中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム
中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム16

−『庚寅の龍の繋がり』−

文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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やぁ諸君、ご機嫌いかがかね。


すでに、お正月気分もすっかり抜け切ったことと思うが、

新しい年を迎えたケジメだ。


新年のあいさつをすることとしよう。


妄想族の諸君! 明けましておめでとう


さて、諸君の初妄想はどんなだったのかね?


先行きが不透明で不安な時代ゆえに、

きっと、日頃より鍛えている妄想力で、

有意義なひと時の妄想を楽しんだことであろう。


たとえば、思わずオォ〜〜〜と口に出てしまう、

驚嘆する妄想をしたのかも知れない。


いやっ、一人でフッ、フッ、フッ・・・と、

ほくそ笑んでしまう妄想をしたのかも知れない。


何れにしても、妄想は自由だ。


が・・・


まさか、年末ジャンボ宝くじで、

1等と前後賞を合わせて3億円が当たり、

海外旅行や豪華な食事で贅沢三昧の優雅な日々を過ごした。


なんてお粗末な妄想ではないだろうね?


諸君、忘れてはいけない。


この痴観妄想コラム信者の諸君は、

超一流の『妄想家』なのだ。


是非、その自覚をもって、

今年も妄想道に精進してくれたまえ。


そして、今年も妄想全開で、

ニヤッと明るく一年間を突っ走ろうではないか!!


