【八田入覚の説法 vol.23】
第1回 日常で使われている仏教用語
text=Nyukako Hatta
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「仏教用語と聞くと難解と思われがち!
しかし日常使っている単語にはたくさんの仏教に関する用語が含まれます。
そこで何回かに亘っていくつか載せて行きたいと思います。」
挨拶(あいさつ)
もともと挨は“押す”で拶は“迫る”という意味を持っている言葉です。
押し迫る事から、お互いにしのぎを削り努力することを表します。
僧侶が互いに押し問答をし、お互いの悟りの深さを試すという意味なのです。
安心(あんしん)
仏教の世界では“あんじん”と読みます。
信仰や実践などを行うことでこころ≠ェ定まった境地を意味します。
影響(えいきょう)
仏教の世界では“ようごう”と読みます。
仏や菩薩が衆生(我々)の為に姿をあらわすことを影響(ようごう)と言っています。
普段何気なく使っている言葉には、とても深い意味があるのです。
※因みに仏と菩薩では全く違う働きがあります。
これについてはのちのち説明していきたいと思っております。
みなさん!心を安定させていますか?それではまた!
仏教心理アドバイザー
八田入覚
【八田入覚の説法 vol.24】
第2回 日常で使われている仏教用語
text=Nyukako Hatta
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今回もまた日常使っている単語お伝えいたします。
第2回
大袈裟(おおげさ)
袈裟はサンスクリット語でカシャーヤの音写で、赤褐色をさします。
袈裟はもともと糞掃衣(ふんぞうえ)と言い、そこいらあたりに落ちていた
ぼろ切れを拾って縫い合わせたものです。
これは中国を経て日本に伝わりました。
掛け方が左肩から右脇下にかけることから、斜めに切ることを『袈裟斬り』と
いいます。そこから物事を大きく表現することをさすようになったのです。
勘弁(かんべん)
一般的には、他人の過失や要求などを許してやることの意味ですから
「今回だけは勘弁してやる」などとなります。
本来は・・・禅宗用語ですから、問答によってお互いの見解を見極め、
さとりの深さを試すことを言うのです。
甘露(かんろ)
甘露といいますと、甘露煮や甘露水などの甘い味の食べ物の名称になっていますね。
これはサンスクリット語でアムリタといって、神々が普段から飲んでおられる
お酒のことです。
このお酒が蜜のように甘いことから『かんろ』と呼ばれるようになったのです。
みなさん!いかがですか?それではまた!
仏教心理アドバイザー
八田入覚
【八田入覚の説法 vol.25】
第3回 日常で使われている仏教用語
text=Nyukako Hatta
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今回もまたまた日常使っている用語、お伝えいたしまーす(^0^)V
第3回
喫茶(きっさ)
これは古くから中国で行われていた習慣でした。
禅宗では、集団生活の中で日常の節目節目に
全員が集まり茶を飲む“茶礼”という習慣がありました。
玄関(げんかん)
玄は玄妙なる道理のこと。関は要所の入り口を言います。
よって仏道への入口や禅門に入る端緒(物事の手掛り)などをさすようになりました。
一般的に民家の入口を玄関と言うようになったのは江戸時代以降と言われています。
乞食(こじき)
仏教では“こつじき”と読みます。これはみなさんもご存知の禅宗の大切な修行の一つである『托鉢』と同じ意味を持ちます。
乞食(こつじき)とは、経済的な活動を禁じられていた仏教徒が、家の玄関前に立って食を求めて修行することをさします。
みなさん、それではまた!
