亜希菜のコラム 2009

【亜希菜のコラム vol.9】 Jan.2009


 時代精神と表出

建築は音楽に似ている。
音楽が音符と音符のインターヴァルにその本質があり、
その質はインターヴァルを形成するものとしての音の在り方に左右されるのと同じように、
建築は壁、床、天井といったものとモノに囲まれた空間、つまりインターヴァルの芸術だからである。

クラシック、現代音楽、ジャズ、ロック、ジャンルとしてさまざまに分類されているが、
そのありようと時代を見てみるのも面白い。


「グレゴリオ聖歌が黄金期を迎えるころ音楽史に重大な変化が訪れた。
これこそが和声法と対位法の発達の期起源に他ならない」という。
(『音楽史』:アルフレッド・シュタイン、1947)


この時期、つまり12世紀後半には、パリ、ノートルダム楽派が中心となり、ポリフォニー音楽は発展していった。
そのなかでレオナンが活躍した時期は、まさに教会建築が新たな建築理念を発展させた時期であり、
そしてその仕事を受け継いだペロタンの作品の発表も、ノートルダムの建設の時期と同調している。

リヒテントリットは
グレゴリオ聖歌はロマネスク建築対応し、ポリフォニーはゴシック建築に対応するといい、
「ポリフォニーの芸術はゴシック建築のような壮麗さを思い浮かべることができる時代に初めて生まれることができるのだ」
(『Music, History, and Ideas』 Hugo Leichtentritt, 1950)と指摘しているように、
芸術表現は時代精神を表していると見ることができよう。

芸術作品が「美的価値」を目的につくられるようになったのはルネサンス期以降であるという。
これが近代においては「展示価値」を持つにすぎないものとなり、
資本主義において「商品価値」を持つにすぎないものとなってしまった。
(『Das Kunstwerk im Zeitalter Seiner Technischen Reproduzierbarkeit』
Walter Benjamin, 1936)

それでもなお、それぞれの作品はその時代の表現を背景に持ちながらも、
時代を超え時の評価に左右されず生き抜く力=質を我々は感じ取ることができる。

時代という時に流れ、表現に張り付いていてはModeとして束ねられ消費されてしまう。

20世紀、近代建築の曙の時期、シェーンベルグは12音階、そして無調性の音楽を発展させた。
同時期バルトークもその民族意識とともに12音階へと向かった。

メシアンはモード的思考をパラメータに置き換え、

またジョン・ケージはプリペイドピアノによって偶然性と雑音を音楽の中に導入した。


電子音楽の発展に伴って、セリー音楽、ポストセリーへと進み、
シュトックハウゼンによる空間的音楽、モメント形式を展開したのは1970年代である。


デコンストラクチャービスムスの建築が生まれるのもこの時期であり、
これらは同じ根をもつものなのかもしれない。

これから先、どんな音楽が生まれるのか、どんな世界観を我々は獲得できるのか興味深いことではある。


時という表現を獲得するととは大事なのかもしれない、
しかしその背後に表質として輝き出す真の生きた質を創造することなくしては、
その表出はむなしく消え去るものとなってしまうのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【亜希菜のコラム vol.10】 Feb.2009

「ヤッツ!」

私がJAZZに対峙したのはおそらくMiles Davisの“Round about
Midnight”からだろうと思う。

ミュートの効いたトランペットの音は、当時の私にとって
まさに煙むる気配が微妙に光る大人の空間を感じさせるものでした。

その後、多くの演奏家を聞くようになった。
John Coltrane, Theronious Monk, Sony Rollis, Bud Powell・・・・
数えればきりがない名演奏家たち。

かれらもMilesに育てられ、あるいは共演者であったりした。

多くの巨匠たちの中で、なぜ彼に最も心惹かれるのか・・・

それは、音楽と人間に対する意識だと思う。

バップ、ハードバップ、クールジャズ、エレクトリック・・・・

目まぐるしく変わる変わるように見えるスタイルは表現にすぎない。

「メディテーション」の連作で有名なヤウレンスキーという画家がいるが、
「自画像」という単純なモチーフの表現の変容に感じる精神的な力強さを、
彼の姿勢にも感じることができないだろうか。

そこにあるものは単に新しいもの、新奇なもの、世間に受けるものという視点ではない。


自分のスタイルを守るのでもない。

自らの可能性ではなく、音楽と自らの関係の可能性を追求する力強さがそこにあるように感じる。

だから変わることその力そのものがMilesなのだ。
ということがいえると思う。

「Jimi Hendrixの様に」と指示し、「Stockhausenを学べ」と語る

そして同時にメロディーが崩れたとしても、リズムを外すことは決して許さなかったという。

その時代の在り方の中に身を投じ、
JAZZという方法の中で音楽世界と自分の関係を見極めようとした。

歴史がそこにあるように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【亜希菜のコラム vol.11】

 シクラメン

 text= AKINA IWAHASHI
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もう5年もシクラメンを小さな鉢の中で育てています。

