪いのは相手であって、CGの行動は正当防衛だ。
だが、ひと言も言い訳をせずに、
全ての罪を自分一人で被って生きている。
そんな誰にも話せないCGの辛い気持ちが、
影となって現れているのかも知れない。
ちょっと待て、
今までの話はCGを好意的に見た私の勝手な妄想で、
実は、CGは何にも考えていない、単なる無口なだけなのかも知れない。
そうでなければ、
ギターを弾くことや、車を運転することで、
自らの存在感を表す、単なる小心者に過ぎないのかも知れない。
おいCG、お前は一体何者だ!
私は騙されないぞ、そろそろ正体を現せ!!
その時、一瞬私の目の前が輝いた。
えっ、CG? 聞こえたの・・・
(日常評論家 中場満)
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■Heiz新価値度100(カ度100・TQ度100・BQ度100・銀座度100・EDGE度100)
・私も人にどのように見られているのか中場氏に妄想されたいかも。(編集部)
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム7 FEB.2009
−『出番だ、モールス!』−
やあ諸君、ご機嫌いかがかね?
私の地元では梅の季節を過ぎ、
まもなく桜と桃の季節を迎えようとしている。
そう、つい先日新年を迎えたと思っていたら、
あっという間に、もうすぐ「春」だ。
春はいい。
春が近づくと、
なぜだか分からないが心が高揚する。
「桜の花」が咲くからなのだろうか?
桜の花は、控えめな淡い色ながら、
存在感があり、そして、散り際が潔い。
私もそうなりたいものだ。
「で、それがどうした?」
と言われると、大いに困ってしまうが・・・
とにかく、春はいいのだ。
ところで諸君は、
この時期に花を咲かせる梅と桜と桃は、
皆、バラ科の植物だということを知っていたかね?
もうちょっと詳しく言えば、
梅と桜が、「バラ目・バラ科・サクラ属」であり、
桃が、「バラ目・バラ科・モモ属」である。
そんなこと知らなくても別に何の問題もない。
だが、今の季節に相応しいちょっとした雑学である。
覚えておいて損はないであろう。
もしかしたら、諸君の何気ないそのひと言が、
「○○さんてモノ知りなんですね!素敵!!」
といった好印象を与えるかも知れない。
いや、それだけではない。
その後、予想外のムフフな展開を招くかも知れない・・・。
ムフフな展開とは何か?
フッ、フッ、フッ・・・
それは諸君らの妄想にお任せしよう。
さて、「春」といえば、
私の友人に、春のようにいつもニコニコしている男がいる。
別に、どこかおかしい訳ではない。
ちゃんと一人前の社会人として働いている。
もちろん、周囲の人たちに迷惑をかけている訳でもない。
と、思うが・・・
そんな彼は、『無線』をこよなく愛している。
その無線の影響ではあるまいが、
彼は、まるでモールス信号のように「トトツーツートトト」
といった感じのしゃべり方をする。
だから、彼のことを『モールス』と呼ぶことにしよう。
このモールスのキーワードは、
「繋がる」である。
モールスは、非常に控えめな性格だ。
が、しかし、
性別や年齢、職業、地域に関係なく、広く人脈を有している。
しかも、この人脈は単に数の多さを特徴とするのではない。
利害関係が全く無く、純粋に繋がっていることを特徴とする。
つまり、モールスの誠実な人柄の上に築かれているのだ。
でも、控えめな性格のモールスが、
どうやって多くの人と繋がるのか不思議だ。
人と繋がるきっかけは一体何なのだろう?
こんなに人と繋がることが上手なら、
ひょっとして、モールスは「口説きの天才」なのかも知れない。
もしかしたら、その巧みな話術で、
過去に多くの女性を泣かせてきたのかも知れない。
だとしたら、きっと、
なにやら殺し文句でももっているのであろう。
いや、
モールスは絶対に口下手に違いない。
その代わりに、
口下手を逆手にとって一瞬で人心を掌握してしまうような
何か特別なテクニックを会得しているのかも知れない。
ちょっと待て、
そうではなくてモールスは自分から人と繋がることはせず、
相手から繋がってくるのをじっと待っているのかも知れない。
もし、そうだとすれば、
そのチャンスを見逃さずにモノにして人と繋がるモールスは
ただ者ではない。
まさか、モールスは相手から繋がってくるように、
狙った相手に催眠術をかけているのではないだろうか?
そんな疑いさえかけたくなる。
ところで、人と繋がることが好きなモールスは、
自分以外の二つのものを繋げることは好きではないのだろうか?
たとえば、
モールスの好きな無線と我々素人とを繋げることはどうであろう?
我々の日常生活に無線は緊密に関係している。
だが、無線のことは難しくて我々は何も知らない。
いや、私だけが知らないのかもしれない。
だから、専門家ばかりを相手にせず、
私のような素人も相手にしてくれないだろうか。
とうとう君の出番の時がきたのだ。
モールスよ、
無線のことを優しい言葉で私に伝えておくれ。
難しい仕組みの説明はいらない。
無線と我々素人とを繋げられるのは、
モールス、君しかいないのだ。
なぜって?
理由は簡単だ。
今までは世渡り上手の者だけが評価されてきた。
だが、これからは違う。
偽りのない本物が評価される時代だ。
つまり、メジャーではないが、
チープではないものが注目されるときがきたのだ。
その一人が君だ。
だからもう一度言おう、
「モールスよ、いよいよ君の出番だ!!」
その時、私の携帯電話のベルが一瞬だけ鳴った。
えっ?
もしかして、
無線での君の返事かい、モールス?
(日常評論家 中場満)
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム8
−『オヤジとたまごたち』−
やあ諸君、ご機嫌いかがかね?
唐突だが「春」だねぇ〜。
近ごろは暖かい日が多くなってきている。
日中は、むしろ暑いくらいだ。
でも・・・
う〜〜〜ん、実に良い感じだ!
前にも言ったが、春は本当に良い。
何が良いって聞かれてもひと言ではいえないが、
春といえば、たとえば「お花見」がある。
きっと、多くの方がお花見を楽しんだことであろう。
もしかしたら、妄想族であるの諸君の中には、
妄想でお花見を満喫し、
ムフフなことをしてしまった者もいるのではないだろうか?
そんな貴下に対して声を大にして言おう。
「あんたは、エライ!」
それでこそ、妄想族の一員だ。
このコラムを読んでいる諸君、
今からでも遅くはない。
諸君の妄想を統一し、
妄想花見大宴会をしようじゃないか!!
そうと決まれば、迷っている暇はない。
準備は良いかな?
それでは、妄想始め!
え〜、まずは腕を上げた諸君の妄想を称えて、
『乾杯〜(ルネッサンス)!!』。
妄想は文化だ。
妄想を行なった者が、世界を征す。
ムフフ・・・
エヘヘ・・・
ウッシッシッ・・・
どうだね?
充分に妄想花見を堪能できたかね?