仏教心理アドバイザー
八田入覚
【八田入覚の説法 vol.26】
第4回 日常で使われている仏教用語
text=Nyukako Hatta
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今回もまた日常使っている単語お伝えいたします。
第4回
醍醐味(だいごみ)
「最高の美味」を意味する仏教用語。
牛乳製品を発酵の段階にしたがって五つ(乳(にゅう)、酪(らく)、生酥(しょうそ)、熟酥(じゅくそ)、醍醐(だいご))に分け、
あとのものほど美味であるとしました。それら五つの味を五味(ごみ)といいます。
その5番目の醍醐のことで、バターを溶かしたときにできる上澄みをいい、妙薬でもあります。
牛乳を最高に精製したときにできる最上の食べ物なのです。
五味は教義や経典の深浅の説明に用いられ、最高のものが醍醐味に例えられます。
余談ですが、これはサンスクリット語でサルピル・マンダ(sarpir mada)といいますが、
乳酸飲料「カルピス」はこのsarpir(サルピスsarpis)をもじった商標なのです。
「醍醐味を味わう」とは、とてもすばらしい体験をすることを言うのです。
旦那・檀那(だんな)
これは「布施」や「施し」の意味を持ち、サンスクリット語で“ダーナ”の音写です。
寺院や僧侶に財物を施す信者のことをこう呼びます。
馬鹿(ばか)
この語は、梵語(ぼんご)moha(モーハ)の音写から転訛(てんか)したものです。
釈尊の教えを聴いても理解できず、何が正しいか判断できない愚かなものを指します。
こんな説もあります。「馬鹿」は、秦の二世皇帝の面前で、献上された鹿を指して馬だと言わせ、
自らへの臣下の忠順度を測った権力者、趙高の故事に由来するともいわれています。
であれば、自らの愚かさに気づかず権力あるものに対し、気に入られようと大いに媚(こ)びへつらい、
それに恥じないものこそ、真の「ばか」なのかも・・・ (^_^;)もしかして俺のこと?
みなさん!いかがですか?それではまた(^o^)丿
仏教心理アドバイザー
八田入覚
【八田入覚の説法 vol.27】
第5回 日常で使われている仏教用語
text=Nyukako Hatta
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今回もまた日常使っている単語お伝えいたします。
第5回
ひどい
仏教用語の“非道”からきたもの。
非道とは六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)の中の
畜生・餓鬼・地獄の三悪道をさし、悪業を積んだものが受ける
迷いの世界のこと。ちなみに、ここから外れるのが天狗であり、これを外道といいます。
よって非道は、道理に外れた意味合いで使うことが多いです。
蒲団(ふとん)
もともとは坐禅用の敷物のことでした。
坐禅のとき、水草の蒲を干したものを丸く編んだものを敷いたのです。
“団”は丸い形のことをいいます。
今の寝具の呼び名となった理由は、修行僧が使う長方形の布(坐具)と
坐禅用の敷物である蒲団とを混同してしまったことだそうです。
みなさん!いかがですか?
『六道』については次回お話ししたいと思います。乞うご期待!
それではまた(^o^)丿
仏教心理アドバイザー
八田入覚
【八田入覚の説法 vol.28】
誘惑の六道世界へようこそ!
text=Nyukako Hatta
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誘惑の六道世界へようこそ!
