【八田入覚の説法 vol.1】
文/八田入覚(株式会社浄福)
text= NYUKAKU HATTA
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【小才・中才・大才】
皆様こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
弊社の社訓をお伝えします。
「縁に出会って袖すり合う縁も、活かすことのできる大才であれ。」
サントリーの鳥井道夫氏の著書である「小才 中才 大才」から
心に残っていたので社訓にしました。
意味は・・・
小才 縁に出会って縁に気付かず
中才 縁に出会って縁を活かせず
大才 袖摺り合うも他生の縁と、縁を最大に活かす
「他生の縁」とは この世に生まれ出るまで、何度も生死を
繰り返している間に結ばれた因縁、前世で結ばれた縁。とあります。
だから、「袖摺り合うも他生の縁」とは道で人と袖を触れ合うような
ちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものだと・・・。
他生=多生
因縁:(因縁生または縁生)とは=すべての現象・物事は何一つそれ自体で
成り立つものではなく、無数の関係(縁)によって生じていることを表すもの
と言う事は、「袖摺り合う出会いに気付き、それをいかに活かすことが
できるか?」が問題ですね。
自分の人生を当てはめて考えると、大才にはほど遠いとは思いますが、
企業でも個人でも、縁に気付き、その縁を活かすことが大切だと感じます。
私は思います。このヘイズ銀座そのものが大才の場であり。
もしかしたら、みんな前から繋がっていたのかもしれませんね。
文/八田入覚(はった・にゅうかく)
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■入覚さん曰く、小才中才大才の「エンの次元(小中大)」
を意識してみましょう。
エーーーー!!!ンーーーーー!!!
エンの字は
縁/役/演/円・・・・
「エン」に気付き、その「エン」を活かす!!!
古代の叡智曰く
「エン(縁)の中にイン(因)もある」(平田チェアマン)
■【エエ〜?!度 77】
(内訳:TQ度100・BQ度50・銀座度80)
入覚さんにしては真面目な文章だな。。いつもの
お笑い芸人的トークではなかったのが残念。
真面目サイドの顔・・・ということで。。。汗
次ははっちゃけてくださいね〜♪(編集部)
【八田入覚の説法 vol.2】
医療に仏の教えは必要か?
文・八田入覚(株式会社浄福)text= NYUKAKU HATTA
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「死」、「死への恐怖」そして「後生の世界」、
これは生きるものすべてに永遠のテーマである。
浄土真宗の開祖、親鸞聖人の生きてこられた
鎌倉時代は、飢饉や戦で生と死が一体化した時代であり、
まさに明日をも知れぬ我が「いのち」を生きらた。
理性を超えた「いのち」の世界に触れ、『南無阿弥陀佛』
の名号の中に生かされていることを感謝していたのです。
21世紀、医療は進み平和な時代で長寿社会になったが、
果たして心は満たされているのでしょうか。人間関係に悩み、
うつ病、引きこもり、自殺など、自分の居場所探しで苦しんでのです。
長寿社会になっても最期の寿命を、ほとんどの方が医療機関で迎える。
そして、医療機関で少しでも長く生きれるように医師や看護師に
医療行為をお願いをするのです。
しかし、そこには患者やその家族に対して、精神的な支えとなる宗教面は、
除外しされることの方が多いのです。……………
医療の現場では、医師は1人で大勢の患者さん観て、
看護師は医療処置に追われ、患者さんの精神的ケアまで
行き届かないのが現状です。
さて、そこで皆さんに質問です。
「病院などに仏教者(僧侶含む)が来られることを、どうお考えでしょうか?」
少し考えてみますと、「まだ、自分の死について考えたことはない」
「死はタブーだ」「長生きしたい」と言う思いが強く、仕事・家事・育児
など。生活に追われ、自分のことについて考える余裕がないのが
正直なところではないでしょうか。
しかし、ここでひとつ必ず言える事があります。それは0歳〜高齢者
まで生を受けた私たち全てが、死に行く身であると言うことです。
医療に携わる医師の方々は言います。
「現在の医療では宗教を口に出すことは難しい。しかし、その前に
仏教に触れている必要がある」と…。
患者であろうと医療者であろうと、「あなたも私も、みな必ず死ぬ人
お互いに今夜は分からない我が身」なのです。
これは正に夜桜のようなものです。
夜桜は嵐が吹けば、次の日には見れませんものね。
仏教と医療がもっと歩みより、誰もが自己の問題として考えることのできる
空間がもっと必要なのです。
文/八田入覚(はった・にゅうかく)
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■【イーーー!度(イーのち度)100点】
(内訳:TQ度200・BQ度50・銀座度50)
・「いのち」を常に見つめているお坊様だからこそ、入覚さんのコトバにはどこか「やすらぎ」を感じます。人の命を「夜桜」に例えるあたり、我々はやはり自然=宇宙の中にいるのだな・・という事実を実感します。(編集部)