でも、宴の後は虚しい・・・
だが、妄想族の諸君は、この虚しさに負けてはいけない。
この虚無感の中に価値を見出そうではないか。
この虚無感を価値あるモノに変えていこうではないか。
それが妄想道というものだ。
フッ、フッ、フッ・・・
さて、話は変わるが、
このコラムは今回で8回目となる。
「8」といえば、私の友人に「8」にこだわる男がいる。
確かに、アラビア数字の8を漢字で書けば「八」となり、
だんだんと栄えることを意味する末広がりで縁起が良い。
また、「八」という字は、
「八百万(やおよろず)」や「八千代」とあるように、
数の多いこと・長いことを意味する。
そんな意味もあるのか、
アラビア数字の8を横に倒せば、
限りなく大きいことを表す記号の「∞(無限大)」となる。
さらに、「八」の付く諺に、
何度失敗しても、そのたびに立ち上がって奮闘すること
を意味する「七転び八起き」がある。
まるで、彼のようだ。
また、出来る限り丁寧に依頼したり、詫びたりするさま
を意味する「七重の膝を八重に折る」という諺もある。
これは、違うかな?(失礼)
そんな彼は、『たまご』をこよなく愛している。
「たまご」といっても、
彼の愛する「たまご」は最近密かなブームとなっている
たまごかけご飯にする「生卵」ではない。
創業家・起業家の「たまご」である。
いや、彼はたまごかけご飯の「生卵」も
こよなく愛しているかも知れない。
その可能性は「大」だ。
彼は、そんな「たまご」たちを支援し、
ビジネスの世界に送り出している。
まるで、「たまご」たちの父親のような存在だ。
このように彼は、八にこだわるオヤジなのである。
だから、彼のことを『ハチオヤジ』と呼ぶことにしよう。
んっ?何だか変だ。
これではまるで、蜂の親分みたいだ。
それでは、『ハッチオヤジ』と呼ぶことにしよう。
うん、しっくりくる。
このハッチオヤジのキーワードは、
『躾ける』である。
つまり、経営者として
ビジネスの世界で正しく生き抜くことができるように、
大事に「たまご」を育てている。
でも、ハッチオヤジは「たまご」たち「手」を掛けたりはしない。
なぜなら、「手」を掛けるのは簡単だが、
ビジネスの世界では誰も手を掛けてはくれない。
そう、経営者とは「孤独」なものなのだ。
一匹狼といって良いかも知れない。
差し詰めハッチオヤジは燻し銀のような狼。
「シルバ−ウルフ」と呼んで良いだろう。
ゆえに、この孤独に打ち勝って生き抜くためには、
自ら力を付けるしかない。
そこで、ハッチオヤジは、「手」を掛ける代わりに、
「たまご」たち「目」を掛けている。
常に「たまご」たち注意を払い・意識を留めている。
だから、ハッチオヤジは「たまご」たち躾ける。
このハッチオヤジの「躾」はとても丁寧だ。
なぜなら、「躾ける」を丁寧に言うと
「御躾ける」となる。
つまり、このハッチオヤジの「躾」は、
「押し付ける」なのだ。
ゆえに、ハッチオヤジは「たまご」たちに、
多くの課題を「押し付ける」。
でも、ただ押し付けるのではない。
必ず課題を解決できる「鍵」を与えている。
その「鍵」とは、
有益な情報の発信や人物の紹介、場の提供、叱咤激励、等
と言い換えることができる。
だから、この「鍵」を、
素直に受け入れた「たまご」、有効に活用した「たまご」だけが、
力を付けて正しい扉を開き、
経営者として一人前に成長していける。
また、そんなハッチオヤジの特異な性質の一つに
「目から水を溢れ出す」がある。
人との会話や、ふとした出来事に触れて、
しょっちゅう目から水を溢れ出している。
どうやら、目の前の人物・事象と共鳴し、
魂が震えるがゆえに「目から水を溢れ出す」ようだ。
たぶん、自らの多くの経験から、
表に出ない隠れた裏側の価値を見抜いているのであろう。
そして、正しいものと出合った時、本物と出合った時に、
この出会いに感謝し、
「ありがとうございます。」という声にならない言葉と共に、
魂が震えるのであろう。
私もハッチオヤジのように、
隠れた価値との出会いに感謝したいものだ。
その時、私の魂が震え、目から水が溢れ出てきた。
えっ?
もしかして、
ハッチオヤジの特異な性質が移ってしまったのか?
勘弁してよ〜〜〜。
(日常評論家 中場満)
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム9
−『クッキングボスはM?』−
やあ諸君、ご機嫌いかがかね?
春の大型連休も「あっ!」という間に終ってしまった。
きっと、諸君もあちこちの行楽地へ出かけ、
GWを楽しんだことであろう。
もしかしたら、妄想族であるの諸君の中には、
前回の妄想花見大宴会に引き続いて、
妄想でGWを満喫した者もいるのではないだろうか?
妄想族である以上、それは当然である。
が、そんな貴下は、・・・
「やっぱり、エライ!!」
それでこそ、妄想族の一員だ。
しかも、地球環境の改善が世界的に叫ばれている現在、
妄想は地球に優しい。
妄想では、どこへ行っても、何をやっても、
CO2を排出しないし、自然と楽しいECO行楽を実践できる。
まして今や世界的に流行しつつある
新型のインフルエンザにかかる虞も全くない。
どうだい?
妄想とは、何と素晴らしきものではないか!!
今になって妄想の素晴らしさを再確認し、
妄想行楽を忘れてしまったことを反省している諸君。
なーに、後悔することはない。
なぜなら、
今年は、妄想での行楽を実践できる機会が二度ある。
つまり、今年は秋にも大型連休(9/19−23)が訪れるのである。
諸君は何と幸運に恵まれたことか・・・
そんな幸運な機会の訪れが暗示するものは何かを考えると、・・・
これからは、「妄想の時代」だといえる。
そして、今年は、
妄想の時代の到来を告げる記念すべき年だ。
もっと、都合良く好意的に捉えれば、
妄想を実践する諸君にとって、今年は飛躍の年となることを予感させる。
ついに、妄想道に日の目が当たる時代がきたのだ。
フッ、フッ、フッ・・・
皆、もっと妄想に熱くなろう!
『妄想、ブラボー!!』
・・・・・・・・
さて、話は変わるが、
今年も早々と三分の一の月日が過ぎ、いよいよ五月だ。
五月といえば、新緑の木々に生命の力強さ、
大いなるエネルギーを感じさせる季節だ。
「力強さ」「大きなエネルギー」といえば、
私の知人に「無限の力強いエネルギー」を感じさせる人物がいる。
いや、単なる知人と言うより「師匠」と呼ぶに相応しい人物である。
そんな彼は、周囲に安心感を与える。
彼との会話で勇気と自信を得た者は数多いことであろう。
そういえば、昔のテレビ番組で、
主人公が窓に掛かったブラインドの隙間から外を眺めるポーズで
一世を風靡した刑事ドラマがあった。
この主人公は、皆から「ボス」と呼ばれ、
その存在感の大きさと的確なアドバイス、叱咤激励によって、
部下に勇気と自信を与えて一人前に育てあげている。
まるで、彼のようだ。
だから、彼のことを『ボス』と呼ぶことにしよう。
そんなボスは、いつも寝不足だ。
顔を合わすたびに、
「いやぁ〜、また徹夜しちゃったよ。」と挨拶代わりに言う。
徹夜までして、ボスは一体何をしているというのだ。
んっ? 疑わしい感情を持たれた諸君。
安心してくれたまえ。
ボスは別に如何わしい夜の仕事・危ない裏の仕事をしている訳ではない。
どうやら、いろんなアイデアが夜中に降ってくるらしい。
つまり、夜中の方が効率良く仕事がはかどる
という理由のようだ。
なるほど・・・確かに一理ある。
だが、若いときであるのなら、徹夜なんて何ともないといえるが、
失礼だが、ボスの年代で徹夜は身体に堪えるはずだ。
でも、ボスはまるで好んでいるかのように徹夜をし、
自ら身体を痛めつけ、それを楽しんでいるように見える。
う〜ん、もしかして・・・
ボスって、被虐性のある「M」なの?
と、疑いたくなる。
いや、いや、そんなはずはない。 絶対にない。
と思うのだが・・・
待てよ? 夜中に仕事というのは本当だが、
実は、昼間は炊事や洗濯・掃除、買物、等々家事が忙しく、
仕方なく夜しか仕事をする時間がないからではないだろうか?
つまり、仕事をしているときこそが、自由で至福のときで、
ついつい時間が経つのを忘れてしまうからではないだろうか?
