【GANG ENGLSH vol.11】 nwa. text= Tadashi Shichijo
航空会社のマイレージにはまってかれこれ10数年。自称「マイレージの達人」である。 遠くに行くときはスカイチーム系アライアンスを利用してマイルを稼ぐ。 ブラジルに行くときはUSA経由でデルタかコンチネンタル アフリカへ行くときはEURO経由でKLMかアリタリアである。 この冬、マイルを消化するためにファーストクラス無料航空券でアジアのとある国へ。 ファーストクラスに乗るのは2回目だがメリットがたくさんある。 優先チェックイン、航空会社ラウンジ使用、優先搭乗、ウェルカムドリンクなど。 お楽しみのひとつはラウンジだ。 フリークエントプログラムでゴールドエリート以上になるとラウンジが使えるように なるのだが、私は最高でもシルバー。 お酒・軽食も充実している航空会社ラウンジにはなかなか入れない。 滑走路を横目に出発前のひとときをゆったりしたラウンジの空間で過ごす。 贅沢な時間だ。 さてメインのお楽しみはやはりファーストクラス・シート。 アメリカ本土から到着した機材が日本を経由してそのままアジア諸国まで飛ぶ形なので 距離は短くとも大陸横断用のファーストクラスが味わえる。 前のシートまでの距離が1メートル以上ある。広い。 パーソナルTVは当たり前、電動で座席が自由自在に動く。 もちろんほぼフラットになって快適な睡眠が約束される。 そして電動マッサージ機がシートに組み込まれている。 まさに空を飛ぶ超快適空間である。
ちなみに今回利用した航空会社はノースウエスト。 NWAはノース・ウエスト・エアラインの省略形。 かっこよさに憧れてファーストクラスで世界を飛び回る・・なんてのが実は昔からの夢。 最近、世界を自分の目で見たい!という若者が減っていると聞く。 インターネットで世界中の情報を簡単に得られるし、 テレビ取材班も世界の秘境という秘境にまでカメラを入れて お茶の間にその映像が流されている。 それで「わかったような気」にならざるを得ない環境ゆえ仕方ないことかもしれない。 だけど、ファーストクラスの心地よさは実際に体験しないとわからない。 一度体験したら病み付きになる。 もうそれなしでは生きてはいけなくなる。 いつかは「仕事」でファーストクラスに乗れるようになりたいものだ。
●解説【nwa. /ノースウエストエアライン】 英語版省略形といいますか、探せばいっぱい出てきますね。JAL(ジャパンエアライン/日本航空) JR(ジャパンレイルウェイズ) FBI(Federal Bureau of Investigation/連邦捜査局) NFL(ナショナルフットボールリーグ) TDL(東京ディズニーランド) LA(ロサンゼルス) NY(ニューヨーク) YG(読売ジャイアンツ) などなど。日本ではコンビニ(=コンビニエンスストア)という省略形が従来強かったですが、最近になって KY(=空気読めない)などの英語風省略バージョンも多くなってきましたよね。 「言い易さ」って大事。
文/七條正(しちじょう・ただし) ■七條英語塾(マン・ツー・マン)= 【大人は銀座で、子供は家庭教師で開講中】 詳しくはコチラ。 ■七條英語塾の卒業生からのコトバ 英語を通して生き方広がる『七條塾』 七條先生に英語を教えてもらって、一番変化したのは、私にも英語が出来るかもしれない!楽しい!と思えたことでした。英語コンプレックスの私は、海外に行く度、次回こそ英語をマスターして困らないようにしたいと誓い、習ってみるのですが、余計コンプレックスを助長されるような内容で、長続きしませんでした。七條先生は、私の実力に合わせて授業を進めてくれて、分かりやすいので、毎回とても楽しく、グングン実力がついてゆく実感があるのです。そしていつも、誉めて励ましてくれました。また、授業の合間に関連して話してくれる、ご自分が海外で体験された会話の1コマも、英語のみならず、民族性や文化の違いを感じさせるワクワクするお話でした。七條先生の人を育てる天性の才能は、一人一人の心に寄り添うことが出来る教育者であることだと思います。子供の頃こんな先生がいたら、もっと広い視野を持てて、人生変わったかなと思いました。子供から大人まで幅広い年齢の方が、七條先生に英語を習うことを通して、英語をマスターするのみならず、いろんな『自信』をつけてもらえてるような気がして、もはや自然に『七條塾』が、私たち生徒の数だけ誕生してる…そんな夢のある、あったかい英語塾です。(30代女性) ■関連記事 ・ノースウエスト航空ワールドビジネスクラス (NWAではファーストクラスのことをこう呼ぶ)