ところで、月日が経つのは実に早い。


ついこの間、「ミレニアム」と騒いでいたと思ったら、

あっという間に二千年の一桁代が終わり、

とうとう二千年の二桁代、二千十年代へ突入である。


そして、2010年の今年の干支は「寅」だ。


いや、正確にいえば、

「十干」と「十二支」とを組み合わせた数え方では

今年の干支は「庚寅(かのえとら・こういん)」となる。


ちなみに、「庚」の字には、

「継ぐ・継承・継続」という意味の他に、

「償う」という意味があり、

さらに、これを拡大解釈して

「更新・あらたまる」を意味するとしているそうだ。


また、「寅」の字には、

「つつしむ」、「助ける」、「約束する」、「協力する」という意味の他に、

「進む」、「動く」、「伸ばす」という意味があり、

そして「同僚(志を同じくする者)」という意味もあるそうだ。


ということは、「庚寅」の今年は、

「継続(継承)」、「償い(反省)」、「更新(改善)」、

「同僚(仲間・パートナー)」、「協力(互助)」、「前進(進化)」

といったことが、キーワードになる年であると考えられる。


諸君、今年は妄想による思い切った創意工夫で、

これまでの固定観念・価値観を変えるような、

新しい自分になる自己維新を成し遂げようではないか。


フッ、フッ、フッ・・・


さて、前置きがだいぶ長くなってしまったが、

新年最初は、今年のお正月に体験した不思議な話をしよう。


体験談ゆえに、話は少し長くなるが、

妄想同志の諸君には、お付き合い願いたい。


元旦の朝、私が起きるのと入れ替えに、

家族は皆、外出してしまった。


そう、お正月恒例の福袋を買いに行ったのだ。


お目当てのお店の福袋は人気があるゆえ、

寒くても朝早くから並ぶようだ。


お正月そうそうご苦労なことである。


私は、おもむろにテレビつけ、コタツに入る。


コタツのテーブルの上には、ちゃんと膳の用意がしてある。


お正月だ。 もちろんお酒もある。


午前中から堂々とお酒が飲めるなんて、

ちょっと嬉しい。


一年で一度のささやかな至福の時だ。


ほろ酔い気分で街中を歩いても、

世間は当然のように許してくれる。


そんな元旦の昼過ぎ、

私は地元のとある神社に初詣へ行った。


この神社の歴史は古いが、

正確にいつ頃創建されたのかは定かではない。


紀元前に創建されたという伝えもある。


ただ、全国でも屈指の

初詣の参拝者が多い神社であることは確かである。


神社の参道へは、家から十分程で着く。


参道の途中からではあるが、

参拝者の流れに合流して参道を進む。


だが、ここからが大変だ。


普段なら、五分程参道を歩けば境内まで辿りつく。


だが、お正月はそうはいかない。


参拝者が多い上に、

参道の両側に並ぶ露店によって道幅が狭められているのだ。


がしかし、

今年はいつもと違う感じがする。


参拝者がやけに多い感じだ。


「苦しいときの神頼み」ということわざがあるように、

世相を反映してのことであろうか。


いや、休日の関係で、元日に参拝が集中したのであろう。


そんなことを考えながら人混みに押され、

やっと境内入口の鳥居の前まで進んでくる。


このとき、

やはりいつもの違う感覚を覚えた。


この神社の境内の中には、

鳥居から楼門の手前まで続く石畳がある。


例年であれば、

社殿へ参拝に向かう人や、参拝後におみくじを買う人で

この石畳の存在が分からない程、

境内の中は人混みでごった返している。


ところが、今年に限って、

石畳の真ん中付近がなぜか開かれて(割れて)

幽かに通路が形成されている感じだ。


参道の真ん中は神様がお通りになる道、

と聞いたことがあるが、まさかそのせいではあるまい。


私は、あまり深く考えず鳥居をくぐり、

人混みの流れに乗って石畳の左端を歩いて進む。


そのとき、騒しい周囲の音に掻き消されることなく、

「さぁ、掴まって!」という声が聞こえた。


んっ?


少し驚いた私は周囲を見渡した。


すると、私と同年代と思える和服を着た男性が

私に微笑んでいるではないか。


普通なら、その男性を見て不審がるところであるが、

そのときはなぜか安心感を覚えた。


そのとき再び、「早く、早く掴まって・・・」

という声が聞こえた。


私は、何に掴まって良いのか分からず、

急に焦りを覚え、ただ、拳を強く握っていた。


そして、「行くよ」という声を聞くと同時に、

私の体がフワッと浮く感じを覚えた。


と同時に、

周囲が一気に真っ白になって何も見えない。


音も聞こえない。


まるで、雲の中にいるような感じがする。

(実際に雲の中にいた経験はないが・・・)


だが、少しも不安感・恐怖感はない。


むしろ、何かに護られているといった

心地良い大きな安心感を覚える。


すると、突然の雷鳴と共に、大粒の雨が降ってきた。


目を大きく見開くことはできないが、

この雨で雲のような白さが取り払われ、

ようやく周囲が見え始めた。


何やら前方でうごめく細長いものが見える。


振り返って後方を見ると、

やはりうごめく細長いものが見える。


えっ?


まさか、伝説上の生き物である龍?


私は龍に掴まって空を飛んでいるのか?


まるで、映画の「ネバー○○ディングストーリー」に出てくる

「ファル○ン」に乗っているようだ。


いやっ、ファル○ンよりちょっと生々しい感じがする。


手元を見ると、私が掴まっているのは龍ではない。


人だ。


私は、知らないうちに人と手を繋いでいたのだ。


再び周囲を見渡すと、

なんと既に亡くなった私の父がいるではないか。


それだけではない。


私が生まれる前に亡くなって写真でしか顔を知らない

祖父や祖母がいる。


更に、私の友人・知人、

仕事の仲間等々の顔がところどころに見える。


どうやら、私が龍だと思っていたのは、

今まで繋がっていた人や、今も繋がっている人

で出来上がった列であったのだ。


そのとき、「大丈夫、心はいつも繋がっているよ。」

という声が聞こえた。


声がした方を見ると、

列の先頭に、先程私に微笑んだ和服を着た男性がいる。


彼はいったい何者なのであろうか?


そんな疑問を抱いていると、

体に重力を感じ、列が急に降下するではないか。


何と、すぐ下方に、

ひょうたん形をした池が見える。


危ない!


このままでは池の中に墜落してしまう、

と思うと同時に、私は強く目を瞑った。


すると、急に周囲が騒がしくなる。


目を開けてみると、

私は神社の楼門の前に立っていた。


えっ? 何でここに・・・


私は池に落ちたはずでは?


