八田入覚の説法 2011


【八田入覚の説法 vol.34】

有り難き約束  


text=Nyukako Hatta
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よく「約束はやぶるもの」と言う方がいらっしゃいますが・・・

みなさんは約束を守る人ですか?
守っていますか?
必ず守れる自信はありますか?
約束を守れない人をどう思いますか?
もし相手が約束を破ったらどう思いますか?
では自分が約束を破ったらどういう気持ちですか?
実際には、どうしても「約束を守れない」という時があります。
「約束」とはいったい何者なのでしょう?
約束とは、おおよそ相手を拘束する様を言い、分解すると「約」は“おおよそ”、
「束」は“束(たば)ねる”から成り立っている漢字です。
この約束を守る為に、どうしても必要不可欠なものが「いのち」です。
これがないと守りたくても守れない。約束の場所に行けない。
つまり「いのち」あっての約束なのです。
「いのち」は生死紙一重です。いつ何時、どうなるか分かりません。
だからこそ、約束する方は仮の決め事で、相手の方も仮の決め事に過ぎません。
故に、約束を守れたときはとてもとてもラッキーなのですよ(^_^)v
つまるところ『約束』とは・・・それはそれは 大変成し難い事柄 ≠ニ言えるでしょう。

                             有り難や有り難や(^人^)
                              仏教心理アドバイザー
                                    八田入覚













【八田入覚の説法 vol.35】

全6回“倖せに過ごす術”  

第1回目「人生とはすなわち苦である」  


text=Nyukako Hatta
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「人間にとって生きることそのもの自体が苦である」

とお釈迦様はおっしゃいます。

人はみな<四苦八苦>を背負って生きていかなくてはならないのです。

決して楽なものではでしょう。

もしあなたのすぐ隣に嫌いな人が来たらどう感じますか?

過ごす時間がたとえ1分でも感じる時間はとても長いのではないですか?

反対にとても好意を寄せている人が隣に来たら、

1時間が10分しか経っていないように感じるのでは・・・。

このように理不尽に思える苦しみは到底逃れることはできません。

しかしみなさん!

 “苦”は継続性のもの “楽”は一過性のもの

と、考えてみて下さい。

心のどこかに収めておくことです。

そうすれば、きっと心にゆとりがうまれるでしょう。

第2回につづく
                              仏教心理アドバイザー
                                    八田入覚













【八田入覚の説法 vol.36】

全6回“倖せに過ごす術”  

第2回目「4つの苦しみ」  


text=Nyukako Hatta
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4つの苦しみがあります。

生まれて来てしまった苦しみ。

老いる苦しみ。

病による苦しみ。

死んで行く苦しみ。

このような世界を「生死の苦海」と呼んでいます。

病に悩まされ、長生きすると若さがなくなり、いずれ死が訪れます。

寿命が長いか短いかはともかく、総理大臣であろうと、

誰であろうと、必ず死は平等に訪れます。

生きるということを人はすべて平等に持ち合わせています。

生きることが楽しいものだと思っていると、人生の壁にぶつかり

挫折してしまった時が大変かもしれません。

自分は人より優れていると思っている人。

地位や名誉に胡坐をかいている人。

一度転落したら這い上がることが容易ではないでしょう。

世の中は苦しいもの。

誰の身にも死が平等に訪れるように、苦しみもまた皆平等に纏わり付いてくるのです。

しかし、大丈夫V 苦しみを自覚することで前に進めます。

それには、自分の楽しみや目標を持つことです。

そのことで、初めて“生きている”喜びを感じることができるでしょう。

所詮、苦海に漂う浮き草のような我々ですから・・・。

だからこそ、いかに溺れないようにするかが賢明なのです。

「渡る世間に鬼はない」という諺は、

仏教の“世間=生死の苦海を渡る我々・・・”から来ています。

病気になって、余命あとわずかと宣告されて死と直面した時、

初めて人は生きることを意識し始めます。

しかし、それでは遅すぎるのではないか・・・

本来、死と直面した時ではなく、日頃から自分は確かに生きているんだ

と意識することが大切だと思います。

                              仏教心理アドバイザー
                                    八田入覚













【八田入覚の説法 vol.37】

全6回“倖せに過ごす術”  

第3回目「人間に纏わり付く貪欲」  


text=Nyukako Hatta
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「俺は欲がない」なんて言う方がおりますが、

それは仏教的に見ますとありえません。

頻度はともかく欲は持っています。

世の中は未足でいっぱいです。

未足とは不足はしていないが、しかし本当は満足できないでいる状態。

人は自分の欲をどれだけ満たしてみても、それだけでは人間としての

真の満足、歓びは得られないのです。

これは人間の苦しみの根源である意の三悪の一つ“貪欲”の為せるワザ!

