ムクムクコラム 2010

【ムクムクコラム vol.23】

虎嘯風生

text= TOMOKO OKAMOTO
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新年あけましておめでとうございます。

今年の干支は「トラ」、寅(いん)には万物がはじめて動き出すさまを表す意味もあるようです。

    

「龍吟じて雲起り 虎嘯きて風生ず」という禅語があります。

龍が空高く吟ずれば雲が起こり、虎が嘯くと自然と風が生じてくる。

そんな現象を起こす力が、もしかしたら私達ひとりひとりに備わっているのかもしれません。


KY(空気が読めない)などという言葉が横行している昨今、まわりから浮いてしまうことを恐れ、

嫌われないように、目立たないように、みんなと同調するように、そんな風に生きて、

本来持っている自分の力を発揮する機会なく、自分自身を見殺しにしていることはないでしょうか?

波風が立たないということは、言い換えれば何も生じないということ。

せっかくの寅歳、「猛虎に成って風を起こす!」気概を持って自分の言葉を発してみませんか。

心の奥底からわき上がってくる声はきっとひとの心に届くはずです。

うなりはうねりと成って波及していく力となります。

摩擦を恐れず、発信元に成って動き出す年にしたいものです。













【ムクムクコラム vol.24】

「一」はじまり

text= TOMOKO OKAMOTO
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2010年2月14日は旧正月、旧暦一月一日にあたる。
そこで今回は「一」即ち「はじまり」について浮かんだまま綴ってみる。

現在は満年齢が通常化しているが、かつては数え年で生まれた時点の年齢を一歳としていた。
つまり私たちは生まれたとき既に自分の「一」を有しており、すべてはその「一」からの発達成長の積み重ね、繰り返しで生きているといえる。
それは、あたりまえのことだがどこまでも他人の「一」からは発しようがないということでもある。

また、すべての人や物、事との出逢いもはじまりがある。たとえ時の経過、事の展開によって関係が変容しようとも、
はじまりは明らかにはじめにあったもので、それを後から違えたら事実が虚実となりいま現実さえも崩れていくと心したい。


千利休の百首のなかに次の二首がある。
  稽古とは一より習い十を知り 十よりかへるもとのその一
  規矩作法守りつくして破るとも 離るるとてももとを忘るな


迷ったとき、ぶつかったとき、更には成長した、進歩したというときにもいっそう、
常に「一」「はじまり」を照らし、自分の「一」を拠(よりどころ)として、もと帰る意識を持ち続けていたいものである。












【ムクムクコラム vol.25】

旅 人

text= TOMOKO OKAMOTO
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卒業、移動など三月は「旅立ちの季節」の感がある。
「月日は百代の過客にして 行き交う年もまた旅人なり」
松尾芭蕉、奥の細道の冒頭にあるように、
月日は永遠の旅人、来訪者であり、かつ来ては去り、
去っては来る年もまた旅人と喩えられる。
そして私たち個々は、その永遠に続く時の中で有限の時間を、
「今」が瞬時に「過去」となり「未来」が瞬時に「今」となる時を生きる旅人ということができよう。

自分の一生を旅人として見るならば、あれこれ荷物を背負い込まず
出来るだけ身軽でありたいと思う。
そして訪れる土地や人との出逢いを旅の醍醐味としよう。
永遠の中の一旅人として、同時に刹那の中の主役の旅人として。












【ムクムクコラム vol.26】

月は東に 日は西に

text= TOMOKO OKAMOTO
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菜の花や 月は東に 日は西に  (与謝蕪村)

麗らかな春の日没近く、一面の菜の花畑をはさんで、
一日の恵みをいただいた太陽が没するまえの鮮やかな西の空、
そしてふと振り向けば東の空にはもう満月にちかい月(十四夜)が姿をあらわしている。

この情景、菜の花畑の中に自分を置けば、太陽の次にはもう月が控えていてくれる。
私たちは順送り、次々と恩恵を授かっていることにあらためて感謝する。

また、自分を太陽に重ね合わせたならば、
役を終えるあとには次の誰かがバトンタッチしてくれることに安堵する。
あるいは月に重ね合わせたならば、
先人のあとを引き受ける所行に覚悟する。

自然の摂理は、私たち人間に置き換えて同様。
支えられ、支える、相互の繰り返し。
繋ぎ、繋げる、役の連綿。

情感は全く異なるが、次の一首も浮かぶ。

東の野にかぎろひの 立つ見えて
かへり見すれば 月傾きぬ   (柿本人麻呂)

人もまた、自然の中のひとりである。
沢山の恩恵を頂戴し、それをまた返していくのが営み。
あなたは恩恵に気づいていますか?
お返しすることを意識していますか?