マイレージの達人になってかなり無料で旅行されたらしいですよ。(編集部)
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【GANG ENGLSH vol.12】 transcontinental text= Tadashi Shichijo
2/27 東京1 七條@東京です。 この旅のきっかけは 高校での最後のホームルームで、 彼の母は「アメリカ大陸横断」が私の数年前からの 彼の提案のおかげで私の目標も達成できるし、 2/27 東京2 七條@坊さん(←ある筋からのあだ名、気に入っている)〜東京発です。 さて19歳のU君との大陸横断。 話は2年前にさかのぼる・・。 彼は、私の中学教師時代の元担任クラスの生徒である。 彼には熱く語る夢があり 「来たくなければ学校には来なくてよい。」と私は彼に言い、 誰もが無理だと言った第一希望の高校に その後、高校では野球部に入ってがんばっているという 時々彼の家を訪ねた。 それでいよいよ、今回の旅に彼が参加することになるのだが、 2/28 東京3 こんばんわ。 さていよいよ出発が明日に迫りました。 「横断のロードムービーを撮らせよ」 以下のような提案を11月に彼の家を訪れしてみた。 1.ビデオ係のバイトをしないか? 「映画」好きな彼の監督作品第一作なのである。 1月、彼には連絡場所を教えていた母親とコンタクト、許可をいただく。 しかしここで問題発生。 2/28 東京4 こんにちは。 成田空港に無事4人揃いました。 私以外の3人はノースウエストの では各人から一言: 鹿児島のU君:一日が40時間あるそうなので得した気分です。 では次回はカリフォルニア州から 3/2 グランドキャニオン 七條@坊さん〜アリゾナ州です。 壮大!!(私) と、ここはここを経験した者でしか ライブを伝えるのは本当に難しい!!!!! 明日はモニュメントバレーから 徹夜でぶっ飛ばしてあと40時間後くらいに ではまた次回をお楽しみに!!! 3/4 モニュメントバレー 七條@坊さんです。 二日目、グランドキャニオンから4時間くらいかけて 途中、ホントに何も光がない場所で車を停め、外へ出て空を見上げる。 「!!!!!!!!!!!!!!!!!」・・・言葉にならなかった・・・。 前後左右・東西南北の地平線までぎんぎんに輝く星!星!星!星!星!星!星! なぜか笑うしかなかった。みんな大声で笑っていたのだ・・。 その日のお泊りは Holiday Inn。 ここも言葉にならなかった。 谷に入るにはゲートで入場料(3ドル)を払わなくてはならない。 圧倒された。 静かだ。 風の音が聞こえる。 心地よい。 大地のエネルギーに包まれているようだ・・。 天と地とわれわれの体が魂も一体化している。 どれだけ長い時間そこにいただろうか・・。 どれだけそこにいても飽きない。 ずっとそこにいたい・・・。 みんなで大声を出した。 近くにある岩山、遠くにある岩山、ずっと遠くにある岩山たちに なんどもこだまする。 この土地の原住民ナバホインディアンのシンボルは青・白・赤 青い空と白い雲と赤く焼けた大地・・・・わかる気がする。
3/4 セドナ 七條@坊さんです。 河によって侵食されてできた谷にある小さな町でした。 しかし、私が感じたのは・・・・ 1.自分の中心が丹田にじわーっと落ちていくような感じ。 30分ほどエアポート・メサにいて、 というわけで旅の予定があったので長い時間はいられませんでしたが、 そこから車を走らせ今日の午後にテキサスのヒューストン。 旅は4日目の夜を向かえています。 明日はおそらくフロリダ州オーランドの近郊からライブをお届けできると 3/5 フロリダ 七條@坊さん〜フロリダ発です。 ヒューストンではNASAのロケットセンターで見学。 さて昨夜のニューオリンズでは S田氏は生バンドの入っているバーで 翌朝、4人でミシシッピ河を望み、 S田氏によれば途中、店内の空気が変わった時間があった・・ ニューオリンズはいい街だ!!とみんな言っていた。 彼らはそれを明日のレストランやガソリンスタンドやいろんな 明日はいよいよ「ディズニーワールド」に乗り込む。 また少年たちの自分だけの旅が始まるのである。 明日の宿泊予定地デイトナビーチからのライブを 3/7 リッチモンド1 七條@坊さんです。 今日はフロリダから北上して一気に 昨日オーランドでは 私は自由時間の3時間の内、一時間は昼寝、 1.アフリカのドラムの体験 2.中国雑技団。 3.日本の和太鼓。 O君が印象に残ったことは・・・。 S田氏、U君ともそれぞれ各自で行動し、5時に集合し、 しかし、この後とんでもないトラブルが ロスアンゼルスから3000マイルを走り続けてくれた つづきは次回号で。
