旅先で耳にしたギャングな英語 2010

January

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.23】            

You're smart !

text= Tadashi Shichijo

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成る」(to be)ためには「する」(to do)を先にしなくてはいけない・・とよく言われているが、全くその通りだと思う。

子供時代、勉強が大嫌いだった私は中学1年生の1学期の英語テストの答案を見て、アホなりに「俺はホンマにアホや〜」と愕然としたことがあった。数字の「2」を英語で書け・・という問題に対して、私は「tow」と書いていたのだ。そんな調子で中1の3学期を迎えたとき、あまりの成績の悪さに父親が激怒して、私は中学2年の春から英語だけ家庭教師をつけられることになった。

週2回、毎回結構な量の宿題が出る。この宿題はかなり辛かったが、根が真面目だけに宿題はきちっとこなしていた。「やればできる」とは本当で中学2年の1学期の中間テストはいきなり98点。
1学期の成績も「5」になった。(当時「5」はクラスに2〜3名だけだった)

「5」をとると、クラスメートからの視線が変わったのだ。「お前英語、賢いね〜」と一目置かれる(褒められる)ようになると、とても心地よい。そして「自信」が出てくる。つられて他の教科の成績もぐんぐんと伸びてきた。夏には陸上部で主将に抜擢。秋の新人戦では走り幅跳び入賞、団体でも創部以来、初の市内入賞を果たす。秋には2年生ながら体育祭の赤組応援団長をやることなった。(3年生が団長を私に押し付けたのだが)その効果もあってか、2月には生まれて初めてバレンタインデーにチョコレートをもらうまでに至ったのである。(本チョコで20個以上!・・なんか自慢話してるみたいで恐縮。)

中1の私と中2の私。

同じ人間なのに、「英語の勉強をした」ことによって自信がつき、すべてがトントン拍子に回り始めて1年前とはまるで違う人間のようになったのである。特に「一目置かれる=褒められる」ということが私を成長させたのだ・・と確信している。


話はかわって、アメリカ留学時代に自分の彼女のおじさんの別荘に招待されたことがあった。おじさん夫婦には5歳くらいの子供がいたのだが、その子のお母さんとお婆ちゃんがとにかくその子を褒めるのだ。

日本は「うちの子はホントに頭悪くてね〜・・」と子を貶すのが普通だが、アメリカでは褒め育てが主流だ。しかし褒め殺しに遭っていたその子はかなりのツワモノだった。

「ママやグランマは僕のことを賢いっていつも言うけどね、幼稚園の友達や先生は僕のことを賢いなんて一言も言わないよ。」

ママとグランマの顔がひきつったのを私は見逃さなかった。

このとき、いくら褒め育てでも「やみくも」に褒めるのはよくないと思った。
どこがよかったかを具体的に褒めることが大事だと思った。


たいていの親は自分が教育された同じスタイルで、自分の子供を教育しようとする。
親に褒められて育ったから立派に成長することができた・・というのは、自分が「褒め育てが合う」タイプの子供だったからなのだ・・というところまで考えが及ばない。世の中の大きな意見の食い違いのひとつは、ここの差にあると言っても過言ではない。

「褒め育てタイプの子供」を激しく叱ると、恨みしか残らない。
逆に「叱り育てタイプの子供」(注1)を褒めると、「そのくらいで褒めるな!」とこちらがバカにされる。

大事なことは、日本にもアメリカにも、それぞれの「育てタイプ」の子供がいるということ。

そして「叱る」より「褒める」ほうが遥かに難しいということなのである。

 

(注1)・・叱り育てと言っても、叱ってばかりではいけない。「ここぞ!というときに褒める」ことが大切。

 

 

【解説】

You're smart !