六道とは、衆生がその業(ごう)によっておもむく六種の世界のこと。
生死を繰り返す迷いの世界。地獄道・餓鬼(がき)道・畜生(ちくしょう)道・修羅(しゅら)道・人間道・天道。
六界(ろっかい)とも言います。
今回、六道とは、それぞれどんな世界なのかをお話してまいります。
天上界(天道)とは、天人が住む世界のこと。
天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされています。
また、空を飛ぶことができ、享楽(きょうらく)のうちに生涯を過ごすといわれています。
しかしながら天上界でも煩悩からは解き放たれていないのです。
天人が死を迎えるとき五つの変化が現れます。
これを五衰(ごすい)(天人の死に際して現れるという5種の衰え(おとろえ)の相)と称し、
衣装に垢(あか)がつき、体から悪臭を放ち、脇から汗が出て、本来いるべき座にいることを好まなくなり、
頭上の花冠( か かん)(一つの花の花びら全体)がしぼむと言われています。
この世界は最上・最勝の世界として、欲が満たされ、快楽きわまりない世界として説かれています。
地獄道は最下低(さいかてい)のことをあらわしています。
獄はュr(犬)と犬とが相争(あいあらそ)う姿をかたどっている文字です。
つまり地獄とは、誰かに頼らなければ生きていけないのに、頼るべき人への関わりを開けないどころか、
互いに傷つけあい、苦しめ合ってしか生きて行けない世界のことなのです。
畜生道は、傍生( ぼう しょう)(からだを横にして生きる生き物)ともいい、
まさに畜(ちく)養(よう)(家畜などを飼い育てること)されている様子です。
誰か彼かに甘えて生きているものの世界を現しています。つまり甘えん坊さんですね。
甘えん坊さんは自分の欲望のままに生きていて、“耐える”ということを知りません。
思うようにならないと泣き叫び、わめきたてて、思い通りにしようと考えています。
自らの力で稼いだり、目の前の壁を乗り越えようとしない状態のことで、救いの少ない世界とされています。
『稟性( りん しょう)(ひんせい)愚痴(ぐち)にして自立することあたわず』
注)稟性…生まれつきの性質。天賦の性質。天性。稟質(ひんしつ)
修羅道は正確には阿修羅道といい。阿修羅道とは阿修羅の住む世界のことです。
阿修羅は神を否定し、神々と闘うものを指します。ここで言う神々とは、
その世界において犯すべからざる権威として現されていると言ってもいいでしょう。
権威に対して否定し続けて戦っている為、いつも全身から血を噴き出すような痛みと、
孤独の中に投げ出されている世界のことです。その苦しみは結果として自らに帰って来るのです。
餓鬼道は餓鬼の世界です。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、毎回毎回食べ物を口に入れようとする度に、
食べ物が火となってしまう為、餓えと渇きに日々悩まされているのです。
他人を慮(おもんぱか)らなかった(あれこれ思いめぐらす・考慮する)為に、餓鬼になった例があります。
下記がその例です。
“ [撰集百(せんじゅうひゃく)縁(えん)経(きょう)]に出てくる「ひとくちの水」と言う話で、
飢えに苦しんでいる人に、たった一口の水も与えようとしなかった主人公の話 です”
人間道は人が住む世界です。
四苦八苦業苦(生・老・病・死・愛(あい)別離(べつり)苦(く)・怨憎(おんぞう)会苦(えく)・
求(ぐ)不得(ふとく)苦(く)・五蘊(ごうん)盛(じょう)苦(く)・業(ごう)苦(く))に悩まされる苦しみの大きい世界ですが、
特に不浄・苦・無常の現実に苦悩する者の世界として説かれています。
苦しみが続くばかりではなく、楽しみもあるとされています。
また、仏になりうるという救いもあるのです。
仏教心理アドバイザー
八田入覚
【八田入覚の説法 vol.29】
寺の風景
text=Nyukako Hatta
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寺の風景
この度は無縁法要と永代経法要の為、新潟から実家の寺の風景を送ります。
一枚目は本堂です。
二枚目は境内裏の山並みです。
是非一度!皆様で、お越し下さいませ(-人-)
仏教心理アドバイザー
八田入覚
【八田入覚の説法 vol.30】
お盆参りの出来事
text=Nyukako Hatta
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お盆参りの出来事
一枚目は
何の変哲もない水の入ったタライです。
二枚目は
実はペットの猫です。
“ たんご ”と言います。
17歳の長老ですが、元気です(^^)v
まかさこんな大きな桶が猫用とは思ってもいず、朝から笑いが止まりませんでした(^O^)
8月10日(火)早朝の話でした。