【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.13】 Mar.2009 BE☆SEE 13号Accidentstext= Tadashi Shichijo -------------------
3/7 リッチモンド2 七條@坊さんです。 愛車「オールドモービル」号の液晶パネルに "survice engine soon" という表示が突然表れたのだ。 アウトレットまで走る。 そこでボンネットを開けて、調べてみる。 水を満杯いれてもサインは消えない・・・。 車は動くのだが、万が一どこかで動かなくなるかもしれない。 空も暗くなって、空港に到着は30分後。 すると空港の外にあるという。 営業所では Car change ということになった。 ニューヨークまでの愛車の名前はなんと「セドナ」号。 なんか運命めいたものを感じながら一路北上を開始する。 続きは次号で・・・。
3/7 リッチモンド3 七條@坊さん〜リッチモンド(バージニア州)です。 さて一路ニューヨークを目指して走り出した「セドナ」号・・・。 ・・・実は旅の3日目、セドナからニューオリンズまでノンストップの その「キーーーーッ」という急ブレーキで私もS田氏も目を覚まし、私が目を覚ますと 私たちの乗っていた「オートモービル」号は奇跡的におそらく数センチ前で 19歳のU君。いくら免許を持っているとはいえ私やS田氏とは運転の経験がちがう。 そして実はレンタカー屋の規約で19歳は登録ドライバーの資格がなく、 車には「天然塩」というお守りを積んでいたのでそのご利益もあったのかと思い、 そして5日目、ニューオリンズを出発し、アラバマ州に入ったところで 結構いままでスピードを出してある意味少し調子にのって、 しかし、このオーランドで彼が「運転したい」と言ったときは このときも運転のU君以外はつかれて眠っており、 U君に止まるように指示。 さすがに大ショックのU君。 その夜はあと一時間後の大西洋に面したデイトナビーチに しかしトラブルはこんなときにかぎって 続きはすぐ。
3/7 リッチモンド4 七條@坊さん〜バージニアです。 さてデイトナビーチ・・・。 夜なので暗かったが バイク野郎たちで埋め尽くされている・・・・。 彼らの視線や、その雰囲気に負けずに店内へ入り さてお腹もいっぱいになり、この辺に宿をとり、 駐車場はバイクと車でいっぱい。 フリーウェイに乗り10分ほど走り またフリーウェイに乗り隣町へ。 次は隣の隣の隣の町で降りてみた。 時計は12時を超え、さらに 一時間ほど北上した街で そこで必殺技:ツインベッドルーム一つを借り、 毎年このシーズンにデイトナでは「バイク・ウイーク」が 私を除く3人はすぐに死んだように眠る。 朝11:00まで爆睡。そこから夜の10:00には 明日は午前中にワシントンDC、それから東海岸のカジノといえば ながかった大陸横断の旅もいよいよゴール。 応援を引き続きお願いいたします。 七條 正
3/8 ニューヨーク1 七條@坊さんです。 ついにニューヨークに着きました〜♪ 今日は午前中、ワシントンDCを見学。 ワシントンDCから町の外に出るときの運転は私。 その後S田氏が運転、19歳U君がナビ。 「地図ではこうなって、こうなってるんですけど・・・」 伝えることの難しさをひしひしと感じていたU君とO君であった・・。 さてアトランティックシティまでの道のり、S田氏とU君が さて東海岸のカジノのアトランティックシティ。 車に乗り、運転はS田氏。 カジノに来る前まではおおはしゃぎだった二人。 と、その時うしろで青い光がくるくるまわっているのを発見・・。 しかしその後気を取り直して、 NYのホテル・・高くていいところが見つからない。 明日はホテル探しからスタートする。 Anyway, we are in New York!!!