そういえば、ボスがエプロンを着けた姿を妄想すると、
その体型からもマンガの「クッキング○○」の主人公に似ている。
うん、違和感はない。(失礼)
このボスを表すキーワードは、『スマートな生き方』といえる。
つまり、賢い生き方・上手な生き方である。
このスマートな生き方は、
確かに賢く・上手に生きる方法ではあるが、
自分さえ良ければそれで良いというものではない。
その根底には、相手を慈しみ、いとおしむ心がある。
すなわち、『愛でる心』が存在する。
だから、自分に関わる全ての人々を巻き込んで、
幸福になることを目指す。
また、そんなボスは、『Property』をとても大切にしている。
この「Property」とは、個の財産といってもいいだろう。
言い換えれば、個の特長もしくは独自性ともいえるであろう。
それゆえ、ボスは、
自らの人生での数多くの失敗や成功を経て培った財産と、
スマートな生き方を結びつけた心の財産に価値を見出し、
それを大切にしている。
もちろん、ボスは、他者のPropertyも大切にしている。
そして、そんなボスは、近頃、
愛でる心で包まれた心の財産の継承を望んでいる。
ゆえに、ボスは、自らの貴重な心の財産を
惜しみなく周囲の者に与える。
ボスが与える心の財産に基づくスマートな生き方は
とても論理的だ。
つまり、誰でも理解し、実践することができるように、
個々に合わせて創り込まれている。
まるで、料理人が素材の良さを生かして調理するように、
ボスは、目の前のその人を見て、その場でデザインしているようだ。
しかも、そのデザインは、
その人が自ら創作するように仕向けられている。
だから、素直な気持ちで受け入れれば、
多くの気付きがあり、すんなりと腑に落ちる。
自分で自分をデザインするのだから、
当然といえば当然であろう。
う〜ん、実に巧みな仕掛けだ。
ボスの言葉や作品には、そんな隠し技がとても多い。
それゆえ、ボスは、
誰かがその隠し技の一つに気付けばそれでOK。
別に何も気付かなくてもそれでOK。
でいる。
ただ、ボスは、
隠し技に気付いて生き方が変わった人を見て、
一人「にやっ・・・」と笑って悦に入る。
ということは、・・・結局、
自分で自分をデザインすると見せ掛け、
実はボスの魂胆通りに調理されているのかも知れない。
むむっ、何とも恐るべし!!
その一方で、ボスは他者の心の財産を傷付ける
未熟な心・卑しい心を極端に嫌う。
嫌うがゆえに、
そんな未熟な心・卑しい心の成長・修復にも全力を尽くす。
だから、ボスは来る者を拒まず、
進路指導・人財養成を仕事として今日も徹夜をする。
なるほど、納得!!
その時、机の上から一冊の本が床に落ち、
その音で周囲の空気が一瞬張りつめた。
びっくりした〜〜〜。
えっ?
もしかして、ボスの一喝?
ごめんなさーい。
「M」じゃないか疑って・・・。
ボス、いつも気付きをありがとうございます。
(日常評論家 中場満)
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム9 besee vol.15
−『クッキングボスはM?』−
文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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やあ諸君、ご機嫌いかがかね?
春の大型連休も「あっ!」という間に終ってしまった。
きっと、諸君もあちこちの行楽地へ出かけ、
GWを楽しんだことであろう。
もしかしたら、妄想族であるの諸君の中には、
前回の妄想花見大宴会に引き続いて、
妄想でGWを満喫した者もいるのではないだろうか?
妄想族である以上、それは当然である。
が、そんな貴下は、・・・
「やっぱり、エライ!!」
それでこそ、妄想族の一員だ。
しかも、地球環境の改善が世界的に叫ばれている現在、
妄想は地球に優しい。
妄想では、どこへ行っても、何をやっても、
CO2を排出しないし、自然と楽しいECO行楽を実践できる。
まして今や世界的に流行しつつある
新型のインフルエンザにかかる虞も全くない。
どうだい?
妄想とは、何と素晴らしきものではないか!!
今になって妄想の素晴らしさを再確認し、
妄想行楽を忘れてしまったことを反省している諸君。
なーに、後悔することはない。
なぜなら、
今年は、妄想での行楽を実践できる機会が二度ある。
つまり、今年は秋にも大型連休(9/19−23)が訪れるのである。
諸君は何と幸運に恵まれたことか・・・
そんな幸運な機会の訪れが暗示するものは何かを考えると、・・・
これからは、「妄想の時代」だといえる。
そして、今年は、
妄想の時代の到来を告げる記念すべき年だ。
もっと、都合良く好意的に捉えれば、
妄想を実践する諸君にとって、今年は飛躍の年となることを予感させる。
ついに、妄想道に日の目が当たる時代がきたのだ。
フッ、フッ、フッ・・・
皆、もっと妄想に熱くなろう!
『妄想、ブラボー!!』
・・・・・・・・
さて、話は変わるが、
今年も早々と三分の一の月日が過ぎ、いよいよ五月だ。
五月といえば、新緑の木々に生命の力強さ、
大いなるエネルギーを感じさせる季節だ。
「力強さ」「大きなエネルギー」といえば、
私の知人に「無限の力強いエネルギー」を感じさせる人物がいる。
いや、単なる知人と言うより「師匠」と呼ぶに相応しい人物である。
そんな彼は、周囲に安心感を与える。
彼との会話で勇気と自信を得た者は数多いことであろう。
そういえば、昔のテレビ番組で、
主人公が窓に掛かったブラインドの隙間から外を眺めるポーズで
一世を風靡した刑事ドラマがあった。
この主人公は、皆から「ボス」と呼ばれ、
その存在感の大きさと的確なアドバイス、叱咤激励によって、
部下に勇気と自信を与えて一人前に育てあげている。
まるで、彼のようだ。
だから、彼のことを『ボス』と呼ぶことにしよう。
そんなボスは、いつも寝不足だ。
顔を合わすたびに、
「いやぁ〜、また徹夜しちゃったよ。」と挨拶代わりに言う。
徹夜までして、ボスは一体何をしているというのだ。
んっ? 疑わしい感情を持たれた諸君。
安心してくれたまえ。
ボスは別に如何わしい夜の仕事・危ない裏の仕事をしている訳ではない。
どうやら、いろんなアイデアが夜中に降ってくるらしい。
つまり、夜中の方が効率良く仕事がはかどる
という理由のようだ。
なるほど・・・確かに一理ある。
だが、若いときであるのなら、徹夜なんて何ともないといえるが、
失礼だが、ボスの年代で徹夜は身体に堪えるはずだ。
でも、ボスはまるで好んでいるかのように徹夜をし、
自ら身体を痛めつけ、それを楽しんでいるように見える。
う〜ん、もしかして・・・
ボスって、被虐性のある「M」なの?
と、疑いたくなる。
いや、いや、そんなはずはない。 絶対にない。
と思うのだが・・・
待てよ? 夜中に仕事というのは本当だが、
実は、昼間は炊事や洗濯・掃除、買物、等々家事が忙しく、
仕方なく夜しか仕事をする時間がないからではないだろうか?
つまり、仕事をしているときこそが、自由で至福のときで、
ついつい時間が経つのを忘れてしまうからではないだろうか?