日本では「スマート」=「体型が細い」という意味であるが、アメリカでは「頭がよい」という意味になる。cleverは頭の回転はよいが深さに欠ける、となり「ずる賢い」というニュアンスも含まれる。wiseは知識・経験が豊富で物事を正しく判断し対処する能力がある・・と意味になる。ケニアのマサイ村の村長さんは「a wise man」と呼ばれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.24】            

Mac難民 in New York

text= Tadashi Shichijo

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2月、旅の途中にトランジットでニューヨークに1泊することになった。

1泊だけなので安いところでいいや・・と思い、1泊10ドルのドミトリーをネットで予約した。

1年半ぶりのニューヨークに到着したのは午後8時。

路面の水溜りが凍っているので気温はきっと氷点下。白い息を吐きながら、ドミトリーの住所のところまでやってきた。

もう午後10時を過ぎていた。

ところが、なんと、住所の建物がクローズされていた。

・・・・・・。

まず感情を抑えて、冷静に思考に入る。

今から普通のホテルに入ってもいいが、当日料金はどんなホテルでも軽く2万円はかかる。

貧乏旅行者の身なのでそんなところに金はかけられない。

とにかく暖かいところへ・・ということでバスターミナル(ポートオーソリティ)へ。

そこも午前1時で追い出され、行くところがなくなった。

仕方なく24時間営業のマクドナルドへ。コーヒー1杯とフレンチフライを注文。

おなかがふくれると睡魔に襲われる。

まぶたが重くなり、頭がぐらぐらしはじめると店員に「寝てるのか?」と注意される。

飽くまで「コーヒーを飲みながら」手帳を見たり、何か考えているフリをずっとしなくてはいけない。

私と同じようにここで夜を明かそうと考えていそうな同志があと3名ほどいた。(写真)

お互い会話を交わすことはなかったが、妙に心強かった。

朝4時30分まで粘ったが、あまりに疲れたのでマックを出て空港へ行くことに決めた。

空港は広くて暖かかった。

まさかニューヨークでMac難民になるとは夢にも思わなかった。

ホームレスの人の気持ちが少しわかった。

ホームレスの人の気持ちを知れ・・という天の導きだったのかもしれない。

sneak shot@Mac

文/七條正(しちじょう・ただし)  Feb. 2010 BE☆SEE 24号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.25】            

No more hair?

text= Tadashi Shichijo

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日本から南米に行く時は、必ずアメリカで一度アメリカに入国しないといけない。

マイアミ空港のコンコースに入るための最後のチェックポイント手荷物検査場では

もちろんパスポートを見せないといけない。検査官は南米系でいかにもスペイン語が

ペラペラしゃべれそうな風貌。私のパスポートの写真と私をじっと見比べる。

彼のジェスチャーがピエロのようにおどけて見えて噴出しそうになる。

彼は私に一言だけ尋ねた。その言葉がこれだ。

"No more hair ?" (髪の毛なくなっちゃったの?)

パスポートの写真は長い髪の毛で写っているが、その時は髪を短く刈っていた

のだった。面倒くさいので" Yeah "と言っておいたが、後で

「短く刈っただけだ」と真実を語っておけばよかった、と少し後悔。

いずれにしても南米人は「明るい」。空港検査官まで明るい。

アメリカ発南米行きの飛行機の中はまるで「熱帯のカラフルな花々」が

咲いているような感じ。一方日本発アメリカ行きの飛行機の中は

モノトーンでどよーんとしている。自分の個性という「花」が満開に

なっている国は途上国に多い。モノは少ないが皆とても幸せそうだ。

 

モノ・金 < 自分らしく伸び伸びと生きる

 

自分にとっての幸せって何なのか。

それが本物の幸せなら、周りの人にとっても、社会にとっても、自然にとっても幸せなはず。

本当に突き詰めて考えなくてはいけない時代になってきた。

文/七條正(しちじょう・ただし)  Feb. 2010 BE☆SEE 25号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.26】            

I will teach English!

text= Tadashi Shichijo

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私は一人旅が好きだ。グループで行く旅も好きだが、私は1人きままに行きたいときに行きたいところへ行って現地の人と友達になる・・という旅をたくさんしてきてその醍醐味を味わってしまった。しかし「一人旅」というと他の人の力を全く借りず、何か自分だけの力で成し遂げる旅のように思いがちだが、決してそうではないことが実際に「一人旅」をしてみるとよくわかる。旅先ではどうしても困ることが起こるもの。そういう時に差し伸べられる人の手。寂しい時にかけてくれる暖かい声など、「人に助けられて旅が出来たんだ」という感謝を幾度したか知れない。だからと言って最初から「人の助け」をあてにする一人旅であってもいけない。最飽くまで「自分ひとりの力で旅を終えるんだ」という気概がなくてはならない。