【八田入覚の説法 vol.3】
人は「八風」の中に・・・
text=Nyukako Hatta
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「八風」は仏教用語で、仏道の修行をしている者の心を動揺させて、修行を妨げる八つの風のこと。我々もまた、同じ風に出会っている。
八風は「し四じゅん順」と「しい四違」に分けられます。
「四順」とは、うるおい利・ほまれ誉・たたえ称・たのしみ楽の4つで、その人にとって好ましく、
嬉しい気持ちになること。誘惑のこと。
利とは…あらゆるものが自分の意のままになること。
金銭的・物質的等の利益が思いのままに手に入ること。
誉とは…自分の知らないところで讃られること。
名聞名利・名誉欲に執着すること。
称とは…目の前で他人から称賛されること。
楽とは…本当の道を忘れ一時的な享楽に耽ること。
「四違」とはおとろえ衰・やぶれ毀・そしり譏・くるしみ苦の4つで、いと厭わしく意気消沈してしまうこと。
衰とは自分の意のままにならないことで、
「利」に対し、あらゆる福徳を損なうこと。
毀とは自分の知らないところで悪評を受けること。
譏とは目の前でそしられる(悪口)こと。
苦とは心身が押さえ込まれて苦悩を味わうこと。
ビジネスは利益を求め、人に称賛され、名声を手にし、その為にそしられ悪口を言われ、自分の意のままにならないことが起これば、時に横道にもそれることもあるでしょう。それが八風なのです。
よって一切衆生(人)の我らは、常に「四順」を欲しがり、「四違」を恐れるが故に、八風に侵されながら生き続けているといっても過言ではありません。
文/八田入覚(はった・にゅうかく)
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■ミー度100(内訳:TQ度150・なるほ度100・銀座度50)
「四順」と「四違」、調子の良い時は「四順」ばかりに目が行き、調子が悪くなると「四違」に目が行ってしまいがちですが、常に「八風」に吹かれている事を意識していかないといけませんね。(編集部V)
【八田入覚の説法 vol.4】
自灯明・法灯明
text=Nyukako Hatta
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釈尊が入滅を前にして、一番弟子の阿難に言い残された教えが「自灯明・法灯明」です。
「釈尊が亡くなられたら、いったい我々は誰を頼りにして修行し、生きていけばいいのか」
との阿難の不安に対して釈尊が答えたものです。
釈尊はこうおっしゃいました。
『あなた方は、ただ自らを灯明とし、自らを拠りどころとせよ。
他人を拠りどころとしてはいけません。』
『また、法を灯明とし、法を拠りどころとせよ。
他を拠りどころとしてはなりません。』
頼りになるのは自分であるとまず教えられ、他人を拠りどころにしたのでは、もしその人が亡くなってしまえば、途方にくれてしまいます。あくまでも自分で立ち、自分で歩まなければいけないよと、さとされたのです。そして、自分は何を拠りどころにして生きけばいいのか。「法」より他はない。「真理」より他はない。間違っても他を拠りどころにしてはならないと。お教えになったのです。
それでは、私たちはどうでしょう。自らを灯明としているでしょうか。
自分にとっての法灯明とは・・・・・・・何か?
平成20年6月9日
仏教心理アドバイザー
八田入覚
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■Heiz度66(内訳:TQ度100・BQ度50・銀座度50)
「師に教えてもらう」・・のではなく、「師と共に真理を追究する」ということが徹底されていれば、「自灯明・法灯明」という教えもあえて世に登場せずに済んだのではないだろうか?自分の中に自分の「真実」があることを皆忘れているのかもしれません。(編集部)
【八田入覚の説法 vol.5】
三 毒
text=Nyukako Hatta
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三毒(さんどく)とは仏教において克服すべきものとされたもっとも根本的な3つの煩悩
《貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡(ぐち)》で、人間の諸悪・苦しみの根源でもあります。
がしかし、はたして人間は本当に三毒を克服することができるでしょうか。
貪欲とは、すべての物を果てしなくむさぼり求める心。
瞋恚とは、怒りの心で、ほしいものが手に入らないと相手に攻撃的になってしまう有様。
子どもでは泣き叫んで駄々をこねる様子がこれに当たります。
愚癡とは愚痴とも書きます。真理に対する無知の心。
正に言葉の通りで、「どうせ俺なんか」「僕はここの家の子どもじゃ無いんだ」など、
ぐちが出てします様子をあらわします。
いかがでしょう。克服できそうですか?無理そうですね〜・・・・。
でも克服できなくても大丈夫V。この3つすべて持っていれば間違いなく
人間です。人間そのもの!