そういえば、ボスがエプロンを着けた姿を妄想すると、
その体型からもマンガの「クッキング○○」の主人公に似ている。
うん、違和感はない。(失礼)
このボスを表すキーワードは、『スマートな生き方』といえる。
つまり、賢い生き方・上手な生き方である。
このスマートな生き方は、
確かに賢く・上手に生きる方法ではあるが、
自分さえ良ければそれで良いというものではない。
その根底には、相手を慈しみ、いとおしむ心がある。
すなわち、『愛でる心』が存在する。
だから、自分に関わる全ての人々を巻き込んで、
幸福になることを目指す。
また、そんなボスは、『Property』をとても大切にしている。
この「Property」とは、個の財産といってもいいだろう。
言い換えれば、個の特長もしくは独自性ともいえるであろう。
それゆえ、ボスは、
自らの人生での数多くの失敗や成功を経て培った財産と、
スマートな生き方を結びつけた心の財産に価値を見出し、
それを大切にしている。
もちろん、ボスは、他者のPropertyも大切にしている。
そして、そんなボスは、近頃、
愛でる心で包まれた心の財産の継承を望んでいる。
ゆえに、ボスは、自らの貴重な心の財産を
惜しみなく周囲の者に与える。
ボスが与える心の財産に基づくスマートな生き方は
とても論理的だ。
つまり、誰でも理解し、実践することができるように、
個々に合わせて創り込まれている。
まるで、料理人が素材の良さを生かして調理するように、
ボスは、目の前のその人を見て、その場でデザインしているようだ。
しかも、そのデザインは、
その人が自ら創作するように仕向けられている。
だから、素直な気持ちで受け入れれば、
多くの気付きがあり、すんなりと腑に落ちる。
自分で自分をデザインするのだから、
当然といえば当然であろう。
う〜ん、実に巧みな仕掛けだ。
ボスの言葉や作品には、そんな隠し技がとても多い。
それゆえ、ボスは、
誰かがその隠し技の一つに気付けばそれでOK。
別に何も気付かなくてもそれでOK。
でいる。
ただ、ボスは、
隠し技に気付いて生き方が変わった人を見て、
一人「にやっ・・・」と笑って悦に入る。
ということは、・・・結局、
自分で自分をデザインすると見せ掛け、
実はボスの魂胆通りに調理されているのかも知れない。
むむっ、何とも恐るべし!!
その一方で、ボスは他者の心の財産を傷付ける
未熟な心・卑しい心を極端に嫌う。
嫌うがゆえに、
そんな未熟な心・卑しい心の成長・修復にも全力を尽くす。
だから、ボスは来る者を拒まず、
進路指導・人財養成を仕事として今日も徹夜をする。
なるほど、納得!!
その時、机の上から一冊の本が床に落ち、
その音で周囲の空気が一瞬張りつめた。
びっくりした〜〜〜。
えっ?
もしかして、ボスの一喝?
ごめんなさーい。
「M」じゃないか疑って・・・。
ボス、いつも気付きをありがとうございます。
(日常評論家 中場満)
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム10
−『Juneのマネージャー』−
文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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やあ諸君、ご機嫌いかがかね?
今年も「あっ!」と言う間に6月になってしまった。
6月といえば、今年の上半期を締めくくる月だ。
年頭に誓った数々の思いの実現度・進捗度はどうかね?
順調にいっている者も、そうでない者も
ここでもう一度、身を入れようではないか!!
「時」というのは不思議なもので、
6月は正に、今年の上半期を振り返るのに適した時期といえる。
なぜなら、6月は梅雨の季節である。
当然、雨の日が多くなる。
雨の日となれば、何となく外出する気が失せ、
家の中にこもりがちになってしまう。
雨の日に喜んで外出したくなるのは、
河童ぐらいであろう。
河童は、頭の上のお皿が乾いてしまっては、
力もやる気も出ないからなぁ。
しかし、諸君は河童ではない。
いや、諸君の中には、たとえ雨の日であろうと、
合羽を着て勇んで外出する河童のような者もいるかも知れない。
きっと、かっぱ(合羽・河童)ゆえに、
外出が「止められない、止まらない」のであろう。
(上手い! 座布団一枚!!)
すっ、すまん・・・
話がくだらない駄洒落妄想へ逸れてしまった。
(個人的にはこの手の妄想が好きなのだが・・・)
話を元に戻そう。
家の中にこもりがちになるということは、
自然と考える時間が多くなる。
つまり、今年の上半期を振り返ると共に、
今年の下半期を妄想する機会に恵まれるということだ。
おっ、そうだ。
唐突ではあるが、今年から6月は妄想の月にしよう!!
諸君、どうかこの機会を生かし、
年頭に誓った思いの年内実現へ向けて、再度励んでくれたまえ。
フッ、フッ、フッ・・・
さて、6月は確かに雨の日が多いが、
鬱陶しいばかりではない。
この雨の恵みによって草木が育ち、
その生き生きとした緑が一層映える時期でもある。
生き生きと輝く緑は、
心に安らぎと、大きな力を与えてくれる。
ゆえに、6月は一年において欠かせない貴重な季節でもある。
ところで、「草木」、「欠かせない」といえば、
私の知人に草木のような緑がとっても似合う女性がいる。
きっと彼女なら、
緑色をした風呂敷模様の定番である、
唐草模様も似合うかも知れない。
たぶん、唐草模様が似合う人物といったら、
彼女か、東京ぼん太くらいであろう。
もしかしたら、
彼女は草を食して生きているのかも知れない。
それくらい彼女には緑がぴったりだ。
また、彼女とはイベントでよくご一緒するが、
とっても物静かだ。
おとなしいゆえに、目立つわけではないが、
イベントに彼女が居ないと、何だか物足りなさを感じさせる。
つまり、彼女は、
草木のような安らぎと、爽やかさ、清々しさ、
そして、控えめながらも確かな存在感を兼ね備えているのだ。
まさに、彼女には6月がぴったりだ。
だから、彼女のことを『June』と呼ぶことにしよう。
そんなJuneは、「香り」を愛する。
そして、Juneは「トキ」と「トコロ」に応じて、
素敵な香りを生み出していく。
先日、私がたまに顔を出すイベント会場へ行ったときも、
Juneが、この場所に最適な6月の香りを創り出していた。
Juneの解説によると、
このイベント会場の6月の香りは、
グレープフルーツの爽やかな香りに
ほのかな緑茶(グリーンティー)の香りをブレンドしたものとのこと。
つまり、
梅雨の季節も快適に皆の仕事が頑張れるように、
気分を明るくリフレッシュする爽やかさを意図したものである。
Juneにとって香りとは一体何なのであろう。
何故、「トキ」と「トコロ」に応じて
好ましい香りを創り出すことができるのであろうか?
不思議でならない。
単に、人より鼻が利くから?
いや、そんな単純なことではないであろう。
もしかしたら、Juneには、
この香りは○○色、この香りは△△色・・・
といったように、香りの「色」が見えるのかも知れない。
いや、ちょっと待て、
Juneは香りが見えるだけではなく、
この香りは今の季節にぴったり、この香りはちょっと未だ早いかな・・・
といったように、香りの「旬」も見るのかも知れない。
しかも、Juneには、
香りの「形」が見えるように思える。
だから、Juneは「トキ」と「トコロ」に応じて、
香りをデザインできるのであろう。
いや、絶対にそうに違いない。
と言うことは、Juneは、
相手の顔や、そのときの肌の色艶、髪型、服装等々を見て、
その人に最適の「香り」を創り出すことができるのかも知れない。
そうなると、相手を見て創り出されたその香りは、
今の自分の弱点を補いつつ、最大限の魅力を引き出す武器となる。
う〜ん、そんな武器は多くの者が欲しがるであろう。
いっそのこと、
易者のように街角に机と椅子を出し、
その場で相手の目的に応じて香りを創り出してはどうであろうか?
いやぁ〜、そんなJuneを妄想するだけで
この香り(パーソナルアロマ)はますます高く売れそうだ。
そうだ!マネージャーをやらせてもらおう!!