だが、私の衣服はどこも濡れていない。


しかし、私には鳥居から楼門までの記憶がない。


私は記憶を辿る暇もなく、人混みに流され、

何がなんだが分からない状態のまま参拝を済ませ、

いつもの御守りを買った。


参拝後、私は人混みから逃れるように脇道に逸れ、

「ふっ〜」と深いため息をつく。


ようやく我に返った感じの私だが、

「繋がっているよ。」という言葉が頭から離れない。


「繋がっているよ。」という言葉が、

私の頭の中でぐるぐると回っている。


そのうち、

じわじわと目頭が熱くなってきたのを感じると同時に、

「ありがたい。」という言葉が自然と口からこぼれ、

心が温かくなるのを感じた。


そんな温かい心のまま、私は帰途に就く。


ところが、不思議なことというのは続くものだ。


目頭が熱くなっているせいか、

道すがら参道ですれ違う人の顔がぼやけて見える。


そんな中、時折はっきりと顔が確認できる人もいる。


だが、見ず知らずの人だ。


不思議なこととは、

そんな見ず知らずの人からすれ違ざまに、

「繋がっているからね。」とか、「待っているよ。」といった、

言葉を掛けられたのだ。


んっ?


「繋がっている。」「待っている。」とは、

一体どういうことだ。


もしかして、

彼らはこれから私が出会う人であり、

私と彼らとは確実に繋がるということを

予兆しているのであろうか?


だとすると、

先程の龍のように見えた人々の繋がりは、

皆と繋がっていることの大切さを私に知らしめると共に、

身近な繋がりを見直すことを示唆するものなのかも知れない。


つまり、これまでを反省し、

これからは個と個の繋がりを継続して大切にし、

皆と協力し合って改善しつつ、進化することの大切さを、

教示するものなのであろう。


私には、

今まで繋がっていた人が沢山いた。

また、今も繋がっている人が沢山いる。

そして、これから繋がる人が沢山待っている。


そう考えると、

何だか、目頭が再び熱くなってくるのを感じた。


そして、生かされている・・・

純粋にそんな気がした。


・・・・・


その時、「ただいま〜」という声が聞こえた。


んっ?


何と私は家のコタツの中にいた。


何だ、私は夢を見ていたのか・・・


そうか、お酒に酔って寝てしまったのだ。


そう思っていると、

「あれっ、玄関に御守りがあるよ。」

「お父さん、一人で初詣に行ってきたの?」

と、子供の声がするではないか。


えっ? まさか・・・


夢じゃなかったの?


さらに、

「お父さん、この御守り繋がっているよ。」

と、子供の声が続く。


見ると、確かに家族分の御守りの紐が絡み合っている。


「きっと、家族が繋がっている証拠だよ。」

と、私は子供に答えた。


だが、変だ。


私が買った御守りは、確か一つのはずだが・・・


もしかして、これも夢なのかな?


フッ、フッ、フッ・・・


さて、この話の内容を信じるか信じないかは、

諸君の自由だ。


妄想家であることを肝に銘じ、

判断してくれたまえ。


(日常評論家 中場満)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム17


−『リメンの真実』−

文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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やぁ諸君、ご機嫌いかがかね?