『私の持っているのは「愚癡」だけで、怒らないし、欲も無い』とか、『私は「瞋恚」は無いし「愚癡」もない。
あるのは「欲」だけ』と言う人は居ないのです。
必ず3つ1セットで持っていて、ひとつとして欠けることは無いのです。
この3つを持っている人を「凡夫(ぼんぶ)」と言い、我々人間のことを表します。
人はこの娑婆の世界に身を置く以上、この3つの煩悩を持ち続けることになります。でも克服できなくても心配はいりません。
欲しいと思う心、手に入らなかったことへの怒りの心、そしてそれでも駄目だと知った時に愚痴ってしまう、それが我が身です。
そして、その我が身を「自覚」しましょう。つまり「自分の個性を知る」ことです。
故に、自分はどんな性格であるのかを客観的に分析し、自分自身をコントロールすることで“三毒”とお付き合いできるでしょう。
正に、『不断煩悩得涅槃』(煩悩を断ぜずして涅槃を得る)ですね。
平成20年7月4日
仏教心理アドバイザー
八田入覚
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■Heiz度60(内訳:TQ度100・BQ度80・銀座度0)
本当に謙虚な人・・というのは自分の人間としての毒の存在を認めていますよね。自分は立派な人間だ!完璧な人間だ!と言っている人に限って、中身がないことが多いように思います。(俺のことかも・・−−;)これは「いい顔しているのは悪人ばかり、悪人顔してるけど本当はいい人」という「和尚のブルース」の歌詞と合通ずるところがあるのかもしれません。(編集部)
【八田入覚の説法 vol.6】
四苦八苦
text=Nyukako Hatta
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みなさんも使ったことや聞いたことがあると思います。
これは根本的な生・老・病・死の4つの苦しみと、
愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)
の生活の中における4つの苦しみを加えて八苦と言い、これを四苦八苦と呼んでいます。
苦しみには「生」も含まれていますが、仏教では「生」もまた苦と考えるところがありあます。
生きてしまった苦しみともいいます。生きていくのは楽ですか。苦の中にたまーに楽があり、気付けは苦ばかりです。
この娑婆世界で生きていると辛くなる瞬間ってありませんか。
「老」は若いころは自由に動いていた足も歳を取るにつれて自由に動かず、腰はどんどん曲がってゆくばかり。
まさに老いの苦しみです。
「病」は永く生きていれば、多かれ少なかれ何処かしこが弱ってきて病気になってしまう。まさに病気になる苦しみです。
「死」は、必ず生まれて来たからには避けては通れない死への苦しみです。
これらが根本的な4つの苦の意味です。
他の4つの苦は耳慣れしていない方も多いでしょう。しかし、普段の生活の中で出会うものばかりです。
「愛別離苦(あいべつりく)」は、好きなのに、愛しているのに離れなければならない苦しみ。
肉親との死に別れ、恋人との別れ、誰しも経験した辛い苦しみです。
「怨憎会苦(おんぞうえく)」は、憎んでいる対象に出会ったり、一緒に居たくないと思っても離れることのできない苦しみ。
嫁と姑の関係に多いかも・・・?