さて「地球の一人歩き」つまり海外の一人旅をしてみたい人は日本には山ほどいると思う。しかしその障壁になっている主な原因は世界共通言語である「英語」が話せないということだ。アメリカ大学留学時代、併設のELSに「英語のBE動詞と一般動詞の違い」すらわからない日本人学生がいた。ELSはアメリカの大学に入る前に英語を学ぶために入学する専門学校のようなもので、世界中からの生徒が集まってくる。中には事前に英語力検定が必要なところもあるが、私の大学に併設されていたELSには、日本からはお金さえ払えば誰でも入学することができたのだ。さすがに彼は授業についていけるはずもなく、あるとき私はそのことを寮の同室のクリフ(アフリカ・ナイジェリア出身)に相談した。相談したあと「しまった」と思ったがあとの祭。クリフは「I will teach English!(じゃあ俺が英語を教える)」と熱く語り、早速翌日に第一回目のレッスンを決行したのだった。

英語がわからない者に英語で英語を教えるということがどういうことなのか。

なぜクリフは想像がつかなかったのか?答えはひとつ。相手の立場、相手の視点で物事を考えることができなかったからだ。ちょっと考えればわかりそうなものだ。しかしクリフに相談を持ちかけた私もそれは同じだった。もう少しよく考えればわかりそうなものだ。すぐに行動したクリフの積極的な態度はとてもありがたかったが、結局「私」が教えれば一番よかったのだ。そういう彼は結局3ヶ月で帰国してしまった。他の友人には家の都合で、と言っていたが、私には「もうお腹いっぱいです。」と本当のことを話してくれたのだった。

この一件以来、私は基礎の大切さを痛感するようになった。日本で英会話を習いたい、と思った人でも、最低限の文法や語彙力がないと、まずモノにならない。文字通り、中学1年生のABCからやり直さなくてはならない場合だって実に多い。実際、アルファベット26文字を正確に発音できる日本人はおそらく100人中1人もいなんじゃないか思う。中学英語さえ「完璧」にマスターすれば、あとはどんな学校へ行っても英語力・会話力は伸びるし、海外一人旅も夢ではなくなる。しかし特に社会人に基礎の基礎から英語を教えてくれるところはそうはないのが現状だろう。私は中学生のときになってはじめて自転車を買ってもらったが、行動範囲がとても広がったという感動が未だに忘れられない。高校になって入学祝金でサイクリング自転車を買ったときは夏休みに四国一周の旅に出た。大学になってバイクを買ったときは西日本が自分の庭みたいな存在になった。同じように英語が話せるようになると誰にとっても「地球が庭」のようになるのである。

文/七條正(しちじょう・ただし)  Apr. 2010 BE☆SEE 26号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.27】            

Please give me your autograph

text= Tadashi Shichijo

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知り合いの16歳の少年が「人生の目標」が定まらないと嘆いているのを聞いて、

自分が16歳の時は何をしていたか?何を考えてたのか?と振り返ってみた。

 

自由な校風の高校に通い、勉強は宿題だけやる感じで成績は中の上くらい。

専ら部活(陸上部)の毎日だったけど、府大会準決勝レベルの選手で

今から思えば全く本気ではなかった。部活の中では800mの第一人者っていう

小さい枠の中でのプライドだけで満足していたレベルだった。

 

この頃の憧れはロス五輪4冠のカールルイス。ルイスが履いていたナイキのスパイクシューズを

買ったりとかなり入れ込んでいた。体がよく動いたので遊びでサッカーやバスケもよくやった。

マラドーナのオーバーヘッドキックの真似事は日常茶飯事、バスケのダンクシュートが出来ないものか?と

ジャンプ力を鍛えたりしていた。バスケット部の友達にはワンハンドシュートを教えてもらって

シュートがスポスポ入るようになった時の感動は今でも忘れられない。

大阪城ホールにNCAAバスケットの公式戦を見に行き、コートサイドで2mもある黒人選手と握手した時に、

はじめてアメリカのオーラみたいなものを感じたのを覚えている。

この時何も話せなかったのが悔しくて、翌年には高校の英語の先生に助けてもらって作った「英会話集」を

携えてリベンジに挑んだ。" Please give me your autogragh."と言ってサインを貰い、

"I want to take a picture together."と言って一緒に写真を撮って・・というところまではよかったけど

相手に質問されるとさっぱり分らない。それがまた悔しくて私は英語の道に進んだのかもしれない。

 