実に、久しぶりだ。
ちょっと野暮用があって2月から4月までお休みさせてもらった。

気が付けば、2010年もあっという間に3分の1が過ぎ、
とうとう5月になってしまった。

5月が爽やかで、妄想にはもってこいの季節である。

きっと諸君も一年で一番素晴らしい
妄想を楽しんでいることであろう。

フッ、フッ、フッ・・・

さて、早速だが、4ヶ月ぶりなので、
最近のとっておきの話をすることにしよう。

あれは、新橋で仕事を終え、
次の約束先である銀座へ向かっていたときの出来事である。

私は、人で混雑している大通りを避け、
迷路のような細い路地を通り抜けながら歩いていた。

すると、ポツポツと雨が降ってきた。

この雨の状況をみると一気に本降りになるな、
と思うが早いか、急に雨足が激しくなってきた。

私は、急いで雨宿りできそうな近くのビルに慌てて駆け込む。

まさに、春の嵐と呼ぶに相応しい土砂降り状態の雨である。

雨宿りしながら、落ち着いて周囲を見渡すと、
すぐ隣には、私でさえも洒落ていると感じる
綺麗なディスプレイが施されたショーウィンドウが見える。

どうやら隣のビルの1階には、ブティックが入っているようだ。

向かい側のビルの1階には、
中華料理店らしき飲食店が入っている。

そして、私が雨宿りしているビル1階は、
飲み屋のようである。

どうやらこの辺りは、服飾関係の商品を扱う小売店や、
飲食店等が入り混じった商業地域のようだ。

だが、これはまずい。

私が雨宿りしているビルの飲み屋は、
これから開店するらしい。

店の営業に支障を与えそうなので、
いつまでもここで雨宿りする訳にはいかない。

雨宿りをするのに支障のない場所を探すために
私が雨宿りしているビルと隣のビルとの間にある
半間程の幅をした狭い路地を何気に覗き込んでみる。

すると、隣のビルの横側に何やら入口らしきものがある。
ちょうど、綺麗なディスプレイの裏側に相当する位置だ。

でも何であんなところに入口らしきものが・・・

もしかしたら、ビル関係者専用の入口なのかも知れない。

んっ? ちょっと待てよ?

だが、扉はない。

気になった私は、
僅かな距離だがその入口まで走って行った。

見ると、そこはすぐに地階へと続く階段の入口であった。

だが、地階へ続く階段には灯りも点いていないし、
入口に看板らしきものもない。

なるほど、きっと地階はこのビルの機械室か電気室なのであろう。

だったら丁度いい、
ここなら何の支障もないであろうから暫く雨宿りができる。

そう思っていると、まるで私が来たことを察知し、
私を地階へと導くかのように、
手前から奥へ向かって点々と階段の灯りが点きだした。

えっ? この下に店でもあるのか?

小心者の私ではあるが、
気になったので恐る恐る地階へと降りてみた。

すると、薄暗いせいで何だか古惚けたように見えるが、
それが却って重厚な感じを与える木製の扉があった。

扉には、ステンドグラスのような装飾が施してある。

そして、扉には何やら店名らしきものが書いてある。

「Rimen・Bar」という文字の下に、
大きく『真実』という文字。

リメンバー マミ・・・

んっ?

店の名前から想像すると、ここは「スナック」のようだ。

ママさんの名前が「真実」というのであろうか?
だが、店の名前の中に「Bar」の文字がある。

ということは、「バー」何かも知れない。

まぁ、何れにしても飲み屋には違いないであろう。

それにしても「Rimen・Bar(リメン・バー)」とは、
「Remember」をもじったのであろうか?

と言うことは、
思い出の場所『真実』という意味なのかも知れない。

う〜ん、何だかますます「スナック」らしく思えてくる。

もしかしたら、美人のママさんがいる
スナック風の「Bar」なのかも知れない。

ニヤッ・・・

外はまだ激しい雨だ。

次の約束はあるがビールくらいなら大丈夫だろうと思いつつ、
ちょっと期待して扉を開ける。

すると、目の前にあるカウンターの中には、
無表情の中年、いや初老といった方が相応しい親父が一人いる。

うわっ、名前にやられた!

まぁ良い、変な期待をした私がいけない。

これも勉強だ。

ビールだけ飲んですぐに店を出よう。

そう思いつつカウンターの止まり木に腰を下ろすと、
おもむろにマスターが「暫くだね」と小さな声で呟く。

えっ? 暫くだねだって・・・

ちょっと待ってくれ。
私は初めてこの店へ来たんだ。

「あれっ、人違いじゃない? ここは初めてだけど・・・」
と私はマスターへ告げた。

すると、会話を遮るように、いきなり店の扉が開いた。

そして、二十歳前後の若い女の子が入ってきたかと思うと、
「おじいちゃん、ここに新聞を置くね。」と言って、
カウンターの上へ新聞を置いてすぐに去って行ってしまった。