「求不得苦(ぐふとっく)」は求めても求めても欲しいものが得られない苦しみ。
欲しい物が手に入らない苦しみのことで、例えば好きな女性に告白しても思いを遂げられない様子。
「五陰盛苦(ごおんじょうく)」は、色・受・想・行・識の5つの心身の機能が活発なために起こる苦しみ。
「色」は、食欲や性欲のこと。
「受」は、感受性があるばかりに感じないに越したことがないことを感じてしまうこと。
「想」は、想像力のこと。
男性で例えるなら、「あの女性が欲しい」と布団の中で女性の肢体を、あれやこれや想像し悶え苦しむこと。
「行」は、何か困難なことに意志することに取り憑かれてしまうこと。
「識」は、他人の言葉によって堪え忍ぶこと。
自分は思っていないのに「男はそんなもんや」「世の中そんなもんだ」と他の人から意見を誣いられること。
この「もん」が「識」のことです。
まさに四苦八苦は、この世の苦しみを言い表しています。
人間の煩悩が百八あるといわれているのも、この世が苦しみで満ち満ちているからと言う説もあるくらいです。
ちなみに、四苦八苦を数字に置き換えて計算すると
(4989四苦八苦)→(4×9)+(8×9)=108になります。
覚醒士 八田入覚
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■LINK
株式会社浄福
・仏教心理アドバイザーである入覚さんにどんなことが相談できるのかが書いてあります。じっくりとどうぞ。
八田入覚ブログ
・かなり砕けた感じで書かれています。
■Heiz度76(内訳:キ度100・TQ度100・BQ度80・銀座度0・EGDE度100)
不思議なことにストン〜と心に落ちますね。。僕は愛別離苦以外が強いのかなあ(特に五陰盛苦)・・と思ってみたが、実は愛別離苦が一番強いのかもという結論に。ああ、****が私を呼んでいる。。。(編集部)
【八田入覚の説法 vol.7】
あきらめる
text=Nyukako Hatta
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「あきらめる」と言う響きはどのように聞こえますか?そして、どんな時に使っていますか?
財布をなくした時、失恋の時、ダイエットがうまく行かない時と良い意味ではほとんど使っていないようです。
マイナスのイメージとして捉えることが多いのではないでしょうか!
実は「あきらめる」という言葉は仏教から来ているのです。知ってましたか?
「あきらめる」とは、漢字で諦観(たいかん)と現します。これを訓読みすると「あきらかにみる」と読みます。
これは『宇宙の真理を諦(あきら)かに観る』という意味になります。
ちなみに“諦”とは真実を曇りの無い眼で見ると言う意味。
ここで言う「真理」とは以前おこなった良いことや悪いことに対する報いであり、
いずれにしても良いも悪いも自分の行為の結果と考える因果の道理のことをいいます。
仏教で言う「あきらめる」とは、因果の道理を曇り無き目でしっかりと観ることで、
なぜ自分にこんな報いが来るのかが分かり、原因をどこまでも突き詰めて明らかにし、
二度と同じ失敗をせぬよう努力する様を言います。
これからは、ただあきらめてしまうのではなく、何が原因なのか、明らかに観ることを心がけてみませんか。「あきらめる」とは、決していい加減にしてやめたり、ごまかすこととは違うのです。
覚醒士 八田入覚
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■Heiz新価値度66(内訳:サ度100・TQ度100・BQ度80・銀座度0・EGDE度50)
コトバって今使われている意味はほとんど「語源」とちがうんじゃないか・・って気になってしまいます。どこでどう何が加わるとこうなるんでしょうか?(編集部)
【八田入覚の説法 vol.8】
適当なる約束
text=Nyukako Hatta
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よく「約束はやぶるもの」と言う方がいらっしゃいますが・・・。
みなさんは約束を守る人ですか?
守っていますか?
必ず守れる自信はありますか?
約束を守れない人をどう思いますか?
もし相手が約束を破ったらどう思いますか?
では自分が約束を破ったらどういう気持ちですか?
確かにどうしても「約束を守れない」という時もあります。「約束」とはいったい何者なのでしょう?
約束とはおおよそ相手を拘束する様を言い、
分解すると「約」はおおよそ、「束」はたば束ねるから成り立っている漢字になります。
この約束を守る為に、どうしても必要不可欠なものが「いのち」であり、
これがないと守りたくても守れない。
つまり「いのち」あっての約束で、「いのち」はいつ何時、どうなるか解からないのです。
だからこそ、約束する方はおおよそ (約)、相手を拘束するだけで、
約束された側もおおよそ(約)、相手を拘束するだけのこと。
だから、約束を守れたときはとてもラッキーなとき。
そうすると『約束』とは・・・それはそれは大変難しい事柄と言えるのです。
覚醒士 八田入覚
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■Heiz新価値度76(内訳:マ度100・TQ度100・BQ度80・銀座度0・EGDE度100)
命あっての約束。いろんな好条件が重ならないと約束って完了しないんですね。でも約束することでそれらの条件を満たしていく行動力が出てくる・・とも読みかえられます。うーむ約束って深い。。(編集部)
【八田入覚の説法 vol.9】
お墓の話
text=Nyukako Hatta
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お墓について、ちょっとお付き合いを。
最近、核家族化は当たり前。今では離れているカタチだけが核家族のスタイルではないようです。
近頃は二世帯住宅にしたり、同じ敷地に別々に住宅を構えたりする方も多くなりました。
普段は別々で、食事だけ集まるスタイルもあるとか。
これはまだいい関係のようですが、全く行き来の無い関係も多いようです。
それでは、お墓のあり方はいかがでしょうか。
昔は一家に一基(墓の数の数え方)それも自宅の敷地内に建っていました。
《1948年「墓地・埋葬等に関する法律(墓理法)」施行以前に建てたお墓のことで、
今はどんなに敷地が大きくても建てられません。》
中には本家のお墓に分家の人たちも入らなければならない習慣の地域もあります。
みなさんの地域はどうですか?
