●「マヌケ」って日本語は、日本人は分かる。だけど、翻訳できない。
マ・ヌ・ケを感受できる日本人、それは「マ」を知り、時間と空間は対
であって分けられないことをなぜか体が知っているからではないか?
あいまいな日本語だからこそ、感受し、思考し、感知できることもある
のではないか?
●すべては、絵図◎のように潜象と現象の二重構造である。
外に描いた大きい円の潜象の世界から内に描いた小さい円の現象に現れる。
目に見えない背後界(カム)と目に見える現象界(アマ)である。
アマは、漢字で「天」や「海」にあてられている。天命は、アマのイノチと読める。
現象の世界の色は「アカ」であり、潜象の世界の色は「アオ」であり、
そのあいだの色は「アヤ」である。
●爆弾発言なのだが、「イマ」とは粒子である。微粒子だから、粒子性と波動性を持つ。
●微笑〜小さいのは「マリ」、大きい〜地球ぐらい大きいのは「タマ」である。
●マリが集まってココロとなる。すべての物にはココロがある。
物と言う字が付く生物、植物、人物、、、鉱物にもココロがあるといえる。
●古代の叡智では、物の理の一部である人間については、特別なことは分からない。
だから魂など人間の特別なことに関しては、人智学、哲学などで学ぶが良かろう。
●ヒ(1)フ(2)ミ(3)ヨ(4)イ(5)であるが、それには天文学的なおびだだしい数
が繰り返され、統計上こんな感じになる。
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森本さん曰く、『証拠も証明することも不可能である』と言い切る
未知の知識の教授に、我々はなぜこんなにも引かれてしまうのでしょうか?
このTQこそが、美味なチェアマンです。
映画「コンタクト」のでもあったように、なぜか我々は、全身の細胞でもって
コンタクトする係りであるような気がします。
イマだからこそ、気のせいであっても、なくても、気が済むまでやり続けたいですねー。
森本さん、「ヘイスス(ヘイズ)の場」だからこそ、できること。爆弾発言、どんどんばんばん
頼みますね。次回は4月ごろですね。
仕事を創業するクリエイターにとって、この未知なる物理学に触れることは、
イマをシコウするために必須の知識だと感知しています。
生物(イキモノ)のひとりたるクリエイターみなさん、触れるだけで、目の前の風景が
変化して来ますよ(笑)
我々はミを入れて、気配を感受しつつ聴き続けて行きましょう(笑)
今回もまたまた、ためになったなぁ。ありがとうございます。感謝。
今週もまずは「ミ」を入れてバンガ!!!!
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ビジネスサロン ヘイズ銀座 チェアマン平田
■■ダザイです。こんにちは。
先週金曜日に行われた古代の叡智第五章について、特に残った2点を書かせて頂きます。(写真1枚付き)
・自分にココロと体があるのは、生きながらなんとなく気づいていますが、
実際の存在の仕方について聞けたのはとても素敵でした。
ココロも体もたくさんの寄せ集めである事。石ころやなんにでもココロがある事。うわあ。
そしてその最小単位のコアはなんと潜象世界のもの!
・物体の存在は統計的でしかない。
生まれながら朽ちながら。。どちらかっていうと生まれてるほうが多いから存在している。
(これはカタカムナのお話しではなかったかもしれません)
なんかこれは、ちょっと実感があります。
全体を通じて、今回感じたのは人の体も世界も寄せ集めとして存在しているよという事。
動いてなんでもやれるようだけれど、色々な微生物でできている土とかとまったく一緒だなあと。
共存、共生なんですね。まさかのココロまでも。
森本先生、ありがとうございました。
うちは夫婦で大ファンです。次回もとっても楽しみしています!