忙しくて、水をあげられず、枯らしてしまったこともしばしばありますが、
それでもお日さまを当てて諦めずに水をやっていると、いつしか小さな葉を出して
また元気に花を咲かしてくれています。

そんな中で色々なことを語ってくれます。

シクラメンの和名は「豚のまんじゅう草」。
それはこの球根の容姿から由来しています。

不思議なもので、この植物は双子葉でも単子葉でもなく、
子葉がなく、いきなり大人の葉っぱが出てきます。


花はうつむいていて大地との関係が深いことを示しています。
オダマキやスズランもそうですね。

花は種をつけますが、それが育つことはまずなく、株分けによって増えていく。
これはこの花もまた球根として、花の姿を内在しているからでしょう。

太陽が輝く時期に葉は無くとも十分に光貯える。冬に四大が大地に沈むころ
しっかりと熟成された光の力は、やがて天からの柔らかな光によって、葉が導き出される。

今の光の中で育つ、葉はやがて、宇宙に触れて造形され花へと変容する。

内部空間をもつ花へと・・・

この内部空間こそ、宇宙の飛び地として存在する生命の地として
去年の光が未来を創る場を与えている。

己の中にあるものしか感覚することはできない。
人はその中に光を持つからこそ、視覚を通して光を捉えることができる。

だからこそ肉体の部分で唯一、目は透明で光り輝いているのだ。

見えないものは本当に見えないのだろうか?
目に見えないものは本当に存在しないのだろうか?
聞こえないものは存在しないのだろうか?
触れないものは本当に存在しないのだろうか?

認識の前に感覚器官の養成があるのだから・・・


亜希菜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【亜希菜のコラム vol.12】

 alchimista

 text= AKINA IWAHASHI
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『鋼の錬金術師』という漫画があるようです。
これは、右腕と左足がオートメール(機械鎧)と称された体の若い錬金術師が主人公のお話らしいのですが、

この若き主人公の冒険活劇を聞いて、すぐに思い出すのが、ゲーテの小説でもおなじみの
「鉄腕の騎士」の異名を持った鉄の義手を持った騎士、ゲッツ・フォン・ゲルリヒンゲン
Gotz von Berlichingen (1480頃 - 1562)です。

でもさらに面白いのは、この漫画の主人公である錬金術師の父とされる人物、
フォン・ホーエンハイム (von Hohenheim) がパラケルススをモチーフとされていることでしょう。

Paracelsus、彼の 実名は「Theophrastus Philippus Aureolus Bombastus von Hohenheim」

1493年スイスのアインジーデルン近郊のエッグという町に生まれ1541ザルツブルグに没した
医師であり錬金術師と言われる人物です。

また彼は、ゲーテの「ファウスト」ででも有名な人工生命体の「ホムンクルス」を作ったとか、
賢者の石を持っていたとかいう伝説が残っている人物でもあります。


パラケルススは彼自らのことを粗野な人間だと語っているように、上層階級の人間ではありませんでしたが、
現在の医療の問題点,を的確にとらえたように、「治療」の本質をはっきりと語っていることは驚かされます。

そのことばにはやはり、
4大要素とその関係性をつかさどる錬金術の捉え方が見て取れます。

錬金術というと、鉛から金を作るというなんだか胡散臭い、魔術のように感じますが、
これは日本語訳での表象だと思います。

「錬金術」(アル・ケミー)、ドイツ語では「Alchemie」

「アル」は定冠詞ですから、ケミー(Chemie)化学の意味です。

アラビア語で「 al-kimiya' 」= Kunst des Legierens
つまり、何かと何かを「結びつける術」の意味です。

蛇足ながら、宗教=Religion(独)はラテン語で「religare」ですから
神と「再び結びつける」の意味です。


「結びつける」技術これは世界を繋がったものとしてとらえる術であり、
精神と肉体若しくは精神と魂と肉体を繋がったものとして認識するすべでもあるのです。

世界を全体としてとらえ読み解く術は、生きた世界を生きたままに捉える技術で、

現在の自然科学が、解剖学として死んだものを研究対象とし、研究室という世界から切り離された場所で
標本として世界から切り離された事物を対象として研究することの反対側にある世界です。

「川」というものを知ろうとして、そこに流れる水を採取して、
研究室で分析研究しても「川」そのものを捉えることはできないのではないでしょうか?

