ムクムクコラム 2008

【ムクムク・コラム vol.1】

文/岡本朝子
text= TOMOKO OKAMOTO
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一華開五葉 結果自然成
(いちげごようをひらき けっかじねんになる)

禅宗の初祖達磨大師が弟子の慧可大師に伝えた一節です。

心の花を開く=清浄無垢な心に立ちかえること。
「無垢な心には、やがて自然に果実がみのる」という禅のことばです。

そして五葉とは五弁の花びらに当てられ、次のような五智があげられています。

「大円鏡智」 生まれながらにして持つ無垢でありのままの心
「平等性智」 周りのすべてのものが仏性を有し平等であると知る心
「妙観察智」 平等の中にもそれぞれの個があり違いがあると知る心
「成所作智」 仏の心と同じく他を思いやり大切にする心
「法界体性智」身の周りにあるすべてのものは仏のあらわれと知る心

五智に目覚め、美しい個々の花を咲かせて見せましょう。

見せるが価値。魅せるが価値。
結果は自然に成る。

文/岡本朝子(おかもと・ともこ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【ムクムク・コラム vol.2】

文/岡本朝子
text= TOMOKO OKAMOTO
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「遊びをせんとや生まれけむ」


遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声きけば 我が身さえこそゆるがるれ

『梁塵秘抄』の中で最も知られている歌のひとつです。

「まるで遊ぶために生まれてきた、戯れるために生まれてきたかのように遊んでいる子ども達の声を聞いていると、思わず私の身体さえも動いてしまう。」
という意味ですが、「我が身さえこそゆるがるれ」というところに得も言われぬ感動が伝わってきます。

読み手の年齢、性別、職業、状況など明らかではなく、「我が身」がどのように動いたか知るよしもありませんが、子どもは目的の為に遊んでいるのでもなく、結果を目指して遊んでいるのでもなく、ただこの時、無心に遊びを楽しんでいる。
故にその歓びの声は、大人の心を動かし行動さえも起こさせる力となったのでしょう。

歓び、輝き、楽しみ・・・
あなたはどんな今を生きていますか?

文/岡本朝子(おかもと・ともこ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【ムクムクコラム vol.3】

“爆発”

全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。
人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。
いのちの本当のあり方だ。
              〔岡本太郎『自分の中に毒を持て』 より〕
         

目的、意味、得られるもの・・・
あなたの言動、生き方には何が去来していますか?


文/岡本朝子(おかもと・ともこ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【ムクムクコラム vol.4】

“安んじて”

己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。
天下にひとりもそれを理解してくれる人がいなくたって、
己はそれに安んじなければならない。
それに安んじて恬然としていなくてはならない。
                      〔森鴎外〕


専門とする文学、医学両面において論争が絶えない人物であったと評される森鴎外。
軍医を務めていた陸軍内でも「孤立しつつあり」の述懐を残した人物でもある。

己の感情、己の思想は「自己固有」のものであると覚ること。
その上で、自己の信念のもと、他者の無理解、衝突に揺るぐことなく、
安んじて恬然(てんぜん)とありたいものです。

あなたの心は安らかですか?
平らかですか?

文/岡本朝子(おかもと・ともこ)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ムクムクコラム vol.5】

『ろっこんしょうじょう』

text= TOMOKO OKAMOTO
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7月1日は富士山の山開き、この夏も多くの人が富士登山に挑戦することでしょう。
私は残念ながら未だトライしていませんが、小学生の頃母から
「ろっこんしょうじょう ろっこんしょうじょう」といいながら登ったという
体験談を聞いた時、意味は解らないけれどもそのことばの響きが
いつまでも心に残った記憶があります。

『六根清浄』

『根』には 「或作用を起こす強い力」という意味があります。
六根とは、外界の物事を捉える感覚器官、すなわち

 眼(視覚)
 耳(聴覚)
 鼻(嗅覚)
 舌(味覚)
 身(触覚)

の五つに、認識し考える心(意)を足した六つをいいます。

六根はその対象に対峙したときに、それに対する欲望を起こさせ
執着、迷い、苦しみなどを生じさせるものです。
自分の五感と心で認識したものが正しいか、欺かれていないか、
六根を清く保ちつづけて誤りのない判断で対処できる心を養い続けることが
大切だと思います。

不浄の行いをしていないか。

例えば自分の目的のために、あたかも「人のため」「世の中のため」
などという美名に隠して手段を弄することはないか。
時々の都合に合わせて六根を自ら欺いてはいないか。

自分自身の人生という尊い山を、
きょうも「六根清浄」と唱えながら登っていきたいものです。

文/岡本朝子(おかもと・ともこ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【ムクムクコラム vol.6】

『頭を子供のように・・・』

text= TOMOKO OKAMOTO
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北京オリンピック、競泳の北島康介が金メダルを取ったあと、
コーチの平井氏のコメントが新聞に載っていた。
その中で特に印象に残ったのが
「北島と出会ってからもう一度青春時代がきたみたいだった。
 頭を子供のように軟らかくして、どうやって泳ぎをよくしようかと、
 そればかり考えてきた」という発言。

勿論世界新、金メダルの結果は、心・技・体 才能、努力、
あらゆる科学的データの駆使、人間関係の構築などを含む歳月の
結果であることは想像にかたくないが、
そこに、使命感漂う苦労話などを描いていた私にとって
この言葉は以外でもあり、なんだかとても嬉しく感じた。

知識や情報の集積、経験の積み重ね、
「大人になったね」「成長したね」は褒めているようで、
よく見ると過去形と気づく。

成長し続けるという現在進行形を保つのは、
いつまでも子供の頭、青春時代の精神年齢なのかもしれない。

いつのまにか固くなっている心身頭を省みつつ・・・

頑固な頭でっかち さようなら!
子供のような軟らかい頭 こんにちは!!!