これがあるから「あれが欲しい、これが欲しい」と苦しむのです。

どんなに努力をしても取り除くことができません。

でも心配は要りません。取り除くのではなく、うまくお付き合いを

して頂ければいいのです。

その付き合い方を・・・“ 少欲知足 ”といいます。

「無欲」になると欲望がまったくなくなって、抜け殻のように

なってしまいます。

なので「少欲」ではいかがでしょう?

いつも欲を少な目にすることを心掛けることで、

自然に「足りていることを知る」気持ちになり、今の現状に満足し

感謝の気持ちも湧いてくるのではないでしょうか。

足りていると感じるか感じないかは・・・アナタ次第です!

心のあり方ひとつで、倖せにも不幸にもなるのですよ。

                         合掌


                              仏教心理アドバイザー
                                    八田入覚













【八田入覚の説法 vol.38】

全6回“倖せに過ごす術”  

第4回目「人生は“楽”も“苦”も 自分次第」  


text=Nyukako Hatta
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 先回心のあり方(自分の思い)で、不幸だと思えば不幸、倖せだと思えば
倖せ、であるとお伝え致しました。

 人は何かトラブルが起こった時、不幸だと思うでしょう。しかしこの時
不幸だと思わずに自分にとっていい勉強の機会だ!と思えばいいのです。
仏教用語に『億劫(おっこう)』という言葉があります。これは非常に長い
時間、果てし無い世界を現しています。計り知れない時間がかかることは、
容易ではなく面倒にも感じることでしょう。

 あなたは物事をする時に億劫に思ったことはありませんか?あれもし
なきゃ、これもしなきゃと気持ちばかり焦り、その先に終わりが見えない
と感じてしまった時、何もしたくないと思ってしまうでしょう。

 そもそも人間の身体は1つです。1つ1つやることは出来ても、同時に
2つのことはできません。文字を書きながら消すことはできませんから…
書いたものを消したければ次に行なうことになります。これは同時ではあ
りませんね。このように、実際にしている行為は目の前のたった1つのこ
と以外にはなのです。

 “思い(心)は抽象”であり“体は具象”と考えれば、人間をオックウに
させているのは「オックウという“思い”」だということが分かります。
よって自分の人生は、心のあり方次第で苦にも楽になるのです。
                            合掌



                              仏教心理アドバイザー
                                    八田入覚













【八田入覚の説法 vol.39】

全6回“倖せに過ごす術”  

第5回目「人はみんな妥協しながら生きている」  


text=Nyukako Hatta
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先回“思い(心)は抽象”であり“体は具象”と考えれば、人間をオック
ウにさせているのは「億劫という“思い”」であり、自分の人生は、心の
あり方次第で苦にも楽になるとお伝え致しました。

 今回は人間関係についてちょっと・・・
古今東西、人間にとってもっとも大きいストレスは人間関係でしょう!
我々は人間関係を円滑にする為に必要不可欠なことがあります。それは、
自分自身がどういう人間なのかを知ることです。
これは生まれてきた我々の大きな課題です。

親鸞聖人も
〜たとえ一生を尽くしても会わねばならぬ人がいるーそれは自分自身〜
と言っておられます。

 自分自身を知ること。自分を大切にし、人にはそれぞれに必ず出来る事
があると信じること。他者との違いを認め合うこと。
そうすることで、相手を尊ぶことができ、ストレスを軽減させるプロセス
になるのだと感じます。
そしてこれこそが、今だからこそ必要なものだと確信しています。

 ではどうすればいいのか?みんな少ながらず妥協して生きていること
を理解すればいいのだと考えます。
妥協は、対立した意見をまとめる為、両方が譲り合ってはじめて意味があ
るのですが、はたして本当に全ての関わりの人が互いに譲っているのでし
ょうか?みなさんは心から妥協していますか?少しでもわだかまりがあ
るのなら、それは“妥協”ではなく“未妥”です!