「あぁ、マミ。いつもご苦労さん。」
とマスターは閉まりかけた扉へ向かって声を掛ける。

なるほど。

彼女はマスターの孫で、名前は「マミ」と言うんだ。
それで、可愛い孫の名前の「真実」を店名としたんだ。

うん、納得。

そんなことを考えていると、
「ハイ、いつものビール。」といってマスターがグラスへとビールを注ぐ。

えっ、未だ何も注文をしていないのに。
それにいつものって何なんだ・・・

まぁいい。
どうせこのビールを飲んだら店を出るのだから・・・

そう思いつつビールを飲みながら、
おもむろにカウンターの上へ置かれた先ほど新聞へと目をやる。

すると、
「日本経済 奇跡のV字回復」と一面の見出しが目に入る。

なんだ? 何か変だぞ。

私は「マスター、ちょっと新聞を見せて・・・」
と断ってその新聞を読んでみる。

すると、我が国は本来の日本に価値に気付き、
観光や農業、モノ作り技術を基調とした創業が全国各地で相次ぐ。
今やエコノミックアニマルならぬエコロジックアニマルの勢いで
経済が急速に回復、云々・・・と書いてある。

えっ? 何だ。

この新聞は嘘ばかりと思って新聞名を見ると、
「真実新聞」とある。

何だ、店の名前と一緒じゃないか。
ということは、この店が独自に発行している新聞ということか?

だから変な夢みたいな内容なんだ・・・

「マスター、この新聞は何? 内容がおかしいじゃない。」
と私はマスターへ向かって告げる。

すると、マスターは
「あんた暫く来ないと思ったら、目が曇ってしまったんだね。
」 と私に向かって告げる。

何だって、私がおかしいのか???

「だって、今朝のA新聞にはそんなこと何も書いてなかったよ。
それに、今の日本でそんなことあるわけないじゃないの」
と私はマスターへ向かって告げる。

すると、マスターは、フッと苦笑したあとに続けて、
「A社もY社もM社もS社も、新聞社はみんな落ちぶれてしまったよ。
今のマスコミには見識も、責任も何もないじゃないか。」
と私に向かって告げる。

すかさず、店のカウンターの端っこの席に座っていた、
見ず知らずの二人組の男性も、私に向かって口々に告げる。

「そうだよ、あんた。
新聞社だけでなく、テレビ局も、出版社も大手マスコミはみんな、
自分らに都合の良い企てしか書かないからね。」

「そう、マスコミは本当の価値と真実を見極めて、
私たちに中立に告げていないじゃないの。」

えっ、えぇ〜???

私の方がおかしいだって・・・

私は訳がわからずに急に恐怖を覚え、
カウンターに両肘を付いて頭を抱え込んでしまった。

どれくらい時間が経ったであろうか
私がゆっくりと頭を上げると、
目の前にはうす汚れたコンクリートの壁が・・・。

あれっ?

周囲を見渡すと、私は行き止まりの階段下に腰掛けていた。

私はどうしたんだ?

確か・・・、
新橋から次の約束先である銀座へ向かっていて急に激しい雨に降られ、
雨宿り代わりに地階の店へ入ったはずだが・・・

しかし、店の扉らしきものは何も無い。

ちょっと待てよ。

店の名前もはっきりと覚えている
「Rimen・Bar(リメン・バー) / 真実」だ。

んっ?

もしかして、先ほどの新聞の内容から推測すると、
「リメン」とは「裏面」、すなわち裏側のことで、
「真実」とは「マミ」という女の子の名前ではなく、
「しんじつ」ということなのかも知れない。

ということは、さっきの店は、
物事の裏側の面を見る酒場、それも真実を見極める酒場、
ということ意味することになるのか?

これは、私に対して、
大勢の情報を無条件に信じず、自らの目で真実を見極めろ、
ということを伝えてくれたのかも知れない。

おぉ、そうだ。 そうに違いない。

さっき、マスターと見知らぬ二人組の男性が言っていた通りだ。

それに「リメン」は、「履面」とも「離面」とも書ける。

つまり、物事は表面的・一面的に見ないで、
裏側の面、覆われた面があることを考慮しつつ、
離れて全面的・多面的に捉えろ、
ということを私に教えてくれたのであろう。

そう考えると、さっきの新聞の見出しは、
正に、裏側の面・覆われた面のことなのかも知れない。

なるほど、確かに物事を表面的・一面的に見てしまうと、
自分の思いと違うことに対して、不平・不満を感じてしまうことになる。

だが、物事を全面的・多面的に捉えれば、
自分の思いと違っていても、それを理解することができるかも知れない。

うむっ・・・・・

だが、気になることが、未だ一つ残っている。

確か、マスターは、
私に向かって「暫くだね。」と言っていた。

これは一体、何を意味するのであろうか?