皆さんお疲れ様でした〜。
あ、ミを入れて眠ります。
■■■
古代の叡智講演に出席して下さいましたみなさん、
ありがとうございました。
当日質問のありました、
直江兼続が、兜の前立てにつけた「愛」の文字についてですが、
「愛宕権現」または「愛染明王」に対する信仰からつけたという
説などが妥当なところではないかと思います。
また、「仁愛」説だとしても、やはり中国からの漢字文化のながれ
だと思います。
「ミ」を入れた生活をしておりますと、直観力がどんどん向上します。
また、続けて(チ)行うことがすべて「ミチ-->道、OO道」になります。
武道とか茶道とか柔道とかという、あの「道」です。
古代の叡智って、素晴らしいですね。
日本語って、美しいですね。
日本語を使っている限り、何千年たっても蘇るものがあります。 難しくて実は易しい「古代の叡智」は、
何となく、ほんわかとわかっていただければ 十分です。
そのうち、コップの水が溢れる頃になれば、
自然と腑に落ちることと思います。
(森本康彦)
■森本さん、ありがとうございます。
「愛(あい)」は、森本さん曰く、日本語じゃなないとのこと。
「めでる」「いとおしい」は日本語とのこと。
BQ:森本おじさんは、どうして日本語と日本語じゃないが分かるんだろうにゃぁ?!
玉子の息子に、「ミを入れて勉強しなさい。丹田を意識してね。」っと云ったら、
息子曰く、丹田ってわかんないけど、意識って何かわかんないけど・・・うーんと
「おへそのところを思うんだよね。おなかを出したり、引っ込ませたりしてればいいかなあ」
「まあ、そんなもんだ」とお風呂場でふざけてます。
そあ、ひとりひとりのみんな本日も「ミ」を入れて行こう。
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昨日、動画ニュースで解説員が、紙幣の話をしていました。
社会の人は「権威の紙(かみ)を信じている」と。
そりゃ、そうだなぁ。。。。。その信じるものがミソだもんな。
チェアマンは、「書」をたしなむ人から、こういう書き方もあると聞いてます。
「天意」と書いて「あい」と読む。
「霊智」と書いて「みち」と読む。
「霊止」と書いて「ひと」と読む。
面白いでしょ。天地(智)人だーねー。
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ビジネスサロン ヘイズ銀座 チェアマン平田
■■おはようございます。
> 「愛(あい)」は、森本さん曰く、日本語じゃなないとのこ
と。
>
> 「めでる」「いとおしい」は日本語とのこと。
やっぱり日本語じゃないんだ。私も「愛してる」というのには
違和感を感じるし、そういう感情がどういうものか、言ったと
ときにわいてこない。「いとおしい」というと、いとおしい感
情がわいてくる。
> BQ:森本おじさんは、どうして日本語と日本語じゃないが
分かるんだろうにゃぁ?!
>
日本人の体にしみこんでいるんじゃないですか?
鹿野
■■■
森田です。
ちょっと遅くなりましたが、
【古代の叡智】ありがとうございました。
毎回本当に楽しみです。
森本さんの話を聴いている時は、全部解るんです・・・、
が、そのままスーッと浸透して消えていく感じです。
でもそれでも、何か意識すると
ちゃんとそのことを思い出します。
「アイシテル」って日本語が無かったのは
愛は当たり前にあふれていたから、あえて言葉にする必要がなかったんだろう。
ってすごくよく解りました。
私も平田さん同様、日本語だけで思いを表せないんですが、
これって例えば
私が「大根」って言っても(※アウチマンガご参照下さい)
頭の中では、サラダだったり、煮物だったり、漬物だったり・・・、いくつものお料理が浮かんでいますが、言葉にしちゃうとただの「大根」・・・。
日本文化って「ことば」ではないことで表現されてきた文化なんだとしみじみ感じました。
お茶とか武道などの「たしなみ」「間合い」「所作」・・・
建築や織りや染め、もちろん食に関わる職人達の日本固有の「技」・・・
それらにどれだけの「こころ」「おもい」が込められているんだろうと思うし、それが私の深いところにちゃんとあるから、
触れるたびに響いてくる。
その感性を受け継いでこの国に生まれてきたことの意味をかみ締めています。
また次回を楽しみにしています。
木木木木木木木木木木木木木木木木木木木木木木木木木木木木
MORITA NOBUKO WITH HEART
代表:森田信子

(C)dazai
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