日本無垢研究所
所長 岡本朝子  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

            


【ムクムクコラム vol.7】

『嘘つきは・・・』

text= TOMOKO OKAMOTO
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「嘘つきは泥棒のはじまり」

このことばを最初に聞いたのはいつのことだったか?
「泥棒」の意味がわかっていたので少なくとも3〜4歳よりは長じていたはずだ。
その時、「泥棒になるのはイヤダ!」と思ったことを記憶している。

ここで「私は嘘をついたことはありません。」などと大嘘をつく気もないし、
日々繰り返されている政・官・民、あまたの嘘を取り上げる気はない。

一番大切で難しいのは「自分自身に嘘をつかない」ことではないだろうか。

最近、催眠術のことを書いた新聞記事を目にした。

「冷たくない、痛くない」という催眠術をかけられた人が、本来なら数秒も浸けていられない氷の入ったバケツに左手を入れて平気で浸け続けていた。しかし、その人の右手にペンを持たせて、「いま思っていることをなんでも自由に書いてください。」と言ったら、「痛い、痛い、手が痛い、早く手を出したい!」と書いた。
どんなに催眠術をかけていても、深層では本当のことはちゃんと知っている。
というような内容であった。

現代はあふれかえる情報、スピードや結果を求められる。

そんな中で、自分の言動が果たして本当に自分から内発しているのか?
もしかしたら何かに振り回されたり、考慮したりして、自分の本意ではないことをしていないか?
そんなことを省みることも、真実をみる気概もなく行動しては居ないだろうか?

本当は知っている。

ゆっくりと、真摯に、自分と対峙して、自ずと感じ取れる自分を大切にしたい。

『自分自身に嘘をついていませんか?』

唯一無二の「自分」の生き方を、
自分自身で盗み取ることのないように・・・


日本無垢研究所
所長 岡本朝子 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

          


【ムクムクコラム vol.8】

『自信』

text= TOMOKO OKAMOTO
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「自信」

これができたら自信がつく。
これを認められたら自信になる。
そんな風に思ってはいないだろうか?

「自信」とは自らを信じると書く。
自分の存在そのものを価値と確信し、
『自身』=『自信』 とする。

有名な釈尊誕生偈
「天上天下 唯我独尊」
このことばの起こり、解釈はいくつかあると思うが、
「この世界に自分という存在はただひとりしかない。
つまり誰もがひとりひとり他に替えがたく尊い。」
ということであり、
キリストの言う
「汝自身を愛するように 汝の隣人を愛せ」
もまた、「汝自身を愛するように」であって、
ある観点では、同じことを説いていると捉えることもできる。

ひとの言動が、経験と想像によってもたらされるとすれば、
自分を信じる以上に他者を信じることはできないのではないか?
自分を尊ぶ以上に他者を尊ぶことはできないのではないか?
自分を愛する以上に他者を愛することはできないのではないか?


「今この時ここに生きている」自分を信じて、
歩いていきたいものである。



日本無垢研究所
所長 岡本朝子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【ムクムクコラム vol.9】

『道ができている場所では』

text= TOMOKO OKAMOTO
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道ができている場所では、わたしはわたしの道を見失う。
大海には、大空には、どんな道も通っていない。
道は小鳥の翼の中、星の篝火の中、移りゆく季節の花の中に隠されている。
そこでわたしはわたしの胸にたずねる―
おまえの血は見えざる道の知恵をもっているか、と。 
タゴール 山室静 訳
                                                 
インドの詩人の作です。
坂本龍馬は二者択一の道を前にした時、第三の道を見つけて行く人だと
語った人がありました。

ひとりひとりの人生という道は、自分の後ろにできるものであり、
前には創り続ける、切り開き続けるという行為の先に未知の道が
待つのみです。

自分の足で歩き、堅めた道が自身の人生の証として残る。
あなたは最後にどんな道を振り返るのでしょう?

たとえ泥んこや穴ぼこ、曲がりくねった遠回りの道であったとしても、
「これが自ら創った、歩いた『道』だ!」
と胸を張って、笑っていえるように一歩一歩を進めていきたいものです。

わたしの道は誰のものでもない。わたしの道だから。


日本無垢研究所
所長 岡本朝子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【ムクムクコラム vol.10】

「扉」の向こう

text= TOMOKO OKAMOTO
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「扉」の向こう

国境のトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。
川端康成『雪国』より                                                 


いつもながら、ここで川端文学のお話しをするわけではありません。

扉の向こうの、思いもかけない景色に遭遇したとき、
それは、自分では「黒い」と思っていた夜の底が「白い」んだ!
という程の驚き、衝撃かもしれません。

そのとき、その景色を一枚の写真におさめて思い出にするか、
歩を進めて景色の中のひととなるか・・・

留まるか、飛び出すかの選択は自分自身にあります。

「そのとき歴史は動いた!」

あなたは自分の一生という歴史にどんな「そのとき」を鏤めるのでしょうか?
扉の向こうの世界は、自身の一歩で自分の世界へとかわります。



日本無垢研究所
所長 岡本朝子


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