「暫く・・・」と言うことは、
私は以前もあの店へ行ったことがあることになる。

ということは、さっきのことは私に教えたのではなく、
私に思い出させたことになる・・・

あぁ、やっとわかったぞ。

それであの店の名前は「Remember」をもじった
「Rimen・Bar(リメン・バー)」なんだ。

私は、大事な自分の目を忘れて、
いつしか他人の目だけを当てにして信じきっていたんだ。

そうだ、これからは自分の目で、
物事を全面的・多面的に捉えていかなければいけないのだ。

私は、何だかとっても大事なモノを取り戻したように感じた。

そして、奇妙な感じを残しつつも嬉しい気持ちになった私は、
なぜだか心の中で、「ありがとう。」と呟きながら、
足早に階段を駆け上った。

すると、階段の上は、どこか見馴れた風景であった。

そう、私が行く予定であった銀座の約束先近くである。

えっ? 何で?

振り返って階段を確認すると、
間違いなく、そこは地下鉄の出口である。

不思議だ?

フッ、フッ、フッ・・・

どうだね、諸君も一度や二度、
こんな経験をしたことがあるのではないかね?

そんな経験なんてあるわけがない、と思った諸君。

それはどうかな?

今日、諸君の目の前で起こったことって、
本当に真実なのかな?

フッ、フッ、フッ・・・

                (日常評論家 中場満)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム18


−『コップの水はどれくらい?』−

文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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やぁ諸君、ご機嫌いかがかね?

お久しぶりぶり。

んっ?

「ぶりぶり」とはちょっと気になる響きだ。

不快に思われたら許してくれ。

ご無沙汰している気持ちを強調したかったのだ。

ところで、今年の夏は実に暑い。

私の地元では、最高気温が連日35度前後の毎日が続いている。

それもそのはず、気が付けば今年も8月だ。

だが、それにしても暑い。

暑過ぎる!

このままいったら9月には40度、
いや、10月には50度になってしまう!!

おいおい、そんなアホな!

すっ、すまん。

思わず、一人ボケ・ツッコミをしてしまった。

だが、そんなおバカなことをしてしまうくらい暑いのだ。

諸君もこの暑さで意識がモウロウとなり、
さぞかしおバカな妄想浴を楽しんでいることであろう。

何せこの暑さゆえ、この夏はムフフな妄想にはもってこいの絶好の時期だ。

暑さの相乗効果で真夏にしか味わえない至福のひと時を
思う存分楽しんでくれたまえ。

フッ、フッ、フッ・・・

だが、くれぐれも妄想と現実とを混同しないで欲しい。

そうしないと、もしかしたら捕まっちゃうかも知れないよ!