【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.14】 Mar.2009 BE☆SEE 14号I won't be afraid. 3/8 ニューヨーク1 七條@坊さんです。 ついにニューヨークに着きました〜♪ 今日は午前中、ワシントンDCを見学。 ワシントンDCから町の外に出るときの運転は私。 その後S田氏が運転、19歳U君がナビ。 「地図ではこうなって、こうなってるんですけど・・・」 伝えることの難しさをひしひしと感じていたU君とO君であった・・。 さてアトランティックシティまでの道のり、S田氏とU君が さて東海岸のカジノのアトランティックシティ。 車に乗り、運転はS田氏。 カジノに来る前まではおおはしゃぎだった二人。 と、その時うしろで青い光がくるくるまわっているのを発見・・。 しかしその後気を取り直して、 NYのホテル・・高くていいところが見つからない。 明日はホテル探しからスタートする。 Anyway, we are in New York!!! 3/9 ニューヨーク2 七條@坊さん〜NYC(New York City)発です。 今日は10:00にニュージャージーを出発し、 A野さんには前回11月にNYに来た時からお世話に このときなぜか「大陸横断達成!!」の嬉しさが 若者たちはA野さんといろいろ話をしたり、 そのホテルは「スタンフォード・ホテル」 休む間もなく、私とU君がレンタカーを空港まで ホテルに帰るのにバスを使ったのだが、 彼はテネシーの老護院(?)に入っている母(89歳)を 彼にひとつ頼み事をした。 「英語を話すときは間違いを恐れちゃいけないよ。 「よく聞いて、それを真似するんだ。」 「学ぶための唯一の方法は間違いをしてみることだ。」 ジョークもなかなかうまい。 彼:今バスが走っているところはニュージャージーというんだ。 私も彼もU君も大笑い。思わず周りの席に座っていたおばさんも笑い出す。 彼:(笑いやんで、真剣な顔でU君に向かって) 後で「あの人みたいになりたいよ〜」とU君は笑顔で言っていた。 S田氏とO君はちかくのエンパイヤーステートビルに登りに行っていたらしい。 今3月9日午前7時40分。一人起きてメールを打っている。 明日はNYから最後のライブメールです。 3/10 ニューヨーク3 七條@坊さん〜NYCです。 今日は朝から自由の女神像のスーパー観光コース。 その後、例の世界貿易センター跡に行く。 それからチャイナタウンまで行き、昼食。 しかたがないのでいよいよ自由行動タイムに。 U君は49丁目の紀伊国屋書店に行くため、 NYは田舎のニューオリンズの町とはちがう。 残り3人は4時に一度ホテルに戻り、 O君は映画ホームアローン2で有名になった と思ったら5秒後トイレをしに帰ってきた。 また3秒後帰ってきた。 ホテルの部屋に再集合は2時間後の7時。 この旅最大の緊張の結果を ライブ・フロム・ニューヨーク。 3/10 ニューヨーク4 七條@坊さん〜NY発です。 さて昨日の自由行動タイムですが、 17歳O君:徒歩でプラザホテル〜セントラルパーク 19歳U君:地下鉄を使い本屋や図書館などをまわっていた様子。 S田氏:MOMAに行く。帰ってきて第一声:ニコラスケイジと一緒に 歩いて2〜3分のマジソンスクエアガーデンの向かいの そして朝・・・・・ 今AM7:05分。S田氏は8時の飛行機でハワイへ飛ぶため、もう出発した。 S田氏:38歳、妻子持ち。今回の旅の私にとってのメリットの一つは 私は少年たちに対し、苛立つことも少なくはなかった。 でも彼の「凄さ」は、2月の中旬に私が同行をお願いしたメールの彼の返信の中に 「旅を通して少年たちからエネルギーを受け、これからの自分の人生の糧にしてい これを送信したら、ホテルについている朝食を3人で食べに行く。 U君はじつはコネチカット州の友人のところでしばらく過ごし、 そしてO君と私は11:50JFK発のノースウエストで帰国する。 U君の裏技で昨日の夜、フリーメールアドレスをゲットすることに成功。 さて私にとってこの大陸横断の旅は何であったのか・・・。 帰途、それを見ながら、自分の心の正直な部分に問い合わせて 今、O君が起きてシャワーを浴びようとしている。 ニューヨーク32番街、スタンフォードホテルから