当時の趣味と言えば音楽のエアーチェック。ラジオの音楽番組をラジカセでカセットテープに

録音するというもの。(40代以上は知ってますよね。笑)

FMステーションを買ってきてはラジカセでエアーチェックに明け暮れていた。

夜11時からの「クロスオーバーイレブン」やその後深夜0時からの「ジェットストリーム」などの

洋楽番組を良く聞いていた。

先ごろ亡くなったマイケルジャクソンのスリラーがこの頃リアルタイムで流行っていた。

大阪梅田のイングスというショッピングセンターのスポーツコーナーでなぜかスリラーの

プロモーションビデオが流れていて、それを見るためだけにわざわざ出かけて行ったものだ。

 

高校の図書館で偶然「ハーレムに生まれて」という本に出会って

「ハーレムの若者は20才になるまでに死ぬか刑務所に入る」というフレーズに衝撃を受けた。

いじめられっ子だった小学生時代の自分と差別されるアメリカ黒人が「誰も助けてくれない」と

いうキーワードで重なって見えた。

多分この頃からマイノリティの視点を明確に意識して世の中を見るようになったのだと思う。

 

まとめてみると、アメリカのスポーツに憧れ、アメリカの音楽に憧れ、アメリカの現状を肌で感じてみたいと思い、

地元京都から抜け出してアメリカやいろんなところに行ってみたいな〜って思っていた無敵の16歳だった。

 

高校卒業後のことや、まして人生の目標など考えもしたこともなかったのは言うまでもない。(笑)

 

文/七條正(しちじょう・ただし)  Apr. 2010 BE☆SEE 27号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.28】            

add A to B

text= Tadashi Shichijo

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先日英語塾の生徒さんからメールでこんな質問が来た。

 

「マイスペース」で相手にフレンド登録をしてもらいたいのですが、

これで通じますか?と。

 

その文がこれだ。

 

“Please add friend in your myspace.”

 

生徒さんとしては、

「あなたのマイスペースに(私という新しい)友達を加えてください。」

と言いたかったのだろう。

 

しかし、このメッセージを受け取った外人さんは単に

 

「あなたのマイスペースの中に(だれでもいいからもっと)友達を加えてください。」と聞こえ、

「なんであなたにそんなことを言われないといけないんだ?」

というツッコミが入ることが予想されるのである。

 

こういう場合は 【add A to B (AをBに加える)】という熟語を素直に使って

 

“Please add us to your friend.” (私達をあなたの友達に加えてください。)

 

となるのがよいと思われる。

 

しかし、如何せん表現が硬い。

 

もっとフランクに 

 

“Let's be friends.”

 

くらいでもいいのである。

 

今日、日本人にとってもインターネットを通じて外国人とメッセージを交換する機会は本当に増えた。

中学英語くらいだけでもキチッと学んでおくとかなり自由にコミュニケーションが取れるのである。

しかし外国人とのコミュニケーションが楽しいから、というだけで英語を学ぶ時代は終わりになるかもしれない。

 

なぜなら日本の和する文化が海外に輸出されなくてはいけない時代に入ってきたからである。

地球の未来のために、日本人が英語を学ぶ時代がやってきたように感じるのは私だけだろうか。

 

 

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MySpaceは世界最大のSNS

MySpaceは日本、アメリカを含む20を超える国と地域でサービス展開を行う世界最大のソーシャルネットワーキングサービスです。

 

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文/七條正(しちじょう・ただし)  Apr. 2010 BE☆SEE 28号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.29】            

If you wanna be somebody…

text= Tadashi Shichijo

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30代前半、ブラックゴスペルにハマッた時期があった。
ブラックゴスペルとはアメリカの黒人教会(主にプロテスタント)の礼拝の中で
イエスキリストを賛美するために聖歌隊が歌うものだ。
はじめて私がブラックゴスペルに触れたのはアメリカ留学中、彼女と映画を見に行った時だ。
“SISTER ACT”という映画を見に行こうと彼女が言ったのだが、
私はどんな映画かさっぱりわからないまま一緒にシネマコンプレックスまで行く訳である。
そうすると「尼さん」の格好をしたウーピーゴールドバーグがポスターの中にいるではないか!
SISTERは尼さんのことか!と思ってポップコーンを片手に映画館の椅子に座ったのだ。
最初はつまらなかったがゴスペルを歌う場面になって話が展開しはじめると面白くてたまらな
くなってきたのをとてもよく覚えている。
日本に帰国して働き出してから“SISTER ACT 2”が上映されると知り、ひとりで見に行った。
邦題は言わずと知れた「天使にラブソングを2」である。この映画の中で好きな言葉がある。