【ムクムクコラム vol.27】

夏 ほととぎす

text= TOMOKO OKAMOTO
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卯の花の匂う垣根に ほととぎす早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

今頃の季節、毎年決まって口をついて出る唱歌である。
この歌に限らず、「ほととぎす」はこの時季の日本を代表する鳥のように
古今数多くの和歌にも詠まれ、また、信長、秀吉、家康の人柄を表す
「啼かぬなら ◯◯◯◯◯◯◯ ほととぎす」
にみられるように文化、文学との関わりも深い。

ほととぎす 鳴きつる方を眺むれば
ただ有明の 月ぞ残れる
小倉百人一首後徳大寺左大臣の一首はなかでも有名である。

夜に鳴く鳥といわれ、その年の初めて聞く鳴き声を忍音(しのびね)といって珍重し、
少しでも早く聞きたいと夜を徹して待った様子が枕草子にも描かれているというが、
明け方まで待ち明かした様子は「ただ有明の月ぞ残れる」にも読んでとれる。

人々は、ほととぎすの初音を心待ちにしている。
また、鳴く声をたよりにその姿を捜し求めている。

「私は ここに居る!」
「私は こう思う!」
「私は こう言う!」

ひとを振り向かせ、ひとに気づかせる第一歩は声をあげること。
私たちもほととぎすに倣って、まずその一声を鳴り渡らせてみませんか?
きっとその声を心待ちにしているひとがいることでしょう。

「キョッキョッキョキョ」「ホートトトギス」
「テッペンカケタカ」「トーキョウトッキョキョカキョク(東京特許許可局)」
聞いた人の耳には、思いの外の鳴き声となって届くかもしれません。













【ムクムクコラム vol.28】

創業 守成

text= TOMOKO OKAMOTO
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ヘイズ銀座6周年創業祭おめでとうございます。
そして私たちひとりひとり、「創業」時点に立ち、
何処に足を着いて、何を先に見据えたかを
常に見つめ、行動を重ねていきたいと思います。

「創業は易く 守成は難し」

中国唐の皇帝太宗の時代の「貞観政要」に書かれている言葉です。
「貞観政要」は、北条政子、徳川家康や明治天皇なども愛読した
帝王学の教科書としてあげられていますが、統治者、指導者、経営者にかかわらず、
ひとりひとりが自分の人生の創業者であるとしたら
創業は易く 守成は難し を
生まれるは易く 生き抜くは難し
と置き換えてもよく、すべてのひとにあてはまる言葉ではないでしょうか。

人生(仕事)には山あり谷ありです。
好調時は違う景色が見たくなる。
不調時は投げ出したくなる。
それもまた人の常。
それでもそれを乗り越えてこつこつと、淡々と、
持続、継続、繰り返し生きていくのが人生。
スタート時点に立ったときの位置と
そのとき先に見据えた目的を守り通して成し続けていきたいものです。

創業も決して易くはなく、難しいものです。
だからこそ、得難い大切なものとして創業のこころを持ち続けることで、
守成のために尽力することができるのだと思います。

難しは 堅し、固しに繋がります。
「固」、それが「己」そのものだから、
地固め自堅めの一歩一歩を愚直に進んで行きたいものです。

何を守り、何を成就したいのか?
そのことを自分に問い続けながら・・・













【ムクムクコラム vol.29】

明鏡止水

text= TOMOKO OKAMOTO
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曇りのない鏡と静かにたたえられた澄んだ水。
なんの蟠り(わだかまり)もなく澄みきって静かな心の状態を指しています。

日々こういう状態でいられたら、穏やかに泰然として過ごせるというものですが、
では私たちはどんなとき鏡が曇り、心に波風が立つのでしょうか?

怒りや不満が起きたとき、その鉾先をすぐ相手に向けず
落ち着いてその出所をみてみませんか。

例えば「あのひとの我が儘が許せない!」というとき
もしかしたら「私だって我が儘をしたいのに我慢しているんだ」という思いが
隠れていたりはしないでしょうか?

怒り、不満の先にあるのは、案外鏡に映った自分の姿であったりするものです。
自分にあるものでしかひとをみることができないのですから、
他者は自分を映す鏡であるといえるかもしれません。
だとしたら、鏡の曇りは自分を曇らせ、ひとをも曇らせてしまいます。
ひとも自分も晴れ晴れと磨き上げるために、
日々を明鏡止水の心境で送りたいものです。













【ムクムクコラム vol.30】

思遣

text= TOMOKO OKAMOTO
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午後のひととき、東京で蝉の声など聞きながら、

