ムクムクコラム 2011

【ムクムクコラム vol.35】

捲る

text= TOMOKO OKAMOTO
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新年あけましておめでとうございます。
今年のHeiz銀座共通テーマは「捲る(まくる)が勝ち=価値」と発表されました。

そんな折、新聞には成人式に参列した振り袖姿の新成人達の写真が掲載されていました。
厳しい寒波にみまわれた日、強風に裾は捲れ、大きな袂も捲れあがっています。
それでも風に向かって進む彼女たちの顔には笑いが溢れていました。
図らずも風の力が働き、門出の日は腕捲り裾捲りのスタート、「さあやるぞ!」
「いざ行くぞ!」の意気が込もります。

「苦しくたって 悲しくたって コートの中では平気なの♪」
かつて目にしたテレビアニメ「アタックbP」のヒロインは、
コートの中でボールを打ち捲り、ボールを拾い捲っていました。

やめない、とめない。
勢い体が動くまま何かをし捲っていれば、
きっと誰もがbPのヒロイン、ヒーローです。














【ムクムクコラム vol.36】

精出す

text= TOMOKO OKAMOTO
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「○○のせいでこうなった。」という人がいる。
誰もがひとりで生きていけるわけはなく、
社会や環境の中で生きている以上、
他者や天変地異など含め外からの影響を受けることは否めない。
だがしかし、だからといって誰か(何か)のせいで人生を左右されるほど
自分の人生は他者任せなのか?

一方、「自分のせいで誰か(何か)をこうしてしまった。」という人がいる。
一見責任感、思い遣り、謙虚さがあるように思えるが、
だがしかし、他者の人生を左右するほどの自分だというのか?

「○○のせい」に囚われている暇があったら
もっと自分の「生」即ち、生きることに精を出せ。
そうすれば、自分の精神は活き活きと勢いに溢れ、
本来の自分を輝かせてくれるはずだ。

精を出すことは、精一杯になること。
それは「生命」がいっぱいに充ち満ちる生き方そのものだ。

    「村の鍛冶屋」
  暫時もやまずに 槌うつ響き
  飛び散る火の花 はしる湯玉
  鞴の風さえ 息をも継がず
  仕事に精出す 村の鍛冶屋
     (作者不詳 唱歌)













【ムクムクコラム vol.37】

一瞬

text= TOMOKO OKAMOTO
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激しいめまいに襲われたと思った途端、地面がうねって揺れた。
2011年3月11日、観測史上最大級といわれる地震の発生である。
毎年3月10日には東京大空襲を想像するその翌日、
現実に目の当たりにした大災害、惨事。
亡くなった方のご冥福を祈ることもさることながら、
一瞬にして大切な人、大切な家、大切な仕事、大切なものを失って尚、
生きることを与えられた者は何を拠り所として前に進むのか・・・

この日、図らずも朝日新聞朝刊の天声人語には
「「志」の「士」にはもともと「行く」の意味があり、
「志」とは心がある方向を目指して行くことなのだという」、
と漢字博士白川静さんの弁が記載されていた。

一瞬の後に続く道、どんなに苦しくてもこの道を歩いて行く私たちの原動力は何か?
目指す方向は何処か?
たとえ答えが見つからなくても、
失ってもなお湧き上がる力が必ず備わっていると信じて、
与えられている力の強さを信じて、
どこまで続くか誰にもはることは出来ないけれど、
一瞬の先をまた一瞬、一瞬の積み重ねで創って行こう。
『希望』の方向を目指して、確実に一歩、一歩、前に進んで行こう。














【ムクムクコラム vol.38】

text= TOMOKO OKAMOTO
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東日本大震災から一ケ月、人や物、心や意識もひと月前と大きく変化した。
しかしそんな人間界をよそに、今年もまた桜は満開の姿をあらわしてくれた。

ソメイヨシノの老木、土から盛り上がった根にいきなり一輪の花が咲いているのを目にすると、
思わず見上げた根性(根の性)と見入ってしまう。
花は枝先に咲くという常識を覆し、花を咲かせるというただその一念が、
幹から枝へ、枝から花へという順序をふき飛ばしたのだろうか。
そこにはいのちを見せびらかすかのような力強さ、したたかささえ感じる。

「根」が在る限りいのちは生きている。
根は、幹や枝や葉や花、そして実(種)の源。
その根からはその木の実がなり、その実はその木の根から生まれる。

ひとにもひとりひとり、そのひとの源である「根」がある。
その根が、あなたの根気であり根性で現れる。
あなたをあなたとして生かし続けるエネルギーの源である。

何処に生えた根か、何処へ向かうための根かを見極めながら、
根を与えられ根付いた土への感謝を悦びに換えて、
生きていることを噛みしめたいと思います。















【ムクムクコラム vol.39】

text= TOMOKO OKAMOTO
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東日本大震災後、あの状況下で暴動も起きず、ひとりひとりが
自分を律して過ごす日本人の姿に世界中が感歎と尊敬を寄せたという。