そんな生きた世界を捉えようとする思いは廃れることなく流れていて、

ルドルフ2世(1552-1612)はそんな知識を持った人々を集め、錬金術の研究をしていたことは有名で、
その中には天文学者のケプラーも含まれています。

また、ニュートン(1643-1727)が晩年錬金術研究に没頭していたことは有名で、その著作は邦訳もされています。

この漫画では、賢者の石は血で造られた赤い石としてあらわされていますが、

神秘学の中でこれは赤い石ではありません。

しかし現在の世界の文化期で捉えた場合、
自我と血液の関係と現代の人間のあり方、課題を考えると

その意するところを、
血の赤として決して表現されることも不思議ではないようにも思われます。

なぜならば「ファウスト」のなかでメフィストフェレスが語るように、
血は特製の液体なのですから・・・


亜希菜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【亜希菜のコラム vol.13】

 幼児教育と身体形成

 text= AKINA IWAHASHI
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人間の身体は、28日のリズムで代謝し、7年間で身体の物質はすべて入れ替わると言います。
人間の成長にはこのリズムが至る所に見出されます。

生まれて7歳になるまで、人は自らの身体を形成するのにその力を注ぎこみます。
もう少しこの7年間を詳しく見て行くと、まず

生まれて2.5歳から3歳くらいまでで脳・神経系を、
そののち5歳までに呼吸や血液循環にかかわる部分、言わば
リズム系を、そして7歳までに四肢・代謝系という意思が表現される部分
という順番で身体の基礎を作ってゆきます。

外界を捉え、整理する道具、生きるリズムをつくり、
内的な豊かな世界を連鎖させる道具、そして生きるために物質を取り入れ
また自らの意思を外界に示す手足など、

これからこの地上で生きるための道具を整えるかのように、
食物はもとよりあらゆる体験をも取り入れます。
母の愛として母乳を飲み、文化と真心として手作りの食事を取ります。

食物を摂取することは動物でもします。
それによってできた身体は、環境にある意味で束縛され、
本能のままに動くことに相応しい形態となって、その動物の種の特徴として表れます。

しかし人間の場合、物質的な栄養のほかに、文化という精神的な栄養を取り入れて
本能ではなく、考えて、自らの意思で行動するにふさわしい身体を創り出すのです。

これらの作業はそのときにしかできないと言っても過言ではありません。

それは子どものころには簡単に覚えられる言葉が、大人になって語学の習得に大きな苦労を伴うことでも
わかるように思います。

幼児期はまず、生きるための身体、考えるための脳をつくる時代。
その時代にそれらを使うことは貧弱な道具を創り出すことにほかなりません。

穴をできるだけ早く掘ろうと、素手で穴を掘り始める。
一見周りの子供たちより大きな穴が掘れたと思うが、その手を見るともうボロボロになって使えなくなっている。


これが今の早期幼児教育の問題ではないだろうか。

まずじっくり、スコップを作って、それからそのスコップの使い方を覚えて、穴を掘り始めれば
どんなに自然なことだろうかと、思うのです。


亜希菜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【亜希菜のコラム vol.14】

 

メディア、情報社会、そして解離

 

 text= AKINA IWAHASHI
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メディア、情報社会、そして解離

伝えるために記録する手段といえる「文字」を持つようになって以来、
色々な知識が蓄積できるようになりました。

これは穀物を蓄積し始めた時代と重なるようにも思います。

その「蓄積」はいつしか力となって、ものでも知識でも「溜める」ことが力となっていったのでしょう。


1440年ころ グーテンベルグ (Gutenbergは通称:Johannes Gensfleisch, *1400頃 Mainz; † 3. Februar 1468 ebenda) が
が金属活字の印刷をはじめ、個から個へ伝えるものが、市民という不特定多数を対象とする流れが時代を変えていったのでしょう。

そうして蓄積文化から流落文化へと動き出し、電信技術の発展に伴ってその流れは
加速され大きな力になっていったように思います。

離れた世界を見ることができる力は聞き知る能力を大きくしましたが、
テレビが映像だけで臭いや味を伝えられないように、滝のように流される
情報とは全体の一部でしかないということをいつしか忘れ、寸断された部分の世界をいつしか環境として
受け入れてしまった我々が、ここにいるように思います。

繋がりたいが繋がれない。解離した世界の安息と恐怖。

それが
病気、規制、バーチャルという世界等など、さまざまな形をとってあらわれているのではないでしょうか。

若者の創る造語、スラングに、解離した今の環境の影響を吸収して育ち
同時にもがきながら、ぎこちなく、膿のようにも見えますが
何らかのつながりを再構築しようとするもがきを感じます。


断片化した世界は単純でわかりやすい、動かない世界でもあります。
足りない部分の代わりに幻想や誤謬が入り込む余地もあります。

私たちの行為は未来の過去。未来を作る種だ。

未来の花を見据えて、見えぬものに人は責任をおって生きてゆかなくてはいけないと思います。

亜希菜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【亜希菜のコラム vol.15】

 