そう、マネージャーとなると、
そんな1対1の効率の悪い仕事はさせられない。
21世紀はITの時代だ。
だから、ITを活用して、
オフィスで効率良くできる仕事を考えよう。
たとえば、香りにJune特有の番号を付けておき、
インターネットからアクセスしてきた相手にアンケートに答えてもらい
その相手に最適な香りのブレンド処方を提供する。
この時、ブレンド処方は無料であるが、
香りエッセンスは有料で提供する。
すなわち、個々の香りエッセンスを販売し、
相手に自分で調合してもらうのだ。
もちろん、予めブレンドされた香りを提供しても良い。
しかし、予めブレンドされた香りを提供してしまうと
1回限りの販売で終ってしまう可能性が高い。
したがって、自分で調合してもらった方が、
その後の繋がりが確保でき、
リピータ顧客となってくれる希望が持てるであろう。
それだけではない。
その相手をJuneクラブ会員としてしまう。
そして、会員から「香りの助言メール」を受け付け、
会員の状況を想像しつつ、会員の希望を加味し、
新たなブレンド処方を提供する。
ここでも、リピータ顧客となってくれる希望が持てるであろう。
しかも、この時の作業を自動化する。
すなわち、会員から送られてくるメールの中の文言を拾い出し、
その文言をキーワードとして、予めこの文言と紐付けられた香りを基に、
ブレンド処方を自動的に作成するシステムを構築するのだ。
どうだいJune、
私と組まないかい?
フッ、フッ、フッ・・・
その時、
ちょっと汗臭いような脂臭いような臭いが・・・
えっ、まさか加齢臭?
ガ〜ン、ちょっと待ってよ。
June、私に最適な香りを創って〜〜〜。
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム11
−『Merryさんの執事』−
文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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やぁ諸君、ご機嫌いかがかね?
とうとう7月だ。
7月は、一年の折り返し月である。
ということは、
今年も既に半分が過ぎ去ってしまったことになる。
早い・・・
月日が経つのは実に早いものだ!!
諸君は、どのように感じるかね?
そう聞かれて、過ぎ去った今年前半の日々を振り返るのではなく、
すぐさま今年の年末へと思いを馳せらせ、
忘年会やクリスマスパーティといった楽しいイベントを妄想する諸君。
流石だ。
それでこそ妄想族の一員である。
諸君の飛躍し過ぎるくらいの気忙しさとプラス思考に頭が下がる。
そうだ! 手を結んで拳をつくり、その拳を天へ近づけてくれたまえ!!
「諸君、(妄想の)腕を挙げたなぁ〜 (腕前を上げたなぁ〜)」
シラ〜〜〜
すっ、すまん・・・
今回はくだらないジェスチュアをさせてしまった。
許してくれ。
話を元に戻そう。
さて、妄想族は周囲に何と言われようと、
常に楽しい未来を見据えていなくてはいけない。
ゆえに、7月を迎えて、
早々と年末へと思いを馳せらせるのはOKだ!!
むしろ、推奨する。
さぁ、楽しいイベントを妄想し、
今年の下半期は、それを実践しようではないか。
フッ、フッ、フッ・・・
また、7月といえば、鬱陶しい梅雨が明け、
これから本格的に始まる暑い日々の訪れを告げる月である。
それと同時に、これから迎える夏休みの
楽しいイベントに向けて自然と思いが馳せる時期でもある。
きっと、多くの諸君が夏休みのプランを練りながら、
ムフフなことを妄想し、ワクワクすることであろう。
お祭り・・・の夜
花火大会・・・の後
盆踊り、海水浴、肝だめし・・・
つまり7月は、
何かを期待させる希望に満ちたエネルギッシュな「月」
だといえる。
それに、今年は何十年ぶりかで
日本の一部の陸地からでも皆既日食が見られるようだ。
うん、きっと今年の夏は何かあるぞ〜〜〜!
おぉぉぉ〜、正にムフフだ!!
ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ・・・ふぅ〜
すっ、すまん・・・
ボルテージが上がって咳込んでしまったようだ。
もう、大丈夫だ。
ところで、唐突ではあるが、
7月生まれの人間に悪人はいない。
皆、誠実だ。
えっ、その根拠は何かだって?
根拠は・・・
「無い。」
ただ、私が7月生まれだからだ。
いけないかね???
すっ、すまん・・・
このコラムが10回を超えて、密かなファンがいることに気を良くし、
少し図に乗ってしまっていたようだ。
申し訳ない。
再び、話を元に戻そう。
ところで、「何かを期待させる」といえば、
私の知人にそこはかとなく可能性を感じさせる女性がいる。
可能性といっても、
彼女は10代や20代のような若者では無い(失礼)。
また、彼女は、珍しい特技や何らかの記録を持っている
という訳でもない(と思う)。
さらに、周囲を「あっ」と言わせるような
奇抜なこと・大掛かりなことをする訳でもない。
ただ、「楽しい思い」を次々と実現させているのだ。
それゆえ、傍から見ていて、
彼女の生き生きとしたその姿に自然と引き込まれてしまう。
しかも、彼女を見ていれば見ているほど、
次はどんな楽しいことを仕出かすのだろうか、
といったワクワク感さえも抱かせる。
だから、楽しい期待感を抱かせる彼女のことを
『Merry』と呼ぶことにしよう。
そんなMerryは、
「着物」と「料理」と「イベント」をこよなく愛する。
つまり、Merryは、自分が楽しいと思うことを、
「着物」と「料理」と「イベント」を介して実現し、
さらに、その楽しさを「思い出」という形に変えて周囲に与えている。
では、一体なぜMerryは、
「着物」「料理」「イベント」に興味があるのであろうか?
もしかして、幼少のころ戦争で家が焼かれ、
着る物も、食べる物も、そして住む所も無く、
着の身着のままで過ごした経験があるからであろうか?
いや、Merryはそんな年齢ではない。
十分若さに溢れている!!
ちょっと待てよ?
この「着物」と「料理」と「イベント」は、
「衣」「食」「住(空間)」と言い換えることができる。
しかも「衣」「食」「住(空間)」といえば、
暮らしに欠かせないものだ。
また、「思い出」は、人生に欠かせないものだ。
つまり、「衣」「食」「住(空間)」も「思い出」も、
万人にとって欠かせない大切なものといえる。
ということは、
Merryは心が欲するがまま素直に、
ごく自然とこれらのものに惹かれているというのか?
つまり、Merryは飾らずに、
自然体で生きているということなのであろうか?
う〜ん・・・
どうやらそうなのかもしれない。
Merryを見ていると、そうとしか思えない。
だから、Merryは自分も楽しみながら、
これらを巧みに結びつけることができるのであろう。
しかも、Merryはこれら「衣」「食」「住(空間)」の価値を高めつつ、
次々と楽しい思いを実現させている。
これも自然体がなせる仕業なのであろうか。
おそるべし、Merry!!
また、このようなMerryの思いは、
人との良縁に恵まれた結果、実現されているようにも見える。
つまり、色んな人がMerryに協力をする。
では、一体Merryはなぜ、
良縁に恵まれているのであろうか?
もしかしたら、Merryは生まれながらに、
良い人運を持った人間なのかも知れない。
でも、何で?
何でMerryなんだ?
Merryが、万人にとって欠かせない「思い出」を創れるから?
なるほど・・・
でも、それだけではないであろう。
この良い人運を高めるMerryの魅力の一つに、
誰の話でもちゃんと耳を傾ける「素直さ」があるといえる。
この子供のような素直さゆえ、
Merryは人から信じられているのであろう。
つまり、Merryは信じられる子という訳だ。
しかも、Merryは子供のようであるゆえ、
不思議と放っておけない、何か手伝いたい、
といった気持ちにさせる魅力がある。
つまり、周囲の者を皆「執事」に変えてしまうのだ。
ということは、私も執事?
その時、急にMerryのビジネスのことが気になりだした。
Merry、私に手伝えることは何かあるかい?
「メェ〜・・・、メェ〜・・・」
おぃ!それは羊だ!!
すっ、すまん・・・
また、やってしまった。
何か今回は謝ってばかりだ。
(日常評論家 中場満)
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム12
−『余裕のポン』−
文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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−『余裕のポン』−
やぁ諸君、ご機嫌いかがかね?