「律」一筋の道。
私たちは、法律、規律、戒律・・・ 公に定めた「律」を超え、
己が定めた「律」を守る心得を極限下で発揮することができた証である。
それは、自分が定めたからこそ、それを失ったら自分が自分で無くなるという
誇りを持つがゆえの所行だと思う。
それこそが人間の尊厳である。

寄り道、回り道も臆せず、一筋の道を確信して、
己が力は確かに有る、と揺るぎなく一歩一歩前に生きているのです。
大丈夫、たとえ微力でも鈍力でも、間違えなくみんなにその力が備わっています。
もしその力が半減するとしたら、それはなにかにもたれかかった途端に起こること。
諦めない、信じ続ける、その限りにおいて自分の前に一筋の道は延びて続いていきます。















【ムクムクコラム vol.40】

text= TOMOKO OKAMOTO
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「浩」とはおおきい、ゆたか、ひろいの意味をあらす。

東日本大震災から3ケ月、復興、原発、放射能、節電、政局・・・
遅々として進まぬ対応策、天災に重なる人災に、被災地のみならず
不安、焦燥、忍耐、苛立ち、恐怖などなど、目に見えない重い空気が
知らず知らずのうちに私たちの中にも浸透しているような気がする。

放射能によるこどもの健康を心配する母親たちの言動などテレビで見聞きすると、
親として、将来に渡るこどもの健康を気遣い、責任を感じて行動しようとする気持ちは
充分解るが、それでも敢えて、冷静であって欲しいと願ってしまう。
健康とは身体と心の両方合わさっての健康であるからだ。
こどもには親が拠り所である。
それゆえこどもはおとなが思う以上に親の気持ちに敏感である。
親の不安や心配にもし大きさがあるとしたら、
同じ大きさをこどもはこどもの心の容積で受け止める分、おとなより比重が大きい。
こどもの社会の大きさの、大部分を親が占めているのであるから。
そしておとなが思う以上に、こどもは親の顔色に敏感であり、繊細におとなを気遣う。
親の心配、不安を小さな心で抱えながら、それを親に知らせてはいけないなど
二重、三重に気遣いを重ねていることがある。

おとなの空気はこどもに伝播する。
そしておとなもまた、世の中の空気に伝播される。
さらに世の中の空気とは、自分が発した空気でもある。

「浩然の氣」、天地にみなぎっている至大至剛で屈せずたゆまない元気のこと。
こんな時だからこそ、わたしたちは天地に漲る「浩然の氣」に包まれていることを感じ、
そしてわたしたち自身からも浩然の氣を発していきたいと思う。















【ムクムクコラム vol.41】

text= TOMOKO OKAMOTO
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東日本大震災による福島第一原発の事故が発端で、
私たちは電力をこれほど意識したことのない今夏を迎えている。
電気製品の開発普及で便利になった世の中にあって、
当然ながら電力=電気の力がなければ、その製品があるにもかかわらず
使用できないことを思い知る。

同様に私たちの体も、体力がなければ動かない。
気力がなければ気持ちは動かない。
引力がなければ引きあう(惹きあう)こともない。

「動いている」とは「力」があるということだ。
そして生きているということは、「力」が備わっているということである。

『渾身の力』を出し尽くして、生きているいのちを感じていきたいものです。















【ムクムクコラム vol.42】

text= TOMOKO OKAMOTO
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8月6日、9日、今年も広島と長崎で原爆の日を迎えた。
大震災が発端で起きた福島第一原発の事故による被害を受けて、
今年の平和祈念の日には昨年までにはなかった原爆被爆者の
恨悔の呻きのような声が胸を突いた。

「被爆者」という重い現実を66年間も負いながら、
自分たちのような被爆者をこれ以上生まないために身をもって自らの体験を語り、
核兵器廃絶を訴え続けてきた人たちに、今回の原発事故が波及する事態は、
「自分は平和利用という名のもとに原子力発電の使用を容認していた。」という
負う必要のない自戒までも抱かせてしまった。

スイッチを入れれば電気が点く。需用にみあう供給はいつでも得られる。
いつのまにか当たり前の日常に、私たちの多くはそれが何から生まれ、
何処から来ているのかなどを問い、顧みる機会を持たずにいた。
平和利用といえども、元々「核・原子力」であるということを、
事が起きるまで見ないでいた。

原子力の問題に限らず、進歩、進化の加速的スピードの時代、
私たちは前へ前へと「答」を、或いは答を導く「式」を競い、
優劣を付け、いつの間にかはじめの「問い」をなおざりにしてきたのではないか。
与えられた出題を解くことに勤しみ、自ら「問う」ことを忘れてきたのではないか。

「問い」を持ち続けること、「問い」を生み続けること。
自問を忘れて自答を得ることはない。
他人の問いに答えるばかりでは自分の人生を得ることはできない。
あなたは自分の姿で、他人の人生を歩くことを望みますか?
それとも他人と答え比べのない、自分の人生を選びますか?