 

 text= AKINA IWAHASHI
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Titel −波ー

我々は理想の状態をつい「完全な・・・・」と考えがちですが、はたして自然の中に永続的に続く状態があるのでしょうか?
鉱物でさえ、かつては生きていたものがあり、時間を短縮してそれらを眺めると変化が見えてきます。
自然界は絶えず変化している。むしろ変化する、嗅がれていることそのものに自然の本質を見ることができるといえます。
ですから「いつまでも・・・・の状態」というのは自然の外にある、言わば死の領域にある状態だと言って良いと思います。
つまり病気とは「止まった状態への移行」であると考えられないでしょうか?
こんな観点から、「健康」を捉えると、我々はいつも少し健康で、同時に少し病気なのだと考えられます。
のどが渇いたとき、我々はちょっと病気の状態で、その時に水を飲むことは治療になり、また空腹のときもちょっと病気であって、
食事を取ることが治療でもあるわけです。

痛いとか、熱があるとかいうのは病気ではなく、その発言の種類でしかないのです。しかし近代の医療はこの症状=病気であるかのように
対症療法をしてしまいます。「熱が下がったからこの薬は病気に効いた!」

しかしこれは、のどが渇いて泣いている子どもの口を押さえて「治った」と言っているのとよく似ています。

流れること、繋がることを失うと、硬化の状態、つまり止まった状態へとバランスが崩れます。
あまり流れていると、自らのかたちを失います。

つまりどちらも病気の状態といえるでしょう。

空腹は肉体の病気へ、そして渇きは精神の病気へと我々を向かわせるように、

思考も実は固化への状態であり、こればかりですと心が病んでしまいます。

健康と病気の関係をよく観察することの中から、「如何に生きるべきか」というといことも見えてくるように思います。

亜希菜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【亜希菜のコラム vol.16】

 

はちといち=Biene und Arche

 

 text= AKINA IWAHASHI
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Titel −はちといち=Biene und Archeー

暑い夏がまだ続いています。緯度が1度ほどずれてしまったのではないか?
と思うほどにスコールのような雨をはじめとして熱帯的な顔を見せる最近の気候です。
この高温多湿な夏を乗り切るために、かつての日本家屋は「夏向き」につくられていました。
町の形態も風が通る程度に集まって、庭や生け垣や塀などにも空調的な知恵があり、穏やかな日本の気候と寄り添って
い来る姿勢が見て取れます。
しかし、効率性を高めるためとして密集して活動し、生活する時代になって町も高密度化し風の通う余地もなくなり
空調機を前提とした高気密高断熱が必須の建築形態が常識のようになって行きました。

さて、今のようなエアコンができたのは1930年頃、そして鉄とガラスの壁による建築が作り始められたのも1930年ころです。
これは均質で水平性を強調した「インターナショナルスタイル」という建築がオフィスビルを中心に広がった時代でもあります。
建築史の中心がオフィスビルに移ったことは、便利さと経済性、つまり「余計なエネルギーを使わずに、素早くその場を済ませること」が
我々の時代唯一の物差しとなっていったことを物語ってはいないでしょうか。
こうして、どこでも同質で白く明るい便利な箱は、オフィス、病院、住居と至る所に広がり、
本来安らぎの場、学びの場、仕事の場にはそれぞれ異なった環境がもとめられている筈なのに、
今では学校も工場もすべて同質の景色になってしまったように見えます。
このような意識の空気を呼吸しているうちに我々は、地域の特性も顧みることをせず、
多様性が面倒なこととして無視してきたのではないでしょうか。
多様性享受の問題とそれを受けた第3の建築の系譜は無いわけではないのですが、
大きな潮流のなかであまり一般に意識されることはありません。
これについては項を改めるとして、

時代を表現する建築の様式と意識の関係を
こうして見てみると、環境の変化の前に我々の意識の変化があることに気付かされます。

そしてその変化した環境が私たちや周囲のものに影響を与えている。
たとえば蜂は本来自ら消費する分の密しかつくらないのだそうです。
それが人と暮らすことによって過剰な蜜を、つまり我々人間のために生産するようになったのだといいます。
つまり環境に対峙できる存在=人間がいるからこそ進化若しくは変化があるのだと考えることができます。

先に書いたような建築を見る時、その様相は
あたかも建築が自らの殻を閉じ外界との係わりをつくることができない、若しくは放棄してしまったようです。
そんな自閉症的な建築が今や我々の環境になっていると考えると、現代の病気、世界の問題が見えてきます。

何を思い、如何に行動するか問われる時代が鉢の姿と建築の様相の中に
明快に見えてくるように思います。
亜希菜



 

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2009