ついに8月がきた。
巷では、子供達が夏休み真っ只中である。
そういえば、通勤に利用する電車内でも
家族連れを多く目にする。
つい先日も電車の中で、
幼い姉妹を連れたお父さんとお母さんの親子連れに出会った。
女の子たちは車内で算数の遊びをしていた。
小学校低学年位と思われる姉が足し算の問題を出し、
就学前と思われる妹がその問題に答える。
何気なく姉の出す問題を聞いていると、
就学前の妹には難し過ぎると思われる問題が含まれている。
だが妹は、何と全て正しく答える。
しかも、一か八かのギャンブル的な回答の仕方ではなく、
自信を持って答えているように聞こえる。
すっ、すごい。
天才少女だ。
きっと、親が英才教育を施しているのだろう
と思いながら妹の方を見る。
すると何と、妹を抱っこしているお母さんが
その耳元で答えを教えているではないか!!
うっ、騙された・・・
感心した私が甘かった。
何だか、実に悔しい。
そう思ったら急に、
今まで気にならなかった姉妹の声が
大き過ぎると感じられてきた。
そして、
車内なんだからもう少し小さい声で遊ぶように注意しない
姉妹の親が腹立たしく思えてきた。
すると、姉妹の父親が、車窓越しに空を見上げながら、
「天気が悪くなってきたなぁ〜、雨が降ったら嫌だなぁ〜」
と姉妹の母親へ言っているらしき言葉を発した。
だが、何とその声が非常に大きい。
なるほど、この親にしてこの姉妹だ。
どうやら声のでかいのは遺伝のようだ。
しかし、だからといって公共の場である車内で
大声で騒ぐことが許される訳ではない。
実際、姉妹の背後側にいる初老の紳士は
ちょっと迷惑そうな顔をしている。
だが、姉妹の両親は一向に子供達を注意する気配はない。
仕方がない・・・
ここは私の出番だな、と意を決め一言。
「そこの親子連れ、やかましいぞ!!」
と心の中で強く強く念じると共に、
この親子連れが直ちに下車することを妄想した。
するとどうだろう、
その親子連れは黙って次の駅で下車するではないか。
どうだい? 流石だろう。
この勇気と熱念が親子連れを動かしたのだ。
やはり、妄想は世の中を救うものだ。
フッ、フッ、フッ・・・
さて、今年も8月になった。
だが、今年の夏は、
局地的な集中豪雨や、梅雨の明けない長雨、
竜巻の発生、地震といった異常気象が起こっている。
とはいっても、8月はやはり「暑い」。
夏に違いはない。
ところで、「暑い」繋がりで思い出したが、
私の知人に心の熱さを感じさせる男がいる。
念のために断っておく。
暑苦しいの「暑さ」ではなく、
厚顔無恥の「厚さ」でもなく、
熱血・熱心・情熱の「熱さ」だ。
いや、見た目は厚くて、少し暑いかも知れない。(失礼)
ちなみに、どんな見た目かというと、
地球の赤道付近の島々に住む南方系民族のように
日本人離れをした容姿をしている感じだ。
つまり、時間を気にせずおおらかに育った豊かな肉体と、
太陽の光で妬けた黒くて凛々しい顔立ちをしている。
見様によっては、
クマの縫いぐるみのようにも見える。
その愛くるしい瞳に見つめられたら、
蛇に睨まれた蛙のようになってしまう。
んっ? なんか例えがおかしい・・・
でも、まっいいだろう。
そんな彼は・・・
やっぱり厚いし、暑い。(再度失礼)
だが、彼の心は熱い!!
そんな心が熱くて、見た目が厚くて暑い彼のことを、
『ホット』と呼ぶことにしよう。
んっ? ちょっと待て。
ホットでは何だか落ち着いた感じがして、彼には相応しくない。
そうだ、彼のシンボルとも言える豊かな肉体(お腹)から発せられるであろう
肉体音の『ポン』と呼ぶことにしよう。
そんなポンは、
「祭(御輿)」と「太鼓」と「バイク」をこよなく愛する。
一体、なんでポンはこれらのものを愛するのであろうか?
もしかしたらポンは、
ムフフな踊り(祭)?
エヘヘなリズム(太鼓)?
ウッシッシッなツーリング(バイク)?
が好きなのかも知れない。
すっ、すまん。
真面目に考えよう。
「祭(御輿)」と「太鼓」と「バイク」には、
何か共通点でもあるのであろうか?
う〜〜〜ん
おぉ、そういえばこれらは何れも、
自己陶酔し易いものといえる。
もしかしたらポンは、
御輿を担いでいる格好良い自分、
太鼓を叩いている格好良い自分、
風を切ってバイクで走る格好良い自分、
を妄想し酔いしれているのかも知れない。
ということは、
ポンは、いわゆる「ナルシスト」ってことか・・・
う〜〜〜ん、何か違う気がする。
格好良さに陶酔しているポンは、全く想像がつかない。
他に理由があるはずだ。
そう言えば、
祭の掛け声、太鼓の音、バイクのエンジン音からは、
何か大きなエネルギーを感じる。
ということは、
ポンは、このエネルギーを感じ取り、
心が惹きつけられてしまったのかも知れない。
なるほど・・・
ナルシストよりかは現実味がある。
だが、誰でも「祭(御輿)」と「太鼓」と「バイク」に
心が惹きつけられてしまうのであろうか?
ポンを見ていると、何か必要不可欠な素地があるように思える。
ポンが持っている素地とは何であろう?
もしかしたら、ポンは、
「集中力」と「余裕のある心」を巧みに使って、
熱くなっているのかも知れない。
確かに、これらのものに心が惹きつけられるには、
喧嘩や失敗、事故といったものを怖れない集中力と、
その場に応じて臨機応変に行動する心の余裕が
不可欠のように思える。
実際に、ポンからは、
心も身体(お腹)も余裕がある感じがする。(度々失礼)
急くことの多い今の時代、
「ゆとり」や「あそび」といった心の余裕を持つことは良い。
だが、健康面でメタボ体型が注意されている今の時代、
身体(お腹)の余裕には気を付けよう。
さて、もう他に理由は無いだろうか?
そう言えば、ポンは「映像」も好きだ。
もしかしたらポンは、
映像に撮られたときの自分を意識して
熱くなるものを決めて入るのかも知れない
御輿を担いでいる格好良い自分をイメージ。
太鼓を叩いている格好良い自分をイメージ。
風を切ってバイクで走る格好良い自分をイメージ。
ということは、
ポンは、やっぱり「ナルシスト」ってことか・・・
うん、間違いない!!
それじゃ、ポン!
私を格好良く撮ってくれないかい?
その時、急に激しい雨が・・・
異常気象が続いている今年の夏だが、
余りにもタイミングが良すぎる。
もしかして、これがポンの気持ちってことかい?
ハイ、ハイ、分かりました。
もう、撮ってくれとは言いませんよ。
でっ、次は何に熱くなるんだい? ポン。
まさか、夏バテ防止に「焼肉」ってか?
余裕だねぇ〜。
(日常評論家 中場満)
「打ち出のポン」
ポン、ポン、ポン
ポンジュース?
麻雀?
太鼓の音?
ポンっと鳴った花火がキレイだな〜♪
あっ、それはドンか。。。
(でもドンってのも合ってるかも。)
あっ、突然すみません。
何の話してるかって?
それはもちろんこの話しですよ。
http://heiz.jp/besee/member/nakabayashi/index.html
「ポン」と聞いた時から、頭の中で「ポン、ポン、ポン」てリズミカルな音と、
それに合わせて太鼓を叩くポンが浮かんで離れないんです。
「祭(御輿)」と「太鼓」と「バイク」。
バイクに跨り、行く先々で太鼓を叩き、祭りに参加(その場を祭り)にしちゃいそうなポン。
話し掛けると次から次へとポンポンとその身体(お腹? 失礼!)から
アイディアと元気をくれそうなポン。
そうか、ポンは「打ちでの小づち」なのかもしれない!