If you wanna be somebody
If you wanna go somewhere
You'd better wake up and pay attention

もしひとかどの人物になりたければ
もし好きなところに行きたければ
目を開いて、成功している人がやっていることに注意をむけるべきだ

まだ「アメリカンドリーム」という言葉がその効力を保っていた時代だったし、私もまだ若かったので
この言葉にはとても勇気付けられたものだ。しかし純粋に「努力すれば成功する」ということが当たり前の
世界じゃなくなってきた昨今。少し前の「アメリカでの成功」などは世界経済の破綻を伴うようなところま
でのバブリーなものになってきたし、世界を相手にしたアメリカの商売の仕方が見えてくると、若いときに
アメリカに対して抱いていたあの熱い想いはなんだったのか?とやるせない気持ちにもなってしまう。
そういう時代だったんだ・・と言えばそれまでだが、多分もう20世紀に謳われていた「成功の形」は今世紀、
次のステージへ進むんだろうと思う。

そんな思い出深い“SISTER ACT”が来年春にニューヨークのブロードウェイで「ブロードウェイ・
ミュージカル」として復活するそうだ。映画の主演だったウーピー・ゴールドバーグは2007年に女優を
引退したのだが、もしかするとこの舞台でカムバックしてくるかもしれないという噂も。
いずれにしても久しぶりにニューヨークを訪れる理由ができたというものである。
エコノミーで行くにはキツイ年齢と体型になってきたが、太平洋横断ルートのビジネスクラスに乗れる身分
ではないのでまだまだ辛抱だ。。

 

文/七條正(しちじょう・ただし)  Apr. 2010 BE☆SEE 28号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.30】            

Melting Pod

text= Tadashi Shichijo

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ニューヨークは昔は「人種のるつぼ」と呼ばれたものだ。
文字通り、人種・文化など様々な異なった要素が融合・同化されている街の状態を顕している。
ところがその後、「人種のモザイク」と呼ばれるようになる。マクロで見てみると人種・文化は融合していたのではなく、白のスクエアーの横に黒のスクエアがある・・というように、人種・文化のエリアが隣り合い、それぞれが独立して成り立っていた。決して融合していた訳ではない・・と言うのだ。

これを象徴する体験がある。留学時代、黒人とインデアンの友達を作りたい・・と思っていて、その夢はどちらも叶ったのだが、その2人というのはインデアンのおじいさんを持つ白人のマーティとナイジェリアからの留学生のクリフの2人だった。

マーティのお気に入りのミュージシャンはジョンクーガーメレンキャンプ。正統派ロックバンド。日本でも「ジャック&ダイアン」という歌が大ヒット。アメリカの田舎町に生まれ育った男女の恋模様を描いた歌詞だが、見事にアメリカの田舎町の若者の心を捉えているなと思える。この歌詞がマーティの想いを代弁していたのが明らかに見て取れる。

一方、クリフが聴くのはブラックミュージックオンリー。“Tadashi, do you like RAP music?”と何度聴かれたことか!

この2人が直接顔を合わせたことがあったかどうか記憶はないが、音楽の話は絶対しないだろうなという確信があった。マーティはブラックミュージックを、クリフはロックを、お互い存在していないが如く話題にすることがまずなかったからだ。

これはアメリカの田舎町の話だが、その相似形が狭いニューヨークに詰め込まれているであろう、というのは容易に想像がつくのだ。

文化背景が違うとやはり一緒に暮らし辛い。だからやはり同じ文化背景を持つ者同士が集まって暮らすのはこれは仕方ない・・というか当たり前の話である。これを「区別」というけれども、そこに他集団に対して「優劣」をつけると「差別」になるのだ。

自分と異質のものを認め合うのか、敵視するのか。
ここまでグローバルな世界になると、「他は知らない」とはもう言えない。
大きな2つの道が我々の前に現われている。

 