 人が10人いれば10色ですし、考え方も千差万別です。
考え方はみんな違うのです。だから『みんな違って、みんないい』のです。
もしかしたら、自分自身を知れば自分なりの妥協の仕方が見えてくるか
もしれません。

一生を尽くしても自分自身に出会ってみて下さい。期待しています。
                             合掌



                              仏教心理アドバイザー
                                    八田入覚













【八田入覚の説法 vol.40】

全6回“倖せに過ごす術”  

最終回「エネルギーのある魔法の言葉 “ ありがとう ”」  


text=Nyukako Hatta
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 先回は、人は“妥協”ではなく“未妥”して生きていると、お伝え致しました。

 お釈迦様はこう説いています。
 『思い通りにならない時ほど、不満を言わず謙虚に喜びなさい』と・・・
 
 今回はエネルギーのある魔法の言葉“ありがとう”についてお伝え致します。

 「ありがとう」は法句経(ほっくきょう)の“ 人の生を受くるは難く、死すべ
きものの、生命あるも有り難し(人が生を受けるのは難しいことで、いつか死ぬ
身である今日、命があるということは有り難いことだ) ”の中の「有り難し」 がいつしか感謝の言葉として使われるようになったのです。
 何かを一生懸命にやった時に「ありがとう」と言われると嬉しいものです。
この次も頑張ろうという気にもしてくれます。よって「ありがとう」の一言は人
を元気付けるエネルギーの源です。

 またイヤなことや辛いことがあった時ほど、謙虚な気持ちで「ありがとう」と
声を出して言い感謝することをお奨め致します。イヤな思いが、有り難い思いへ
と好転して行く事でしょう。そんな時の「ありがとう」は勇気を与えてくれるエ
ネルギーの源でもあるのです。

 生死の苦海を渡る我々にとって、ストレスを少しでも減らすことができれば、
きっと充実した毎日になることでしょう。

 最後に…何事も自分の思い通りになったら、この世で学ぶべきことはなくなっ
てしまいます。思い通りにならない経験がたくさんあるからこそ、学ぶことがで
きるのです。

 思い通りにならない状況を、喜び・学び・感謝することが人生の成功をつかむ
上で、最も大切であることを忘れてはなりません。

                             合掌



                              仏教心理アドバイザー
                                    八田入覚













【八田入覚の説法 vol.41】

『あみだくじ』の由来  


text=Nyukako Hatta
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“『あみだくじ』の由来”

♪あみだくじ〜あみだくじ〜引いて楽しい〜あみだくじ〜♪
昔、『俺たちひょうきん族』いうバラエティー番組のコーナーで
「あみだばばあ」役の明石家さんまさんが歌いながら、
くじ引きをしていたことを記憶している方も多いのでは…!?

皆さんご存知の通り、縦に人数分の線をひき、その線の間に適当に横線を入れ、
上から下へ線に沿って行くと当たりが出るというもの。

実は…昔は縦ではなく人数分を中央から外へ放射線を書いたのがはじまり。
浄土の主『阿弥陀如来』の頭の後ろで輝いている後光に似ていることから由来しています。

余談ですが…『阿弥陀如来』は、別名『無量光如来』といい、
量ることの出来ないおびただしい光に満ちあふれる如来(仏)と言う意味があります。



                              仏教心理アドバイザー
                                    八田入覚













【八田入覚の説法 vol.42】

「智慧の覚りは悦楽から生まれる」  


text=Nyukako Hatta
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“「智慧の覚りは悦楽から生まれる」”

お釈迦様は言いました。

「智慧の覚りは悦楽から生まれる」

お釈迦様である仏陀は本来は覚ることそのもの。
宇宙の実相つまり世界のありのままの姿を知り、智慧を開くことです。
だが覚りの前には悦楽を、悦楽の前には自分を探す必要があります。
最高の覚りは、まず自分と、そして自分と時空との関係を知るところから始まるのです。
修行とは覚りの智慧に至る道程です。

覚り方は2通り。

1つは大きな苦痛の中で覚醒するもの。

2つに悦楽の中で体得するもの。

ただし前者は苦痛が去れば、だんだん消えていくものです。
日々の暮らしの中でいのちの素晴らしさを感じる、
悦楽の中でゆっくりとその不思議な実相(世界のありのままの姿)を知る!

このような覚りこそ揺るぎないものなのです。
苦痛の中でいのちの素晴らしさを主張することは出来ないのです。
悦楽の中にいてこそ悦楽を実感できるのです。
だからお釈迦様は言われたのです。

「悦楽こそが覚りへの一歩」だと…

       合掌(-人-)




                              仏教心理アドバイザー
                                    八田入覚