しかもそれを出すタイミングを狙っている(美味しいタイミングを狙っている!)のかもしれない!
さりげなくバイクで表れ、こっちで「ポン」と元気を出し、あっちで「ポン」とアイディアを出し。
今度はいつどこで何を出してくれるんだろう??
ワクワク、ドキドキ!
妄想見習編集長
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム13
−『オータムの羽衣』−
文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム13
−『オータムの羽衣』−
やぁ諸君、ご機嫌いかがかね?
とうとう10月になってしまった。
ということは、
今年も4分の3の月日が既に過ぎ去ってしまったということだ。
月日が経つのは実に早い。
そろそろ年末に向けた準備でも始めようではないか。
さて、先号は寄稿できず大変失礼した。
実は、
私の仕事上のパートナーがダウンしてしまったのだ。
パートナーといっても人間ではない。
愛用のパソコンである。
ある夜、突然にハードディスクからシュルシュルという異音が・・・
これは私の手に負えないと感じ、
秋葉原の専門業者へ預けるが、
データの復旧はできず、ハードディスクを交換することに・・・
ところが、交換した新しいハードディスクへ
システムのプログラムをインストールできないとのこと。
その後の診断で、
CD/DVDドライブやマザーボードまで支障があるとのこと。
経年劣化らしい。
結局、何の成果もなく、
新しいパソコンへ買い換えることに・・・
その間、なんと三週間を費やす。
う〜ん、実に虚しい。
秋の冷たい夜風が何とも身に沁みる。
フッ、フッ、フッ・・・
さて、いつまでも落ち込んではいられない。
10月と言えば秋本番だ。
秋は色々な表情を見せてくれる、魅力に溢れた季節だ。
活動的なスポーツの秋
知的な読書の秋
目や耳を癒してくれる芸術の秋
舌を楽しませてくれる食欲の秋
ちょっと淋しげな感傷的な秋
等々・・・
ところで、私の知人にも
秋のように色々な表情を感じさせる女性がいる。
そんな秋本番の10月にぴったりの彼女のことを
「オクト(Octo)」と呼ぶことにしよう。
んっ?ちょっと待て。
「オクト」というと「オクトパス」を連想してしまう。
「タコ」だ。
だが、彼女を見てもタコを連想することはできない。
でも、もしかしたらタコのように体が柔らかいのかも知れない。
いや、タコのように顔を真っ赤にして怒ることも考えられる。(失礼)
実は、タコのようにしつこく人にまとわり付くのかも・・・。(重ねて失礼)
そう考えると「オクト」でも良い感じがする。
が、今回はやめておこう。
そうだ、単純だが『オータム』と呼ぶことにしよう。
そんなオータムは、とてもシャイな性格をしている感じだ。
そう、シャイとは、
象に次ぐ大型の陸棲哺乳類であり、
皮膚は非常に分厚く硬質で体全体を鎧のように覆っている。
また、頭部には1本または2本の硬い角を持ち、
「シロ」や「クロ」、「スマトラ」、「ジャワ」「インド」といった種類があり、
乱獲が進んで絶滅の危機にあり、・・・
って、おいっ!それは「シャイ」じゃなくて、
「サイ」だろ!!
すっ、すまん。
駄洒落に走ってしまった。
どうやら私のDNAには、
おちゃらけの因子が含まれているようだ。
話を元に戻そう。
さて、彼女が感じさせる色々な表情といっても、
彼女は喜怒哀楽が激しい訳ではない。
他者の言葉・周りの何かを感じ取って、
彼女の醸し出す雰囲気が変わってしまうのだ。
これは「感性が豊か」といった一言では
済まされない何かを感じる。
まるで、格闘家や勝負師のように、
洞察力が優れているようだ。
う〜ん、実に不思議だ。
そして、なんだか怖い。
だが、そんなオータムは音楽をこよなく愛する。
なぜ、音楽を愛するのか?
きっと音楽は、
曲を創るにしても、歌を歌うにしても、
オータムの色々な表情を素直に表現できるからなのであろう。
ゆえに、オータムが創り出す曲は、
秋のように色々な表情を醸し出していると思う。
また、オータムの歌声はとっても柔らかい。
私も何度かオータムの歌声を聞いたが、
聞いている人々をやさしく包み込む感じだ。
そう、まるで天から降ってきた歌声の羽衣で人々を覆うようだ。
できれば、オータム自身に覆ってもらいたいが・・・
しっ、失礼!
失言であった。
オータム、謝るからセクハラで訴えないでくれ!!
ところでオータム、
今度はいつその歌声の羽衣で私を覆ってくれる?
その時、急に雨が・・・
そう、わかったよ、オータム。
「雨にでも覆われてろっ!!」ってか・・・。
怒った表情もオータムの魅力かも知れない。
フッ、フッ、フッ・・・
(日常評論家 中場満)
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム14
−『ニコちゃんのたくらみ』−
文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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やぁ諸君、ご機嫌いかがかね?
早くも11月になってしまった。
ということは、
今年もあと2カ月足らずしか残っていないということだ。
そう思うと、なんだか少々気忙しくなる。
また、この季節になると木枯らしが吹き、
冬の訪れを意識することもあって一層気忙しくなる。
つい先日も、昨年より1日遅く、
11月2日に木枯らし1号が吹いた。
木枯らしが吹く季節になると、冬はもうすぐ目の前、
いや、既に冬の入口に到達したといってよい。
実際、巷ではクリスマスの飾りつけが既に始まっている。
さて、突然だが、
「木枯らしとは、晩秋から初冬にかけて吹く冷たい北寄りの強風のことで、
木を吹き枯らすということからきた呼び名である。
しかも、この「木枯らし1号」は気象庁が考えた言葉で、
東京と近畿地方しか発表されていない。」
って知っていたかね?
フッ、フッ、フッ・・・
えっ? それがどうしたって?
べっ、別にどうしもしないが、
ちょっと小ネタとして提供したまでだ。
(チェッ・・・)
話を変えよう。
「木枯らし」といえば、「紋次郎」
を連想するのは私だけであろうか?(知っているかな?)
そして、「紋次郎」といえば、俳優の「中村敦夫」
「中村敦夫」といえば、元参議院議員「みどりの会議の代表」
「みどりの会議」といえば、「元新党さきがけ」
「新党さきがけ」といえば、結党時メンバーであった「鳩山由紀夫」
「鳩山由紀夫」といえば、「民主党」
「民主党」といえば、「水平線に浮かぶ太陽のように見えるロゴマーク」
(民主党ロゴマークの実際の意味は違います。)
「太陽のように見える」といえば、
私の知人にいつも太陽のようにニコニコしている男がいる。
そうだ、そんなニコニコしている彼のことを
「ニコちゃん」と呼ぶことにしよう。
このニコちゃんは、サッカーをこよなく愛する。
いや、サッカーというより、
特定のチームを熱狂的に愛する。
ニコちゃんの愛するチームは赤い。
なぜ、ニコちゃんは赤いサッカーチームを愛するのか?
素直に考えれば、
ニコちゃんは旧U市(現:S市U区)出身なのかも知れない。
いや、それではあまりにも単純すぎる。
そんな単純な理由で熱狂的になる訳がない。
きっと、もっと説得力のある理由があるはずだ。
もしかしたら、
ニコちゃんは学生時代にサッカーをやっていたのかも知れない。
しかも、将来Jリーガーを目指すくらいの有望な選手。
ところが、ハードな練習が元で予期せぬ大怪我を負ってしまい、
サッカーを諦めなければならなくなってしまったのかも知れない。
しかし、サッカーに対する情熱が捨てきれず、
ニコちゃんは仲間が入団した赤いサッカーチームを応援し、
毎回試合を観戦しては、仲間に客観的なアドバイスを送っている。
だから、熱狂的にサッカーを愛する。
うん、そんな深い理由があるのであれば納得できる。
だが、とても昔サッカーをやっていた
将来有望な選手のようには思えない。(失礼!)