文/七條正(しちじょう・ただし)  Apr. 2010 BE☆SEE 29号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.31】            

Which car do you like?

text= Tadashi Shichijo

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アメリカは大きい。
留学したのはいいけれども、人口5万人の田舎町。
大学の門を出て一番近い店まで歩いて30分。
車がないと生きていけなかった。

しかし車の免許を持ってなかったので
まさか私がアメリカで車を買うなんて留学当初は
夢にも思っていなかった。

アメリカでは免許が実に簡単に取れることを知ったのは
やはり日本人留学生の先輩からの情報だった。

受検料20ドル。
勉強用に薄いパンフレットがある。
英語が読めればメチャクチャ簡単。

例えばFreeway(高速道路)のExit(出口)で降り損ねた場合どうするか?
という問題に対して3択になるのだが・・

1.バックして出口まで戻る
2.次の出口まで行って戻る
3.逆走して出口まで戻る

と、これはギャグか?という実にバカバカしい選択肢が並んでいる。

試験の問題数は30問。(日本は100問)
24点取ればペーパー試験は合格。(日本は90問)
私は何も勉強せずになんとなく受けて24点ギリギリで
合格してしまった。

ペーパーが通れば次は実技テスト。
ペーパー合格日でもいいし、違う日に受けてもいい。

日本人の先輩からどういうテストなのか手ほどきを受ける。
免許を持っている人が助手席に座っていれば
運転免許場のコースで好きなだけ練習ができる。
それも朝9時から夜9時まで。
2回ほど練習に行った。
付き合ってもらった人にはワッフルハウスで
ステーキをおごった。

一番難しい実技が「3ポイントターン」。
縦列駐車なんで難しい実技は広いアメリカでは必要ないのである。

難なく実技テストも合格。
晴れて米国アラバマ州自動車免許を取得。

そうです。
アメリカでは日本のように「教習」というものは存在しないのです。

アメリカでは自動車は
日本での自転車のような感覚なのである。

つづく

 

文/七條正(しちじょう・ただし)  Apr. 2010 BE☆SEE 31号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.32】            

Which car do you like? 【2】

text= Tadashi Shichijo

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前回、アメリカで免許を取った話をしたが、実は私は免許を取る前にすでに車を購入していたのだ。
その大学の日本人留学生仲間は必ずこの人から買う・・という人を紹介してもらった。

車の予算はいくら?
と中古車を売っているアラビア人と彼をサポートしている日本人が私に尋ねた。
1000ドル(約10万円)。と私は答えた。

すると数日後にいい車が2台あるから見に来い、との連絡が。
期待に胸を躍らせて、1台目の車を見に行く。

なんとドイツ製の青いスポーツカーだ。
「かっこいいね。でもなんでこんなに安いんだ?何か問題でも?」
と私。

するとアラビア人が答えた。
「この車はたったひとつだけ問題がある。前のオーナーが配線を勝手にいじってしまって
室内ランプのつき方が反対になってるんだ。」

最初意味がよくわからなかった。

通常、車はドアを開くと室内ランプが点いて、ドアを閉めると室内ランプが消える。

これが逆さまになっているのだという。
つまり、ドアを開いているときは室内ランプが消えて、ドアを閉めると室内ランプが点くのである。

私は質問した。

「家に帰ったり、モールで買い物するときなど、室内ランプは点きっぱなしになるよね。
バッテリーがあがるでしょ?マズイじゃん。」

「そう。だから車から離れる時に、ボンネットを開けて、バッテリーに繋がってるコードを外すことがこの車には必要なんだ。」
とアラビア人が胸を張っていう訳だ。

「バカヤロー、話になるか!」とは言わなかったが、超面倒臭がりやの私には絶対乗れない車だった。

が、価格が価格だけにとりあえず「保留」という形に。

しかし車検のないアメリカでは何でもアリ。

紹介してもらった2台目の車もそれはそれはすごい車だったのである。

つづく

 

文/七條正(しちじょう・ただし)  Apr. 2010 BE☆SEE 32号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.33】            

Which car do you like? 【3】

text= Tadashi Shichijo

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さて室内灯が逆につく車はちょっと・・ということで
もうひとつの車に期待。