【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.15】 Mar.2009 BE☆SEE 15号Can you do this?text= Tadashi Shichijo ------------------- アメリカの大学ではアメリカならではの授業をけっこう取った。 そのうちの一つが「スピーチ」のクラスだった。 自分の趣味か何かをプレゼンテーションする時があり、私は空手着を着て 「型」を披露しながら、日本の文化である空手を紹介した。 すると私の後に、同じく空手着(正確にはテコンドー)を着た背の高いアメリカ人が 蹴りと突きのパフォーマンスをしたのである。。 その授業が終わって、その彼が声をかけてきた。 「俺、テコンドーの道場をやってるから遊びに来いよ。無料でいいから。」
程なく彼の道場を訪ねた。 彼は「道場長」だった。 白人・黒人・子供から大人までいろんな人がいた。 最初に友達になったのは白帯の白人の男の子。 柔軟体操のとき、「Can you do this ? 」(これ、できる?)と言ってくる。 何なのかな?と思ったら足を広げて胸を床につけようとしているのだ。 不思議なことにアメリカのその道場では、 体がどれだけやわらかいか・・がとても重要視されていて、 体が柔らかい人から順番に偉そうにしているのだった。 学生時代ずっと空手をしていた私は顎くらいまでは床につけることができたが、 それ以上彼と張り合おうとはしなかった。 翌週、また道場に行ったとき、白人の坊やを探したが彼は来ていなかった。 そしてその日は黄色帯の黒人の兄ちゃんと友達になった。 翌週、道場に行ってみるとその黒人の兄ちゃんの姿がない。 そして白人のおばちゃんと仲良くなる。 翌週、道場にいくと、なんとそのおばちゃんがいなくなっている。
実に不思議なことだが、この話はこの3人だけではなく、このあとしばらく続くのである。 私と言葉を交わして仲良くなった人が、次々と道場から姿を消していったのであった。 これは決して偶然ではない・・と直感。 考えられることはひとつ。 道場の2番手の奴が、実はとても偉そうにしている奴で、私には全く口をきかなかった。 私に対する敵意は感じてなかったが、ずっと「トップが連れてきたらしいけど、お前だれ?」みたいな態度をしていた。 おそらく彼が、私と話した人間にプレッシャーをかけて道場にしばらく来ないように仕向けたか、 または辞めさせたか、と思うのである。
場所はアメリカの深南部の保守的な田舎町。 よく考えて、ヨソ者扱い。 悪く考えれば、東洋人に対する人種差別・・・?
「全く受け入れてもらえない」・・そんな感覚を受けたテコンドー道場だった。 もちろん気持ち悪かったので、程なく私はその道場に通うのをやめた。 私を誘ってくれたトップの白人は人間的にも技術的にも立派な奴だったけど 2番手、3番手あたりの奴らは「権力」を我が物にしようとしているのが アリアリとわかってしまった。 何事も「閉じて」いると腐っていき、「開いて」いると 進化・成長していくものだな〜としみじみと思ったものです。
実は当時、私は遊びでバスケットボールをしていたとき、足首を捻挫してずっと痛みが残っていた。 (アメリカには湿布というものが存在してなかった!氷で冷やすだけなんですよ〜・・汗) 空手ができる状態ではなく、基本の突き蹴りだけやって、あとは隅の方で初心者と 練習していたのだ。 足が万全の状態で、偉そうにしていた2番手・3番手あたりの奴らと勝負してみたかった・・。 留学時代に心残りだったことのひとつである。
【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.16】 Jun.2009 BE☆SEE 16号I hate dogs.text= Tadashi Shichijo ------------------- アメリカ深南部で当時学費が全米一安い大学に入学した私は いわゆる「南部なまり」の洗礼を受ける。 イングリッシュ090クラスの黒人のクラスメートがテキストの文を音読した。 テキストの文の中にあった今でも覚えているフレーズは I hate dogs. 本来なら アイ ヘイト ドッグズ [カタカナ表記] と発音するところ 彼は 「アー へー ドー」と発音したのだった。 へ〜 こんなふうに奴ら(南部人)は発音するんだ・・と唖然としたもの。