閑かさや 岩にしみいる 蝉の声

松尾芭蕉が奥の細道、山形立石寺で詠んだ一句がふと浮かぶ。

そこはひともなく風の揺らぎさえない、あたかも静止したような夏の日差しの中だろうか。
ただ蝉の声のみ、それが芭蕉にとっては岩に降り注ぎ、
まるで雨のように染み入っていく、
音が聴覚を越え視覚へと変容する景色として見えたのか。
岩をはじくのではなく、岩に染み入ると詠うのは、
我々凡人にはにぎやかに聞こえる蝉の声も、
芭蕉には閑けさに含まれていったのであろうか。
だとすると、修験の山である立石寺という場所に在って、
その「閑かさ」は禅の世界にまで通じていたのだろうか。 

一方、蝉にも心があるとしたら、
「人間っていうのはおかしな代物だ。俺たちはあと数日の命のあいだに子孫を残すため、
ただひたすら伴侶を求め続けて鳴いているだけなのに。」などと思いながら芭蕉の姿を
見つめていただろうか。

まだ行ったことのない山寺を思い浮かべ、
芭蕉や蝉や、ときには岩の気持ちにまでもあれこれ思いをめぐらす。

自分の思いを対象とするひとや事物に投影したり、
入れ替え置き換えができることこそ人間が人間である所以だと思う。

それは即ち、自分の思いを相手方に遣るという「思遣(おもいやり)」の語源。
せっかく人間に生まれてきたのだから、沢山の想像を膨らませ、
「思遣」をもっともっと拡げて、自在に思いの遣り取りができる豊かさこそ
存分に味わいたいものである。













【ムクムクコラム vol.31】

猛 炎

text= TOMOKO OKAMOTO
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猛暑、炎天、記録破りの長い夏が続いた。

「猛」といえば、二十一回猛士と刻んだ吉田松陰がいる。
「炎」の代表格は不動明王だろうか。

どちらも全力を尽くして事にあたる並ならぬ決意の表れ、姿が「猛」であり「炎」である。
激しく現れることによって、いっそうその中心にある信念、誠といったものが浮かび上がり、内に在る穏やかさ、慈しみの顕れさえ観ることができる。

私たちはともすると極端を忌避しがちだが、実は極によって中心が見えてくることがある。
中心がしっかりしているからこそ、大きく極に振れることが出来るともいえよう。
「中」には偏らないという意味がある。
偏らないとは、小さく纏まることではなく、
「それもあり」「これもあり」の寛容さ、自由さということなのだと思う。
「中」に立って「極」に表す。

今夏の猛暑、炎天にあやかり、
自分の「猛」「炎」をおもてに出してみては如何だろう。
案外涼しくなるかもしれません。













【ムクムクコラム vol.32】

text= TOMOKO OKAMOTO
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「絶」ときいてみなさんは何を思い浮かべるでしょう。
絶滅・絶交・絶命・拒絶・断絶 など
「絶」には「刀で糸を切る」という文字の成り立ちのように
たつ・たちきる・こばむ・ほろびる・死ぬ などの意味があります。

しかし一方で、絶好・絶景・絶頂 などに表されるように
すぐれる・はなはだ・ひじょうに という意味も持っています。

なにかを絶ちきるときが、はなはだすぐれたものを手にするときかもしれません。

絶体絶命のさきに、抱腹絶倒、絶好調の人生があるのかも・・・

石川五右衛門のように(フィクションですが)
「絶景かな絶景かな」と大見得きって人生終えることができたら
最高の幸せかもしれません。
それにはまず、絶つこと、絶ちきることを怖れずに進んでみてはいかがですか。
絶つときは、次のステップが始まるときだと思って。














【ムクムクコラム vol.33】

動く

text= TOMOKO OKAMOTO
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心臓が鼓動する。
血液が流動する。
関節が可動する。

生きているということは、動き続けているということ。

動いているという感覚を頼みに、
動くということを意識し、
動かすということに拡張させながら、
生きていく。

もし人間であることに疲弊しそうになったら、
私たちもまた、動くものすなわち動物であることを取り戻そう。
そうすれば、シンプルにただ自発のままの動きに任せることが出来る。
その上で、人が動くと書いて働くとあるように、
身体の動き、心の動き、脳の動き、五感(あるいは第六感も含む)すべての動きに
働きを掛けあわせ、人であることに立ち還ろう。

働き、働く、とは作用する、機能するということ。
私が私として生きることは、私として働いていること。
それは自発的に、主体として、動き続けているということ。

大丈夫、動いていれば生きられる。














【ムクムクコラム vol.34】

誰が決めた

text= TOMOKO OKAMOTO
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やると決めた。 やらぬと決めた。
行くと決めた。 行かぬと決めた。
言うと決めた。 言わぬと決めた。

決意。 決断。 決定。 決心。 決行。

誰が決めた。 私が決めた。

「誰かに決めさせられた。」と思った途端、
私は私の手で私の人生を放棄したことになる。

あなたは自分で決めた自分の人生を生きていますか?






日本無垢研究所

所長 岡本朝子