フォ、フォ、フォ、フォ・・・

さて、今回は、先日耳にしたとっておきの話をすることにしよう。

あれは、ファミリーレストランで食事をしていた時のことだ。

私の隣のテーブル席に二人の女性が座っていて何やら話をしていた。

年の頃は、20代後半と、40代半ばと思われる。

親子にしてはちょっと違和感がある。

姉妹? これも違う感じがする。

だぶん、職場の先輩と後輩であろう。

最初は他人の話など聞くつもりはなかったが、
自然と耳に入ってしまった。

その話が実に的を射ているというか
思わず賛同してしまったので記憶に残っている。

二人の話と言っても全部聞いたわけではない。

私の隣に座っている先輩らしき女性の声は近くて聞き取れたが、
斜め向かいに座っている後輩らしき女性の声は
周りの雑音に掻き消されて聞き取りづらかった。

だが、先輩らしき女性の話から判断すると、
後輩が先輩に対して何やら愚痴をこぼしていたようだ。

そして、先輩が厳しくも優しく後輩を諭しているように感じられた。

私に聞こえた先輩らしき女性の話はこうだ。

「それで、貴方は何をしたの? 何をしてあげたの?」

「貴方は求めてばっかりいるのね。」

「それじゃ、ダメ。」

ここまでは、どこにでもあるような説教じみた会話だ。

だが、私が思わず賛同してしまった話はこうだ。

「いい? あなたはこれ。」

そういって、先輩らしき女性は
水が入った自分のコップをテーブルの真ん中に置いた。

そして、後輩らしき女性のコップをとって
自分のコップの淵いっぱいまで水を注いでみせた。

「わかる?」

「今のあなたは十分に満たされているくせに、
さらに多くのことを望んでいるの。」

「欲張りなのよ。」

(水がいっぱい入ったコップを指して)
「この中にまだ水が入ると思う?」

「貴方は、これと同じ。」

だが、後輩らしき女性は何やら反論しているようだ。

すると、先輩らしき女性は・・・・

「じゃあ、どうしたらいい?」

「どうしたら新しい水がこの中に入ると思う?」

(何やら後輩らしき女性が答えたようだ。)

「そうねぇ。」

先輩らしき女性はそう答えると、
水がいっぱい入ったコップを手元まで下げ、
さっき自分のコップに水を注いで半分ほどになった
後輩らしき女性のコップをテーブルの真ん中に置いた。

そして、今度は自分のコップの水を
後輩らしき女性のコップに注ぎ返した。

「ほら入った。」

「貴方、何でも抱え込んじゃダメ。」

「もっと水が欲しかったら、入っている水を外に出すこと。」

「そうしないと、水が注がれていてもみんなこぼれてしまうのよ。」

「貴方は水がいっぱい入ったコップなの。」

「これじゃあ、新しい水が来たことに気付くかないわ。」

「だから、貴方は新しい水が注がれているのにみんなこぼしてしまっているよ。」

「どう、わかる?」

さらに、私が大きく頷いて感心してしまった話はこうだ。

「いい?」

「いっぱいになったコップにはもう水は入らないでしょ?」

「そうすると、コップの中の水は変化しないの?」

「水は流れが止まると、腐ってしまうのよ。」

「でも、コップがいっぱいじゃなかったら新しい水は入るわ。」

「それに、水が入れ替わっていれば、コップの中の水は腐らないの。」

「わかる?」

「だったら、貴方から先にみんなに水を上げるの。」

「まず、貴方がやってあげるの。」

「与えなけりゃダメよ。」

「そうすれば、きっとすぐに新しい水が注がれるわ。」

「新しい水が来たことに気付くわ。」

「どう、そう思わない?」

と、こんな感じの会話であった。

う〜ん、実に感慨深い会話である。

いっぱいになったコップの水は流れが止まってしまい、
やがてコップの中の水が腐ってしまう。

だから、常にコップにはまだ水が入る余裕を残していなければいけない。

なるほど。

ビジネスもそうであろう。

いくら自分の利益だけを追求しても利益は上がらない。

まずは、お客様の利益を考えて尽くしてあげる。

そうすれば、それが自分の利益となって
やがて返ってくるということだ。

正に、「損して、得取れ」ということわざの通りだ。

ところで、諸君は何を与えているかね?

「真心?」「勇気?」「自信?」「安心?」「癒し?」・・・

何でも良い。

そんな諸君のところには、
きっと、間もなく新しい水が注がれることであろう。

それまで、見返りを期待しないで楽しみに待つことだ。

フッ、フッ、フッ・・・

正負の法則に従えば必ず報いはある。

ピ〜ン、ポ〜ン〜〜〜!

ほら、来た・・・

おいおい、そんなアホな!!


(日常評論家 中場満)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中場満の痴観妄想(ちみもうそう)コラム19


−『気の効いた対応できますか?』−

文/中場満 text= Mitsuru Chuba
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やぁ諸君、ご機嫌いかがかね?

早くも9月だ。

ということは、今年も既に3分の2の月日が過ぎ去ってしまったということだ。

毎年思うことだが、月日が経つのは実に早い。

そして、まもなく涼しくて過ごし易い秋の季節になるであろう。

そう言えば、近頃朝夕が涼しく過ごし易い感じがする。

あぁ、秋の到来が実に待ち遠しい。

秋は、艶っぽい妄想にぴったりの季節だからねぇ〜。

だが、日中は相変わらず気温が30℃を越す暑い日々が続いている。

巷ではこれを残暑といっているが、この暑さは残暑なんていうものではない。

夏、真っ盛りに等しい「酷暑」だ。

いや、街中に真夏の暑さが蓄積されているように思える「蓄暑」といっても良い。

こんなに暑さが続くと、ストレスも溜まってしまう。

そして、思わず叫びたくなってくる。

「(蓄暑だけに)チックショー!!」

なーん、ちゃって・・・

どうかね?