日本では1回でよい「はしか」の予防注射を アメリカでは2回しなくてはいけない・・ということで 大学に到着した翌日に右も左もわからないまま病院に行けと言われ 町に3台しかないタクシーのうちの1台で病院に行く。 私の3倍くらい大きい黒人の看護婦さんが 「ワチュナア?」 と聞く。 ?????? と思考停止に陥っていると・・ 「ハッハッハッハッハ」と高笑いをして ブスっと注射針を私の腕に刺したのであった。 今から思うとそれは 「ワット イズ ユア ネイム?」だったのだが それはさておき名前を聞かずとも患者に注射をする病院ってすごい・・ と思ったものである。
---------------------------------------- 【解説】 I hate dogs. 犬が大嫌い。
hate という単語は、毛虫とかを「いやあああああーん、けむしー!」というように 超毛嫌いするようなときに使う単語で、ふつう人間を相手に使うと 友情断絶レベルの強い意味になります。人種レベルで使用すると人種差別主義者 だと思われてしまいます。「私は犬がキライだ」を表現するときは I don' t like dogs. と素直に言いましょう。 ちなみにアメリカ時代の彼女と大喧嘩したときに 私は I hate you!! を連呼されたことがあります。(−−;)
生活の中、特に人間関係で「合う」「合わない」で苦しんでいる人は多いようです。 人間って自分の感覚や感性の基準を宇宙の真理であるかのごとく 他人にも当てはめようとしますからね〜。困ったものです。 「合わない」=「嫌い」ではなく、「合わない」部分を一歩踏み込んで理解しあえる ようになるといいなあ・・と最近よく思います。「合わない」が「嫌い」になり、 「hate」になると、とんでもないことになりますからね。 もちろんこれは最も自分に言い聞かせないといけないことですが。。。。
PS Hi, RTVB. I read your message.If you read this, mail me to 7uminchu@gmail.com ( Tadashi )
【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.17】 July 2009 BE☆SEE 17号The Middle Passagetext= Tadashi Shichijo ------------------- 地球に意識を向けるためには やはり地球を地球規模で歩いて その大きさを体感しなくては意識できないのではないか? そういう意味で「地球の歩き方」というガイドブックの ネーミングはなかなかイカしていると思う。 私も地球を結構歩いてきたが、 地球に意識を向けるために歩いてきたわけではない。
私には地球の中で「気になる場所」があった。 そこに行って、なぜ気になるのか確かめたかったのだ。 そこがまた、いわゆる地球の裏側に当たる場所で 行くのに非常に苦労する。
旅がなぜ貴重なのかって お金と 時間と 健康と 行こうというドライブのかかった気持ちと エア・チケットの確保と 旅先の国の安定と (若かったときは)親の賛成という 7つのポイントが重合したときのみ 旅は可能になるからだ。
私がずーっと気になっていたのが 「黒人奴隷航路(=The Middle Passage)」といわれる場所だ。 陸地でいうと西アフリカからカリブ・ブラジル・アメリカ南部にかけてのあたり。 好きな音楽も アフリカンドラム・ゴスペル・ジャズ・R&B・カリプソ・サンバ・ボサノバ etc。 気になる場所の音楽までもが偶然にも私に心地よいのはなぜか? これが偶然であるはずがないという確信がある。
不思議な力がある人に見てもらったことがある。 「2つ前の人生では黒人奴隷だった。」 「今の人生では魂はアメリカ大陸に生まれたがっていたが、 守護霊さんに引っ張られて日本に来た。」 なにげにとても納得。。
そして、西アフリカにも、カリブにも、ブラジルにも、アメリカ南部にも旅をした。 現地の波動を感じてみてどうだったか? マザーやゲバラのように 現地に留まって何かやらなくては・・という気持ちには全くならなかった。 問題は山積だが、根源をなんとかしないとダメだと感じた。 そして日本が恋しくて仕方がなかった。 恋しいということもあったが、日本をほおっておけないという感じだった。 地球にとって日本が重要なポイントにあることがわかってきた今、 益々日本を離れられなくなった。