サッカー選手ではなく、サッカーボールのように
あちこち転げ回っているのなら分かるが・・・(重ねて失礼!)
では、なぜニコちゃんはサッカーを愛するのか?
きっと、何かたくらみがあるに違いない。
もしかして、不純な動機?
おっ、きっと赤いサッカーチームのサポータに
ニコちゃんお気に入りの女性がいるに違いない。
それで、毎回彼女に会うためにサッカーを観戦しに行っている。
つまり、下心見え見えのにわかサポータなのだ。
うん、それなら何となく納得できる。
すっ、すまん。
ニコちゃん許してくれ。
ニコちゃんはそんな男ではない。
はずだが・・・
たぶん・・・
だと、思うけど・・・
何だか自信が・・・
・・・ごめん。
おっと、これではいけない。
ニコちゃんの名誉のために、
頑張って違うたくらみを見つけよう。
おおっ、そうか分かったぞ!
ニコちゃんは日頃のフラストレーションを発散するために
熱狂的に赤いサッカーチームを応援しているのだ。
きっと、ニコちゃんの職場に障害となる上司がいるのだろう。
しかし、気が優しいニコちゃんは上司に対して反抗できず、
そのエネルギーを赤いサッカーチームの応援で爆発させている。
つまり、応援と見せかけて上司に対する不満を叫んでいるのだ。
うん、絶対そうに違いない。
さすがニコちゃんだ。
他人に嫌な思い・迷惑をかけずに、
自分なりの気分転換法を確立している。
しかも、赤いサッカーチームのサポータだなんて、
見た目と合わずに何と力強く、爽やかなんだろう。(Max失礼!)
で、ニコちゃん、欲求不満の原因となっている上司って一体誰だい?
その時、一匹の蜂が・・・
なるほど、ニコちゃんの気持ちは良〜く分かったよ!!
フッ、フッ、フッ・・・
(日常評論家 中場満)
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム15
−『姐さんのお掃除』−
文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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やぁ諸君、ご機嫌いかがかね?
とうとう12月になってしまった。
そして、2009年もあと半月程しか残っていない。
つい先日新年を迎えたと思ったら、もう年末だ。
月日が経つのは何と早いことであろうか。
えっ?
お前が年を取ったからそう思えるんだって?
しっ、失敬な!!
未だ、そんな歳ではない。
気分を害したから、今回のコラムは書かない。
えっ?
今度は子供みたいだって?
ぶっ、ぶっ、無礼者め!!
・・・・・
うぉっほんっ。
仕方がない、気を取り直して続きを書こう。
さて、12月といえば、一気に寒さが増す季節だ。
まさに、冬本番である。
そして、なべ料理のおいしい季節でもある。
スープが醤油ベースの寄せ鍋や、おでん、
味噌ベースの石狩鍋や、あんこう鍋、
ちょっとピリ辛のキムチ鍋(チゲ鍋)・・・
う〜ん、皆おいしい。
ところで、なべ料理といえば、
「なべ奉行」の存在を忘れてはいけない。
このなべ奉行は、
具材の入れ方や火加減等を、こと細かに注意し仕切る。
しかも、うんちくを傾ける。
実に、厄介な存在だ。
もし、そういう輩が同席したら、
なべ奉行の話はさらっと受け流し、すべて任せておこう。
要は、なべをおいしく食べられれば良い。
また、最近では「なべ奉行」より厳しく仕切る者を
「なべ将軍」と呼んでいるらしい。
さらに、なべ料理で灰汁をすくう者を「アク代官」、
何もせずにただ食べるだけの存在の男性を「待ち奉行」、
女性を「待ち娘」と呼んでいるらしい。
この程度の小ネタは、
諸君も当然知っていることであろう。
常識であるからな。
フッ、フッ、フッ・・・
さて、「なべ」に関する話題は尽きないが、
「なべ」といえば、一人の女性が思い浮かぶ。
彼女は「なべ」をとても可愛がる。
えっ?「なべ」が好きじゃなくて、可愛がる?
と思った諸君。
諸君の注意力は鋭い。
そう、可愛がるというからには、
「なべ」は「なべ料理」のことではない。
彼女の可愛がる「なべ」とは、
彼女から「なべちゃん」と呼ばれている男性のことだ。
なべちゃんは、彼女のことを「姐さん」と呼び、
子分のように尽くしている。
まるで、弱みを握られ脅されているように、
なべちゃんは彼女に尽く。
そうだ、そんな彼女のことを、
ここでも「姐さん」と呼ぶことにしよう。
この姐さんとなべちゃんは、とっても良いコンビだ。
たとえば、姐さんが「な〜べちゃ〜ん」と一声掛ければ、
なべちゃんは、すかさず黄色いコーラを準備し持って行く。
断わっておくが、黄色いコーラとは、
諸君が理解しているコーラの新商品のことではない。
世間では「ビール」と称しているものだ。
姐さんにとってはビールも
コーラと同じ清涼飲料の類であるのだ。
実に、豪快な感じがする。
しかも、姐さんの場合、
16時を過ぎたら黄色いコーラの時間であるらしい。
したがって、なべちゃんにはいつも
16時過ぎに声が掛かる。
そんな姐さんは「偽り」を嫌うようだ。
皆「偽り」は嫌いだが、姐さんの嫌う偽りは、
人の心を覆っている「汚れ」に例えることができる。
つまり、世間のしがらみや損得勘定にとらわれた、
自分らしさを失わせる「汚れ」を嫌うのだ。
ゆえに、姐さんは「汚れ」を掃除することを好む。
この姐さんの掃除は、
柔らかいタオルで優しく汚れを拭き取ることはしない。
つまり、表面的に体裁を整えることはしないのだ。
先程も言ったように、姐さんは豪快だ。
ということは、掃除も豪快だ。
それじゃぁ、研磨剤を用いてゴシゴシと擦り、
汚れを削り落とすように掃除をするのかって?
違う!
研磨剤を用いては表面に傷がついてしまうではないか。
姐さんの掃除は、傷をつけない。
むしろ表面を、つるっ、つるっ、にするのだ。
つまり、この姐さんの掃除は、
まるで、材木の表面をカンナで削るように、
一気に汚れの皮を落すのだ。
確かに、皮を削り落せば、
表面に傷がつかず綺麗になる。
しかも、姐さんの掃除に耐えられれば、
心も強くなる。
恐ろしい・・・
いやっ、頼もしい!!
こうやって、姐さんは汚れた心を再生させる。
でも、姐さんはなぜ、これ程まで汚れを嫌うのであろうか?
もしかしたら、姐さんは潔癖症なのかもしれない。
いやっ、それはないであろう。(失礼!)
姐さんの場合、黄色いコーラを飲み過ぎて、
道路に寝転んでしまう可能性が高い。(重ねて失礼!)
もしかしたら、
既に日常化しているかも知れない・・・(Max失礼!)
それだけではない。
道路で寝込んだ姐さんの傍らで
なべちゃんが姐さんを介抱していることも・・・
だから、姐さんは潔癖症ではない気がする。
それじゃあ、なぜ姐さんは・・・
いやっ、もうこれ以上妄想するのは止めておこう。
姐さんのイメージダウンだ。
それより、名誉棄損で訴えられてしまうかも知れない。
皆さん、姐さんはと〜っても素敵な人ですよ。
(ふぅ〜っ)
そういえば姐さん、ちょうど年末だから、
掃除には良い時期ではないですか。
えっ?
それじゃぁ、お前を掃除してあげようかですって?
しかも、大掃除ですって?
めっ、滅相もございません。
だっ、大丈夫です。
掃除は自分でできますから・・・
もしかして、姐さん怒ったの?
だって、頭から(トナカイの)角が・・・
サンタさ〜ん、助けて〜〜〜。
(日常評論家 中場満)
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