暑さを吹っ飛ばすのにピッタリのダジャレで少しは涼しくなったかね?

えっ、涼しさを通り越して寒気がするって?

しっ、失敬な!

諸君を気遣う私の気持ちが分からないのかね。

気遣うと言えば、
先日とっさのことで相手を思いやる心に失する行動をとってしまった。

というわけで、今回は我ながら情けない対応をしてしまった話をしよう。

あれは仕事を終えて帰宅の徒につき電車に乗っていたときのことだ。

私が電車に乗ると、その車両の中には、
仕事帰り等の大人に混じって、中学生と思われる男女が10人近くいた。

不思議なことに男子生徒は座席に腰掛けていて、
その前に女子生徒が立っているではないか。

この中学生たちが何を話しているのか内容は分からないが、実ににぎやかである。

これが若さというものなのか、途切れることなくおしゃべりをしている。

だが、おしゃべりといっても男子生徒が車内でふざけていて、
女子生徒はそれを諌めている感じだ。

やはり、同い年といえども男子生徒はまだまだ子供で、
女子生徒の方がずっと大人のようである。

そんな中学生たちを横目に、
私は扉の近くに立って、扉の上に設置されたモニターをずっと見ていた。

すると、隣でなにやら声がする。

「すいません。あの〜すいません。」

ん?

モニターに夢中になっていて気づかなかったが、
どうやら誰かが私に声を掛けているらしい。

声がする方を振り向いて見ると、先ほどの中学生と思われる女子生徒である。

何かなぁと思っていると、
その女子生徒はさっきまで男子生徒が座っていた目の前の座席を手で示して
「どうぞ。」と一言。

えっ、ええっ〜。

私に席を譲ってくれるの?

ありがたいが、座席を譲られるなんて初めての経験である。

私は、予期せぬ当然の出来事にびっくりして、
「いやぁ〜、大丈夫だよ。」と答えるのが精一杯であった。

そして、彼女が譲ってくれた座席に腰掛けることを辞退して
私は立ったまま再びモニターに目を向ける。

私は、複雑な心境に落ちいっていた。

座席を譲ってあげなければいけない程の年寄りに見えたのであろうか?

そう言えば、もうすぐ敬老の日だ。

そう、だからか・・・

いっ、いやそんなはずはない。

私自身、決して若いとは言わないが、まだまだ初老と呼ばれる年齢ではない。

体力も十分にある。

それとも、座席を譲らずにはいられない程の哀愁が漂う
くたびれたオヤジに見えたのであろうか?

う〜ん、それは否定できないかも知れない・・・

何れにしても、少しショックだ。 気持ちがへこむ。

だが、へこんでいるのも一時で、
私はこのショックを大きく上回る自分の浅はかさに気づかされた。

なぜなら、先ほど彼女が譲ってくれた座席をふと見ると、
誰も座っていない空席のままである。

その空席を見ていて、何だか虚しい感じがする。

この座席はきっと、先ほどの彼女が私のために
男子生徒を退かして空けてくれたのであろう。

つまり、この座席には年長者を気遣う彼女の優しさが含まれていたのだ。

とっさのことと言えども、
私はそんな彼女の優しさを意図も簡単に踏みにじってしまったのだ。

断るにしても、席を譲ってくれた彼女の思いを察して、
もっと気の効いた対応をすることができなかっただろうか。

大人として実に情けない・・・

諸君よ、予期せぬ状況に遭遇した時のとっさの行動にはくれぐれも注意してくれたまえ。

だから、今なら「(蓄暑だけに)チックショー!!」と聞いても
ち〜っとも寒くはないだろう?

これには諸君を気遣う私の気持ちが込められているからねぇ〜。

フッ、フッ、フッ・・・

えっ、何だって、
お前はまだまだ相手を思い遣る心に欠けるって?

どーもすいません・・・


(日常評論家 中場満)