教師時代に 勉強が苦手で先生たちから差別視されている生徒たちと アメリカ白人社会で差別されてきた黒人たちが 同じマイノリティとして重なって見えた。
差別を生み出している既存社会のフレームみたいなものを ぶち壊しに生まれてきたような気がずーっとしている。 だからと言って私の武器は政治力でも経済力でもない。 私の最も有効な武器のひとつが「リズム」。 これをできうる限りのツールに落とし込んで武器とするのだ。
ある師匠に数年前に言われた言葉が 心から離れない。 「元気印を世に送り出す。」
これはきっと 「自分の使命に目覚めた人を世界に送り出す。」 ということなのだと思っている。
*解説・・「リズム」 英語を読むときはリズムが大切。
【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.18】 August 2009 BE☆SEE 18号Carnavaltext= Tadashi Shichijo ------------------- 20代の頃、「あそこまで熱い国はない」 とある人から聞いた台詞が忘れられず 一生のうち必ず一度は行こうと心に決めていた。 ところが当時は地球はまだ現在よりもう少し大きく 地球の裏側の情報は十分得られなかった。 カーニバルを見るには、ブラジル専門旅行会社の バカ高いツアーに参加するくらいしか方法が見つからなかった。 30代になって旅にでるタイミングが見つかった。 インターネットは発達していたが、まだ日本人が個人で旅をして リオのカーニバルを見た・・という日本語のストーリーはネット上の どこにもなかった。(まだブログと呼ばれるものやmixiもなかった)
旅行会社の知り合いに頼み込んでホテルを取ってもらった。 ふつう、リオのホテルはカーニバル半年前からすでに 予約でいっぱいになるというのが常識。 そして「カーニバル・パック」というカーニバルの2日間を含んだ前後4泊が パッケージになっている宿泊プランでしか宿泊できない。 リオのセントロからタクシーで1時間の新興地域のまだ知名度の低いホテルが 運良く取れた。
航空券確保完了。 宿泊地確保完了。 カーニバルを挟んだ5日間、リオデジャネイロに滞在する。 ホテルは取れなかったら現地で安宿を探すつもりだった。 兎に角、一か八か現地に飛び込んでみる。 そこで最新情報を得て、空気を読みながら動いてみる。 これが私の旅のスタイルで、このスタイルにはまると 予期した以上の結果がいつも返ってくる。 言葉の通じないブラジルでもそれは例外ではなかった。
世界のどんなところにも人がいる。 皆、同じように悩み苦しみ笑いながら暮らしている。 出会いの数だけ人生は豊かになる。 人との出会いに感謝。
【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.19】 August 2009 BE☆SEE 19号SHIT!text= Tadashi Shichijo ------------------- アメリカ中を網羅する長距離バスは「グレイハウンド」と言う。 留学先の大学があるのはアラバマ州の小さな町。 よしっ!どうせならロサンゼルスから大陸横断バスに乗って アメリカの町を旅しながら行こうじゃないか!とひらめいた。 ロスからアトランタまでまる3昼夜。 バスの中ではいろんな事件が起こる。
あるとき、ちいさな子供がなんと「うんち」を漏らしてしまった。 異臭が車内に充満する。 ママは必死で処置をして、他の客に謝っている。 しかしこの臭いはとうてい我慢できるものではない。 私は席が少し離れていたのでそんなに臭くはなかったが 近くにいる客たちが騒ぎはじめた。 なんとかしろ!と客が文句を言い始める。
収拾がつかなくなってきたところで、ドライバーがバスを フリーウェイのど真ん中で停めた。 そして客の方に向かってこう言った。 「臭いのは仕方ないだろ。 我慢するか、ここで降りて6時間後にやってくる次のバスを待つか どちらかにしろ!」 映画のようにビシッと台詞がキマッて、場が収まった。 途方に暮れていたママの顔に安堵の表情。 ママが子供に向かって言う。 「もう、あんた、ちゃんとここに座って(sit) なさいよ!」 すると他の客が 「もう一度うんちしろ(shit) なんてお願いだから言わないでね」 と言ったので、バス中が大爆笑。
さあ、読者の皆さんは笑えたかな?