今では、1家族単位から一人一基の時代になってきています。
せめて自分のお墓ぐらいは立派にしようという人も増えています。
それでも様々な事情からマンション型のものでいいという人もいらっしゃいます。
ではいつから準備すればいいのでしょうか。
墓は息子たちに任せようなんて甘い考えはこの際捨てたほうがいいと思います。
憾まれるのが関の山です。それより、生きているうちに墓地を求め、お墓を建てることをお勧めします。
そう言うことから「俺は散骨にしてくれ。皆に迷惑をかけたくない」と思っている方も
おられますが、返って迷惑です。
進んで散骨をしてくれる息子や娘がいると思いますか?
それこそ、嫌がられること間違いなし!遺灰を撒くんですよ。
大事な父や母・・・そしてあなたを。先ずは家族とお話しをしましょう。
一度建てたら、そう簡単に移動することができないのがお墓。
どこの寺院にしたらいいものか?墓地は高くても近くがいいか?遠くても安い方がいいのか?
そんなことを考えているうちにトキは過ぎ、後になって後悔するのはいつも残された遺族の方々。
本来、一番悩み、時間を掛けて準備しなければならないのが、墓地の選定なのです。
しかし墓地はそんなに簡単には見つかりません。仮に墓地が見つかったとしても、
かなり高額な墓地の永代使用(永く墓地の土地を使える権利)料がかかる事も多いでしょう。
ではどうしたらよいか?
地方に目を向けることもいいでしょう。
東京都の墓地の永代使用料を例にあげると・・・・・
※東京都内の墓地の料金は谷中霊園334,250円〜青山霊園9,628,800円です。
(例)
多摩霊園一般埋葬施設(墓地)1.75平米で1,093,750円
青山霊園一般埋葬施設(墓地)1.55平米で4,389,600円
これを前もって知って納得しているなら問題は少ないでしょう。
でも、身内が亡くなって、葬儀にお金が掛かり、その後の遺産の相続問題に頭を抱えている中で
墓地を探すことになると、どうでしょうか。恐らく、その時に気付くはずです。
「何でもっと早く準備しておかなかったのか・・…」と。
お墓に関する様々な問題を見ていると、生きることも大切ですが、
後生の問題もまた無視できないと確信します。
これは他人事ではないのです。今からでも遅くはありません。
仕事の合間に墓地の情報を集めることが大切だと思いますよ。
覚醒士 八田入覚
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■Heiz新価値度70(内訳:ヨ度100・TQ度100・BQ度50・銀座度0・EGDE度100)
お墓のことなら八田さん!「天竺バンド「お墓サンバ」を聴くしかない!(編集部)
【八田入覚の説法 vol.10】
入覚の仏教用語集! 「ありがとう」とは・・・
text=Nyukako Hatta
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「ありがとう」の語源は「有難し」という仏教用語からきています。
この言葉は『法句経(ほっくきょう)』の「人の生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるもありがたし」の「有難し」がいつしか感謝の言葉として使われる様になりました。
この教説はこの世に生まれた“いのち”の驚きを教えたものです。
だから仏の教えを聞き、“生命”の尊貴(他人に犯されることのない、独特の存在理由を持っていること)さへ目覚めた時の感動を表す言葉でもあるのです。
私たちが何気なく普段使っています「ありがとう」。
この言葉…とても美しい響きを持ち、日本語の中でも、大変優れた言葉だと思いませんか。
覚醒士 八田入覚
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■Heiz新価値度66(内訳:ト度100・TQ度100・BQ度50・銀座度0・EGDE度80)
・「ありがとう」と言えば八田さん!「天竺バンド「お墓サンバ」を聴くしかない!(編集部)
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