仏教心理アドバイザー
八田入覚
【八田入覚の説法 vol.31】
キャラクター紹介
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キャラクター紹介
向かって左から
あかほんくん
鸞恩(らんおん)くん
蓮(れん)ちゃん
です(^人^)
今年の11月21日(日)〜28日(日)の真宗大谷派東本願寺の報恩講で待ってます。
仏教心理アドバイザー
八田入覚
【八田入覚の説法 vol.31】
ご臨終です
text=Nyukako Hatta
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ご臨終です
「ご臨終です」と聞いて、何のことだと思いますか?当然、死んだ時だと過去形で答えませんか。実
は臨終とは本来死を迎える直前の時期を表す言葉です。正確には、まさに“いのち尽きる瞬間に直
面する”ことから臨命終時(りんみょうしゅうじ)と言います。
この臨終は
其人臨命終時阿弥陀仏 与諸聖衆 現在其前 是人終時 心不顛倒 即得往生 阿弥陀仏 極楽国土・・・
と、仏説阿弥陀経にも出てくる仏語です。
これを訳すと「本願の働きをしっかりと受け入れ真っ当な人生を送った人は、臨終にあたって、悔いの
ない満足な生き方だったと感謝して、安心して後生(死)を迎えることができるのです」となります。
ここで質問、枕経ってご存知ですか?これは死後すぐに行われる儀式の1つで、死者の枕もとで行な
う読経のこと。これを臨終勤行といいます。臨終勤行とは、その言葉通り、臨終にあたって長年仕えて
きた本尊に対して行なう感謝の勤めなのです。なので枕経は本尊に対して行なうのが正式です。
そして枕経は “臨終勤行”ですから、実は息のある間にお勤めを行ない、臨終にある人に聞かせるも
のだったのです。しかし今はさまざまな事情から出来なくなっているのが現状です。
現在は亡くなってしまうことが臨終だといつしか解釈されるようになり、ドラマでも医学の世界でもご遺
体の瞳孔をみたり脈拍を測ったりして死を確認して「ご臨終です」と言うようになりました。
聞けば聞くほど、私自身、仏教の奥の深さにいつも驚かされっぱなしです。
仏教心理アドバイザー
八田入覚
【八田入覚の説法 vol.32】
仏典倖話 『業』で学ぶ経済学そのT
text=Nyukako Hatta
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仏典倖話
『業』で学ぶ経済学そのT
業苦の中で生きる我ら!
“業”が自分のすることに、大きく拘ります。
悪いことをすれば悪い報いを受け、良いことをすれば良い報いを受けること。
倖せを感じることも、不幸だと感じることも。
これすべて業のなせる業(ワザ)なのです。
業を表に出し過ぎると、「金を取ろう」と言う思いが先に立ち、自分のことしか考えられなくなります。
業=利益優先・・・よって人から取ろうとします。
そうすると、相手は取られまいと警戒態勢を取ります。
なので思うように行きません・・・損ですね。
食事でも偏食して身体を壊せば、病に侵される。自分自身が損をしてしまいます。
業を張りすぎると貧苦に陥ることに成りかねません。
業が自分に、どのように作用するかを考えることが大切です。
仏教は「こころの在り方」を説いているのです。
仏教心理アドバイザー
八田入覚
【八田入覚の説法 vol.33】
諸行無常
text=Nyukako Hatta
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生死の苦海を渡っている人たちへ
世の中に、変わらないものはあるでしょうか?
形あるもの必ず壊れ、植物はいつか枯れてしまう。
人の気持ちもまた、刻々と変わって行きます。
生まれて来れば、必ず死んでゆくのです。
人は死ぬために生まれてきたという哲学者もいます。
川の流れも、生まれ育った町も、都会も、人々の生活も、
未来に向かって刻一刻とすべてが少しずつ動いているのです。
仏教ではこれを『諸行無常』と言います。
あらゆるものは常に変化し続けているもの、人の心が離れたと言っては泣き
歳を取ったと言ってはがっくりし、愛するものが死んだとき、嘆き悲しむ。
正に我々は無常の世の中に生きているのです。
最後に、このことをズバリ表現している「平家物語」の冒頭部分を載せておきます。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらは(わ)す
おごれる人も久しからず
唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ
偏に風の前の塵に同じ
仏教心理アドバイザー
八田入覚
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