解説 「 SHIT!」 動詞では「うんちをする」、名詞では「うんち・糞」という意味である。 バスの中の話は「座る」 sit (スィット) と 「うんちをする」 shit(シット)の 発音がよく似ていることにひっかけてのジョークだったのである。 また、日本語で悔しさを顕す「くそっ!」という悪い意味でも非常によく使われている。 日本語の「くそっ!」が「糞」から来ているのと同じ流れというところが面白い。 私もアメリカ留学時代の後半よくこの言葉を使ってガールフレンドに叱られました・・。
【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.20】 Oct. 2009 BE☆SEE 20号I'm beating you!text= Tadashi Shichijo ------------------- I'm beating you.(悪いけど俺、勝っちゃうよ) 秋といえば「スポーツの秋」。 対決と言えば格好良いが、黒人たちの身体能力は全く異次元であり、それを同じ土俵の上で あるとき国別サッカー大会をやろうという話になって、私は日本人チームの一員になった。 そのヨーロッパチームには一人アフリカ人が入っていたが、 私のはるか上空をマッハのスピードでドリブルをしていくのだから。。。 また体育の授業ではバスケットボールを取った。 この授業でも黒人たちが数人いたのだが、彼らのプレーは全くずば抜けていた。 3人に囲まれても笑いながらドリブルで交してすり抜けていく奴とか、 しかし例外もある。 1学期だけ私の寮のルームメイトだったナイジェリア出身のクリフは 彼は高校時代、卓球をしていて、「テニスならしてもいい」・・ということで
「全ての黒人がサッカーやバスケットに卓越している(つまり運動フェチ)訳ではない」 ということだ。これは日本人が抱いている妄想のひとつだと思った。 「不得意なことや興味のないことは徹底してやらない」みたいな 幕の内弁当的になんでも平均的にできることがよしとされてきた日本の教育に対して 【結論】 バスケットボールをやっている黒人はバスケットボールがあり得ないくらい上手い。 解説 I'm beating you. 私は君を負かしつつある。=俺、君に勝っちゃうよ〜。
【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.21】 Nov. 2009 BE☆SEE 21号Looking for the cavestext= Tadashi Shichijo ------------------- その冬の宿はハーレムのドミトリーに滞在。 「In the night」という大ヒット曲を出したシェリル・リンの ライブ。 バスケットコートを横目にしばらく行って角を曲がると 入り口でチケットをもがれ通された席はカウンター。 なかなか現れないので隣に座っていた金髪グラサンの兄ちゃんと少し世間話。 一般市民と一流の音楽家の距離が近いと感じる一瞬だ。 若かりし頃、私にはNY移住計画なるものがあった。 兎に角マンハッタン内に住む為には高いということだ。 They are always looking for the caves. この文を聞いて、ニューヨークの安い部屋の狭さが分かる気がした。 2〜3日たって、公園のベンチで世間話をした男性とまたNY住宅事情の話になった。 I hear you New Yorkers are always looking for the
caves. って言ったらバカ受けして大笑いしていた。
【解説】 Cave [ keiv ] (名)ほら穴 ニューヨーク・マンハッタンの部屋は
【旅先で耳にしたギャングな英語 vol.22】 Dec.. 2009 BE☆SEE 22号I'm homesicktext= Tadashi Shichijo ------------------- アメリカ留学時代、インターナショナルドミトリー(国際留学生寮)に住み始めた頃 東京から来たエイジ、熊本出身のシュウジロウ、そして沖縄宮古島出身のタカヤと 4人とも初めての海外、初めてのアメリカという共通項がお互いの繋がりを 新学期が始まって2週間ほどたったある金曜の夜、我々4人はシュウジロウの 大学があったのはアラバマ州の人口5万人の小さな田舎町。 真夜中に車に乗り込む4人。ワクワク感がたまらない。BGMはもちろんサザンオールスターズ。 夜が明けた頃にアトランタの高層ビル群が見え始めた。 なぜかアメリカの日本食レストランはとても高級そうな門構え。 中も高級感たっぷり。しかしウェイトレスは着物を着た日本人。 肉はたっぷり。今は日本でも当たり前だが時代は90年代前半、 ガツガツ食べる我々を見ながらそのウェイトレスは 無意識のうちにホームシックに陥っていた私はその言葉を聞いた時 話は変わってなぜか入寮当時から仲のよかったタイからの留学生とも私はよく一緒にいた。 同室のナイジェリア出身のクリフは大学のカフェテリアの食事を食べ過ぎて 後にクリフは同じナイジェリア出身の彼女ができ、彼女がナイジェリアの
【解説】 I'm homesick. 故郷の国を離れてのアメリカでの生活はかなり寂しい。ほとんどの留学生が
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