【ムクムクコラム vol.43】

text= TOMOKO OKAMOTO
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今年の夏は、各地で特別な思いの籠もった万灯が灯った。
また、九月に入り電力制限が解除されて街の灯りが増した。

「灯」は、ときに手元足元を照らし、
ときに標べとなり、ときに心暖め、心鎮める。

私事であるが、今、癌の終末期を格闘する父のいのちと対峙して、
意思の有無に関わらず、自ら灯ろうとするエネルギーが
同時に他者を照らすエネルギーになるのだと感じる。
日夜父娘バトルを繰り広げる看護生活を越えて、
最期のいのちを生きるために振り絞っている残り灯が、
娘達、孫達の明日への灯であると信じて、
そこはかと営みを、ひとつ、ひとつ、積み重ねる今である。

自らを灯す灯火でひとを照らしているのだということ。
それが私たちに与えられたいのちの尊厳であると
ひとりひとり胸を張って生きていこう。
それを逝くひとと遺るひとのいのちのリレーとして。

東日本大震災から6ケ月、
ひとつひとつ灯の連なりに祈りを込めて。















【ムクムクコラム vol.44】

text= TOMOKO OKAMOTO
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10月から始まったNHK朝の連続テレビ小説の中で、
「だんじり」に恋いこがれていた主人公の少女は初めてミシンに出会ったとき、
これが私の「だんじり」だ! と覚醒する。
人であれ、ものであれ、あるいは実際の事物に限らず、
本の内容や登場人物、作者、アニメのヒーロー、新聞記事、などなど。
私たちは日々無数の出会いをしている。
その無数の中から抽出、選択する、つまり「出会った」と認識するのは
無意識的に「自分に合う」あるいは「自分の往く方向に合う」という
はたらきがあるはずである。

貴方は誰と会い、何と会ったか。
またこの先会うだろうか。

会心の友を得、会心の笑顔になり、会心の人生を終えることができたら、
それこそ最上の生き方ではないでしょうか。
言い換えれば、「心に叶わない」ことには会わない。
それが生きる質を上げるコツといえるかもしれません。















【ムクムクコラム vol.45】

text= TOMOKO OKAMOTO
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東日本大震災から8ヶ月。 被災者のひとりが「もう私たちは忘れられたようだ。」とつぶやく。それでも「目の前で流
され亡くなったひとがいるのに自分は生きているということは、しなければならないこと
があると思っている。」と言う姿がテレビから流れた。

おそらく、救助、救援、応援、激励など多くの呼びかけが減少し、「忘れられた」と感じる
のだろう。
亡くなったひとの「嗚呼」という声が聞こえるような気がして、生きなければ、しなけれ
ばという思いに駆られるのだろう。

私たちは呼吸(息を吐くこと息を吸うこと)によって生きている。
私たちは呼応(呼びかけに応じること)によって動いている。

ぼんやり、或いは考え事をして歩いているとき、「○○さん!」と呼ばれハッと気づいた経
験は誰にもあると思います。
同様に自分の内に向かって呼んでみたら、あなたの元気、やる気、負けん気・・・
いったいなにが応えてくるでしょうか。
いのちはきっと自分が思う以上に生きるためのたくましい力を備えています。
呼べばあなたを生かす力が「待ってました!」と応じることでしょう。
誰にも歓呼の思いが溢れているはずです。















【ムクムクコラム vol.46】

text= TOMOKO OKAMOTO
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 前のことになるが11月23日美容室に行ったときのこと、美容師が「今日はなんか休み
の日でしたよね。」と言う。カレンダー通りの休業日がない彼にとっては、休日も祭日もた
いした意味がないのかもしれない。

 老婆心ながらこの日が何故「勤労感謝の日」となったのか新嘗祭の話などしたが、どこま
で聞いていたか・・・

 若い美容師ひとりがどうのということではない。成人の日も体育の日も何故その日になっ
たか元(はじまり)の意味を度外視して、3連休にするために動かす時代である。

 昨日は今年一年の世相を表す恒例の「今年の漢字」が『絆』と発表された。

 大震災以降ひとの繋がり、絆が大きく見直された年であり、この文字が今年の漢字に選ば
れたのは当然といえる。しかし、元来日本は絆社会であったはず。

 「絆」とは物を繋ぎとめる綱であり、断ちがたい恩や愛、情、それゆえにほだし、わずら
いもつきものとなる。親兄弟、親戚縁者などわずらわしい、近所づきあいは面倒だ等々。

 今ここで絆の大切さ実感したなら、何故絆を断った、或いは希薄にしたのかの元を顧みる
ことも必要だと思う。

 元を見失ったまま、元に目隠ししたままの進路は、目的地のない旅を彷徨うようなもの。

 元の氣は自分の元気である。
 この年の瀬に、自分の足元をはじめ、さまざまな元を再認識し、
 来る2012年の元旦を元気に迎えたいものである。







日本無垢研究所

所長 岡本朝子