紹介されたのは78年製ポンティアック・グランプリというでっかいアメ車。

いいところは・・

シートがフカフカで座り心地が最高。気分も最高。
運転席は電動で位置と角度の調整ができる。
(後で時々接触が悪くなり動かないことが判明)
さらにベンチシートで前3人、後ろ3人が座れる。
ここはすごく気に入った。

しかし信じられないくらい悪いところが多すぎた。

まず計器類がスピードメーターの他は作動しなかった。(有り得ない!)
そして天井に画鋲がたくさん刺してある。
天井が剥がれていて、それが落ちてこないように留めてあったのだ。。
最もヤバかったのが、ステアリングが右に曲がっていたこと。
要は手放し運転すると車が勝手に右に寄っていくのだ。。

あとその車の前のオーナーからの
「注意事項」がいくつかあった。

1.車に乗る前は必ずオイルチェックをすること
2.車に乗る前は必ず5分以上アイドリングをすること
3.急にアクセルを踏んで急加速は絶対にしないこと
4.時速60マイル(約90キロ)以上では走らないこと

など・・・・。


この車を選んだということを今思い返して分析してみると
私はどうやら一つとても気に入ったことがあると、
その他の部分がダメでも辛抱できる性格なのだなあと思うのである。

車の価格は1000ドル(当時で約13万円)
この愛車と共に私はアメリカの南東部をドライブしまくった。
アトランタ・ニューオリンズ・マイアミ・ニューヨーク・・・・。

しかし古い車だっただけにトラブルも続出。
次回はその武勇伝をご披露しよう。

 

文/七條正(しちじょう・ただし)  Apr. 2010 BE☆SEE 33号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.34】            

 Which car do you like? 【4】

text= Tadashi Shichijo

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11月にあるサンクスギビングの連休を利用して
1人で憧れのニューオリンズに出かけることにした。

もちろん愛車グランプリに乗っての初めての遠出である。

大学のあるアラバマ州の町からニューオリンズまで
約600キロ。

ガソリンスタンドでロードマップと眠気覚ましのコーラを買い込む。
11月といってもアメリカ南部はまだ暑い。
クーラーをフルパワーでオンにする。
カーステでご機嫌な音楽をガンガンにかけて
広いフリーウェイをぶっ飛ばす。

最高の気分。

前のオーナーからの注意事項のひとつである
「90キロ以上出してはいけない」なんて
気のせい。ぜんぜん大丈夫じゃんか。。

・・と120〜140キロでルート59をひたすら南下する。

ロード風景で独特だったのはフリーウェイの路肩に
乗り捨てられたような車がけっこうあったことだ。
途中で車が壊れたか、ガス欠になったか・・だと思うが
その車をそのままフリーウェイに放置しておくってのは
アメリカ流なのか?日本なら考えられない。

俺の車もいつかフリーウェイで故障することもあるのかな・・・
まさか俺の車に限ってはないだろう・・と思ったりしたが、
まさかそれがすぐに実現化するとはその時は夢にも思わなかった。

夕方4時頃だったか、ニューオリンズまであと1時間くらいだったと思う。
夕焼け空に向かって軽快に走る私の車のボンネットが
「ボムッ」という大きな音と白い煙と共に、突然爆発したのだ。


何が起こったかなんてわかるはずもない。
反射的に車を路肩に寄せて停車させ、
車外に避難!
映画じゃないが、いつガソリンに引火して
大爆発するかわからない。。

もわ〜と煙を出す我が愛車を20メートルほど離れて見守る。

5分・・10分・・20分。。

何も起こらない。

大丈夫か?と思って車に近づき、
恐る恐るボンネットを開けてみる。

実はメカには詳しくない。

しかしクーラー部分が黒こげになっていて
ファンベルトがズタズタに切れていた。

「クーラーが爆発した」

・・ようだった。

クーラーをつける代わりに窓を少しあけて涼をとることにして
私はなんとかニューオリンズに辿りついた。

ライブハウスと酒場とストリップ小屋とアダルトショップがずらりと並ぶ
バーボンストリートに圧倒され
プールバーで地元の黒人とエイトボールで勝負をして
駐車違反でアメリカ発切符を切られたアメリカ初ドライブの数日間は
今でも鮮明に覚えている。

 

文/七條正(しちじょう・ただし)  Apr. 2010 BE☆SEE 34号